世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

前向き志向の勧め

2014年10月21日 | 国際
       警官とアオザイ女性


2週間前ハノイに入った時は

前回の訪問の時に候補となった4階建てのビルをどう使うかという課題を抱えて

勢い勇んでいた。


日本語フリートーク・カフェと日本語学校の併設を俎上に乗せた状態だった。


だが、テナント料が高いことなどが主な原因で、別の物件を探すことに。

そしてそれはすぐに見つかった。


同じ4階建てだけど、テナント料は半分以下。


条件のいい人気物件だけに、すぐに契約に至った。

そして話が進むうちに、帰国間際になって、日本語学校一本で行くことに方針が固まった。



もともと日本語フリートーク・カフェを開くことが主目的だったが、

いつの間にか立ち消え、日本語学校にすり替わってしまった。


わずか二週間で状況は全く変わってしまったことになる。



この変化をどうとらえるか。

結論は、良しとする。


なぜなら、足場を築くことができたからである。

しかも、好条件で。


人間万事塞翁が馬(“Inscrutable are the ways of Heaven.”)


日本語フリートーク・カフェにしても、

ボクが直接経営に携わるわけではない。


現地の人間が積極的に係ってこそ事業はうまくいく。

彼らが自主的にやる気を出すことでうまく回るものだ。

アイデアのお仕着せでは早晩行き詰るだろう。


そういう意味では最高の条件である。


同じ日本語の普及という趣旨には変わりはない。

そこから段階を経て日本語フリートーク・カフェの企画を立てなおすことが賢明かもしれない。


ストレートに物事がうまく運ばないからといって、落胆する必要はない。

階段の途中に踊り場を設けることでより上りやすくなることもある。


むしろ、いい方向に進みつつある、と解釈する。


「人間いたるところ青山あり」だ。

Fortune can be found everywhere.


