世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

ベトナム語講座

2013年06月15日 | 国際
昨日発表した通り

『べト研』では最初の取組として「ベトナム語講座」を開くことにした。


講師はベトナム人の女子大生。


まず言葉を理解しなければ始まらない。

ボクにとっては英語、スペイン語に次ぐ第3の外国語だ。



そして今回の当面の目標は「ベトナム・カフェ」を開くことが目標だ。

店の名前は 『リトル・ハノイ』 (仮称)


ベトナムコーヒーと雑貨を扱う。

そしてすべてベトナム人のスタッフが運営する。


アオザイを着て。


イメージはざっとこんな感じだ。



さて、「ベトナム語講座」だが


毎週日曜日午後4時から1時間、

フリートークで行う。


参加料は1,500円(コーヒー付)だ。



ベトナムは、観光もビジネスも中・長期滞在にも持って来い(恋・濃い)の国。

英語でもやっていけるが、やはりベトナム語を話せるに越したことはない。



ボクもこの4月、ハノイに店をオープンさせたが

スタッフで英語ができないものもいる。


むしろ英語ができない人が多い。


ボクがベトナム語を少しでもしゃべれれば、コミュニケーションは格段に良くなるだろう。


     ベトナム人スタッフとの打ち合わせ中(口説いているわけではありません)



ついでに、ベトナム文化や習慣、

それにベトナムでの経済についても一緒に勉強しちゃおう。



ベトナム語講座には、先日ベトナム人女性と結婚(入籍)したI君も参加する。


ベトナム女性はかわいくて美人が多い。

その口説き方も披露してもらえるか?


楽しく学べる講座にしたい。


※ 詳しくは、facebookのイベントで立ち上げますのでご参照ください。



Girls Talk in Hanoi, Vietnam

     何話しているのか、チンプンカンプン

この会話に加わりたい!



【追記】


今年、これからベトナムで2回の結婚式に出席する予定だ。


一度目は、9月(?)フエで行われるそのI君の結婚式。


2度目は、11月ホーチミンで行われる美人ベトナム人のYさんと日本人男性の結婚式。


なんとも目出度い話ではないか。


日本人男性、ベトナム人女性はいいぞ!!




【追記2】


ベトナムへの「ビジネス&出会い&語学ツアー」を企画中。

詳細は追って発表しますね。

ベトナム研究会

2013年06月14日 | 国際
『ベトナム研究会』を立ち上げました。

略して「べト研」



ベトナムにかかわって5年が過ぎた。


きっかけは5年前のJICAでの派遣だったが、

学生時代から べ平連に加担して活動して、

ベトナム戦争を遠巻きながら経験した。


べ平連とは、

「ベトナムに平和を!市民連合」の略で、

1965年(昭和40)ベトナム戦争に反対する無党派市民により組織された反戦運動団体である。

戦争終結とともに74年解散。


「ベトナム戦争反戦平和運動団体」といっても規約も会員名簿もなく、

何らかの形で平和運動に参加した人や団体を「ベ平連」と呼んだ。


ボクもその中の一人だった。



ベトナム戦争を知らないベトナムの若者も多い。


ベトナム戦争とは、ベトナムの独立と統一をめぐる戦争(1960年代から70年にかけて)である。


1960年結成された南ベトナム解放民族戦線は、

北ベトナムの支援のもとに、南ベトナム軍およびこれを支援するアメリカ軍と戦い、

69年臨時革命政府を樹立。

73年和平協定が成立しアメリカ軍が撤退、

75年南ベトナム政府が崩壊、翌年に南北が統一された。


※ 詳しくは末尾で。




ボクは戦争(第二次世界大戦)を知らない子供たちとしてこの世に生を得た。


フォークソング「戦争を知らない子供たち」(作詞・北山修、作曲・杉田二郎、唄・ジローズ)は、

戦後生まれの、戦争を知らない乾いた世代の哀愁を唄った歌である。



そんな中、ボクは学生運動に傾倒し、

戦争反対運動にも加担したのだ。



その後のボクの関心は

ベトナムの英雄、ホーチミンではなく


キューバの英雄、チェ・ゲバラへと向かっていった。


そして、忘れもしない1970年、大阪万国の年、

ボクは万博会場のキューバ館に潜入し、

「キューバ亡命事件」を起こすが奇しくも(strangely)失敗してしまう。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――


