「1泊2日で、碓氷峠へ行ってきました」の続きです。
温泉宿は、温泉マーク、舌切り雀伝説発祥の地、磯部温泉の「雀のお宿 磯部館」というところにとまりました。
町中なんですが、結構、鄙びています。
懐石料理に上州牛のステーキがつくという、結構豪華な夕食でしたが、残念ながら味覚の趣味(どれも味付けにメリハリがなくて)が合わず、期待外れでした。
温泉はしょっぱい、いい温泉でした。ここら一帯は、1200 万年ほど前には海の底だったようで、クジラやサメなどがいたそうですから、しょっぱい温泉がでるのも納得です。
久々にゆっくり温まりました。
で、翌日は、お約束の朝からの雨でした。
富岡製糸場に向かいます。
富岡製糸場は、明治5年(1872年)に明治政府が日本の近代化のために設立した製糸場。
明治維新後、政府は日本を外国と対等な立場にするため、産業や科学技術の近代化を進め、そのための資金を集める方法として力を入れたのが、生糸の輸出だった。政府は生糸の品質改善・生産向上と、技術指導者を育成するため、洋式の繰糸器械を備えた官営の模範工場をつくることを決め、富岡製糸場を建設したということです。
(しるくるとみおか【富岡市観光サイト】より)
観光客の受け入れ態勢万全ですね。
生糸の検査などを担当したフランス人技術者の住居である検査人館(重要文化財)が、管理事務所兼発券所になっています。
東繭倉庫(国宝)。妙義山から切り出した木材を使った木の骨組みに、煉瓦(地元の瓦職人が焼いた)で壁を積み上げて造る「木骨煉瓦造」だそうです。
東繭倉庫の内部(2階)。
奥行100mもある巨大な倉庫です。
生きた蚕がいました。モスラ~ヤ、モスラ~ ドゥンガン カサクヤン インドゥムゥ~
西繭倉庫(国宝)は、保存修理工事の最中で、修理現場をヘルメットをかぶって見学させてくれるということでした(ヘルメット利用料200円)
養生シートに現物の壁の写真が印刷されていて、遠くから見たら工事してないような外観でした。
すごい大規模工事で、竹中工務店(工事担当)じゃなきゃできないなという感じでした(一応地元業者とのJV)。
繭乾燥所も工事中でした。
繰糸所(国宝)。繭から糸を取る作業が行われていた建物。
長さ140mの巨大な建物なのに、トラス構造を用いることで中央に柱がありません。
天井近くまで窓があって、この日のような曇りの日でも照明なしで明るいという、近代的な工場でした。
フランス製(日本の伝統的な方法にちょうどあった旧式の機械を安く仕入れたそうです)繰糸器300釜が設置され、世界最大規模の器械製糸工場だったそうです。
機関車・戦車おたくにはたまらない外観(軍艦のリベット止めだそうな)の鉄水溜(重要文化財)。
診療所まであります。
どこかのお隣の国は、女工さんに奴隷のような暮らしをさせたとか、デマを流しそうですが、女工さんに日曜休業を日本で初めて導入したそうで、現在の電通の方がよっぽど非近代的企業ですよね。
ということで、2時間あまり、雨の中を見学しました。
建物自体も一見の価値ありですが、なによりも明治時代の日本人の近代化への熱い気持ちに触れて感動しました。
お昼は、近くで評判らしいお蕎麦屋さん「生粉打ち やじま」で美味しい手打ちそばを食べて岐路につきました。
予定通りなら2時間ちょっとで帰れたはずが、豪雨のため80キロ規制がかかっているのに、いきがった馬鹿が、2か所でスリップ事故を起こしていたため、3時間以上かかってしまいました。
2日間、結構余裕の観光だったのに、充実した内容でした。
あっ、そうそう、忘れてました。
今回のみっちゃんへのお土産。
EF63重連+あさまのストラップ。エビスビールでゲットしたヘッドマーク付き
あとは、EF63ハンドタオルでした。鉄道文化むらネーム入りです。