世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

夢実のプロセス

2012年04月04日 | 
このブログでは




ボクの夢を実現する


プロセスを


お見せしています。






この男

何を考え


何処へ向かおうとしているのか。



何をやろうとしているのか。


何がやりたいのか。







「人を幸せにすることで

自分の達成感を得られる」



ことを知った。




「知ってしまった」

という表現の方が


あってるだろう。





「人を幸せにするには


まず自分が幸せになることだ」、




と説く人がいる。





「自己犠牲の上に


幸せは訪れない」とも。




だが



これは

詭弁だ。






自分を犠牲にすることなく


相手を幸せにすることで




自分が幸せになることは




十分あり得る。






与えて


与えて



与えまくるのは




決して


犠牲感からではない。





それ自体が


喜びなのだ






尽くすことに喜びを感じるから



それだけで


幸せになれる。


(昔は

こういう女が多かったナー)





相手が喜ぶ顔こそ


自分の幸せの根幹
なのだ。







自己満足は


決して


成功ではない。





成功(やりたいことを成し遂げる)には




「幸せな成功」と


「不幸な成功」がある。





そして


圧倒的に



「不幸な成功」の方が多い。



それは


一時的な成功の美酒に酔いしれ




人としての道を踏み外すからだ。









自分が何かをする、


何かを成し遂げる、


形作る、



なんてもんじゃない。






幸せになることは


すべての人の

究極の目標だろう。






だが


何が幸せで


どうやってそうなるのか。







お金をたくさん稼いで貯めることか。


お金持ちになることが幸せなのか。





ある意味


永遠の課題だ。







お金で


車を買う、

家を建てる、


ショッピングして

ブランド物を身に着ける、



海外旅行に行く、


世界一周をする。









結婚して


子供を作り




孫に囲まれて暮らす。





昔からの


幸せの構図だ。







家庭円満


家庭団欒







いまや


家庭崩壊


の図が多い。








他に


何が必要なのか。







今は

貯金も

年収も


はるか平均以下。





あるのは



頑健な体と


この熱き心。




魂というか。





残された人生

何をするか。







ある結論に達した。



人様を幸せにする以外ない。



人様のために働くことしかない。





ある意味


罪滅ぼしである。








チョッと


書いているうちに

話の方向がずれてきた。





頭を整理して


また




後日。






【蛇足】


ボクの場合



みんなバラバラだけど、


家庭崩壊とは思っていない。






強いて言うなら


家庭独立。


家庭自立。





これ


究極の理想の姿だと思うけど。





もちろん


家庭団結のプロセスを経てのことだが。






不幸の姿は


ほぼ一律だが





家庭の姿や


幸せの形は



一つ一つ違う。






姿形はどうであれ



自分が幸せだと思えば



それでイイ
、のだ。


(文句あっか!?






あー、シアワセー!! 



それもこれも


みんなのお蔭、


ありがとう!! 