日本語学校に携わりながら、

その実態をじっくり勉強させてもらおう。


ちょうど、大学浪人をした一年間で急激にパワーアップした。

ストレートで大学に入学していたら、今のボクはない。

今はそうした気分に似ている。


その経験を活かして、さらに進化した日本語フリートーク・カフェを開くのだ。



【追記】


帰る直前、ホーチミンからわざわざハノイまでボクに会いに来てくださった方がいる。

例の納豆博士だ。


かねてから彼はメールでボクにアドバイスをくれていた。

昨夜もベトナムでのビジネスについて貴重なアドバイスをいただいた。


そして今中国からベトナムへのシフトがいろんな意味で広がっていることを情報として教えていただいた。

日本においてもそうだが、ベトナムでもいろんな方からの支えでここまで来れたことを実感する。


本当にありがたく心から感謝している。

次の訪越は12月の予定。

その時はホーチミンも訪ねることになるだろう。

再会が楽しみだ。



【補足】

「人間到る処青山あり (じんかん、いたるところせいざんあり)」とは、

世の中その気になれば何処ででも死ねるということ。

また、そうであるから故郷を離れ世界に雄飛するのに躊躇してはいけないということである。

日本語学校開設へ向けて

2014年10月20日 | 国際
昨日、今回のハノイ滞在中の最後の打ち合わせを行った。



今回はパートナーに同席してもらった。


結論は、日本語学校からスタートさせることになった。

正直言うと、ボクの趣旨からは大きくずれる形となる。


だが縁あって彼らとは志を同じくした。

彼らの意思を尊重すべきだと判断した。


なぜなら、ボクは彼らのために今ここにいるのだから。


ただ、ボクの出資比率を極力抑えた。

主導権は彼らにある。

ボクはそのお手伝いをさせてもらう。


日本側のパイプ役となる。

そして、今後ハノイ滞在中は日本語教師となるだろう。


そしてそれは今後の夢へとつながっていく。

夢の実現は、少し遠回りしたほうが面白い。


好きな人を送るとき、少し遠回りしていくようなものに似ている。



明日の帰国を待って、あわただしい動きをしなければならない。


留守を預かってくれたフリートークのスタッフ、

来月開店予定の一階の弁当屋さん、

阿蘇・西原村のシェアハウスで住み始めた住人も片付けに日夜汗を流している。

みんなのおかげで、今ボクはこうしてここにいることができる。



そして、今回新たに加わった大きな使命は、福岡への進出だ。


フリートーク福岡の開設と、日本語学校、人材派遣会社との連携強化などなど

やるべきことは枚挙に暇がない。


帰国してもボクの席やベッドの温まる暇もないだろう。


これがvagabond(バガボンド)の宿命なのだ。



今回お世話になったベトナムの方々、

日本で頑張ってくれている人々、すべてのみんなに感謝します。


そして、ボクはあなた方のために粉骨砕身します。

ありがとう!



【注釈】

vagabond とは、さすらい人の意。

someone who has no home and travels from place to place


ボクの場合は、バカボンドかもネ。




若者は日本を目指す

2014年10月18日 | 国際
これほどにまで日本は愛されているのか。

そう思う瞬間だった。


ハノイにある日本への人材派遣会社を訪れるのはこれが2度目である。






訓練中の教室を訪れ、彼らの歓迎を受けた。




あいさつ、自己紹介をはきはきとしてくれた。

http://youtu.be/q9ltCeq8kqE


彼らは、数十万という年収の数年分を払い、

3~4か月かけて寄宿舎生活を送りながら日本語を学ぶ。




どうしてそこまでして日本に来たいのか。


それは、仕事をするためである。

日本で仕事をして、お金を稼ぐためである。


彼らが掛けた数十万の投資は、

実習期間の3年で十分回収できる。



だが、それだけではない。

日本という国に憧れを持ち、技術を身につけ、日本の文化を知ることで

彼らはよりソフィスティケイトされた人物になることができる。


ただ、現実は厳しい。


3年間を終えた後、祖国へ帰っても働き口は少ない。

そこで、不法滞在する者もいるのが現状だ。


彼らに、決してバラ色の未来が待っているという保証はない。


だが、彼らはやはり日本に憧れる。


引き受ける以上、日本もそれに応えなければならない。

ここが正念場

2014年10月17日 | 国際
残すところあと4日。

とうとう、この2週間ハノイの同じホテルに逗留しそうだ。


少しはのんびりして、どこか他の地でも旅行しようかななどと当初は考えていたが、

とんでもなかった。


唯一昨日は、ヘアサロンで髪を染め、スパで身体をもみほぐし、

夜は観劇を楽しんだ。


だが、ホテルに帰ると、相変わらず日本との連絡、問題への対処に追われた。

これが世界を旅するノマドライファーの宿命なのだ。


     まずはBun Boで腹ごしらえ



さて、日本語カフェ開設が大きくぶれる公算が強くなってきた。

日本語学校案が先行している。


ここは初心に帰って仕切り直しと行きたいところだ。

経営形態が変われば、出資比率も変わるのが当然。


手を引くことも選択肢の一つだ。

だが、せっかく現地の人脈もできたし、物件も固まった。


何らかの形で関わっておくことも、また選択肢の一つである。

あらゆる可能性を排除しない。


フレキシブルな対応が求められる。



一方、人材派遣会社からのアプローチがある。

こちらも今日、契約まで持っていけるかといった局面。


経営者と会い、会食を共にする予定だ。


局面は、日替わりランチみたいにころころ変わる。

まさに朝令暮改の感がある。

その瞬時瞬時の対応が運命を変える。


相手の立場を考慮しつつ、自分の信念を曲げず、落としどころを模索する。

そして、一つ一つ決定を下し、成果を出す。


これこそまさに外交の手腕である。

そして今、その手腕が問われている。



【おまけ】

お疲れチャン



疲れが顔に滲む




貿易業

2014年10月15日 | 国際
元来、商社マンであるからして貿易業にかけては長けている。

とはいえ、その種類は多岐にわたり、品物によって事情が大きく異なる。


当初は雑貨が多かった。

それもアンティークの輸入。


世界各国から買い付けて船便で送った。


ベトナムに通いだしてから、セラミック関係の輸入も混載で行った。

手荷物の持ち込みは、コーヒーやアオザイにまで及ぶ。



そして今、ココナツオイルの引き合いが来て

サンプルを調達した。




ココナツオイルは日本でも少しずつ知名度が上がってきている。

だが、まだまだ普及していないのが現状である。


ココナツオイルは、多数の用途と驚くべき効用がある。

食用はもちろん、美容と健康にもよいのだ。


今回はサンプルとして入手したが、

今後大きな商材として期待が持てる。



現在ボクはメキシコ産のホホバオイルをアフターシェービングローションとして使用しているが

ココナツオイルを使ってみることにした。

甘いフレーバーが良くもあり、悪くもあるようだが。


ただ、口に入れてもいいのが強みだろう。


これからどんどんこうした面白い商品を手掛けていくことになる。








漫画喫茶なんてどう?

2014年10月14日 | 国際
ハノイに「日本語フリートーク」をオープンすることが決まったわけだが、

ベトナム人の仲間から、漫画喫茶も2階に作りましょう、という提案があった。





日本の漫画は世界的に有名だし、それはここベトナムでも同じだ。

ドラえもんやワンピースが人気らしい。


それに、日本語を学ぶベトナムの人たちは漫画に触れることで日本語を学びたがっている。


だが、その漫画本自体が品薄だ。

どうやって漫画を集めるか。


実は、少し前こんなニュースを入手していた。


「コミック、海外再生工場 カンボジアに常時30万冊」

という見出しで、


「ゴルゴ13」や「ワンピース」など、日本で人気のマンガの古本が30万冊もそろっている場所が、

日本から4400キロ離れたカンボジアにある。

日本から運び込み、ひたすらきれいにしては送り返す。


というものだ。



首都プノンペン西部の工業団地。倉庫のような建物の中に、日本のマンガ本約30万冊がずらりと並んでいる。


さっそく、NPO法人IPAのプノンペン支部に連絡を取って調べてもらっている。

これをハノイまで運べば、一気に入手できる公算だ。


できるできないは別として、こうした機動力はNPO法人IPAの十八番だ。



日本の漫画喫茶事情も熾烈だが、

ハノイではまだないらしい。

ホーチミンにはあるとも聞いているが。


日本語熱の裏には日本漫画への憧れがある。

ついでに、漫画が描けるコーナーも用意しては、とFBフレンズからの示唆もあった。

実にいいアイデアである。


ところで、漫画に詳しい人がハノイにいてくれたら大助かりなのだが。

ハノイで漫画家が育てばこんなに嬉しいことはない。


引き続き、日本語教師、スタッフを募集中!

ハノイっ子

2014年10月11日 | 国際
ここ6年半ほどでハノイを30回以上訪れている。



一回当たりの滞在は一週間から2週間である。


最初はいきなり一か月の滞在から始まった。


ずいぶんとハノイっ子になってしまったな。


      行きつけのアオザイ屋さんには外国人客も多い


昨日は、ハノイ解放60周年の日だった。




だからといって永住はもちろん、長期滞在をする気はない。

中期滞在型がちょうどいい。


旅はもはや観光だけではなくなった。


「生活する旅」、「暮らす旅」に変貌した。



男女関係は、「恋人以上夫婦未満」がいい。

まあ言ってみれば、「ちょこっと家族生活」といった感じかも。


同じように海外とのかかわり方も

「旅以上、永住未満」の「ちょこっと海外生活」が程よい。


場所も人間関係も縛られ、拘束されるのは好まない。

それでいて適度な濃密さも必要だ。



せっかく日本に日本人として生まれたのだ。

最高の環境を与えられ、それだけでも幸せである。


なのに、わざわざそれを捨てる気にはならない。

かといって、日本にこだわる必要もない。



あるコラムによれば、


海外にただ行きたいというだけではなく、現地で何らかの貢献がしたい、

何かを学びたいという人が多くなっているという。


日本の文化を伝えたい、語学を勉強したい、ボランティアをしたいなど、

余暇プラスアルファを求めている傾向があるそうだ。



そこで考えた。

来年3月、ハノイにオープンする『日本カルチャーセンター』では、

日本人の旅行者にも気軽に立ち寄ってもらい、


それぞれの趣味や特技を活かして日本の文化を伝えていただこうと思う。

たとえば、書道であったら、生け花であったり、

柔道やお合気道であったり。


または、自分の故郷の写真を見せてもいい。


そうすることで、短期の旅行者といえども地元の人たちと交流を深めることができる。


多くの日本人がベトナムを訪れ、

または多くのベトナム人が日本に行くことが容易になれば幸いである。



【補足】

移住、海外生活、ロングステイ先のベスト3は、

マレーシア、タイ、ハワイだが、

ベトナムは穴場である。

得にハノイには四季がある。


物価が安い、食べ物が美味しい、親日的で人がいい、

何よりビールとコーヒーが安くて旨い。

それに治安もいい。


お勧め。

それに日本から近い。

ホンダかベスパか

2014年10月09日 | 国際
バイク抜きにベトナムは語れない。



ベトナムの人口は約9,000万人。


バイクの登録台数は4,000万台に上る。

約二人に一台の保有率だ。


人口800万人の最大の都市ホーチミンに至っては

バイクの数は600万台、8割弱に上っている。



ホンダの独壇場だったバイク市場に、今ベスパ(Vespa)が攻勢をかけている。

そのスタイルの良さで、女性に大もてなのだ。




ベスパは、言わずと知れたイタリアのオートバイ・メーカー、

ピアッジオが製造販売するスクーターの製品名。


          これ、ほしい! ナヌッ!!

イタリア語でスズメバチを意味する


ベトナムでは125ccが標準である。

大きな荷物を積んだり、4人乗り5人乗りは当たり前の世界。



20年ほど前までボクもベスパに乗っていた。

ローマの休日の映画に憧れて、格好良さだけでつい衝動買いしてしまった代物だ。


だが、乗り心地は決してよいとは言えなかった。

故障も多い。



ベトナムではバイクは生活必需品だ。

スタイルより実用性を重視したい。




バイクも車も絶対日本製に限る。

HONDA がんばれ!



【余談】


How much?

$3,500

日本じゃ、車が買えるぞ!

