たいして行かなかったけど、無くなると寂しい、パレットタウン。
都電雑司ヶ谷電停から早稲田方面を眺めると
弦巻川の谷(雑司ヶ谷)と神田川の谷の向こうの台地に
新宿の高層ビル群が建ち並んでいます。
道路工事が進んでいる中、この辺りの風景も少しずつ変化しています。
地下鉄銀座線は、地下鉄だからという大前提も然ることながら、第三軌条集電という、線路脇の饋電レールから電気をとって走る方式のため、沿線には踏切がひとつもないのですが
ただ一か所、銀座線の車庫「上野検車区」への連絡通路線に踏切が存在します。
地下から登坂して車庫へ入る手前で一般道と交差する場所に踏切は存在しますが、上記の通り線路脇に600Vという電圧が流れているため、普段は線路側g遮断機で遮られています。
車庫は地上と地下の2層式のため、上野止まりの電車が必ず踏切を通る訳ではないようです。
松戸市役所東側にある池田弁財天は真言宗豊山派根本山吉祥寺の境外社です。
旧平潟遊郭の遊女が病気平癒の祈願をしたことで有名になったと伝えられ、現在では手芸の神様としても崇められています。
旧平潟遊郭の遊女が病気平癒の祈願をしたことで有名になったと伝えられ、現在では手芸の神様としても崇められています。
松戸駅の取手寄り右側の小高い丘に鎮座する金山神社。
創建年代は不明ですが、中世にはこの場所に根本城という城があったことから
それ以降の創建であることは確実です。
常磐線を跨ぐ跨線橋から、丘の中腹に建つ拝殿へ直接向かうことができます。
京急線品川駅1番線ホームの立ち食いそば屋のえきめんや。
品川駅の大規模改良工事のために、来週15日で閉店とのこと。
高架下のラーメン屋が閉店した時にはなんとも思わなかったけど
えきめんやさんの閉店は残念です。
新しい品川駅にもぜひ、えきめんやさんが入りますように!
京急では、昨日からサンエックスの人気コンテンツ「すみっコぐらし」の10周年と、京急蒲田駅立体化10周年を兼ねた記念ラッピング電車が運行されています。
すみっコは、最近かと思ってたらもう10年。逆に京急蒲田の立体化なんて、随分前かと思ってましたが、まだ10年なんですね。
たれぱんだ全盛期にはすでに立体化されていた錯覚さえ覚えます。
JRの前身にあたる国鉄(日本国有鉄道)の花形電車として登場した185系と呼ばれる特急電車。
伊豆への観光特急「踊り子号」と、当時大宮以北の暫定開業だった東北・上越新幹線への連絡列車「リレー号」に使用され
昭和天皇の伊豆へのご静養などの際に、専用車両を連結するなど、その斬新なカラーリングと併せて、注目を浴びた車両でした。
昭和から使われた車両ゆえ老朽化も著しく、逐次廃車になってゆく中、一部が臨時列車用に残され、
またその中から、消えて久しい「リレー号」塗装が復刻されましたが、なんとそこには、国鉄マーク(JNRマーク)までしっかりつけられていました。
国鉄マークを付けたからには、運転士も開襟・サングラス・ナナメ制帽で運転してもらいたいですね(偏見)♫
むかし、この場所に伝説の寿司屋があった。
その名は「ひとみ」。
新宿二丁目界隈が「赤線」と呼ばれた時代にサロンだったお店が、売春防止法によって寿司屋となり、後に割烹居酒屋となった店で
昭和五十二年(1977)頃に、放送作家の高平哲郎と、漫画家赤塚不二夫を中心とした「面白グループ」が夜な夜な店に集まって、
いい年したオトナがクダラナイコトばかりやって盛り上がった、タモリによる赤塚への弔辞でも言及された、あの「ひとみ寿司」。
すでに店のあった建物は「大人の事情」で人手に渡り、大きなスタイリッシュなビルに変わってしまったけれど、
古き良き時代のテレビ番組を創った偉大な才能たちは、ここから生まれていったのだ。
メンバーの一部を挙げれば
滝大作(演出家)
タモリ
山本晋也(映画監督)
柄本明(東京乾電池)
佐藤B作(東京ヴォードヴィルショー)
内藤陳(以下、コメディアン)
小松政夫
団しん也
由利徹
たこ八郎
研ナオコ(以下、ミュージシャン)
坂田明
三上寛
所ジョージ
坂崎幸之助(THE ALFEE)
ほか、数え切れないほどのビッグネームが集っていた。
また、志村けんの名キャラ「ひとみばあさん」は、この店の女将がモデルだと言われている。
(時代は異なるものの、志村もまたこの店の常連であった)
フジテレビが河田町から去り、新宿二丁目が「ゲイタウン」となり、タモさんが良識派となり、志村けんが鬼籍に入り、
そしてテレビの世界が良識ある日本国民の敵となりつつある今、そろそろ伝説は神話になる頃なのかもしれない。
(敬称略)