豊嶋氏による中世城郭 (4)練馬城

2015年03月12日 | 徒然
練馬は古代、乗潴(のりぬま)駅があった場所とされ(一説に曰、杉並の天沼とも)
この乗潴が転訛され、練馬(ねりま)になったとされている。

練馬城は石神井城の支城として室町時代に築城されたとされる城郭で
豊嶋氏の城として平塚城などと共に、太田道灌との戦いなどで最前線となった。

文明9年には、道灌は江戸城から出兵し平塚城を攻めるが
なんとか持ち堪え、その間に練馬城と石神井城から豊嶋氏の軍勢は出兵する。

この時の戦が豊嶋氏滅亡につながっているのだが
その際、城下の江古田・沼袋が激戦地となり荒廃し
練馬城も兵が敗走したことから廃城になったと思われる。

(練馬城付近の石神井川)

練馬城の跡は、明治時代に「豊島公園」として整備され
大正15年に庭園「豊島園」として開園する。つまり現在、遊園地となっている「としまえん」こそが
練馬城の城址である。

(としまえん)

かつて軍馬が駆けた場所を、今はメリーゴーランド「エルドラド」の馬が回っている。

(エルドラド)
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