快晴の朝



心が高ぶり




あまりの幸せの想いを

ぶつけていたら




支離滅裂の文になってしまいました。

            チン謝。

夢は喋りまくれ

2012年04月03日 | 
夢はでっかく、


隠さず人に伝えよう。




そこから


突破口が見つかる。





言った責任が生じるからだ。






思いつきや


つい口からポロッと出た言葉でも




自分の気持ちが現れる。





人に言ったことで


自分がどこまで本気なのか



証明される。






バカにされて


すぐ諦めるのか。




ナニクソと思って


行動に出るのか。





まずそこが分かれ目だ。







「へー、どうやってやるの?」


「お金はあるの?」





「そんな才能あったっけ」



などなど


突っ込まれどころは満載だ。






本気ならば


その一つ一つに


答えを出していかなければならない。




それは


相手に対してというより





自分自身に対する答えだ。







紙に書いて説明したり、



具体的行動に移したりして





少しでも


本気さが相手に伝われば




バカにした面白半分の対応が


真顔になって真剣に答えてくれるようになる。








「へー、こいつ意外とマジなんだ」




そう相手が思った瞬間から



アドバイスや


応援に変わる。





「オレ、応援してっから」


「私にできることがあったら、言って」


「いい人紹介するよ」


「俺も仲間に入れてくれよ」




さらに


「出資してもいいよ」


となれば


占めたものである。






こんなこと言うと

恥ずかしいからと



試験勉強なら

一人黙々やるのもいいかもしれない。





だが


こと、事業となると




そうはいかない。





絶対


理解者や


協力者が必要となる。






賛同者や


支援者



出資者が欠かせないだろう。





そのためには


まず




「言ってみること」 だ。







「へー、言ってみるもんだな」



と後で分かるだずだ。





ただ


その都度



「感謝の心」

を忘れてはいけない。





成し遂げた後

自分一人でやったような錯覚に陥り



天狗になる人を良く見かける。





そうすると


途中で頓挫してしまう。





せっかくいいところまで行っていたのに


ということになる。









出来るようになったのには


多くの人の




「お蔭」が必ずあるはずだ。





多くの人に助けられ


応援してもらったからこそ




出来るようになったのだ。






そのことを

絶対に忘れてはならない。






「お陰様で


ありがとうございます」






常に

この言葉を



投げかけよう。





上辺だけの


美辞麗句ではなく




心を込めて。








【追記】



例えばこうです。


「世界平和がボクの夢なんだ」



『ハハハハハハ。世界平和だって、

冗談言うなよ。



そんなのありえねーし、


お前になにができるというんだ、


この大ぼら吹き!」



「おもしれー、


どうやって

やるつもりだ」



などと言われてしまうのが落ちでしょう。




だけど


真面目な顔でこう言います。




「みんなが幸せになるように願うのです。


そして


今目の前にいる人が


望むことをやってあげるのです。




ただし、

暴力的に傷つけることなしに、ネ」




そして


こう付け加えます。



「ね、

あなたにだってできるでしょ。



みんながそう思うようにれば


すぐに世界に平和が訪れますよ」

金なし、コネなし、知識なしでも夢を叶える方法

2012年04月02日 | 
彼女は




10歳の時から


起業することを


決めていた女性である。





バイタリティはもとより、


やけに明るい




自分で


「トイレの100ワット」


だと言うくらい。



無駄に明るい例えだ。








彼女は


「伝説のホテル」を建設すべく




日夜駆け回っている。



「ツルちゃん」の愛称で


多くの人に親しまれる。




ご存知の方も多かろう。






ホテルで働いた経験もないまま


ある日


「伝説のホテル」

を作ろうと思い立つ。




無謀な挑戦に見えた。



だが


着々と進行している。






『夢』とは


所詮


無謀なものだ。




いや


無謀でなければ




『夢』とは呼ばない。








叶う『夢』には


法則がある。






自分のための『夢』


なかなか叶わない。






