世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

マカオへ

2017年01月17日 | 熊本地震
マカオに来た。



深夜12時。


イミグレを抜け、タクシーでホテルへ。


         深夜でもごったがえ


         タクシーも長蛇の列


あれ!?中国?



再度イミグレ。

またタクシー。




やっとホテルに着いたが、

ここでいきなりトラブル。


通貨が3種類。

香港ドル、

マカオドル、

中国人民元。


どれで払うか。

タクシーの運転手とあわや殴り合いの口論。


ホテルのフロントで両替してやっと解決。




チェックインできたのは午前2時(日本時間午前3時)

さすが中国。


シャワーを浴び、部屋のデスクで深夜の執筆中。



もちろんfacebookは使えない。


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復興イベント

2016年10月18日 | 熊本地震
震災からの復興イベントがあちらこちらで花盛りだ。


家屋や道路などのインフラから、

補助金や助成金などの経済復興、

はたまた元気づけるためのコンサートなどの様々なイベントが

各地で盛んにおこなわれている。


形はどうであれ、

みんな必死にもがいていることには変わりはない。


形があって目に見えるものは分かりやすいが、

目に見えない心の復興はどうだろう。


物理的打撃は直せばいいが、

精神的打撃は一朝一夕には治らない。


こうした取り組みも、県内のみならず、

県外、国内各地、あるいは世界各地で行われていることに感銘を受ける。


チャリティ募金で集まった支援金を

寄付や物資に換えるることも素晴らしいが、

自ら行動を起こして現地に乗り込む活動は一層有難く感じる。


食べるものがない人に魚を与えることはできても、

与え続けることはほとんど不可能だ。

一過性と自己満足になりがちだ。

だから、魚の釣り方を教えれば持続可能な救済になる。


それと同じように、

心のケアをするためにカウンセリングやヒーリングを行うと同時に、

一人でも多くの人にそのやり方を教え、

波及せていくことがもっと有効な手段となりうる。


そうしたトレーナー、ファシリエイターといった人々を育てる

養成講座が増えてきているように見受けられることは

非常に喜ばしいことである。

しかも、無料の講座だ。


本来、資格を得るためには高額なお金がかかる場合が多い。

それを快く無料で教えてくださるのだからありがたいの一言に尽きる。

もちろん、その資金はチャリティや支援金、義援金の類であるかもしれない。

だから、その陰には多くの方々の支援の輪があるわけだ。


何かを始めるのに多大なお金と時間を使って資格を取る人がいる。

その余裕のない人でも、

情熱と学ぶ姿勢があれば可能なこともいっぱいある。


教員免許を持たなくても

教育現場で子供たちに教えることができる。


心理士の資格がなくても、

心の支えになることだってできる。

勉強して知識を付けたり、経験を積むといった

必要最小限の努力は必要だが。


要は、

役に立ちたい、喜んでもらいたいという

心を突き上げる情熱が大事なんだ。


情熱があれば何でもできる、何でも叶うわけではないが、

何かをするのに情熱がなければそれは画餅にすぎない。


被災者として、助けてもらうだけでなく

恩返しの意味も含めて

同じ境遇にある方々に、一人でもお役に立ちたいという

熱い心さえあればそれはどんな形でもあれできるのである。


まずは、

自分を信じること。

勇気を出して一歩踏み出す(行動に出る)こと。


大きなことでなくても、些細な声かけでもいい。

多くの人を助けなくても、

隣にいる一人の人を救うことはできる。

ましてや、愛する人ならなおさらだ。


そのためには、

自分が立ち上がらなければならない。


涙を拭いて、空を見上げよう。

しっかりと大地を踏みしめ、前に進もう。


       黄金に輝く森(『瞑想の森』より)

