どうすればいいんだろう

2006年08月17日 | 徒然
どうしたらいいのかわかりません
でも
いまのじぶんには
どうにもできません

あの日が近づくのが
とても怖いです
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最後の夏

2006年08月16日 | 
富山から高山線の始発列車に乗り換える。

1両だけのディーゼルカーに揺られる事50分。
岐阜との県境、猪谷に到着。

列車をおりると、
ひんやりとした山間の風とともに
檜のかおりに包まれる。


しばらくして、反対方向からやってきたのは

今年中に廃止になってしまう
神岡鉄道。

山間の乗換駅は
2つの列車の到着で
賑わう…こともなく、
降りる客のほとんどいない列車が到着してしまえば
あとは蝉の声と静寂だけが支配する。

折返し列車の発車時間。
2~3人の乗客を乗せたディーゼルカーは
エンジンの音を響かせながら
山間のトンネルへ吸い込まれて行った。

そしてまた、駅は静かになった。
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夜明け

2006年08月15日 | 
急行能登は、長岡で進行方向を変えて
日本海を望みながら西を目指す。

親不知海岸を過ぎた頃、
空は白みだし、
減灯された車内も明るくなり始める。

乗客たちも次第に目を醒す。
にわかに、車内が明るくなった感じがする。

夜行列車の、こんな情緒が大好きだ。
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北陸路

2006年08月14日 | 
23時33分 上野駅地上16番線。
急行「能登」は、その老体を感じさせないほど
静かに走り出す。

この日は夏休みの、しかもお盆休みの週末とあって、
グリーン車を含め満席。
里帰りや観光旅行、登山と、それぞれ思い思いの格好をしている。
なにより、この列車は高崎線の終電的役割もあるため、
サラリーマンも多く乗車している。

今回、私は能登半島へ旅に出る事にした。
そこに何かがある訳ではない。
ただ「なんとなく」行ってみたくなったのだ。
ちょっと贅沢にグリーン車に乗車。
古い車両の割には、座席が交換されていて
強いて言えばJALのクラスJほどの感じだ。
これなら完全にリクラインさせても、前後は窮屈でないし
寝苦しくもない。

流れ去る車窓の風景は
いつも眺めている風景となんら変わりのない、
金曜夜の東京の景色だけれど、
なんとなくノスタルジックに見える。
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全国的に

2006年08月13日 | 徒然
昨日は全国的に大荒れだったようですね。

私も富山にて足止めを食らいましたが
なんとか無事に帰京いたしました。

北陸旅行記はまとまり次第、アップします。

今日の写真は、昨年の東京湾華火大会。
穴場から撮影。来年のためにこの場所を知りたい方、
お教えしますw
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2泊1日

2006年08月12日 | 
北陸路乗りつぶし強行軍。
集中豪雨により予定が乱れたけど、完乗。

さすがに疲れた。
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明日で

2006年08月11日 | 徒然
明日であの事故から21年。

「行ってきます」と、いつものように家を出て
永遠に帰る事のなかった520の魂たち。

彼らの魂を無駄にしないためにも、
決して忘れては行けない昭和の夏です。
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ついでに

2006年08月10日 | 徒然
捜査一課も「一家」だと思ってた。
だって、ファミリーっぽいでしょ?

捜査主任とか、署の捜査課長とかが「オヤジ」とかって呼ばれてるし。
そういえば自分の祖父も消防署だけど署長やってたから
部下から「オヤジさん」って呼ばれてたし。



おそるべしっ!「いっか」パワー☆
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台風一過

2006年08月09日 | 徒然
って、子供の頃ずーっと
「台風一家」だと思ってました。

馬鹿だね~ぇ
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空を見上げて

2006年08月08日 | 徒然
色々考えた

もう


疲れた

なにをすればいいんだろう
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言葉にならない

2006年08月07日 | 
合宿で行った妙高高原の夜空。

もう、言葉にならないので、写真だけ。


左下にちょこっと写ってる線が、流れ星です。
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碓氷峠

2006年08月06日 | 
中山道坂本宿から、軽井沢に至る急峻な峠は
かつて旅人たちを多いに苦しめた。

鉄道が開通してもなお、機関車を増結し、
その急勾配を通過せざるを得なかった。

平成9年9月30日。
碓氷峠を走る鉄道は、その役目を新幹線に譲り
104年の歴史に幕をおろした。

もちろん、全ての列車に機関車を2両も増結しなければいけないという
とても手間のかかる作業やその安全性を考えると仕方の無い事なのかもしれない。
しかしそこには地元の人たちの生活があり、
日々通勤や通学の足としてこの峠を通過する人だっていたのだ。
そんな鉄の轍が、24時を境にして「遺産」になってしまった。

最後の日。
下り列車、つまり峠を登るために付けられた機関車が
軽井沢から戻ってくる列車が、本当の最終列車になった。
横川駅には、多くの人が最後の列車の到着を待っていた。
ただ別れを告げるだけの為に。

やがて遠くから機関車のブロアーの音が聞こえる。
2つのライトが2度と照らされる事の無い銀色のレールを照らし
近づいてくる。

長い汽笛。
それは永遠にも近い余韻を残して
横川の街に響き渡った。
いつもは力強い汽笛も
とても寂しそうに鳴っていた。
そして
全てが終わった。
カーテンコールのない、終幕だった。

いつもは新幹線で通過してしまっていたこの区間を
8年ぶりに在来線で旅をした。
横川から軽井沢まで34分。
JRのバスで九十九折りの碓氷バイパスを走る。
あの頃のような「旅情」は無くなってしまったけど
「生活」はしっかりと引き継がれていた。
なんだか少し、ホッとした。
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流れ星

2006年08月05日 | 
妙高高原にいます。

昨夜(正式には今日未明)、5分ほど空を見上げていただけで、
流れ星を10個確認。

楽しい仲間と、美しい星に囲まれて

プライスレスな合宿です。
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贅沢

2006年08月04日 | 
朝、陽射しの中でまどろみながらもう一眠り。

朝湯で目を醒し、緑の中を散歩。


午後、気の香りとせせらぎの音につつまれながら
茶を愉しむ。


夜、臥待ち月が窓辺を照らす頃、
酒を飲みながら書を愛でる。


至極幸せな時間。
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旅先にて

2006年08月03日 | 
交番へ行った。
この辺の旨いものを食べさせてくれる店を
知りたかったからだ。

とても親切に教えてくれた。
すごい訛ってて、半分くらいしか理解できなかった。

でもそれが余計に優しく思えた。


おまわりさん。ありがとう。
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