69年前、臺北で一つの事件が起きました。
前日に、闇タバコを売っていた本省人(台湾人)に対し
国民党政府の役人が暴行を加えたことに対して
28日に市庁舎へのデモが行われ、政府側が発砲したことに端を発する事件です。
これ以降、長期にわたる国民党政府による民衆弾圧が行われ
以前から台湾に住む本省人や、内地へ引き揚げていなかった残留日本人が
多く犠牲になる、台湾にとっての暗黒の時代のスタートでもあります。
デモの中心となった公園は、民國85(西暦1996)年に
当時台北市長であった、民進党の陳水扁(後に総統)によって
二二八和平公園と改称(それまでは台北新公園)されました。
前日に、闇タバコを売っていた本省人(台湾人)に対し
国民党政府の役人が暴行を加えたことに対して
28日に市庁舎へのデモが行われ、政府側が発砲したことに端を発する事件です。
これ以降、長期にわたる国民党政府による民衆弾圧が行われ
以前から台湾に住む本省人や、内地へ引き揚げていなかった残留日本人が
多く犠牲になる、台湾にとっての暗黒の時代のスタートでもあります。
デモの中心となった公園は、民國85(西暦1996)年に
当時台北市長であった、民進党の陳水扁(後に総統)によって
二二八和平公園と改称(それまでは台北新公園)されました。