さいたま市の調神社(つき神社)。
開化天皇の乙酉歳(欠史八代の天皇のため、推定としてBC156年)に創建されたと伝えられ
神宮(伊勢神宮)に献納する「調」(貢物・物納税)を納める倉を建て、関東一円の調の集積地とされました。
このため、運搬の邪魔にならないように鳥居や門が造られていないと考えられています。
この地には姉弟の神がいて、弟神(素戔嗚)は大宮(氷川神社)へ行ってしまい、姉神(天照大神)が帰りを待っても弟神は帰って来なかったため、待つことを嫌ったと言われています。
このことが、境内に松が無いことの由来ともなっています。
中世には調と月の読みがともに「ツキ」であることから、月待信仰と結び付けられ、兎が神の使いとされるようになりました。
現在も狛犬の代わりに狛兎が置かれ、手水舎もウサギの口から水が出る仕掛けになっています。