それ以来、ベトナムのことはすっかり忘れていた。


世界一周の時も、ベトナムは外した。

その時いったのはタイだけだった。

東南アジアそのものを外して回ったといえる。


いつでも行けると思ったからだ。

それに家族で行くところではない、とも。




それから幾星霜、再びベトナムがボクの中で蘇ってきたのだ。


東南アジアは一人旅がよく似合う。

そして、そう思い描いた通りに今活動している。



既にこの5年間のあいだに20数ベトナムを回訪問してきた。


その間、全てとは言わないが、要所はほとんど回った。

お蔭で随分と詳しくなった。



今年に入ってハノイにお店をオープンさせ、

さらにNPO設立に向けてボクの活動は一気に加速した。


それにつれて、現地のベトナム人との付き合いも徐々に増えてきた。


今まで英語一本で接してきたが、今強くベトナム語の必要性を感じている。



そこで『ベトナム研究会(べト研)』を立ち上げることにしたのだ。



どういう内容かというと、ベトナムに関するすべてのことを学んでいこうというもの。

それは、文化、経済、政治、言語を含むすべてだ。


幸い熊本には強い味方がいる。

学生時代から起業しているベトナム人女性だ。


数日前彼女と会って話をした。

NPOのメンバーにも入ってくれた。


これから一緒に活動していく機会が増えるだろう。


同じ仲間で、

今月、バンミーの店をオープンさせた人がいる。


バンミーとはベトナムのフランスパン使ったサンドイッチのことだ。





そこでボクは、ベトナムのカフェ&雑貨店をオープンすることにした。

アオザイを着てベトナム人に働いてもらう場を作るのだ。


熊本に来るベトナム人はどんどん増える傾向にある。


またそのルートと受け入れ先を作るのもボクの役目だ。


とりあえず今日、大学生のベトナム人と会うことになっている。


さてさて、これからどういう展開を見せていくのかが楽しみだ。




【参照】


ベトナム戦争


     ヒューリッツア賞に輝いたベトナム戦争の写真


アメリカが北ベトナムを爆撃して、拡大していった戦争だ。

当時、北ベトナムはソ連や中国の支援を受けていた。

これに対し、アメリカは南ベトナムを支援していた。


1965年、社会主義の拡大を恐れたアメリカは、この北ベトナムを攻撃した。

アメリカは「北ベトナムはすぐに降伏する」と思っていたのだ。



ところが、予想外に戦争は長期化した。

北ベトナムは、アメリカが思う以上に強敵だった。

ついにはベトナム戦争はゲリラ戦になった。

そして、ジャングルでの戦いが始まった。

民間人も軍人も関係なく、子供までもが戦争に巻き込まれた。


北ベトナムの兵士は、ジャングルに隠れてアメリカを攻撃した。

そこで、アメリカは枯葉剤を空中から散布し、ベトナムの森林を破壊しようとした。


「ベトナムをまるはだかにして兵士の隠れるところをなくそう」としたのだ。

しかも、この際に使用された枯葉剤には、猛毒のダイオキシンが含まれていた。


このあと、ベトナムでは奇形児や障害児がたくさん生まれるようになった。


しかし、そんなにしても、アメリカはベトナム戦争で勝利をあげることができなかった。

というのは、内外の反対運動と経済的負担のために、アメリカは戦争を続けられなくなったのだ。



1973年1月27日、ベトナム和平協定が調印される。

そして、その2ヵ月後の3月29日 ベトナムからアメリカ軍の撤収が完了した。


アメリカはベトナム戦争に「敗北」したのだ。

アメリカがいなくなったあと、ベトナムは北ベトナムによって統一された。

これが現在のベトナム社会主義共和国だ。    (weblioから抜粋)

ベトナムビジネス奮闘記 Ⅳ 一躍有名人に!?

2013年05月30日 | 国際
てなわけないでしょ。

昨日のテレビ取材の写真を乗せたら思わぬ期待を戴いたようだ。


たしかに、社会主義国にあって発言の自由が許されることは画期的なことかもしれない。

もちろん、編集過程で不適切な言動はカットされるだろうが。






なかなか突破口がみつからない焦りもあったかもしれない。


ボクの足はブラブラとこともあろうかハノイの人民委員会(Hanoi Peoples Commitee)に向かっていた。





いわゆる市役所に当たるらしい。

もちろん、コネもアポもない。


そのゲートには当然守衛(門番)がいる。

ボクはその守衛に話しかけた。


「ボクは日本人です。

NPOとしてハノイで日本文化を紹介して

ベトナムとの交流を計りたくて来ています。

日本の着物でアオザイを作らせてます。

それでファッションショーをやりたいのですが、

ここで許可をもらえますか?」


もちろん、キョトンとしている。

英語が全く通じないのだ。


だが日本人だと分かると笑顔を見せながら

写真はとってもいいよという仕草をした。


とりあえず今日のところは、場所と触りの感触を確かめるだけでよかった。


とにかくベトナム側の受け入れ先を探さなければならない。

いわゆるカウンターパートだ。




ボクは重い足取りで「国際交流基金(Japan Foundation)」のハノイ支部へと向かった。



そこは文化事業に補助をしてくれるといことだった。


そこで思いがけない事件(?)が待っていた。


そこではたまたま日本人前衛アーティストによる展示会が開かれていた。



草間彌生氏は水玉をモティーフにした個性的なオブジェで知られている、という。

ルイヴィトンともコラボしたらしい。




三三五五ベトナム人が見学に訪れていた。


そこでボランティアをしているベトナム人女学生と知り合った。

彼女は日本語を勉強していて、とても日本に関心を持っている。


クールジャパンのイベントをやる時は、友達を集めて手伝ってくれるそうだ。

これでボランティアの確保の目途はついた。



さらに、べトナムのテレビ局VTVのインタービューも受けることに。

このオブジェの感想を聞かれたのだ。

もちろん、英語で答える。


「オブジェの意味分かりましぇ~ン??????」 と。

「だけど、とても興味深く感動しましたー」、と一応付け加えておいた。


そして、ディレクターに、ボクがここに来た理由を語った。

「着物アオザイ」でファッションショーをやる時には必ず来てくれるよう約束した。


「くまモン」も連れてくるからね、と言ったら訳も分からず笑っていた。

とにかく、マスコミのコネもゲット。




さらにさらに、日本人老夫婦に出会う。

彼らからの紹介を経て、ベトナム人実業家(?)へとのコンタクトと繋がっていく。


明日そのベトナム人実業家とボクの店で会う約束をした。


ここからどう発展していくのかどうか。

それは分からない。


小さな草の根の糸口が大きな意味を持つことはよくあることだ。

少しずつではあるが、べトナム人との係わりが出来つつある。


何より、異国の地で出会う縁を一つ一つ大切にしていくことが重要だ。




【追記】

A walking dog will get something

犬も歩けば棒に当たる。

Every dog has his day. ともいう。


これには二つの意味がある。

でしゃばると思わぬ災難にあうという戒めと

また、じっとしていないで、

何でもいいからやってみれば思わぬ幸運にあうことの例えでもある。


【注釈】 「棒に当たる」とは、人に棒で殴られるという意味。


とにかく行動しなければ何事も始まらないのだ。

なぜベトナム人は太らないのか

2013年05月27日 | 国際
ベトナム人は男女とも総じて小柄だ。

ベトナム人に限らず、アジア人は皆小柄だが。


だが、最近世界的に肥満が増えている。

そんなな中でベトナム人は以前として昔の体型を保っている。


それは何故なのか?