人のため、


人を幸せにする『夢』




必ず叶う。







ただし


上っ面だけではダメ。



口先だけで


綺麗ごとを言っている人の


何と多いことか。






言行不一致の人は


すぐ見抜かれる。








本気で


心底、




命を懸けて




そう思っていなければならない。





また


本当にそう思えるか、





そして


実際に「行動」できるかが


カギとなる。












それからもう一人、


面白い人と知り合えた。




彼は


精力的に




海外にビジネス展開を仕掛けている。




現在は


カンボジアとミャンマーだ。




今度


ベトナムでの起業について




話すことにしている。



その場で

ベトナムで会おうということにした。




その前に


フリートークに来るという。




彼は


基本的に



東京と沖縄に

拠点を構えている。





そして


東南アジアを駆け回っている。






彼は


行動の人だ。





あながちウソではない、

と見た。









このところ

フィリピンにも


現地に知り合いができた。





行かなければ。







こうして


『夢』の種が


続々と芽生え始めている。





「夢実の予感」


ビンビンする。





流れに


レバレッジがかかるのだ。






何かが始まる時とは


こうしたものだ。





自分がやっているという実感よりも、




なにがしか

神(天使)の手




作用しているように感じる。











【補足】


ミャンマーで昨日、

国会の補欠選挙が投開票され、

アウンサンスーチー氏が当選した。



これは、

改革が進むミャンマーの歴史的な節目となる。





また一つ

目が離せない国が増えた。




てか


行かなきゃ、ネ。







「行動しない


夢想家は




単なる



妄想屋(ウソつき)に過ぎない」



    by Asay

未来を語る

2012年03月26日 | 
人間が生きていくうえで


必要なものは




空気と水、



そして


食料であることは言うまでもない。








だが


も一つ

忘れてはいけないものがある。





それは







『希望』だ。




どんなにいい食べ物があったとしても


「未来への希望」がなければ



廃人と化すだろう。





希望とは



未来へつながる


『夢』と置き換えてもいいかもしれない。








過去ばかりを振り返る人がいる。





過去の経験、


実績ばかりを語り





自慢話に花が咲く。







そういう人には


「それで


あなたはこれから何がしたいの?」



と聞くのがボクの口癖になっている。






出来ない理由を並べるのと同じくらい



過去のことばかりを話すのは




愚かなことだし、


時間の無駄としか言いようがない。







「過去を捨てろ」


とまでは言わない。





いつまでも過去の栄光のとらわれていてはだめだ。



懐かしむのはもう辞めよう、



と言いたい。






一方、



「過去を鑑みないものには未来はない」

(ヴァイツゼッカー)


という説もある。







つまり


「過去に目を閉ざす者は、


未来に対しても目を閉ざすことになる」

      


という訳だ。     



「過去は未来を支えている土台である」


とも。






確かに


歴史に学び



自分の過去の失敗に学ぶことは多い。






だが



「歴史は繰り返す」



ともいう。






案外


人とは愚かなもので





同じ失敗を繰り返すことが多いような気がする。






だからつい



「そんなものは捨ててしまえ」


と言いたくもなる。











「先の見えない時代」



「希望無き時代」





などと言われる。






そういうことをうそぶいて


傷口をなめ合ってばかりいる輩だ。



勝手に諦めてればいい。









だが


一方で




希望を失わず、


ひたすら夢を追いかける人々もいる。





絶望の淵にいる輩は


いつもその足を引っ張ろうとする。






だが



そんなのは構うことはない。



引きづってでも


前へ進もう。







「希望」「幸せ」


自分の外を探したり


誰からか与えられるものではない。





自分で創り



自ら感じるものである。








前を見て進め、


後ろは振り返るな。






今こそ


夢を語り、


未来こそ語るべきだ。

不思議な現象?

2012年03月10日 | 
最近


ボクの身に


不思議な出来事が立て続けに起きている。





ある意味


怪奇な現象ともいえる。





「あったらいいナー」、



と思うことが


ドンドン実現しているのだ。






「こんなものが欲しい」 


と思っていると、




目の前にそれが現れる。





「こんな人に会いたい」 と思うと



実際に会えたりする。





直接その人物人をイメージするのではなく



やりたいことに関連する人物が


ヒョイとあらわれる。







自分でも分からないところで



不思議なパワーが働いているような気がする。





良いこと尽くめだから



嬉しいのだが




なぜに

こうもイイことが起きるのか




怖くもなる。





極端に言えば、



死ぬ間際のような気もする。






桃源郷や


天国が




現世で垣間見ているような、



心地よくもあり、


怖くもあり。







縁を大事に、


出会った人、



起きた出来事を




素直に受け入れ


感謝することで




一気にこれらの現象が


訪れているのかもしれない。







ならば


みんなにこのことを伝えなければ。





すべての人が


そうなれば




きっと


妬みや、


恨み、



そして



苦しみからも解放されるのではないか。






まずは


自分に素直になることだ。

あれもこれもやりたい 神様からのギフト

2012年03月04日 | 
夢は多ければ多いほどいい。



夢がない人は


不幸だ。







やることが多すぎて


何も手につかない、


と嘆く人が多いらしい。





たしかに


分かる。





ボクも


その口だから。






焦る気持ちもある。




だが


そこは

ぐっと抑えなければならない。




焦ったところで


どうにかなるものでもなかろう。







何も手につかなければ


何もしなければいい。







今何をやるべきかは



自ずと分かってくる。






あれこれももやりたかったら


やればいい。



やりたいことは


やり尽くせばいい。







みんな中途半端で、


という気持ちもわかる。




それなら

中途半端でもいいではないか。




やらないよりは、イイ。





3日坊主を嘆くより




三日でもやった


自分を褒めてみよう。








一回きりの人生。



人から言われること、


人から期待されていることでなく






自分自身が


心からやりたいことを




今、やればいい。






案外



やりたいことや


やらなければいけないと思っていることの中にも




どうでもいいことが多く含まれているものだ。








逆に



無駄と思われることの中に


深い意味のあることも、ある。





面倒くさいなー、


やりたくないなー、




と思うことに中に


自分にとって



キーになることが


潜んでいることがある。







見極めが大切だ。




見極めを誤ると



重大なミスを犯す。






後で気が付いて



「あの時やっておけばよかった」


と思う。




むしろ


その方が多いのではなかろうか。






人には



当然ながらタイプがある。






集中型か


分散型か。






カメさん型か



ウサギさん型か。





アリさんか



キリギリスか。







職人肌か


商人肌か、



もしくは営業型か。





自分を知ることも



重要なことだ。




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やることが多すぎる時の解決策

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まず、

紙に書くこう。




羅列でいい。



書き殴りでいい。





とにかく


思いつくことを全部


紙の上に並べてみよう。






それから


優先順位を決めて




今日はこれ


明日はこれ


という風に、



その時その時に


集中すればいいだけの話。






悩んでいる暇があったら


何かをやればいい。




たとえ


中途半端になろうと、



三日坊主に終わろうと。








何を隠そう


ボクも



同時に

いろいろ手を出すタイプ。





いつも

同時進行で




複数の事案を抱えている。






ホテル


カフェ


と二足のわらじに加えて





いろんなことに手を出し、


首を突っ込む。




悪い癖であると同時に



いい傾向だと思っている。









カフェにおいても



ゲストはもちろん


いろんな売込みの営業マンは来るわ




人生相談にやってくる人はいるわ




そのすべてを厭(いと)わない。







常に


相手の幸せを願うから





身を粉にして対処する。






心配事、悩みを抱えてやって来られる方には



つい同化してしまって


もらい泣きしてしまう。





なけなしのお金を与えることだってある。



たとえ


騙されてると分かっていても。





一緒に寄り添ってあげたくなる。




だから


やるべきことが




雪だるま式に


ドンドン増えていく。





それでも


やれるだけ、やる。




断らない。



引き受ける。




それゆえ


時に逆恨みを受けることだってある。




非難や罵声を浴びることも。







それでも


めげない。






正しいと思って



自分にできる


精いっぱいのことをするだけだ。







体を酷使し


心を削り




粉骨砕身


その人のために尽くすだけだ。



「ボクは


あなたのために



何ができますか」





と常に問いかける。







こんな自分でよければ



少しでも何かのお役にたつのなら。





精いっぱい


出来ることをやるだけだ。





焦らず


