師の存在

2009年07月03日 | 徒然
誰にでも、師の一人くらいはいるかとは思いますが
今回はそんなお話を…。

自分自身、強く影響を受けた師は
実はいないのです。
強いて言えば、母方の祖父、古谷野正治の影響が強いとは思いますが。
海軍→内務省→消防庁と勤めてきた明治男だったので
質実剛健でいて好々爺な
私にとっては師というよりも
その背をみながら育った、父親以上に父親的な存在でした。

さて、実際に教えを乞うた人の話に戻します。

小学校の頃は「この先生」という人はいないのですが
仏教系の小学校だったので、法会の度などに聴く法話が
今でも自分の根底に根付いています。
1・2年生当時の校長が、自らも仏教僧で
優しい口調で仏陀の慈悲について、
もちろん10歳にも満たない我々に小難しいことが判るわけがないのですが
なるべく子供たちにわかりやすいように話してくれていたことを
今でも覚えています。
在職中に亡くなられたのが残念です。

中学の記憶はありませんw

高校当時は音楽にのめりこんでいて
作曲家で指揮者の久保田孝氏に師事していました。
社会人としての基礎は、ここで学んだと思っています。

高校を中退した後、別の高校に入りなおしたのですが
そこでであった担任の山本先生には
ずいぶん助けられました。
中途編入の私を他の生徒と分け隔てなく扱ってくれて
その為か今でもそのときに出会った友人たちとは
それよりも長く在籍していた中・高の友人よりも
親密なついあいをしています。
残念ながら、山本先生は若くして鬼籍に入られてしまいました。

大学時代の話は、別の機会にお話しします。

就職してからは、自分が担任を持つことになったりして
受け持った子たちにとってみれば
私の影響を受けてしまった「被害者」も発生しているかもしれませんw
1000人近くいるはずですが、そんなことは責任もてませんwww
教えるよりも教わることの方が楽という事だけ、わかりました。


転職して現在はテレビでもおなじみの、あの「教授」のもとにいますが
師弟関係というよりは労使関係なので、
強く影響を受けているという事はないかもしれませんが
生きてゆく上でのヒントはもらえているような気がします。
あと、もちろん給料も貰ってますw


こうやって思い返してみると
心に残ったいい先生はみんな早逝しています。

さて、現在の「師」は…
おや、上司からお呼びが(ry
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする