太宰治のことを調べていて古本をあれこれ買った中に、生島遼一の著書「蜃気楼」「水中花」などがありました。
関連記事は こちら
生島遼一という人物については こちら
同時代に生きた主人に、生島遼一の本を見せていろいろと聞こうとしたら
この生島遼一先生の授業に出たことがある、と言い出してびっくり。
たしかに生島遼一の経歴の中に、神戸商業大学予科講師、教授 というものがあります。
主人が大学受験の浪人中に、家の近くにあったこの神戸高商に出かけて聴講したんだとか。
当時は比較的自由に学校に出入りできたのだそうです。
先生同士が仲が良く、また授業の内容が充実して、聴いていて実に楽しい時間であったのだそうです。
主人の浪人中とは昭和23年から昭和26年までのようで、勤労動員と広島での原爆を体験した青年にとって、
自由という空気あるいは勉学ができる時間がどれだけありがたいものであったでしょうか。
偶然が重なって、そのころを思い出してもらうことができたのはよかったと思いました。
本を読んでいる顔がほんとうに若く感じられました。
この「水中花」が主人の最期まで傍らにおいてあって、付箋がつけられていたページには以下が書かれています。
・自然科学者ビュフォンが「文章論」を書いて、文章の本質を論じ科学者が真実を発表するためには、文章の的確が最も肝要のことであること を述べたのは誰でも知っていることだ。
・学者や思想家には、明確な立派な文章をもって、立派な論文論説を書いてほしいと望んでいる。これは今日のわが国の文化に関聯して、大へん重要なことのような気がする。日本の今日の不幸を招来した原因の一つに、日本の思想家の思想発表に明確さと鋭さが欠け、いわばアイマイな形象的表現にかくれて純粋な思惟が示されなかったこと、国民がそういう思惟の弱さをはっきり見定めなかったことも数えねばなるまいと思うが、人生では文章のことも、ビュフォンのいうように、ないがしろにはできない問題なのである。
主人がこの部分に付箋をつけていたということは、学者として書く時間があると思っていたのかもしれません。
主人の机には見出しを付けたまだ中身のないファイルが並び、押し入れの引き出しには新しい原稿用紙がたくさん
残されています。
日本を高齢化社会のモデル地区に
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同時代に生きた主人に、生島遼一の本を見せていろいろと聞こうとしたら
この生島遼一先生の授業に出たことがある、と言い出してびっくり。
たしかに生島遼一の経歴の中に、神戸商業大学予科講師、教授 というものがあります。
主人が大学受験の浪人中に、家の近くにあったこの神戸高商に出かけて聴講したんだとか。
当時は比較的自由に学校に出入りできたのだそうです。
先生同士が仲が良く、また授業の内容が充実して、聴いていて実に楽しい時間であったのだそうです。
主人の浪人中とは昭和23年から昭和26年までのようで、勤労動員と広島での原爆を体験した青年にとって、
自由という空気あるいは勉学ができる時間がどれだけありがたいものであったでしょうか。
偶然が重なって、そのころを思い出してもらうことができたのはよかったと思いました。
本を読んでいる顔がほんとうに若く感じられました。
この「水中花」が主人の最期まで傍らにおいてあって、付箋がつけられていたページには以下が書かれています。
・自然科学者ビュフォンが「文章論」を書いて、文章の本質を論じ科学者が真実を発表するためには、文章の的確が最も肝要のことであること を述べたのは誰でも知っていることだ。
・学者や思想家には、明確な立派な文章をもって、立派な論文論説を書いてほしいと望んでいる。これは今日のわが国の文化に関聯して、大へん重要なことのような気がする。日本の今日の不幸を招来した原因の一つに、日本の思想家の思想発表に明確さと鋭さが欠け、いわばアイマイな形象的表現にかくれて純粋な思惟が示されなかったこと、国民がそういう思惟の弱さをはっきり見定めなかったことも数えねばなるまいと思うが、人生では文章のことも、ビュフォンのいうように、ないがしろにはできない問題なのである。
主人がこの部分に付箋をつけていたということは、学者として書く時間があると思っていたのかもしれません。
主人の机には見出しを付けたまだ中身のないファイルが並び、押し入れの引き出しには新しい原稿用紙がたくさん
残されています。
日本を高齢化社会のモデル地区に



あったのだと思います。
今もまだ、たとえば「集団的自衛権」についてアイマイではないでしょうか。
再び若い人たちから勉学の時間を奪う世の中にしてはいけないと思います。
選挙活動でヘトヘトなのは、選挙民にも責任があると思います。
さしあたって、お正月から年賀のお酒は自粛してもいいのではないでしょうか。
少なくとも外交・防衛関係の政治家の方たちは。
確認しながらが必要だと思います。
ありきたりの慣例のような言葉の羅列が、日本の会議では多すぎるのではないでしょうか。
判断をできない頭になっている?
今のままでは岐路に立っての判断をするときには必ずまちがってしまうような気がします。
スマホよりも読書、あるいは深い議論ができる場が必要かもしれません。
それぞれが全く違うことを思い浮かべているということはよくあるような気がします。
みんなが、とはどの範囲なのか
とか誰が、いつをはっきりとか・・・・
保育園とか幼稚園であいまいでない言葉を使う基本を教わればいいのかもしれませんね。
昭和30年代ですが、自分の意見をいう学級会があって、かなり活発だったような。
今、青森でタクシーに乗ると同年代のタクシーの運転手さんから楽しいお話を聞いたりします。
青森の人間は無口だという印象があるかもしれませんが・・・・
ときどき、この私の自信過剰はどこから来ているんだろうと思ったりします(汗
青森に育ち、井の中の蛙・・・・
のために世の中がわからないはずだから
気をつけよう、と大学入学で上京してきたんですよね。
ところが、受験勉強をあまりしていない分、けっこう世の中が見えていたようなつもりになって・・・・
10代は受験勉強でない勉強をする必要があると思います。
佐藤春夫や保田與重郎
と
国際派の
森鴎外、芥川龍之介、太宰治
との対立のようなものを感じました。
日本人はあいまいさに価値を見出してしまう、それが戦争に踏み込んでしまう
ということがあったようです。