最初は一人でも、

きっと仲間ができるはずだ。


無理をせず、自分にできることを

まず一歩踏み出すことから始めよう。

どんなに遠い道のりも、まず一歩。


なんでもいい、

まずは挨拶、ありがとうと声をかける、

にっこり笑おう。

自分に向かってやってごらん。
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心の復興

2016年10月17日 | 熊本地震
熊本大地震から6か月が経った。

立ち直った人もそうでない人も心の傷は深い。

それでも生きている限り、

その困難を乗り越えて前に進まなければならい。


この2日間、レジリエンス(Resilience)というものについて学んだ。

レジリエンスとは、困難から立ち直る回復力のことだ。

the ability to become strong, happy, or successful again after a difficult situation or event → toughness

1はね返り,とび返り; 弾力,弾性.2(元気の)回復力

〔病気・不幸・困難などからの〕回復力、立ち直る力、復活力...

1 弾力,弾性,復元力(elasticity)economic [mental] resilience経済的な[知的な]弾力性

1はね[とび]返る; 弾力のある.2たちまち元気を回復する; 快活な,溌刺(はつらつ)とした.resiliently


今、まさに震災から立ち直らなければならない。

幸いボクは回復力、復元力を持っている。

だが、みんながみんなそういうタフな心を持った人ばかりではない。


鬱になったり、途方にくれたり、自暴自棄になる人もいるだろう。

世の中に、あるいは国に、あるいは生きていることさえも希望を持てず、

絶望のどん底にいる人もいるかもしれない。


そういう人たちの心の支えになりたい。

そのための方法を教えてくれたのが、

このレジリエンスプログラムだ。


      「ミルクシェーク呼吸法」の練習

これは 認知行動療法(Cognitive behavioral therapy:CBT)をベースに

瞑想の技法を取り入れ、あるがままの状態に集中するというマインドフルネスを通じて

健康的なライフスタイルを実現するための画期的プログラムである。



遠くオーストラリアの地から、

はるばる復興支援という名目で来てくださった。



しかも今回は、無料でそのプログラムを提供してくださった。

(本来6万円する講座なのだ)

テキストも無料で頂いた。(本来2500円する)

なんともありがたいことだ。感謝!


そして、

参加者(約20名)は今後半年間にわたって、

支援を受けながら勉強会を続けていくことになった。



素晴らしいチーム(仲間)ができた。

しかもグローバルである。


この2日間、みっちり学んだことで、

修了証をいただき、ファシリテーターとしての認定を得ることができた。


このプログラムの最終的目標は、

「健康なライフスタイル」の形成にある。


復興に向けて一層の自信と勇気が湧いてくる。

さあ!立ち上がろう!立ち直ろー!



【追記】


〝フレンズプログラム熊本”

というページとグループをfacebook上に作りました。

興味ある方、一緒に活動してくださる方は参加してね。




フレンズプログラムFRIENDS programとは、

http://friendsprograms.jp/

フレンズプログラムは鬱や不安症予防に効果的な、

認知行動療法をベースとしたプログラムです。

20年以上の研究をもとに作られ、

20か国以上の国でうつ病や不安症に悩む子供たちを救ってきました。
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一人ぼっちの復興活動

2016年09月27日 | 熊本地震
みーんないなくなってしまった。


家もなくし、仕事もなくし、収入も途絶え、

それでも生き続けなければならない。

生かされている限り、死ぬまでは。

いつ終わるとも知れない片付け。

それでも、少しはましになってきただろうか。


完璧でないにしても、

瞑想カフェとして、

ゲストハウスとして、

そして、多目的オープンスタジオとして

少しずつお客様にもご利用いただいている。

心から感謝いたします。


もちろん、ボランティアの方々を始め、

お手伝いや心の支えになってくださる方々のお陰だと感謝しています。

(ホントは一人じゃないんだよね)


ここはパワースポット。

自然の気(エネルギー)がそこら中に充満している。


ここを頻繁に訪れる人は、

確実に元気を取り戻していく。

それがその人の言動から見て取れるのが嬉しい。

何はさておき、ボク自身が元気をもらい、その恩恵に与っている。

少しでもそのお裾分けをしたい。


      南阿蘇へのう回路が進行中(うちまでここから右の道で800M)