コツコツと、





ただ


それだけ。









今日も


多くのやるべきことがある。




ボクを待っている人がいる。







それだけで



あまりに

幸せすぎる。





感謝あるのみ。









【補足】





出会った人には


すべて意味がある。





良いも悪いもない。




「この人にために何ができるだろうか?」




「この人にとって


自分の役割は何なのだろうか?」






出会った瞬時に



自問する。








出来事も同じ。


良いも悪いもひっくるめて




何らかの意味を持つ。







人も


出来事も





すべて


神様からのギフト(チャンス)  なのだ。







大切に扱おう。

アカデミー賞がボクの夢

2012年03月02日 | 
今年のアカデミー賞も


華やかだった。








あの


レッドカーペットの上を


歩く、







そして


オスカーを取ることが


ボクの夢だ。







またまた



冗談きついし



大ぼらを吹いて


と、読書の方は


大笑いされてることだろう。





ボクは


至って真剣だ。



マジだ。






ただ


俳優としてではなく



脚本家としてだ。



つまり


脚本賞。





題名は

『セドナ』



監督・主演は


ケビン・コスナー




決めている。



他の配役も


概ね決まっている。




オダギリジョーもその一人。








あの『タイタニック』を凌ぐ


作品にする。



史上空前の


興行収入を上げることは間違いない。






また


大笑い、でしょ。



とうとう気が振れたかと。


いや


もともと

頭がおかしいと思われているだろう。




自分でも


そう思う時があるから。







だけど


自信がある。



確信がある。



作品もある。


行動も起こしている。







実は


ケビン・コスナーにもメールしてるし

(返事来ないけどね)



ワーナーブラザースにもアプローチした。

(断られたけど)


確かに大笑い。




でも


ただ漠然と


いい加減に言っているわけじゃないことは


分かってもらえるでしょ。





ホントにマジなんだから。











あとは


出版、


ベストセラー、


映画化(ハリウッド)




という道をたどるだけだ。










ボクの頭の中には



アカデミー賞の舞台の上で


主演男優賞を取ったケビンと肩を組んで



オスカーを高々と掲げる


自分の姿が



クッキリ


ありありとと浮かんでいる。




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夢はこうして

実現される。





実現された自分の姿を

はっきりと浮かべ、


焼き付け




そこから

逆算して



今ここに自分がいる。





だから


これから歩む道筋が


はっきり見えているのだ。




あとはただ


その道をしっかりと歩み続けるだけ。




行動に移す、


実行する。





断られても、


断られても




諦めない。




改良に改良を重ねる。






諦めないけど



拘らない
精神を貫く。







あるのは





勇気と


自信と



情熱
だけ。






やる!

必ずやる!
 






オレには



できる!





【陰の声】


ここまで言い切る


自分が怖~い!





もう、言い切っちゃんたんだから


言葉通り




やるっきゃないでしょ!





どうしてもやらなきゃいけない状況に



自分で自分を追い込まなきゃ。





そこまでしなきゃ



ホントの夢ってのは


叶わないんだよ。



分かる?

夢実のステップ  熱く語れ

2012年02月29日 | 
何と多いことか。


「出来たらやりたいんですよね」


という人が。




これでは



出来ることもできない。








『夢実』 の世界では




たら・れば


は禁句である。






お金があったら



時間が取れたら




才能ががあれば




〇〇するのだけど・・・・・・。






そういっている人は



一生かかっても



出来ません!










何が何でもやりたいのであれば



お金も



時間も




能力も




後から


ついてくるもの。






ただ


まったくないのでは



確かに難しいだろう。





お金も、時間も、能力も


そこそこは必要だ。


(そこそこの限度はない)





だが


それらはすべて




夢に近づきながら


蓄えていくことができる代物である。








最初から



お金と、時間と、能力がある人が



何かをやって




成功した試は少ない。


(確認はしていないが


そんな気がする)






なぜなら


必死さが足りないからだ。







子供が


受精して数秒で


何の痛みもなく


スッポンと飛び出して来たら




こんなに


我が子を愛おしいと思うだろうか。





十月十日、

悪阻(つわり)の苦しみを覚え、



陣痛の痛みに耐えてこそ


ありがたみが分かるではないのだろうか。







子作りも夢の一つなら



何かを作り出すという




あらゆる



同じなのでは。






生みの苦しみ、



育てる苦しみがあってこそ




といえるのではないか。





簡単に生み出せるものは


とは言い難い。








最初は



お金も


才能も




ゼロだとしよう。


(限りなくゼロに近い)







その気になれば



時間は



何とか工面できるはずだ。








あるのはなにか。





やる気だけ。




どうしてもやりたいという



気持ちだけ。



つまり



 「情熱」 だけだったとする。






熱があれば



風が起きる。





風は


思わぬことを引き起こし

(良いも悪いも)