フリートークの輪

2014年10月06日 | 国際
全国、世界にフリートークの輪を広げよう。


昨日書いたように、年内に福岡にフリートークを立ち上げる。

そして国内の主要都市にフリートークの輪を徐々に作っていく。


海外でも、来年春(3月)、ベトナムで立ち上げる計画を進めている。

だが、こちらは英語でなく、日本語のフリートークだ。


日本で英語熱が高いように、

ベトナムでは日本語熱が非常に高い。


ベトナムは世界一の親日国といっても決して過言ではない。



フリートークには大きく2つの意味がある。


一つは、言論の自由。

日本にはある程度その自由はあるが、ベトナムにはない。


もう一つは、コミュニケーションツールとしての共通言語である。

事実上世界共通語である英語に関して、残念ながら日本はその能力に劣る。

そういう意味で、日本人はコミュニケーション能力にも劣っているといわざるを得ない。


日本語は、世界の中でも言語ととして非常に優れていると自負する。

細かい理由は割愛するが、ベトナム人は多くの人が上手に日本語を話すことに驚かされる。

ボクの知る限り、世界で一番日本語を話せる外国人ではないかと思うほどの印象を受ける。


そしてそれは、日本人が英語に必要性を感じる以上に強いのではないだろうか。

日本語を通じて、日本という国をより深く理解してほしい。


あわよくば、ベトナムももっと民主化が進み、言論の自由が認められればと思う。


今、香港では選挙という形の民主化に向けて正念場に差し掛かっているが、

ベトナムも影響を受けかねない。


日本には曲がりなりにも言論の自由がある。

今は当たり前のように受け止めるかもしれないが、

日本もここまで来るのに歴史的にさまざまな紆余曲折があった。


それだけでも今は幸せな国といえよう。


言葉は人間のみが持つ特権の一つだ。

言論の自由もまたしかり。


だからこそ、フリートークの輪を世界に広めたい。

日本語教師募集

2014年10月01日 | 国際
日本語の教師の資格を持った人は意外と多い。


しかし、その資格を生かせないでいる人も、また意外と多い。

日本にいて、外国人に日本語を教えて生計を立てることは困難だ。


ボランティアで教えている人が多いからだ。

だが、海外なら日本語を教えて十分生計を立てられる。


特に日本語熱が高い国ならなおさらである。



今その筆頭の国が、ベトナムだ。


ベトナムのハノイに。日本カルチャーセンターを設立すべく準備している。

来年3月開設の予定だ。


そこで、それに先駆け、ベトナムに行く人を募集している。


今月と12月の二回に分け、視察旅行を計画する。


もちろん、今現地に住んでいる方も大歓迎だ。

今、関西や、名古屋、関東の方々からも問い合わせをいただいている。


ぜひこの機会に、ベトナムを訪れてその熱気を感じてほしい。

そして、資格を最大限に生かしてほしい。

性別、年齢は問わない。


少しでも興味を持った方は、連絡してください。

では、ベトナムでお会いしましょう。




【参考資料】

日本カルチャーセンター構想企画書


主旨: 日本の文化を伝え教える総合文化センター

場所: Dong Da, Hanoi

事業内容:日本語学校、日本語カフェ、人材派遣、旅行業、イベント・パーティプラン

4階建てビルディング仕様内容 (ビルの中全体をリトル・ジャパンにする)
1階、駐車場
2階 日本語フリートークカフェ、レセプション、オフィス
3階、日本語学校(初級、中級50~80人収容)、ドミトリー(寄宿舎10名)
4階、日本語学校(上級者50人収容)、研修生、留学生養成所、人材派遣事務所

共同経営形態 出資者:数名

スタッフ: 日本人2~3人
      ベトナム人(日本語可)3~4人人

開設予定日:2015年3月 


イベント内容(案)

日本文化体験day 着物、お茶、お花、盆栽、
日本音楽、楽器(琴、三味線、尺八など)
料理教室
日本語読み聞かせ
日本映画、ドラマ
武道 柔道、合気道、剣道
おもてなしの実演

日本と結ぶSkype会話
日本の風景、名所写真、動画
ホームステイ受け入れ



中国国民は一斉に蜂起せよ

2014年09月30日 | 国際
        ”革命” なんという良い響きだろう!


アラブの春(Arab Spring)を彷彿とさせる。

アラブの春は、2010年から2012年にかけてアラブ世界において発生した、

前例にない大規模反政府(民主化要求)デモや抗議活動を主とした騒乱の総称である。


2010年12月18日に始まったチュニジアでの暴動によるジャスミン革命から、

リビア、エジプト、そしてシリアとアラブ世界に波及した。


一方で、2012年に入ると政権の打倒が実現したエジプトやリビアでも国内の対立や衝突が起きるなど民主化に綻びが見られ始め、

また遅れて反政府デモが盛り上がりを見せたシリアでは泥沼の内戦状態に突入し、

国内のスンナ派とシーア派の対立やアルカイダ系の介入などによる火種が周辺国にも影響を及し始めるなど、

深刻な事態が浮かび上がってきている。


それが今、ISIS(イスラム国)の台頭から、アメリカ軍の空爆へ続いているのはご承知のことだろう。



今回の香港での民主化のデモはまだ始まったばかりで、どこまで影響を及ぼすかは予断を許さないところだ。




ただこれをきっかけとして、弾圧が厳しい新疆ウイグル地区やチベット、そして南モンゴルが一斉に蜂起すれば

中国の民主化そして独立という流れは大きくなっていくことは間違いない。



危惧するのは、現代の動きはネットに頼るところが大きく、

これを遮断されると動きが急速に鈍くなる。


そして、香港での学生の行動も、歌ったり、食べたい、道路に座ったりでお祭り騒ぎの感が強く

統率性に欠けるところが見受けられる。




第二の天安門事件として過去に葬られる脆弱性も孕んでいる。




彼らの本気度が試される。



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日本にもこうした動きが過去にあった。

60年と70年安保闘争だ。



           国会を取り囲んだデモ隊(1960年6月18日)