ここ阿蘇西原村はまだまだ復興途上にあり、

ブルーシートの家や壊れた家が数多く残っていて痛々しい。


それでも、仮設住宅の充実や、


     仮設住宅

いろんな施設が復活してきているのは喜ばしい。


      萌えの里も仮設ながら賑わいを見せている
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秋満喫 @阿蘇西原村

2016年09月16日 | 熊本地震
ご近所さんを散策した。

歩いて15分圏内のところにある。


まずは栗拾い。


     こんなに取れたよ

今年の秋は、サツマイモに、ザクロに、クリにと秋の味覚に恵まれた。

これも自然の恩恵。

感謝です。

こうしてわれわれ人間も生かされているんだなー、と実感!


そして、お馬さんに会いに。


     のんびりと草を食む姿に癒される

そのあと焼き物屋さんで小皿とカップを購入。



まだまだ復興中。


     猫の小皿

地震で窯が壊れ、残ってるものを半額で売ってくれた。


     コーヒーカップ

地震から5か月、

みんな立ち上がろうと必死でもがいている。

でも、それぞれが生きてて、笑顔で元気だったことが何よりうれしい。
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カタストロフィ

2016年09月15日 | 熊本地震
毎年2回、庭に一輪だけ咲く彼岸花がある。

この秋も律義に咲いてくれた。


今日は中秋の名月。

お芋の収穫期に当たるので、芋名月ともいうそうな。



果たしてお月様は見えるのか。

お天気が気がかりだ。


今日のテーマ、

カタストロフィ 【catastrophe】

① 自然界および人間社会の大変動。変革。

② 劇や小説の悲劇的な結末。破局。


自分にとってのカタストロフィとは何か。

つまり、自分の人生を劇的に変える事件は何だったのか。


いわゆる人生の不連続線的出来事は何だったのか。


自分自身について、ここ10年で言えば、

2008年のリーマンショックがその一つだろう。


そして、今年4月に起きた熊本大地震。

これは生々しく今でも余震が続いていて、

未だその恐怖から抜け出せないでいる。


リーマンショックの影響も長く、

仕事の変化から、離婚への引き金にもなった。


ここで悟ったことは、

生き方そのもの、生き方の考え方を大幅に変えなければならないということだ。


多くの人が、昔の栄華よもう一度と夢見て、

変わろうとしない。

いや、変えようとしない。

いわゆるコンサーバティブ’(保守的)人間が多すぎる。


この震災さえ、復興を叫び、ガンバロー!と呼応する。

そうでない人間はまるで非国民のように思われる風潮がある。

これは異常としか言いようがない。


3766年に日本は滅びるというショッキングな記事が目に入った。

子供が一人になるからだという。

根拠は、「子ども人口時計」からきた統計上のものだ。


遠い未来のことのように思えるが、

これによると、30年後、

子供(0~14歳)は1000万人を切る。

変わって65歳以上の高齢者がなんと4割という世にも恐ろしい現実がぽっかりと口を開けて待っている。


30年後といえば、ボクはもうこの世にいないかもしれないが、

まだ、100歳にはなっていないので、生きている可能性もゼロではない。


それより、

今の50歳以下の日本人はほとんど生きてこの現実と向き合わなければならない宿命にある。

35歳以上の人が高齢者という当事者になるのだから。


日本の人口は一億人を切り、

子供はその一割に満たなくなる。

そして、高齢者が4割なので、

いわゆる労働人口は半分しかいないくなる。

何とも恐ろしい国になるわけだ。


30年後、国際情勢がどうなっているかさえわからない。

新たなるカタストロフィーが起きる可能性は十分にある。


それは、テロであったり、戦争であったり、

自然災害であったり、疫病であったりするだろう。

はたまた、宇宙人との係わりやAIと人間との絡みなのかもしれない。

まるで想像を絶する(未曽有のunprecedented)ことが起きるかもしれない。


いえることは、

あらゆる分野においてすでに復元力はなくなっている。

