喜多院

2023年06月14日 | 埼玉のお散歩
天長七年(830)、淳和天皇の命によって慈覚大師円仁(慈覺大師圓仁)が天台の教えを東国へ広めるために無量壽寺として建立された寺院で、
一度衰退したものの鎌倉時代に再興し後奈良天皇から星野山の山号の勅額を賜りました。

戦国時代に再度衰退したものの、慶長四年(1599)に天海僧正が住職となり喜多院と名を改め、さらに老中で川越藩主であった酒井忠利によって再興されました。

東国における天台総本山ということで山号を東叡山に改めましたが、のちに寛永寺に譲り星野山の山号に戻りました。



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