安保闘争とは、

1959年(昭和34年)から1960年(昭和35年)、1970年(昭和45年)の2度にわたり、

日本で展開された日米安全保障条約(安保条約)の与党自民党による慎重審議なくして強行採決を行ったことに関して反発した

国会議員、労働者や学生、市民および批准そのものに反対する国内左翼勢力が参加した

日本史上で空前の規模の反政府、反米運動とそれに伴う政治闘争である。


         この中にボクもいた





そもそもなぜアメリカ軍は日本に駐留しているのか。


1951年(昭和26年)9月8日に、アメリカのサンフランシスコにおいて、

アメリカやイギリスをはじめとする第二次世界大戦の連合国47ヶ国と日本の間で、

日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)が締結されたが、


主席全権委員であった吉田茂は、

同時に、平和条約に潜り込まされていた特約(第6条a項但し書き。二国間協定による特定国軍のみの駐留容認)に基づく

「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」(旧日米安全保障条約)に署名した。


この条約によって日本を占領していた連合国軍の1国であるアメリカ軍は、

「在日米軍」となり、継続して日本に駐留する事が可能となり、今に至っている。


だが、これまで60年、70年と二度の反安保闘争があったことは忘れ去られようとしている。


当時日本の若もにはこれだけのエネルギーがあったのだ。

ボクも、70年安保闘争の渦中にいた。


ぼく達学生の間では1968年(昭和43年)から1969年(昭和44年)にかけて

全共闘や新左翼諸派の学生運動が全国的に盛んになっており、

東大闘争、日大闘争を始め、全国の主要な国公立大学や私立大学ではバリケード封鎖が行われ、

「70年安保粉砕」をスローガンとして大規模なデモンストレーションが全国で継続的に展開された。


ボク自身も、当時大阪、上六にあった大学にバリケードを築いて立てこもった。


街頭闘争も盛んに行われ、新左翼の各派は、

1967年(昭和42年)10月、11月の羽田闘争、1968年(昭和43年)1月の佐世保エンタープライズ帰港阻止闘争、

4月の沖縄デー闘争、10月の新宿騒乱事件(騒乱罪適用)、

1969年(昭和44年)4月の沖縄デー闘争、10月の国際反戦デー闘争、

11月の佐藤首相訪米阻止闘争などの一連の闘争を「70年安保闘争の前哨戦」と位置づけて取り組み、

「ヘルメットとゲバ棒」スタイルで武装し、投石や火炎瓶を使用して機動隊と戦った。


70年代に入り、戦いに敗れ、ベトナム反戦運動と共に

キューバ革命に憧れて亡命を試みたりもした。


ボクの友人は、よど号をハイジャックしてとうとう北朝鮮に亡命したのだが。



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そうしたことが、今回の香港の動きを見て走馬灯のように脳裏に流れた。


中国は内部崩壊する、と信じて疑わない。

ただ、同じ社会主義国であるベトナムにも飛び火する可能性はある。


ベトナムの政治は安定しているが、

共産党一党独裁であることには変わりはない。

選挙という民主主義の手段を持たない。

ミャンマーがそうであったように、曲がりなりにも政権を選ぶ権利が国民の手にあってもいいのではないか。


ベトナムには、ソフトランディングを期待する。



【参考資料】


これを見れば、中国の実態がわかる。




天安門事件とは、

1989年6月4日に、同年4月の胡耀邦の死をきっかけとして、

中国・北京市にある天安門広場に民主化を求めて集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に対し、

中国人民解放軍が武力弾圧(市民に向けての無差別発砲や装甲車で轢き殺したとの報告がある)し、

多数の死傷者を出した事件である。


       これは有名な写真である





香港の学生たちがこの二の舞にならないことを祈る。

香港の学生に習え

2014年09月27日 | 国際
          写真は、27日未明、香港政府合同庁舎前で座り込みをする学生と、
            周囲を鉄柵で囲んで制圧する警官隊