大きいのは、やはり食べ物のせいだろう。

ベトナム料理はすべからくバランスが取れている。


特に野菜だ。

ハーブ系が多く、身体に良い。

ここ5年、もう20回以上もこの国を訪れているが

まだ一度もおなかを壊したことがない。


いわゆるTraveller's Diarrhea (旅行者がかかる下痢)にはなったことがない。



特異なのは、ファーストフード店が極端に少ないことだ。


マクドナルドが進出していない珍しい国の一つでもあるだ。

ケンタッキーチキンやロッテリアはあるが。


それにコンビニがない。

大型のショッピングモールもない。


いわゆる昔ながらの家族による商店経営で成り立っている。

だから空きテナントもほとんどない。


これはいまどきの新興国としては考えられないことだ。




一方、対照的なのはフィリピンだろう。

やたらと肥満が多い。


これはアメリカ文化が浸透し、

ファーストフード店やコンビニがやたらと多いことが原因と考えられる。




ベトナムは、アメリカナイズされていないところが素晴らしい。


外国人観光客もヨーロッパからが圧倒的で、アメリカ人はほとんどいない。


これはベトナム戦争の傷跡が根強く残っているからではないか。

アメリカ人にとってはいまだにトラウマなのだ。

イラクやアフガニスタンもそうなっているだろうが。


日本が中国で歓迎されないように、

ベトナム、特に北ではあまり歓迎されないのかもしれない。


それ以上にアメリカ人が敬遠しているようだ。




また、民族衣装のアオザイもが一役買っているようだ。


体系がスリムでないと似合わない。

一部太り気味の中高年も見受けられるが、極端な肥満は全く見ない。


以下の写真は、たまたま出くわしたある小学校の発表会での風景だ。

とくとアオザイを着たお母さんたちをご覧いただきたい。












それは平均寿命殻も窺える。


東南アジア諸国の平均寿命(2011年)の中では、

シンガポール(82歳)、ブルネイ(77歳)に次いでベトナムは(75歳)3番目に高い。

世界でも200か国の内60番目と上位に食い込んでいる。


タイ、マレーシア(いずれも74歳)より高いのだ。


フィリピンに至っては69歳と低い。


ちなみに中国は76歳、韓国は81歳だ。

もちろん日本は83歳と世界一にある。




そうした意味でも、ベトナムは良い意味で特異稀な国と言える。

地球が舞台

2013年04月20日 | 国際


『地球はわが家の教室』という本を

10年ほど前に、くもん出版から出さしていただいた。




我が子を、400日(一年二か月)ほどだが、

学校に通わせず、世界を旅することで学ばせた。


文字通り、地球を教室に見立てた学習だ。


勉強は、狭い教室の中で座ってやるものではない。


狭い日本を飛び出して、身体で体感するものである。


子供は理屈抜きだ。

ひねくれた大人のように、ああでもないこうでもないなどと屁理屈を述べない。


ありのままを、無垢な目で見て素直に感じる。

それが身体に染みつく。



全ては地球規模で考えるようになる。



遊びの中で人は学ぶ。

地球は大きなゲームセンターである。


ちっぽけなスマホなんかで、シコシコゲームをやってるんじゃない。

だから人間が小粒チャンになっちまうんだ。


悔しかったら、地球を舞台にチャレンジしてみろ!


命を懸けた試練が待っているゾ。

そして、こんな面白いことはない。


やることは山のようにある。


地球は人生を飽きさせない。




ビジネスは、ベンチャー。

ライフは、アドベンチャー。


それもバーチャルなんかじゃない。

全てがリアルなんだ。


冒険を恐れるな!

リスクを恐れるな!

DORO Party

2013年04月14日 | 国際
インターナショナル・パーティが行われた。


       ここはニッポン?  ハイ、熊本ですバイ。



イベントを企画する若者たちが仕掛けたパーティは、

月に一度行われている。


熊本を国際都市にしようという趣旨の元

外国人との交流の場として100人以上の老若男女が集った。








ここでもフリートークファミリーは実力を発揮する。


       スケベオヤジ(オッと失礼)もこの通り、即座に両手に華


       トランプのマジックに花が咲く


       ワーオ、美女軍団。 端の男は誰だ!



英語を巧みに操り、積極的に見知らぬ人たちとも打ち解ける。


   ウーン、かっわいいィ!


