先日結婚した福山雅治の名曲『桜坂』で歌われている「桜坂」。
(秋だけど…揺れる木漏れ日 薫る桜坂)
この桜坂は大田区田園調布本町にある実在の坂で、福山雅治氏によれば
故郷長崎で就職した際に、仕事で滞在した長崎県西海市にある松島の桜坂と、
アーティストとなり上京後に住んでいた家の近くにあった大田区の桜坂がモデルになっているらしい。
(緩いカーブの桜坂の中腹には、両岸を結ぶ桜橋が架かる)
大田区の桜坂は、中世からの古道である中原街道の一部で、沼部の大坂と呼ばれていた坂。
(最寄り駅の東急線沼部駅には、桜坂への案内も)
国分寺崖線の終端の比高5mほどの坂道は、大正十二(1923)年に切通しとなり
その7年後の昭和五年に、両側に桜が植樹され「桜坂」と名付けられました。
(桜坂命名当時の石標と、のちに作られた木製の説明標)
『桜坂』の大ヒットで、一気に有名になったこの坂。
地形的にも、坂下の東光院の脇を六郷用水が流れ、坂上にも、浅い谷戸があるという
「坂道マニア」「暗渠マニア」「湧水マニア」が喜ぶ、坂道でもあるのです。
(東光院。境内に向かって左側に六郷用水が流れる)
(坂上の
向こうに小さな谷戸がある)
(坂上にある国旗掲揚塔)
(秋だけど…揺れる木漏れ日 薫る桜坂)
この桜坂は大田区田園調布本町にある実在の坂で、福山雅治氏によれば
故郷長崎で就職した際に、仕事で滞在した長崎県西海市にある松島の桜坂と、
アーティストとなり上京後に住んでいた家の近くにあった大田区の桜坂がモデルになっているらしい。
(緩いカーブの桜坂の中腹には、両岸を結ぶ桜橋が架かる)
大田区の桜坂は、中世からの古道である中原街道の一部で、沼部の大坂と呼ばれていた坂。
(最寄り駅の東急線沼部駅には、桜坂への案内も)
国分寺崖線の終端の比高5mほどの坂道は、大正十二(1923)年に切通しとなり
その7年後の昭和五年に、両側に桜が植樹され「桜坂」と名付けられました。
(桜坂命名当時の石標と、のちに作られた木製の説明標)
『桜坂』の大ヒットで、一気に有名になったこの坂。
地形的にも、坂下の東光院の脇を六郷用水が流れ、坂上にも、浅い谷戸があるという
「坂道マニア」「暗渠マニア」「湧水マニア」が喜ぶ、坂道でもあるのです。
(東光院。境内に向かって左側に六郷用水が流れる)
(坂上の
向こうに小さな谷戸がある)
(坂上にある国旗掲揚塔)