昔の栄光を追い求めて、変わろうとしない人間はより早く滅ぶであろう。


生き残るのは、

強いものでも賢いものでもない。

変化に対応できる適応力と順応力を持ったしぶとい人間である。



【蛇足】

「十五夜お月さん」という童謡がある。

作詞:野口雨情、作曲:本居長世

1 十五夜お月さん 御機嫌(ごきげん)さん
  婆(ばあ)やは お暇(いとま)とりました

2 十五夜お月さん 妹は
  田舎へ 貰(も)られてゆきました

3 十五夜お月さん 母(かか)さんに
  も一度 わたしは逢いたいな


この歌詞の背景には

父親は破産、母親は病死し、一家は離散といった状況があったらしい。

この歌が作られたころには、こうした旧家の没落が珍しくなかったのだろう。

この幼い姉妹の行く末を思うと、何度聞いても、切なさがこみ上げてくる。

そしてそれは、今の世の中にも通じるものがあるのかもしれない。
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様々な形 

2016年09月11日 | 熊本地震
Differences make people strong.
違いが人を強くする。

みんな違うから面白。

旅の形にも、

音楽の形にも、

そして、復興の形にも、

みんなそれぞれ違いがある。


どれが正しいとか、良いとか悪いとかないんだよね。

自分のスタイルってものを持っている。

真似したっていいけど、

みんなと同じばかりじゃつまらない。


日本人って、

なんか、みんなと同じじゃなきゃいけないみたいな教育を小さい時から受けてきた。

人と違うことを言ったりしたりすると、

見苦しいとかみっともないとか。


昨日はね、

シアトルにずっと住んでる日本人女性の方の話と、

放浪しながら音楽活動を通じていろんな施設を巡って活動してる

ミュージシャンの男性のライブに行ってきた。


     旅する音楽家 奥野勝利さんと


 演奏もいいけど、語りが素晴らしい

熊本を元気づけるために

こうしていろんな方が、いろんなところから

いろんな形で応援してくださってるのだなー、って

つくづく感じた。

ありがたい。

感謝。


ボクもね、

被害の最もひどかった地域の阿蘇・西原村に帰って

何ができるのかなー、って考えた時、

古民家と森を生かしてみんなが集える場所にしたいなー、って思った。


片付けだってまだままならないけど、

少しずつやってる。

手伝いに来てくれる友達もいるし、

ボランティアで遠くから来てくださってる人たちもいる。

いろんな人たちの助けを借りて、

ありがたいなー、ってつくづく感じてる。


そして、昨日は友人がギター弾きにやて来てくれた。



オープンスタジオをとして無料で解放してるから、

これからいろんな人が自由に使ってくれたらいいなー、って。


この前は、落語やってる知り合いもきたし、

今度演劇の練習に使ってくれる人もいる。


ここも、まだまだ復興道半ばだし、

ボクの心も復興途上にある。


ボクはボクののスタイルで、ボクのペースでやっていく。

みんなも、自分のやり方を信じて、

自分の生き方で生きていけばいいと思う。


たくさんやる必要はない。

何か一つでいいんだ。

自分にできることをすればいいんだ。
(人は必ず何か一つはgiftを授かっているんだから)


恥じることはおろか、恥ずかしがることなんかないんだよ。

日本人は、もっともっと自分を表現しなきゃ。

自分の意見をどんどん言わなきゃ。

だって、みんなと一緒じゃつまんないでしょ。


あのね、

二つのことさえ心がければいいと思う。

それはね、

心から楽しむこと、

そして、

心身ともに健康であること。

あとはなにやってもいい。

人や自分を殺すこと以外はね。
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新しい人生のスタート

2016年09月02日 | 熊本地震
新しい月、新しい人生(New stage)がスタートした。

同時に、震災はまだ継続中であらたな脅威(台風)が迫っている。

恐らくこの緊張感は終わることを知らずに死ぬまで続くだろう。


だが、段階を経て、徐々に生き方の姿が見えてきた。


       ヨガに励む筆者(瞑想道場にて)