ヤッパリ英語ができると絶対お得なのだ。

外国に行かなくても、世界中の人とお友達になれる。



パーティの最中、お誕生日のお祝いも。





英会話と同時にこうした社交術も磨ける。

話題性と社交性は国際交流の必須条件だ。




口下手で、引っ込み思案が長年日本人を殻に閉じ込めてきた。


臆することなく人前に出て、

初対面の人とでもすぐに打ち解ける術は一朝一夕には身につかない。



こちらも毎月行われるフリートークのMake more Friends Party で鍛え上げられていく。


シャイな人も、口数の少ない人も、人の輪に入るのが苦手な人も

少しずつ脱皮するように自分の殻から抜け出していく。



昨今は、日本人もいろんなパーティを催すようになった。

セミナーや講演会よりもより有意義だ。


食べて飲んで、○○できるのだから。


しかも、いろんな国の人が集う。

そして、国際交流の輪が広がっていく。



ただ気がかりな点なある。


欧米系の外国人は多いが、

東南アジアをはじめとするその他の国の人はあまり見かけない。


やはり、パーティといえば、欧米文化なのか。


100人規模のパーティともなれば

全ての人と知り合うことは難しい。



目が合えば、初対面でも、にこっと笑って、ハイと声を交わす。

これが、欧米型の特徴だ。


日本人同士も伏し目がちになりやすい。


フリーハグも効果的だ。

誰彼かまわずハグしまわるのはいきすぎかもしれないが、

少しでも親しくなれば、握手やハグといったスキンシップはより親密さを増すのに都合がいい。


これからも月を追うごとにこうした風潮が広まることだろう。


さて、今週の終末、20日の土曜日は

フリートークの2周年記念のパーティが催される。


初めての人でも、どなたでも参加できますよ。


多くの方々が集い、世界中の人々と交流を深めてもらいたいと願っている。

現実を知ろう

2013年04月03日 | 国際
先週訪問したベトナム同様、

フィリピンでは領土問題を抱えて中国と一触即発の状態にある。




日本も同じなのだが、

平和ボケした日本国民に緊迫感は皆無といってよい。


街中には海軍の車が行き来している。



事実上の戦時下にあるといってもいいだろう。




中国と北朝鮮の脅威が迫る中

いつ日本がこうした事態におかれても不思議ではないのだ。

社会主義の国で自由に暮らす

2013年03月29日 | 国際
ベトナムは一般に社会主義国家、あるいは共産国と呼ばれている。

これは中国も同じである。


それは、共産党の一党独裁国家を意味する。


今や社会主義と共産主義の国との区別をつけるのは難しくなった。


そもそも、個人の自由な考え方を優先する自由主義に対して

個人の自由を規制して社会全体の調和を優先する社会主義があり、


一個の人間と社会との関係をどう捉えるかのを示しており、

これらは政治用語で本来は政治体制を意味する。



一方、共産主義は資本主義に対する経済体制を意味する用語で

資本主義は自由主義政治体制でなければ資本の効率的流れが生まれないため、自由主義経済と言ったり、

社会主義体制の下では計画経済が行ない易く、共産主義を標榜することが多くなるのだ。



現在の中国は、共産党政権下で自由主義経済を行なおうとしている複雑怪奇な国で、

今までの概念では捉え切れない。

今の中国を一言で言うなら、一党独裁政権下での資本主義経済を導入した巨大発展途上国である。

ただし、一党独裁である以上、政治体制としては個人の自由より社会の秩序優先であることは間違いない。




ベトナムもほぼ同じと言えよう。

共産党一党独裁であり、社会主義国家であると同時に

ドイモイ政策によって市場経済を取り入れた国と言える。


共産主義は文字通り、平等社会を目指すプロレタリアート国家でなければならないが

実際は、格差社会が出来上がっているのは周知のとおりである。


ソ連の崩壊によって、マルクスレーニン主義は崩れ去った。


今、新興国と呼ばれる国は、政治体制にかかわらず

自由経済政策をとっていると言えよう。



中国とベトナムの決定的な違いは、

日本と日本人に対する見方にある、といっても過言ではない。


ベトナムは台湾と並ぶ世界屈指の親日国家である。

一般的にベトナム人は、中国人を嫌っている。


多くの国で中国人は嫌われているのが実態だが。


国境を接し、南シナ海でも日本の尖閣諸島同様領土問題でもめている。

ベトナム人は日本に感謝の意を表する。


日本に敬意を表する国は世界に多い。

中国と南北朝鮮を除けばすべてといってもいいくらいだ。


これは日本が今まで脈々と培ってきた努力のたまものだと思う。


日本のODA,JICAは、現在ハノイの新国際空港の建設を請け負っており、



大成建設がその工事を主に担っている。




     着々と工事が進むハノイの新国際空港


これは日本人が大いに誇れることだ。

日本は今までベトナムにおいて多くの橋や道路工事を請け負ってきた。


もっとそうした現実を知ってほしい。

実はボクも今回この現場を通るまで知らなかったのだが、

JICAで二度活動したことがあるだけに、誇らしかった。



それでも最近は、英語をしゃべれれない日本人をバカにする傾向はある。

日本人が流暢に英語を操れば日本は再び最強になれる、というのは言い過ぎだろうか。



今や、ベトナムにおける普通の庶民の生活において

社旗主義や共産主義といった窮屈な思いをすることはさほど見なくなった。


賄賂は横行しているが。


教育や医療に関しては、無料どころか庶民の出費はかさむ。



ビジネスに関しても、

日本人の感覚とは大いにかけ離れたところも見受けられる。


契約書はさほど意味をなさない。

あくまでも個人の信頼性に任せられる。


計画性に乏しく、刹那的である。

だが、最後に帳尻は何とか合わせようとする。


つまり、プロセスはどうでもよく、結果さえ出ればそれで良しとするところがある。


だから、焦る必要はない。

基本的に勤勉でまじめな国民性があるのは日本と同じである。


そのことをわきまえていれば、

普通に暮らしていて窮屈や不便を感じることはほとんどない。



物価が安いうえに

料理は美味いし、姉ちゃんは綺麗!


そこに自由があるのだから、こんないい国はないだろう。


NPO法人『国際交流プロモーション協会』

2013年03月08日 | 国際
昨夜の説明会には期待以上の多くの人々が集まってくださった。

関心の高さがうかがえる。




だが、当然といえば当然だが、

手厳しい質問が飛び交った。


そもそもNPOに対する考え方が厳しい。

怪しい団体。

ボランティアの名の下で、一部の人間(幹部)だけが暴利をむさぼる。

ボランティアの名の下で、ただ働きをさせる。


まあ、言ってみればどこかの国の共産党のようなものだろう。


口ではきれいごと、中身はドロドロ。


ボクも、NPOは嫌いだ。

だから今まで何度か立ち上げかかったが

寸前のところで思いとどまってきた。



では、今なぜNPOなのか。


ボクの考えるNPOは、

Non Profit Organization (非営利団体)ではなく、

New Project Organizatio (飛営業団体)だからだ。


これは以前のブログでも書いた。


それは、社会起業の概念と内容を同じくする。



もう一度おさらいしよう。


そもそも社会起業とは何か。


wikipediaによれば、

社会起業家(社会的企業家)により行われる事業で、

社会的企業(Social Enterprise)と表現されているもの。


では、社会起業家とはどういう人物なのか。



これもwikipediaによるが、


社会起業家は、社会変革( Social change)の担い手(チェンジメーカー)として、

社会の課題を、事業により解決する人のことを言う。

社会問題を認識し、社会変革を起こすために、

ベンチャー企業を創造、組織化、経営するために、起業という手法を採るものを指す
、とある。


言わば、「革命家」のなのだ。


(革命家に憧れるボクの体質は、

学生時代と何ら変わっていないことになる。

成長しないナー)



