豊嶋氏による中世城郭 (5)石神井城と城下の自然

2015年03月13日 | 徒然
石神井の名の由来は、その昔、村人が井戸を掘ったところ
石棒が出てきた為にこれを石神様として祀ったと言われている。

また石神井神社には、三宝寺池から引き揚げられたとされる
石の剣が祀られており、これを石神とする説もある。

現在の石神井公園は、豊嶋氏の築いた石神井城と
その城下の二つの池、三宝寺池と石神井池の範囲である。

(石神井池)

(三宝寺池)

三宝寺池は沼沢植物群が自生しており、昔の武蔵野の面影を遺している。
池の南側の高台が石神井城の跡で、石碑なども建てられている。



豊嶋氏による初期の築城で、鎌倉時代より土豪の館であった場所に
彼らと姻戚関係を結んだ豊嶋氏が室町時代に本拠地としたとされている。

(石神井城の土塁を上がる階段)

南側の城下、石神井川にかかる橋を豊島橋というのは
北区豊島でも豊島区でもないまして豊島園近傍でもないこの地が
豊嶋氏の最盛期の本拠である証でもある。

三宝寺池と石神井池は、かつて石神井川の水源の一つであったが
現在は湧水量も減り、本流とは切り離されてしまっている。
ただし増水時は越流水が旧流路である和田堀緑道の地下の導水管を経由して
小金井から流れて来る石神井川本流に放流させている。

(石神井池から石神井川への流路跡)

(現在でも増水時には池の越流水が導水管によって石神井川へ注がれる。その開口部)

現在の石神井川の流れは、流路整理によって直線化されたもので
旧流路の蛇行した河岸は南田中アパートの南側に
塚越の森緑地、元締山の森緑地、長光寺橋緑地として
現在でも崖や森が残されている。
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