一人暮らしとはいえ、

友人、知人に支えられ生かされている。

孤独であっても決して孤立ではない。


友人、知人たちも様々な環境の変化に晒されている。

そうした周囲の状況に合わせて、自分の生き方を臨機応変に変えていく。

柳の木のように流れに抵抗せず、かといって流されず

のらりくらりと我が道を生きる。


何も決めなくていい。

何も制限しなくていい。


何で、ベジタリアンになるの。

普通に野菜中心に食べればいいだけのことじゃない。

たまには肉だって食べたくなるでしょう。

その時は少しつまめばいいだけのこと。

ベジタリアンって宣言しちゃうから、肉が一切食べれなくなる。


禁煙しなくても、タバコを喫わなければいい。

喫いたい時は喫えばいいんじゃない。

ボクはそうしてる。(年に2~3回もらいタバコだけど)


きっと意志が弱いんだよね。

自分の余計なノルマをかけるからきつくなる、辛くなる。

少しはプレッシャー欠けないとモチベーションが上がらないなら、そうすればいい。

(ボクは意志が弱いから、わざと宣言して自分にプレッシャーかけるよ)


嫌ならやめればいい。

ゆるいプレッシャー程度がいいんじゃない。


ゆるーく考えれば。

いい加減、だらしないくらいがちょうどいい。


几帳面、完璧主義、潔癖主義はロクなことない。

自分を締め付けるだけでなく、

他人(周囲)にも迷惑をかけることになりかねない。

(ボクはいい加減すぎて、迷惑かけてるけど)


で、

貸してた人たちが退去したので

今月から、敷地内の3棟の建物が自由に使えるようになった。


それで、1000坪の敷地とすべての施設をフル活用して

これからいろんなプロジェクトを立ち上げていく。

ここを基地にして世界中に発信していく。


      ここはパワースポット(瞑想する筆者 @瞑想道場)

たとえば、学生パワー、外国人パワー、主婦パワー、シニアパワーなどなどを

発揮できるよう、この場所を広く開放した。


いま全国から学生さんを中心に災害ボランティアの方々が来てくださっている。

そうした人たちとの交流もできる。


ところで

明日、明後日(土、日)、母屋(オープンスタジオ)のセッティングをします。

お手伝いしてくださる方は来てくださいネ。

泊まれますので、遠方からでも大丈夫ですよ。

もちろん、無料です。

夜は、BBQでもしましょう。(実費負担で)


気概は、

「ここから新生日本の夜明けが始まる。

ここに集い、世界に発信しよう」です。


集え! 奇人、変人、外国人。

Comments (2)
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復興道半ば

2016年08月29日 | 熊本地震
あの忌まわしい地震から4か月半が経とうとしている。

熊本市内を中心に、表面的には大方平静を取り戻したかのように見える。

余震の数や規模も少なくなってはきている。


だが、ボクの今住む阿蘇・西原村はまだまだ爪痕が大きく残り、

復興の歩みも遅い。


ボランティアの人たちに片付けを手伝ってもらい、

不要物を廃棄場所へ運んだ。



そこは想像を絶するほどの住宅の残骸の山だった。






仮設住宅も少しは整ってはいるが、

震災前の日常を取り戻すには程遠い。


それでもみんな必死で生きている。

生きようともがいている。


全国から来てくださっているボランティアの方々にも頭が下がる。

有難い。

感謝。

ヤッパリ、日本っていいナ~。


まだまだ道のりは遠く険しいけれど、

焦らず一歩一歩前に進もう。

それに、これからお返しもしていかなければならない。

困った時はお互いさまの気持ちを忘れないように。
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オープンスタジオ開設へ向けて