香港の学生らの一部が26日夜から27日未明にかけて、

香港中心部の政府庁舎敷地内に突入し、警察と衝突した。


学生は、2017年に香港トップを決める行政長官選の民主化を求めている。


香港は、1842年から1997年まで、

一世紀半を経っていたイギリスの植民地であった。

今は、中華人民共和国香港特別行政区( Hong Kong Special Administrative Region of the People’s Republic of China)であり、

通称香港(Hong Kong)と呼ばれる。


そこで学生たちが蜂起した。

警察は催涙スプレーも使い、13人を逮捕。

負傷者も20人以上出ている、という。


一度自由の空気を吸った若者は、後戻りはできない。

一国二制度を持つ国の危うさが露呈されている。


香港においては、

返還後50年間は一定の自治権の付与と本土(中国大陸)と異なる行政・法律・経済制度の維持が認められている。

しかし香港は、「高度な自治権」を享受しているが、

「完全な自治権」が認められているわけではない。


ここに矛盾をはらんでいる。

行政長官と立法会議員全員の直接普通選挙化をどの時期から開始するか、

香港返還直後から議論になっている。


2007年12月29日に全国人民代表大会の常務委員会が、

行政長官の普通選挙の2017年実施を容認する方針を明らかにしたものの、

立法会議員全員の直接選挙については今なお時期について言及していない。


現在、中国本土と違って香港では集会の自由や結社の自由が認められている。


香港の政党は民主派(泛民主派・英語版)と親中派(親建制派 ・英語版)に大別され、

立法会議員全員の普通選挙化について、

民主派は2016年からの実施を、

親中派は2024年からの実施をそれぞれ主張している。


今回の学生の行動は、ここに根差している。

これが、中国全土の民主化につながればと祈っています。



翻って、日本の学生はといえば、

すっかり自由に飼いならされ、闘争(挑戦)本能さえ奪い取られてしまった。


戦争反対の声さえかすかにしか聞こえない。

60年代から70年代の学生運動を勧めるわけではないが、

もう少し、社会や世界の情勢に敏感になってもいいのではないだろうか。


平和なことはいいことだが、いつまでも平和ボケでは国は亡びる。

なんちゃってグローバル

2014年09月24日 | 国際
         ホーチミンの夜


ボクの大学の母校から下記のような講演依頼がきた。


“なんちゃってグローバル”を回避せよ

~英語を使う、その先へ~

というな内容のものだ。


その背景にあるものとは。


大阪大学外国語学部英語専攻の学生は、

自らの強みである英語を使って将来活躍したいと考えている人 が多いが、

自分が活躍できる場が明確ではなかったり、

英語を使って成し遂げたい問題意識を持てていなかったりする。


また、英語専攻という一番英語に身近な身であるにもかかわらず、

英語を生かした海外経験を積むことができていない学生が多く存在する。




今回の講演の目的とは。


海外で様々な経験をすることの必要性や新たな視野の提示をすることで、

海外経験をしたいと思っているが実際に行動に移すことができていない学生の背中を押す。


また、実際に英語を使って活躍すると はどういうことなのか、

英語は単なるツールにすぎず、

英語を使って成し遂げたい自分なりの目標を持 つことが大切であり、

海外での成長機会に飛び込むことで自分の問題意識を明確にできるということを知ってもらう。



【コンテンツ】


1. なんちゃってグローバルとは?~真のグローバルは英語だけではない~


なんちゃってグローバル人材(英語ができるだけの人)では社会に出て通用しないことを伝え、

実際に社会で活躍するために自分なりの問題意識を持つことの必要性を感じてもらう。


実際に社会に出て活躍している方からの講演を聞いたうえでグループワークを行うことで、

現状への危機感をより強くする。



2. “脱”なんちゃってグローバル化計画

上記のような人材にならないための経験を積むことができ、

英語も活かすことができる一つの手段として、海外での成長機会を提示する。



3. お願いしたいこと


今回は、「1なんちゃってグローバルとは?」でご協力をお願いしたいと考えております。


ここでは、社会に出て実際に英語を使っているご自身の経験を学生に話していただきたい。