では、ただの起業とは何が違うのか。


一般的ビジネスの起業家は、

典型的には儲けと自分にどの程度報酬があったかで、その実績を計るのに対し、


社会起業家は、社会にどれだけの強い効果を与えたかを成功したかどうかの尺度にしている


NPOや市民グループを通して働きかけを行うことが多い、とある。


また別の言い方をすれば、

社会的企業家(Social Entrepreneur)ともいわれ、

「ソーシャル・イノベーション (Social Innovation) を起こす人」とも定義される。

自ら団体・会社を始める人でも、組織内にあって改革を起こす人でも、いずれもありとされる。



社会起業 = 事業型NPO と考えられ、

社会起業家は事業成功による社会貢献を目的としている。


事業の初期段階は、ソーシャル・ベンチャー(Social Venture)として、

はじめから法人設立というプロセスを踏む場合が多い。




一般の起業が、儲けるためのビジネスである一方、

社会起業は、社会貢献のためのビジネスを構築するために儲けることを宿命付けられる、といえよう。



―――――――――――――――――――――――――――――

昨夜の意見の多くは、

従来型のNPOという概念の下で厳しい発言が多かったように見受けられた。


そのためボクは冒頭にその違いを説明したのだが

どうやらこれまでのNOPの概念を払しょくできなかったようだ。


つまり、

NPO = ボランティア = ただ働き

そして、一部の人間(幹部)だけがぼろ儲けするという悪いイメージが出来上がってしまっている。



ボクのやろうとしていることは、

全て、オリジナル(Original)である。

そして、ニッチ(Niche)である。


これもボクの事業(起業)形態として貫き通してきた。


昨日のある人は、先走って、マネされることを恐れていた。

そして、既成の概念から抜け出せないでいた。


真似されても、マネできないものを作り上げればイイだけのこと。



人が考えないことを考えるのが、社会起業家の使命なのだ。


ここは頭をフレキシブルにして臨まないと到底理解できないだろう。



当然のごとく、資金と収益という金銭面に話が及んだ。

確かにそこを突かれると、未だ漠としたものがある。



いつの世も、愚者は言う。

「お金はどうするんのよ!」


凡人は言う。

「何とかなるだろ」


賢者はいう。

「お金は天から降ってくる」

自信と信念をもってすれば、資金面は解決できると確信している。




だから、あらゆる可能性を網羅した知識の集結が必要なのだ。

安易な錬金術など誰しも落ち合わせてはいない。


だからビジネスは面白いのだ。




突拍子もない誇大妄想を広げても誰も最初はバカにするものだ。

そんなことできっこないと、多くの人が思うのは当然だ。


そう思われればしめたものだ。


今までになかったものを作り上げようとしているのだから。

ほとんどの人は、

今まであるもののかなでしか想像を巡らせない。


だから、いつまでたっても既成概念、固定観念から抜け出せないでいる。


今ある土俵の上で勝負することしか頭に浮かばない。

新しい土俵と創ることには抵抗を示す。


至極当然のことだ。


アントレプレナーは、そこを打破して初めてアントレプレナーになれる。

無から有を創る。

アドベンチャー・ビジネスを起こすのだから。




ただ、これだけは言える。

幕は切って落とされた。


泣き言は言ってられない。

観客は固唾(かたず)を飲んで観ている。

高い入場料を払って観に来ている。

それ以上のものを期待して。


だから、演じなければならないのだ。

踊り続けなければならないのだ。


もう後戻りは出来ない。



【追記】


次回の会合は、13日(水曜日)に行います。


設立準備委員会及び、具体的な事業説明会です。

場所は、フリートークです。


昨日出席できなかった方も、どなたも遠慮なくお集まりください。

グローバル人間の作法

2013年02月23日 | 国際
今まで以上に、グローバル人間が必要とされている。


グローバル人間とは、いったいどういう資質を備えた人を指すのか。



まず浮かぶのは、語学に堪能であることだろう。

英語は出来て(しゃべれて)当たり前。

加えて、第二外国語、第三外国語を操られることが必要とされる時代。


ただ、語学はあくまでも、手段にすぎない。

悲しいかな、本末転倒している人があまりに多すぎる。




次にあげられることは、

智識と品性だろう。


話題性に富み、マナーを兼ね備えている人。

英語が流暢に喋れる人でも、これに欠けている人のなんと多いことか。


語学堪能な上に、卓越した人間性が求められる。

いわゆる品格だ。


口は達者でも、品性に欠く人は滑稽だ。




人を差別しない心の持ち主もグローバル人間には必須である。

Diversity(多様性) & Inclusion(包括性)が叫ばれる所以だ。


日本人はどうしても同質性を求める民族であるが、

異質を受け入れる能力をもっと磨かなければならない。


つまり、exclusive(排他的)であってはならない。


そのためには、清濁併せ飲む許容心を育てなければならない。

偏見を持たず、思い込み、決めつけをせず、柔軟な考え方を身に着けることが求められる。


flexible ではあるが naive であってはいけない。



もう一つ大事なことは、

他者を尊重する心を持つことだ。

相手の考えを否定せず、尊重して耳を傾ける姿勢を崩してはいけない。


これは上記の包容性(tolerance)を意味するものである。




―――――――――――――――――――――――――――

以前記したNPO法人の設立企画においては


 「インターナショナル・スクール」 の設立も視野に入れている。

グローバル人間を育成するのは欠かせない素材だ。


まだまだ脳内構想の段階だが、

近々、場所の候補となる廃校を見に行く。


同行希望者はその旨ご連絡を。


もちろんその後は、海外にも建設することは言うまでもない。

今回設立予定のNPO法人の活動の範囲、可能性は無限にあるといってよい。




当然難問・課題は山積みだが、それだけに遣り甲斐があり、面白味も湧く。

山は高ければ高いほど、険しければ険しいほど登り甲斐があるというものだ。


人生の最終章に立ちはだかる壁に向かって突撃ラッパが体内で響き渡る。

当たって砕く(砕ける、ではない)。


我が人生に不可能の文字はない。

生きている限り、チャレンジあるのみ。



【追記】


約一年ぶりに歯医者に行った。


虫歯はない。

点検とクリーニングだ。


奥歯の上が一部擦り減っていた。

異常に歯圧が高いらしい。


いわゆる、歯を食いしばることが多いらしいのだ。

それによく噛んで食べることも一因かもしれない。


確かに、思い当たる節はある。

ガンバルときは、誰しも歯を食いしばるものだ。


ホームン王の王さんの歯はボロボロだったと聞く。

バットにボールがヒットするときの歯の食いしばりは尋常ではなかったそうだ。


多くの事を成す時、頑張りすぎて無意識に歯を食いしばっているかもしれない。

まさに、切歯扼腕(?)。

clench one's fists and grind one's teeth

feel [be] deeply chagrined




余談だが、最近電気(電子)歯ブラシに凝っている。

ついつい10~20分、口の中に入れっぱなしにすることも。


歯はその人の人格をも物語る。

歯の綺麗な人は、好きだ。

誇りあるニッポン人

2013年02月11日 | 国際
今日は建国記念日。


祝日は、不謹慎だがただの休みという感覚しかない。

何の日かさえも意識しない。


この月、巷では気持ちはむしろバレンタインデイにある。



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そもそも、日本祝日は何日あるのか。

この際英語名も併記してお勉強してみよう。




まずは

① 元日。1月1日 (New Year's Day)