2016年08月25日 | 熊本地震
阿蘇・西原村の古民家にオープンスタジオができる。



地震に堪え抜いた築120年の古民家だ。


一昨年前から人に貸していたが、

4月の地震で、今月いっぱいで引き払うことになった。

現在片付け中だ。




以前はここでホテルのレセプションを兼ねてカフェ&雑貨の店をやっていた。


同敷地内に今月オープンした「瞑想カフェ&ゲストハウス」に加え、

来月から、新たにオープンスタジオとしてマルチ利用しようと考えている。


ヨガスタジオやコンサートなどには最適だ。

もちろん、瞑想道場としても使う。


昔からある五右衛門風呂も健在だ。


     周りのタイルにヒビは入っているが

汗を流した後のシャワー室しても使える。


もちろん、キッチンもあるので、

料理教室、パーティなど各種イベントが楽しめる。

いろんな企画に対応できるので、どんどん利用していただきたいと思っている。


来月からは、いよいよ三役揃い踏みとなる。

瞑想カフェ & ゲストハウス & オープンスタジオ として。
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ボクは負けない I love ASO.

2016年08月18日 | 熊本地震
あの忌まわしい地震から4か月が過ぎた。

今尚1700人強の人が避難所で暮らしている。

9月半ば、あと一か月でその避難所のすべてが閉鎖されるという。

行き場を失った人はどうするのか。


未だブルーシートのかかる家は多い。

傾いたままの家、

台風が来たらどうなるのだろうか、不安は尽きない。


ボクが今いる阿蘇・西原村は4月16日の本震で震度7を記録し、

益城町と並ぶもっとも甚大な被害を蒙ったところだ。


そこで敢えて事業を再開することにした。

傷ついた心を癒す場所「阿蘇瞑想の森」として。


むしろ逃げ出す(転居する)人が多いこの地域だからこそ、

敢えて震源地であるここで踏ん張って残りの人生を賭けてみようと思った。


幸い、ボクの所有する建物は5棟(同敷地内)とも残った。

ここも梅雨が明けるまでは、土砂災害の危険性があるということで

雨の度に避難勧告や、指示が発令されていた。


だが、少なくともボクの住むこの敷地は大丈夫という根拠のない確信があった。

17年前にこの土地600坪と、築120年の古民家を手に入れる時、

周りの地形も自分なりに調べた。


ボク自身、過去、水害や台風の大きな被害を体験している。

当然、土砂崩れの危険性がないかも判断した上での購入であった。

巨木が10数本生えている森の中にあり、

竹林でもあり地盤がしっかりしているし、

今回の地震で亀裂のできた山裾からは30メートルほど離れている。

もちろん100%大丈夫とは言えないが、

仮に山崩れが起きてもここまで土砂は及ばないだろう。

(万が一のため、地下シェルターもある)


敷地の両脇には隣接して祠(ほこら)と鳥居が存在する。


     祠の向うに「瞑想カフェ」がある(左奥)のが見える

まるでこの家を守って下さっているかのようだ。

かってな解釈であるが、心強さを感じずにはいられない。

なにか神秘的な霊感さえ覚える。


     自然信仰の賜物

ここは守られし地なのだと。


    反対側(左端)には鳥居が(この土地の守り神)


そうした確証なき自信が湧いてくるのは、

ボクの感性と閃きがそう思わせているのかもしれない。


幸い、ここまで来る道路は地震直後こそ通行止めになったが、

すぐに復旧した。

そして現在、南阿蘇村に通じるう回路(大動脈)となっている。

潤す湧水も枯れることなく滾々とその流れを保って

美味しいコーヒーを提供してくれる。

何と幸せなことだろう。

ありがたい、感謝の気持ちでいっぱいだ。


ただ、震度7の震源地にほど近く、

西原村自体が壊滅的被害を蒙ったことから、

未だ敬遠する人が多いことも事実である。

そうした風評被害も伴って、訪れる人はまだまばらだ。


しかし、1年後、あるいは3年、5年後、

ここは救われた地として、多くの人々の癒しの地となり、

心の傷の湯治場的存在となり得ると確信している。

ボクの感性と閃きがそう言っている。


つまり、時代を先取りするとはそういうことなのである。

先駆者たるもの、3年の辛抱は当たり前のことなのだ。

(失敗する事業は、大概1年以内に辞めてる。

諦めが早すぎるのだ)