その中で、英語は単なるツールでしかなく、明確な問題意識が重要であることを伝えていただきたいです。



確かに、英語にかかわらず、

外国語大学では世界中のいろんな言語が学べる。


それを実際の社会で生かし切って生活している者はごく少数である。


ボク自身もスペイン語を専攻したわけであるが、日常的に使う機会は少ない。

それでも外国人と接する仕事なので、たまにはしゃべることがある。


ただ、いざとなったら英語が通じるので、いつの間にか英語で会話をしていることが多い。

苦しい時の英語頼み、といった感じになる。



だが、上述のように

英語を専攻していたから英語が喋れるものでもない。


留学していた、ワーホリの経験があるからといっても、ほとんどの人が語学を駆使できていないのが実情だろう。


せっかく語学を専攻したのなら、それを生かす意識を強く持つことが大切である。

手っ取り早いのは、やはり海外へ出向くことだろう。


何が何でも海外、といった嗜好が才能を育む。



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ということで、ベトナムで働く人材を募集している。


具体的には、日本語教師であるが

ベトナムで起業したい人の相談にも乗っている。


関心のある人はどしどし問い合わせしていただきたい。



そして、今日午後7時から、異業種懇談会で

『海外起業』というテーマでスピーチさせていただく。


お近くの方、時間のある方は是非聞きに来てください。



教育産業に参入!?

2014年09月05日 | 国際
ベトナム人の友人から4階建ての大きなビルに案内してもらった。


    入り口は狭いが、中はかなり広くなっている。


ここを有効利用してくれないかと。

1階は駐車場。





2階から上は、各4部屋ずつあり、かなりのスペースだ。




     ワンフロアにこうした部屋が4つずつある



日本語学校にすれば、ハノイで最大の日本語学校にできるかも。

あるいは、日本文化カルチャーセンターや

インターナショナルセンターなどもできる。


これらは、ボクが日本語フリートークの先に描いている企画そのものである。


これからアイデアを出し合って利用内容を詰めていかなければならない。

早速、一緒にやりたいという協力者も現れた。


またまた面白きなってきた。



ビルの隣がKARAOKE屋というのがまた好い。



どっちかというと、そっちに入りびたりになりそうなのが怖い。


最後は、家主さんにPho(フォー)をごちそうになった。



ありがとうございました。



ハングリー精神の差

2014年09月02日 | 国際


バックパッカー街。

貧しき旅人(ボクを含む)のたまり場だ。

今やホーチミンはバックパッカーのメッカといわれる。



この環境にいて、この5日間ボクは日本人には一人も会っていない。


なのに、ほとんど日本語を使っての会話ですんでいるという不思議。

それは、いかに日本語を話すベトナム人が多いかということを意味する。


それなのに、ベトナムの日系企業は日本語を話す人材不足に悩んでいる。

その現状を知ったベトナム人はますます日本語を話そうとするだろう。


だから、日本語フリートークを作れば成功するという自信がある。



それに引き換え、日本人の英語熱はあるといえど、進歩の度合いが極端に遅い。

ベトナム人は3か月で日本語をマスターする。

日本人は、3年たっても話せない。


それは危機感のなさなのかもしれない。

ベトナム人は、日本語を話すことで少しでも生活水準を上げようと必死だ。

日本人にはそのハングリーさが全くない。


もちろん、一般のホテルやレストランでは英語でなければ通じない。


ベトナム人はその勤勉さにおいて日本人と似ているといわれるが、

むしろ昨今はベトナム人の勤勉さが日本のそれを上回っているのではないかとさえ思われる。


願わくば、サービス精神の向上であろう。

日本のおもてなしの心をベトナム人が持てば、経済的に最強国の一つになることができるだろう。



日本語を話す人材は集まりつつある。

今日からハノイに舞台は移るが、既にハノイの日本語最強グループがボクを待っている。


日本とベトナムをつなぐグループもいくつか存在するが、そのオフ会を開く予定だ。

さて、今回のベトナム行脚の後半戦、どういうハプニングが待ち受けているのやら。


Stay hungry!

今一度スティーブジョブズの言葉を思い出してほしい。