縄文海進

2018年04月17日 | 東京のお散歩
縄文時代の東京は、大半が海の底でした。

縄文海進と言って、温暖化によって海水位が上昇して
関東平野のかなり内陸まで海が広がっていました。

都内の、本郷台地や淀橋台地と呼ばれる高台は
その当時から陸地で、住居趾や土器片、貝塚など
遺構が多く見つかっています。

関東大震災の際に、揺れが他よりも少なかったのは
埋没谷を除いた、そんな高台の地域でした。


都内には、埋もれてしまっている遺跡が多くあります。

重要度が低く、調査後にその上に構造物を建築したり
造成により地形が変わったりした場所もあります。

役所の教育委員会などには、遺跡台帳という書類があり
どこに、いつの時代のどんな遺跡があって
そこからどんな遺物が出土のしているか
ということが調べられます。

戦前までの古地図による河川の旧流路や遺物台帳、
産業技術総合研究所による地質図などを組み合わせると
街歩きだけでなく、災害の少ない住む場所探しにも
役に立ちます。

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