庚申塔の真剣な祈りの姿のせいで、ちょっと道草をします。
18世紀前半の日本はどうであったのでしょうか。
1707年に記録に残る日本最大級の地震という宝永の地震があったとのこと。→ こちら
南海トラフ沿いの巨大地震ですね。津波も噴火もあったようです。
その復興のために、紀州藩主であった吉宗が8代将軍に抜擢されたということのようです。
吉宗による享保の改革は こちら
1741年の「元文の黒船」すなわちロシア帝国の探検船は、地震被災後の日本を視察にきたのではないでしょうか。
吉宗による倹約令などにより、日本は魅力がなかったかもしれませんね。
1742年には、寛保江戸洪水が起きたようです。 → こちら
当時のロシア帝国がスウェーデンやプロイセンなどと戦っていたことは日本にとって幸いであったのかもしれません。→ こちら
公事方御定書(くじがたおさだめがき)などは、きめの細かい治安対策だと感じられます。 → こちら
吉宗は続いた大災害の復興に明け暮れた一生だったようです。
ひょっとして、飛鳥山の桜は自分の息抜きでもあったのでしょうか。
鳥居のしめ縄からの連想ですが
禍福は糾(あざな)える縄のごとし
―― 災いと幸せは表裏一体のようにやって来る
物事に動じないためには、そう考えるとよいのかもしれませんね。
そのころの世界の情勢はどうであったのか
若い人たちが知っておいて損はなさそうです。