こうしてブログなどを書いていると、関連した文章や写真などが目の前に現れるということが時々あります。
主人が1989年にアメリカに出かけたときのアーリントン墓地での写真がありました。
小学校高学年のころの遠足での写真です。
青森ではこの後藤伍長の像と雪中行軍の話はよく知られているのですが、日露戦争についてはほとんど知らないでおりました。
実際の戦争は、映画やドラマとはかなり違うように感じられます。
多くの犠牲のうえに成り立つ繁栄というものを認めてよいのか、小学生の自分から見つめられているようにも思います。
平和とは、あらゆる戦争を認めないという強い主張の義務を伴うものなのではないでしょうか。
どこかで戦争をしていてもよい、自分たちが今、平和であれば、ということではないと思います。