考えもしなかった


チャンスを引き連れてくる。






その風を読み、


捕まえ、



乗ることだ。






ひいては


それが




お金を生み、



才能を育てる。






そして


が実現する方向へと


向かうことになる。






これが


ほとんどの『夢実』


シナリオだ。







何がなくても



まず想うことから始めよう。



想像を働かせて、





の形を描こう。







それから



人に話すのだ。




人に自分のを語るのだ。





まず




必ずといっていいほど


バカにするやつが出てくる。



変人扱いにされるかもしれない。






それでも


「やってやろう」



という



意気込みが伝われば





「あいつ、本気(マジ)なんだ」



という



気概が分かれば、





必ず


賛同者が現れる。




協力者が出てくる。




耳を傾け


応援してくれる人が見つかる。






その中には


自分が持っていない才能のある人がいるだろう。




お金を出してくれる人もいるかもしれない。






さあ、



後は


計画通り




進めるだけだ。






そうして



お金がなくても


才能がなくても








実現の方向へと


自ずと進んでいく。



(ときに


歯止めが効かなくなることもある)








たぶん



を実現した人たちのほとんどが



このステップを踏んでいるのではないだろうか。








少なくとも


ボクは




そうして


多くのを実現させてきた。







とは



無(夢)から有(友)を作り出す
 ものなのだ。







【補足】



言葉は


その人を形作る。





吐いてはいけない


3つの「ひ」がある。




否定


非難(批判)



悲観




(多くの人が


この一つないし、全部を言葉にする)






夢を語るのだ。



肯定、


賛同(同調)、



楽観




こそ語るべき言葉だ。





言葉には


魂が宿っている。





言葉に


魂を込める。





それが


『言霊』


となって



相手に響く。






感動


共感を呼び、




賛同してくれる。






自分を信じ


可能性を疑わない
こと。







さあ、



夢に向かって進もう!



まっしぐらに。





涙はいらない。


怒りも必要ない。





あるのは


笑顔だけ。



夢思考

2012年02月12日 | 



Dream



何と響きのいい言葉だろう。




ボクは



この言葉を



胸に刻み、



咀嚼し、




紡ぎ、




追いかけながら



生きてきた。







だが



そのためには




常に



未来を見据える



眼力が



要求される。







過去を振り返る夢でさえ



それが



夢である限り




未来を視野に入れたものでなければ



ならない。









なぜなら




夢は




希望へと繋がっているからだ。






希望無き夢は



悪夢に過ぎない。






夢の形、内容も



様々だ。







結果が



希望どころか





絶望へと続く夢もある。





期待を裏切る夢もある。









ドリームジャンボや




アメリカンドリーム



チャイニーズ・ドリームといった



甘い期待を抱かせる





マヤカシも多い。



(全部とは言わないが)








往々にして



人は




甘い夢を観たがる。






だが



真の夢というものがあるとするなら





それは




厳しく




つらい道をたどる場合が多いような気がする。






そして



それを乗り越えた時に





夢を果たし、



夢を叶え、




夢を実現できるのではないだろうか。








胸に秘めた夢もあろう。





公言する夢もあろう。





いずれにせよ



夢は




形を伴って



現実となる。







そして



夢と共にあり、



見つめるのは





将来であり





未来なのだ。











夢を描くには



未来を描く






知恵と



感性
が求められる。












もう一つ



忘れてならないことがある。





夢は


役に立つものでなければならない。




何らかの



役割を果たすものでなければならない。






そうでなければ




希望への架け橋とはなり得ない。








一人よがりの




独善的な夢は





やはり



悪夢と言えるだろう。








夢を見るのは



勝手であり





だれにも止められない。







それだけに





夢にも



責任を持たせなければならない。







夢とは




それだけ




重いものなのだ。









夢を諦めることなかれ。




夢を捨てることなかれ。







夢を抱き



夢を語り、



夢と共に活きる。






夢とは



かくも




美しい言葉なのだ。

夢三様

2012年02月11日 | 
世の中には



夢に関していえば




大きく分けて



3種類の人間がいる。





① 夢があって、


  実現に向かって努力する人





② 夢があるけど、

  どうせできっこないと思って


  最初からあきらめている人




③ 夢のない人






感覚として



だいたい



1:5:4





1:6:3



って感じかな?





