カメラの進化についてゆく

2020年09月07日 | 徒然
趣味で始めたカメラが、いつしか仕事になってしまいましたが
その仕事において、緊張する瞬間を撮影するという事は
ほとんど皆無と言って差し支えない写真屋稼業です。

一眼レフを初めて手にしたのは、母からの成人祝のニコン。

マニュアルフィルムカメラのFM10、FM2、F3から
デジタル一眼のD70、D90、D7000、D600と進化してきて
現在はD810をメインで使用しています。

かつてはフィルムでしたから、撮影してもすぐに画像は確認できず
しかもフィルムはどんなに多くても36枚撮り。

フィルム交換でシャッターチャンスを逃したりしないよう
細心の注意を払って撮影したものです。

陛下や閣下と呼ばれるお歴々。
世間を揺るがした大犯罪者。
自然現象や珍しい車輌船舶。
はたまた日常の風景。

カメラの設定を確認して、ファインダーを覗き込んでその一瞬を待つ。

永遠にも感じる、右手の人差し指を数ミリ押下するまでの瞬間。

シャッター音が小さくしかしその緊張した空間を切り裂くように響き
その後で再び訪れる一瞬の沈黙。

現像が上がってくるまでは、どんな画に撮れているか判らないものの
その右手の人差し指の感覚が「撮れた」という確信を伝えてくれる。

そんな愉しみがフィルムカメラにはありました。

今の仕事は、日常の記録を思い出として切り抜くという撮影。
それと、遺されたものを精密に記録して後世に継いでゆく撮影。

歳のせいか、嫌な緊張感を仕事に持ち込みたくなくなったのか
デジタルカメラの技術に「気持ち」が順応してしまったのか。

カメラの性能が良くなりすぎるのも、ちょっと寂しい気がします。


コメント
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