宮中行事「元日節会」に由来していいる。


続いて

② 成人の日。1月第2月曜日 (Coming of Age Day) 1948 1999年までは、1月15日だった。

「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」となっている。


もっとも、だれもそう思っていないことは、「成人式」の有様をみれば明らか。


そして今日の

③ 建国記念の日。 2月11日 (NationalFoundation Day)

「建国をしのび、国を愛する心を養う」とある。


特に行事もなく、誰が建国をしのぶのか。

そもそもいつ建国したのか、さえ知らない。


戦前は「紀元節」といった。


中華系の国地方では「春節」といって「旧正月」の時期と重なる。

日本もこの制度を受け入れ、1週間の長期休暇にすればいいのに、と思う。



④ 春分の日。3月21日 (VernalEquinox Day)

「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日とある。

??????????。

春の彼岸の中日にあたる。

戦前は「春季皇霊祭」と言ったそうだ。


太陽が春分点を通過する日(春分日という)と、一応天文学と関係する祝日なので年によってたまに変化する。




⑤ 昭和の日。4月29日 (Showa Day)

「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」 日だって。

知らなかった。


むしろ国の将来に思いを致すと絶望的になるからやめた方がイイかも。



この日は1948年以来ずっと祝日であったか、

その間に「天皇誕生日(1948-1988)」→「みどりの日(1989-2006)」と名前が変わり、

今度で三つ目の名前である。


これも知らなかった。




⑥ 憲法記念日。5月3日 (Constitution Memorial Day)

「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」日。

やっと、はっきりした理由のわかる祝日だ。


そのうち(安倍政権中に)「憲法改正記念日」なんてできるかな?



⑦ みどりの日。 5月4日 (Greenery Day)

「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し豊かな心をはぐくむ」日。

ご存じのように3連休にするために取って付けた日。




⑧ こどもの日。 5月5日 (Children's Day)

「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」日。


端午の節句に当たる。

3月3日も祝日にすればいいのに。


最後の「母に感謝する」の文言は忘れられて久しい。

「父」にいたっては、はじめから忘れられている・・・。


母の日や父の日は別にあるのにな、祝日ではないけれど日曜日に。



⑨ 海の日。 7月第3月曜日 (Marine Day)

「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」日。


もとは「海の記念日」と言っていたものが国民の祝日になった。

海の記念日は

「明治9年に明治天皇が東北地方巡幸の帰途、灯台視察船「明治丸」に乗って横浜港に帰還した日、だそうだ。


こどもたちは、夏休み期間中だからこの祝日に気づかないかも。




⑩ 敬老の日。 9月の第3月曜日 (Respect for the Aged Day)

1966 2002年までは、9月15日。

「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」日というが

何かと物議を醸す日。


以前からあった敬老の日が祝日になったもの。

「多年にわたり社会につくしてきた老人」に限り祝ってもらえるので、

対辺のお年寄りは絶望的となり自殺者が増える。


「自殺防止の日」 と改名した方がイイかも。


なお、敬老の日は「としよりの日」->「老人の日」->「敬老の日」と呼び名が変わっていった。

としより・老人は、嫌われるらしい。

シルバーデイとすれば?



⑪ 国民の休日 9月22日 (national holiday)


2003年から敬老の日が「9月第3月曜日」に変更になったため、

たまに現れることになる、不思議な祝日(?休日)。


日付も変動する可能性あり(秋分の日が変わると)。

なんかよくわからない日。




⑫ 秋分の日。 9月23日 (Autumnal Equinox Day)

「先祖をうやまい、なくなった人をしのぶ」日

お墓参りの日。


戦前は「秋季皇霊祭」と言ったそうだ。

春分の日とペア。

太陽が秋分日を通過する日なのでたまに日付が変わる。




⑬ 体育の日 10月第2月曜日 (Health and Sports Day)

1966から1999年までは、10月10日だった。

「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう」日。


東京オリンピックの開会式がS39.10.10であったのでこれを記念したことはあまりにも有名(?)。

運動会日。




⑭ 文化の日。 11月3日 (National Culture Day)

「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日。


日本国憲法の公布を記念した日。

だから憲法記念日と半年離れている。


この日、実は明治天皇の誕生日、明治時代の「天長節」にあたっている。

学校の文化祭が行われる。




⑮ 勤労感謝の日。 11月23日 (Labor Thanksgiving Day)

「勤労をたっとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」日。


戦前はその年の収穫を祝う「新嘗祭」という皇室行事。

アメリカでは七面鳥ご難の日。




そして〆は、

⑯ 天皇誕生日。 12月23日 (The Emperor's Birthday)

文字通り「天皇の誕生日を祝う」日。


現皇太子(徳仁親王)の誕生日は2月23日だから、将来はこの日が天皇誕生日になる。


では、12月23日は将来どうなるのだろうか。

この2日後に世界的に有名な某氏(キリスト)の誕生日があるため「イブイブ」などとも言われていることから

「イブイブ日」となり、24(イブ)、25と3連休になればいいのに。


若者は今以上にかなりハッスルしそうだ。

「少子化対策の日(歯止めの日)」としてもよさそうだ。




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さてさてこうして見ていくと実に興味深い。

勉強になった。



そもそも建国記念日とは何か?


皇紀元年(紀元前660年)、初代天皇である神武天皇が大和の国を興した日とされる。

そんでもって特別な行事は特にない。

なんでだろ?




日本書記では、

日本国を統一したカムヤマトイワレビコノミコトとは、初代天皇になった神武天皇であると書かれている。


イワレビノミコト(神武天皇?)は、

現在の建国記念の日にあたる、辛酉元旦(現在の暦に直すと紀元前660年2月11日)に、

大和の橿原〔かしはら〕の宮で即位したとされ、

そこから2月11日を「建国記念の日」に定めたという説もある。


もともと神話らしい。



だから今日は、日本ができて2,673年になるということだ。


アメリカなんて、1776年、国ができて(独立して)237年しかたっていない。


5,000年の歴史なんて言われる中国だって

中華人民共和国という国としては、

1949年にできてからまだ64年しかたっていない。



国としては、日本は世界最古の国であるといってもいいのだ。


日本って、結構すごいじゃん!


デモなんでこんなに落ちぶれちゃったの?

てか、縮こまっちゃってる感じがする。


遠慮しなくてもっと国威掲揚してもいいんじゃないかなー。


モット誇れ、怒れ、立ち上がれ!ニッポン人。


ガンバレ!ニッポン国!

