椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

ヒントを求めて その1

2020-12-29 15:55:12 | 女性について

不器用で運動も苦手なのですが、何かを見つけるのは比較的得意です。

乱読気味な日々を過ごしておりますが、課題のヒントをもらえることがよくあります。

最近は森鴎外とその周辺の読書が多かったりします。

森於菟「父親としての森鴎外」はお勧めの本です。

現代には、父親というもののモデルが必要ではないでしょうか。

並行して、小林勇「人はさびしき」文藝春秋 1973年 を読みました。

著者は岩波茂雄の娘婿で編集者で岩波書店の会長になった人物。

作家の夫人たちの横顔が書かれています。

森鴎外の妻志げについて

・しげ夫人は美人である。その手は実に美しかった。私はいつもそう思い、百済観音の手を思い浮かべた。

・鴎外夫人しげ女史が亡くなったのは昭和十一年四月十八日である。その日私はふと森家のことを考え、電話をかけた。出て来た茉莉さんに、お変わりありませんかというと「ただ今母が亡くなりました」と意外な返事であった。

 急いで団子坂へ行って見るといつもと同じように静かだ。夫人の遺骸は奥の間にあった。茉莉さんと看護婦が白い装束を縫っていた。杏奴さんは障子を切り張りしていた。夫人は実に美しい顔であった。白い長い指は組み合わされて胸の上にあった。

芥川龍之介の妻文について

・「芥川が亡くなった時に、知人の或る人や、世間では、家庭のいざこざに煩わされたことが死の原因の一つだといいましたが、私はそのように考えません。養父母も、叔母もよい人たちでした」

「私が家庭のことに没頭していることを芥川は気にしていました。或る日夕方になって、二階から、仕事に疲れたのでしょう、降りてきました。そして縁側にしゃがんで、私に、お前は一日中襷(たすき)をかけているね、といいました。みると芥川の目が光っているように感じられました」

・「私たちの結婚生活はわずか十年の短いものでしたが、その間私は、芥川を全く信頼して過すことが出来ました。その信頼の念が、芥川の亡きのちの月日を生きる私の支えとなったのです」

・芥川夫人は十年の結婚生活で、芥川のさびしさを、自分への深い思いやりを、十分に知っていたと思う。芥川亡きのちの文夫人の生活は苦しいことさびしいことが多かっただろう。しかし亡き人が支えになったということのできた夫人はしあわせであったと私は思う。

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森鴎外の最初の妻登志子は生まれたばかりの於菟を置いて離縁となりました。

また再婚するまでは妾的な存在の女性がいたのだとか。美しい妻を望んだ理由の一つはその女性にあきらめさせる目的もあったのかもしれません。そういえば、太宰治「グッド・バイ」もそんなことがあったような。

比較的女性を尊重していたはずの鴎外や太宰治でも・・・・

戦前の女性の地位はかなり低いものであったと思います。

今、高くなったといってもひとたび不況となると、女性にしわ寄せが来るようです。

 

小林勇の書いたものによると、森家では酒飲みがいなかったとか。

ほかの作家たちは酒飲みが多く、また編集者や新聞記者といった人たちは職業柄生活が不規則であるせいもあって、酒豪が多いようです。

コロナ自粛で、アルコールの摂取量が多くならないように対策が必要そう。

なお、次のような一文がありました。

・人は簡単に「悪妻」などという言葉を口にする。とくに芸術家の妻に対してこの尊称が奉られることがあるようだ。妻に苦しめられたといい、それ故に立派な芸術が生れたなどと説く人もある。芸術家でなくても男性は皆妻で苦しみ、女で苦しんでいる。芸術家、特に作家は神経質で、鋭く、生みの苦しみのためいらいらすることがあるだろう。その夫人たちもはじめ親切で明るくても、そのうち刀折れ矢つきて、変形することが多いのではないだろうか。

現代では男性と女性が入れ替わっても同様に考えられそうですね。

夫婦間でアルコールではないイライラ解消法が必要だ、ということでしょうか。

 

まずは現代の問題をはっきりさせていくことが大事だと思います。

人間関係のhow-to本ばかり読んでいても解決が難しそうなので、幸福、あるいは健全といったことについて具体的に思い描けるようになる必要はないでしょうか。