歌舞伎町弁財天

2022年11月14日 | 東京のお散歩
歌舞伎町の東宝ビル近くに佇む歌舞伎町弁財天。

大正二年(1913)、歌舞音曲や商売繁盛の神様として、上野寛永寺から弁財天(不忍弁天)を勧請し創建されました。

この場所は、大久保の地名の由来でもある大きな窪地で、肥前大村家の屋敷地だった為大村の森と呼ばれる鴨場でした。

明治後期に淀橋浄水場造成の際の残土で埋め立てられ、それまで池に面して祀られていた弁天様を上記のように不忍弁天を勧請することで大正時代に再建したそうです。

当時は学校や軍人や大臣などの邸宅が建つ閑静な場所でしたが、山の手空襲などによって伊勢丹など一部を除いて焼け野原となりました。

戦後の復興計画の中で、この地に歌舞伎演舞場を誘致する事となり(結果的に計画は頓挫し、コマ劇場が竣工)、健全な新東京の街を目指しましたが
その際に「歌舞伎町」の町名が付けられました。

結果的に、水商売やショービジネスの街の神様として弁財天が鎮座しているのは、全くの偶然なのか、はたまた弁天様の御神徳なのかは
まさに神のみぞ知る新宿の戦後の発展の歴史なのです。




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