海外で暮らすということ

2013年02月10日 | 国際
何処で生まれたかと同じくらい

何処で暮らすか、ということは人生を決める大きな要素である。


今、ひそかに民族大移動が起きている。


国内でも、東から西へ。

田舎から街へ。


国内から海外へ。


特に新興国で暮らす人が増えている。。


勢い国際結婚が増えることになる。


あるいは、日本人と結婚し、日本に暮らす外国人。

外国人と結婚し、外国に住む日本人。




住めば都というが、そうは言い難い状況になっている。


言葉の問題と仕事の問題は微妙に絡み合う。


住む場所で仕事が得られるか。


基本、仕事をし収入を得なければ生き辛い。

一部、不労所得で裕福に暮らす人もいるが。



何処へ行っても2つのdisが人生を苦しめる。


disaster(災難) と disease(病) だ。


disasterは天災や事故だけでなく、人間関係や仕事上のトラブルなどすべての災いを指す。

人は常に、何処に居てもこの二つのdisの危険性に晒されている。



汚染難民が増加している。

放射能汚染、大気汚染などなど環境汚染だ。


人災だけでなく、異常気象における天災も増えている。


雪に襲われる大都会。

暴風雨が吹き荒ぶ。

大地震に見舞われる。

火山が噴火する。

ジワリと海面が上昇し大地が侵食される。



さて我々はどこに住もうか。

後戻りするニッポン

2013年01月23日 | 国際
自民党の経済政策といい、

教育といい、どうしてこうも過去を追い求めるのだろうか。

学校が土曜日に授業をするよう検討されている。


ここで俗にアベノミクスと言われるものをおさらいしておこう。

アベノミクスとは

①大胆な金融政策、②機動的な財政政策、③民間投資を喚起する成長戦略

を基本方針としており、「3本の矢」と表現している。

何となくかっこいい響き。


平たく言えば、

日銀がお金を大量に刷ること(Print lots of money)で民間需要の増加を計ることだ。


日本が10年以上も機能不全に陥っているのは

デフレと円高だと実しやかに言われて久しい。


結果、株価は上昇し、1ドルが90円と、10円以上も円が安くなった。

輸出立国ニッポンとしては好ましいことだ。


半面、貿易赤字が示すように輸入品が増えた現状、

ガソリンを始め値上がりが各所で見られ始めた。


これも、2%以上のインフレ設定をしていることからすれば順調な軌道をたどっているかのように見える。



さて、財政ばらまきで企業の設備投資意欲は高まるのか。

土木、建設、車、住宅、家電、PC,タブレット、スマートフォン市場は伸びるのか。


今更物を作って消費意欲が高まるのだろうか。


人口が減り、高齢化は一層進む。


海外でも競争力を失ったジャパンブランドの復興はあるのか。



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昭和を古き良き時代と捉える回顧主義、

あの頃は良かった。


誰しも過去を美化したがる。

若き自分の勇ましかったころ、かっこよかったころ。

夢多き頃。


何も怖くなかったころ。




今や老いも若きも活力を失いつつある。

夢の持てない国へと変貌を遂げた。


アメリカンドリームも過去のものとなりつつある昨今、

果たしてジャパンドリームはあったのかなかったのか。


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賢い日本国民は

アベ・アソウというお坊ちゃまコンビに日本の将来を託した。

一見、彼らの目論見通りに動き出したかに見える。



ミクロ的には活気を呈している国内市場もある。

ザックリ言えば、シニアビジネスの一部かな。


ネットビジネスもやり方次第では儲かっている。

それから、カウンセリング関係。

心を病む人が多いし。

ペット関連。

共稼ぎ家庭へのアウトソーシングビジネスなどなど。



ただ、儲かるところは当然のことながら競争が激しく

資本力や機動力がものを言いそう。


だから、買収、合併でマス化が進む。


しかし、どれも寿命が短く淘汰が激しいことは覚悟しなければならない。

今順調だからとボケーッとしてたら、すぐにニッチモサッチモいかなくなる。


今や世界のアップルだって頭打ちなんだ。

イノベーションか欠かせないことが分かっていても。



ヤッパ、海外かな、って頭も浮かぶが、

具体的に何やる?