これまで手掛けてきた事業も、

すぐに花開くことはなかったが、

1年から3年後には決まってヒットを見せてきた。


しかもテーマは、

ペンション、観光牧場、ログハウス、古民家と時代と共に移り変わりを見せてきた。

そして今回は、「癒し」がテーマである。

その底流には「泊まる」「留まる」というキーワードが隠されている。


じっくり腰を落ち着け、会話や非日常の体験を通じて

自然と人が一体となったコミュニティが形成される。


そこには人が本当に心休まる空間が出現する。

ここはまさに心癒される恵まれし地なのである。

感謝。
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新しい動き

2016年07月31日 | 熊本地震
流れがまた一つ、思うような展開になってきた。

人生は思うようにはいかないが、

思ったように流れる。


昨日、貸していた店舗(築120年の古民家の母屋)が8月で閉めると言ってきた。

さもありなん。

思う壺、といったところだ。


     もともと喫茶と雑貨のお店だった
       
シェアハウスで貸していた宿泊棟もお盆で空く。


      築120年の納屋を改造したコンドミニアム

これで敷地内の3棟出揃って、

『ドゥリーミン カントリー・インAso』すべてが元の鞘に収まることになる。


これから自由に好きなように展開できる。

「阿蘇瞑想の森」として。

新生『ドゥリーミン カントリー・インAso』の誕生となる。

何とも嬉しいことだ。


とりあえあず、明日(8月1日)から「瞑想カフェ」としてオープンする。



営業時間は、午前11時から午後5時まで。

当分休日は不定休。

それにまだ片付けが途中なので、一応事前に連絡(来られる旨)を頂いたほうがいいかと思う。


8月13日は、BBQパーティを行う。

これからいろんなイベントを開催していく。


宿泊も正式には8月中旬以降になる。

それに合わせて、順次スタッフもびつようとなるだろう。


4月の熊本大地震によって、阿蘇・西原村は震度7を記録し、

村は壊滅的被害を受けた。

だが、幸い『ドゥリーミン カントリー・インAso』は生き残った。

ここはパワースポットとして守られし地なのだから。


こうして去る人もいるが、

ボクは逆に舞い戻ってきた。

さらにパワーアップするために。

スーパーサイヤ人のように。


夢がまた一つ広がった。

ますます面白くなってきた。



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復興の形

2016年07月22日 | 熊本地震
被災者の身の振り方は様々である。

どれが良い悪いという評価をするつもりはない。

だが、多くの人の人生が直接的にも間接的にも地震によって左右されたことは間違いない。


ボクもその一人だが、

正直に言えば、地震が起ころうが起こるまいが人生の変化は起きていたし、

地震後もその方向性は全く変わらなかった。


つまり、地震前から、あらゆる事業から撤退し、

阿蘇の西原を拠点に新たな生き方を模索しようとしていたのだ。


昨年12月、福岡のベトナムカフェが強制終了の憂き目にあい、、

自ずとベトナムとの柵(しがらみ)がなくなった。

これはボクの旅の形を大きく変え自由にしてくれた。


そして今年2月、フリートークの一階を弁当屋に明け渡すこととなった。

これも重荷に思っていただけに渡りに船だった。


さらに3月、名目上自宅だった熊本市内の持ち家を別かれた女房に無償で譲った。


そして、フリートークも地震をきっかけに営業不能となり撤退することに。

テナントだったので家賃を払わなくて済むようになった。


こうして次から次と身の回りの肩の荷が下りていった。


残されたのが現在の西原村の施設。

結局そこで何をするのか決めかねていたが、

震災における心のケアという課題が生まれたことで、

従来から関心のあった瞑想というミッションが浮上した。

そして、梅雨(大雨)を避け、瞑想修行のためネパールへと赴くことができた。


残る人、去る人、

