京浜急行 神奈川新町駅から横浜方面へ線路沿いに歩いてすぐ
線路際に鎮座する笠䅣稲荷神社は平安時代天慶年間(938-947)に
淳和天皇の勅願所の浦島院勧福寿寺の僧侶が隣接する山腹に社殿を建て
伏見大社から稲荷神(宇迦之魂神)の分霊を勧請し産土神としたものです。
戦国時代に一旦焼失したものの永禄二年(1559)に再興され
江戸時代元禄二年(1689)には山腹から山麓へ遷座しました。
社前を通る者の傘が自然に脱げて落ちるようになったことから
「傘脱稲荷大明神」と称されるようになり、後に別当の能満寺の阿闍梨が
「脱」の字を「䅣」に直したものです。
明治二年(1869)に旧社地が官営鉄道の用地として新政府に接収され
現在の社地に再遷座しました。
関東大震災(大正十二年9月1日)、横浜空襲(昭和二十年5月29日)では
悉く焼失したものの、戦後はいち早く再建されました。
現在の社殿は昭和五十四年(1979)に再建されたものです。
昨年(令和元年9月5日)、社前を走る京急線がトラックと衝突し
目の前で脱線事故を起こしたのは記憶に新しいところです。
あれだけの大事故にも関わらず乗客に死者が出なかったのは
お稲荷さんの御加護なのかもしれません。
(残念ながら衝突されたトラックの運転手さん一名が亡くなられました 合掌)