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じゃあ、どうすりゃいいんだ、ってことになる。


自己防衛ですな。

自己管理というか。


切磋琢磨して、どう転んでもなんとかやっていけるよう

日ごろから勉学にいそしむこととしか言いようがない。


だからといってセミナー漬けやスポーツジム通いに勤しむのも

消費活動には貢献していても、イマイチ首をかしげるけど。



もっと広い視野が必要なんだ。

目先だけのことにとらわれず、

10年先20年先を自分なりに見据えた対策を考えてとっていく必要がある。



昔からそうだっただろうけど、

生きるってことは並大抵じゃない。


ノホホン族にはそれなりの付けが回ってくることは確実だよ。


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話は戻るけど

アベノミクスには世界的経済学者の意見も賛否両論。


やってみなきゃわかんないといった

われわれ国民生活を、経済学説の実験台にしていることは否めないだろう。


世界が注目するモルモットだね、今の日本人は。




ただこれだけは言える。

健康を損ねちゃお仕舞だよ、って。

心も体もね。


風邪、早く治そ。

軟禁されている

2013年01月22日 | 国際
「軟禁されている、助けて」

悲痛な泣き声が電話から漏れてくる。



そこは、福岡県のとある小さな町だった。

彼女は外国からショービジネスの世界へ飛び込んだ。

だが夢見ていた世界とはあまりにかけ離れていた。



彼女との面識は一切ない。


ただ彼女の要請に応じてボクは車で土砂降りの雨の中2時間の道のりを走った。

なぜかじっとしていられなかったのだ。


やっと着いたが、門前払いを食らった。

そこの経営者にも直接掛け合ったがまったく無駄だった。







そこには20人ほどの外国人タレントが軟禁されていた。

小さな部屋にすし詰めの生活を余儀なくされ、

ほとんど外に出ることさえできない。


買い物に行く時は監視がつく。

逃げ出さないようにだ。

外部の人間との接触は必要最小限に抑えられる。


かろうじて携帯電話は高いお金を払って手にすることができた。

借金まみれだという。


こうして半年間休みなく、

ショータイムの時間だけお客の前に出て披露する。










そうして得たわずかな給料を母国に暮らす子供や親への仕送りに当てる。


仕方ないという。


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ボクは警察に連絡した。

やがて、最寄りの派出所から中年の警官が軽自動車のパトカーでやってきた。


その狭いパトカーの中で状況を説明した。

その警官は困り果てた様子で本部に電話を何度も入れた。


本部からの指示で、軟禁されている本人と電話で話したいという。

ボクは、彼女の携帯に電話して事情を話した。

だが警官は英語ができないからと直接対話を断った。

完全に逃げ腰が見て取れた。



そしてそれは、次にかかってきた県警本部からの電話で明らかになった。


その道に詳しい上司が電話口に出た。



こういう外国人は、

お金を稼ぐために来ているのでみんなタコ部屋で生活している。

外出させないのは、迷子になる可能性があるからだ。

買い物に同伴するのも同じ理由。

監視ではない。

携帯電話を持たせていることで、軟禁とはいえない。



ナルホド、物は取りようだ。


そして、暴行や売春行為があれば別だが、とその警官は付け加えた。



本人が惨状を訴えても認められないという。


つまりそれが外国人を受け入れる日本の実態なのだ。


ボクは彼女に助けてやれないことを謝った。

そして、もし暴行や性行為を強要されたらすぐに連絡するように言った。


彼女は力なく電話の向こうで頷いた。


こうしてボクの行為は無駄足に終わった。


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以前紹介したベトナム人の研修生もアパートのタコ部屋で生活していた。

彼女らにはまだ自由があった。


ただ、月4~5万円という安月給は同じだ。

これは最低賃金にも満たないが、

なんだかんだと理由をつけて差し引くのだろう。



日本の使う側からすれば、安い賃金で労働力を確保でき、

平均給料が月1万円前後の国からすれば

4~5万の手当てでも大いに魅力的なのだろう。


そして、お互いが持ちつ持たれつの実態を

政府も公安も黙認している、というのが現実なのだ。



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アルジェリアの事件は言うに及ばず、


中国では、

日本人経営者に対する軟禁事件が起きている。

多数に無勢だからだ。


労働組合が認められていない中国では

こうするしか労使間交渉の手立てがないからだろう。


日本に来ている外国人出稼ぎ者たちにとっていまだ労使交渉は存在しない。

反乱を起こせば、強制送還が待っている。


これも国際格差の証左なのだ。



日本人もいずれ世界で同じ立場に置かされる日が来るかもしれない。

それを覚悟して、国際情勢に精通しておく必要がある。


ボク自身ヤバイ橋を渡りつつ、また一つ勉強になった。

日本人からアジア人へ

2013年01月16日 | 国際
あなたは何人(なにじん)ですか?

と聞かれたら何と答えますか?


日本人だったら、日本人と答えるでしょう。

国単位で答えるとそうなる。

だが、世界を地域に分けた時、どうなるか。


アメリカ人といえばアメリカ合衆国をさすが

広範囲には北米、中米、ァリブ諸国、南米を含めて彼らはすべてアメリカ人といえるかもしれない。

中米以南は正確にはラテンアメリカ人だが。


もう少しわかりやすいのは、

ヨーロッパ人という場合だろう。

大体40か国ほどある。


あるいは、アフリカ人という場合もそうだ。

アフリカには50か国以上がある。


アジアはどうだろう、40か国ある。

東アジア、東南アジア、南アジア、中央アジアを全部含める。


サッカーのワールドカップのアジア予選(43か国)を考えるとうなずけるだろう。

これには旧ソ連も入っている。


ちなみにFIFA(国際サッカー連盟)に加入している国・地域数は208だ。




日本人がヨーロッパ人とかアフリカ人とか十把一絡げに言うように、

アメリカ人やヨーロッパ人から見ると日本人はアジア人の範疇に入る。


肌の色からも、白人、黒人、黄色人種と分ける。



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これからなるべく日本人は、アジア人という意識を持って考えるべきだ。


日本という小さな殻から抜け出して、

もっと広範囲に視野を広げて物事を解釈すべき時代に入っている。


つまり、アジアの一員として物事を見れば

違ったか角度からいろんな可能性が見えてくるはずだ。





             アジア地図


フィリピンで手に入れたアジアマップを見ていると

アジアって横にだだっ広いナーって思えてくる。

そして、日本はいつだって東の端。


マレーシアの元首相マハティールは、

”Look East” と言って日本を見習ってきた。

残念だが、今の日本にその面影はない、という。


今、日本は "Look West" といってもかつての欧米のことではなく、

韓国をはじめとする急成長を遂げるアジア諸国に謙虚に学ばなければならない。


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日本人という代わりに

九州人とか熊本人という場合もある。

ローカル色を強く打ち出す時だ。


熊本人を日本人、

九州人を東アジア人、

日本人をアジア人と考えたらどうか。



それだけでも意識が変わり、視野が広がる。


そして、近い将来、我々はすべて「地球人」と名乗るのが当たり前になるだろう。



【補足】

今日からの安倍首相はベトナム・タイ・インドネシア3カ国を歴訪する。


これは、安倍政権の東南アジア重視の姿勢の表れである。

当然、米国のアジア太平洋重視戦略を補完し、

中国に対するバランサー的役割を担う意味を持つ。


それ以前に、麻生太郎副総理のミャンマー訪問、

岸田文雄外相のフィリピンなど4カ国歴訪は済まされている。


訪米日程の遅れという事情があったにせよ、

アジアの雄(?)である日本の首相が

最初の外遊先に東南アジアを選んだのは賢明な選択といえる。


同時に

安倍政権の波状的な東南アジア外交は、オバマ米政権のそれをほうふつさせ、

米国と足並みをそろえ中国に対処する意思の表れに他ならない。





【参考資料】


世界の国の地域別国数



the countries of the world(196)

  1 2 3 4 5 6 7
地域 アジア 大洋州 アフリカ 欧州 旧ソ連 北中米 南米 Total  


40 14 54 41 12 23 12 196



《白人:35%》
65億人×35%=約22億7500万人

《黄色人種:25%》
65億人×25%=約16億2500万人

《黒人25%》
同上なので、約16.25億人

《ヒスパニック・ネイティブアメリカン(インディアン等)》15%
65億人×15%=約9億7500万人