従来通り頑張る人、新しい何かを模索する人、人間模様は様々だ。


だが、これだけは言える。

復興にかけるそれぞれの形を見て、その人となりが浮かび上がってきた。

それぞれの人たちの人間性が見えてきた。


     冷蔵庫の奥にあったサツマイモから芽が出てきた


震災から100日が過ぎた。

未だ復興過程にあるものの、

身の振り方一つで、

これから徐々にそれぞれの生き方が浮き彫りにされ、

それぞれの選択が良かったのか悪かったのかが明らかになる。


さて、吉と出るか、凶と出るか。

自分の身も併せてここ1~2年の動向が見ものである。
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夏本番

2016年07月19日 | 熊本地震
待ちに待った梅雨があけた。

これほど梅雨という重みを感じた年はなかった。

そして、梅雨明けをまだかまだかと待ち続けたことはなかった。

なぜなら、阿蘇・西原村は梅雨の大雨で土砂崩れや土石流が起きて住めないと言われていたからだ。


    ドローンで上空から見た「ドゥリーミン カントリー・インAso」の全景

梅雨まで持たないとまで言われたが、良く持ちこたえた。

無事に梅雨を乗り切ったという安堵感が身体中を駆け巡った。

100%とは言わないが、最大の危機を乗り切ったという気持ちだ。


で、計画通り『阿蘇瞑想の森「瞑想カフェ&ゲストハウス」』オープンに向け邁進する。

まずはキッチン回りから。



ホームバーカウンターもでき、まずはコーヒが出せる体制に。

三々五々訪れる人も増えてきた。

最初の予定より伸びたが、8月には正式オープンにこぎつけたい。
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心のケア

2016年07月18日 | 熊本地震
梅雨が明けたの?

「瞑想の森」の爽やかな晴天の朝。


熊本の大地震に限らず、

被災した人々の我慢強さと協調性が、往々にして日本人の美質として賞賛される。

その半面で生活の不自由からくるストレスが、

心身症状をもたらし、時には命に関わる事態となっている。


一見、街中の人込みの中にいると、

復興したのではないかとまで見間違うような活況を感じる。

表面上だけを見ると、震災前の日常が帰ってきたような錯覚にさえ陥る。


一方、ここ西原村、益城町、南阿蘇村のように瓦礫のまま取り残され

震災直後のままの姿を保っているところもまだまだ多い。


一時4000人ほどいたボランティアの数も、

今や1000人を切る。


こうしたところでも復興のギャップが起きている。

建設、建築業界を始め人手不足が続き、

一部復興景気に湧く。

いまだ避難所生活を余儀なくされている人がいることすら忘れ去らているようだ。


あの忌まわしい大地震から3か月が過ぎた。

たしかに、いつまでも嘆いていても仕方がない。

力を合わせてなんとか頑張ってる人も多い。

復興助成金を当てにするのもいいだろう。

とにかく、生き残った人は何としてでも生き続けなければならないのだから。


しかし、

どんなに頑張っている人も、多かれ少なかれ心の痛手は負っている。

強い人はその痛手を自分で解消できるだろう。

問題は、ウツやPTSDを患う人々だ。

夜眠れなかったり、突然不安に襲われる。

調子の良い時と、急激の落ち込んで寝込むことがある。


そうした人々の心のケアが注目され始めている。

そして、いくつかそうしたセミナーが開かれている。


ボクも微力ながらそうした方々の力になればと

ここ阿蘇・西原村で「瞑想カフェ&ゲストハウス」を開く準備をしている。


      瞑想の森

パワースポットである森の中で自然のエネルギーを感じ、

湧水で入れたコーヒーやお茶を飲みながら思いを洗いざらいぶちまけてほしい。


そうして心の澱(おり)を少しでも取り除くことができればと願っている。

宿泊や、長期滞在もできる。


ここは恵まれし地、守られし地。

そして誰でもが集える地である。
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