要するに



夢に向かって


具体的に挑戦している人は



ごく少数で、






過半数の人は



夢があっても





やりたいなー



とか




出来たらいいナー、



くらいしか思っていない。





そして



どうせ叶いっこない、



自分にはできないと





何もしないうちから



諦めている人の多いこと。







もう一つ


②のタイプで




特徴的なのは、





今の状況を変えたくないことがある。





つまり



変化することを恐れている。






今の状況より



悪くなることを



恐れている。








世の中には



また


2種類のものがあって




変わるものと



変わらないものだ。







だが



圧倒的に



変わるものの方が多い。





時間がかかろうが


かかるまいが。





万物は流転する



というし。






特に人の心は


移ろいやすい。



(※ 女心は


と言いたいが、


反発とひんしゅくを買うのが落ちだから


止めておこう)







自分が


どんなに変わりたくなくても




廻りは


否応なく



ドンドン変わっていく。





その変化についていけなければ



取り残されるだけだ。






現代社会は



その流れが



激しい、




激しすぎる。







夢もその一つかもしれない。



昨日描いた夢が




もう今日は


陳腐化してしまうことなんか



ザラである。








追うことに疲れ切った人も



あっちこっちにいる。


(ボクも

チョッと疲れ気味?)




夢を投げ捨ててしまった人も




どこそこにたむろっている。











新しいことに挑戦するときは



必ず


この恐怖が付きまとう。





つまり



失敗したらどうしよう



という恐怖だ。






起業する人には


必ずといっていいほど湧き上る恐怖心だ。







ハングリーだからこそ



人は何かを口にしようとする。






おなか一杯な時は




わざわざ食べもを探す気にはなれないものだ。








チャレンジする人は




常に



何かに飢えている。





飢餓状態にあるといってもいいだろう。






チャレンジ精神



ハングリー精神





車の両輪のようなものだろう。





この二つのスピリッツが揃って初めて



夢へ向かって走り出せる。











一方、




結構多くの人が




夢さえ持っていない




もしくは




何をしたらいいのか分からないでいる。








同じこの世に生を受け




どうして


こうも違ってくるのだろうか。







どうせ生きるのなら




③より②が



②より①の方が





生き甲斐があるように思うのだが…。





①の人って




③の人に



無理やり夢を持たせたがったり





②の人に




夢を実現するように働きかけたりするけど






大きなお世話なのかもしれない。





②の人も



③の人も





それなりに幸せだったりするし




①の人が



必ずしも


幸せになれるとは限らないわけだし。







人それぞれ、



夢が



あってもなくても





それぞれの生き方がるんだナー。



    <夢追い人のボヤキより>








【追記】




最近


多くの人のコラムに



オーストラリアのナースが聞いた



「死ぬ前に語られる後悔」トップ5



というものがある。




読まれた方も多いとは思うが



次の5つだ。



1. 「自分自身に忠実に生きれば良かった」 


「他人に望まれるように」ではなく、

自分らしく生きれば良かった」という後悔。


これがもっとも多いそうです。


人生の終わりに、

達成できなかった夢がたくさんあったことに気づくのだそう。


ああしておけばよかった、

という気持ちを抱えたまま世を去らなければならないことに、


人は強く無念を感じるようです。




2. 「あんなに一生懸命働かなくても良かった」 


男性の多くがこの後悔をするとのこと。

仕事に時間を費やしすぎず、


もっと家族と一緒に過ごせば良かった、

と感じるのだそうです。



.「もっと自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった」 



世間でうまくやっていくために感情を殺していた結果、


可もなく不可もない存在で終わってしまった、

という無念が最後に訪れるようです。




4. 「友人関係を続けていれば良かった」 


人生最後の数週間に、

人は友人の本当のありがたさに気がつくのだそうです。


そして、連絡が途絶えてしまったかつての友達に想いを馳せるのだとか。


もっと友達との関係を大切にしておくべきだった、

という後悔を覚えるようです。




5. 「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」 


「幸福は自分で選ぶもの」だと気づいていない人がとても多い、


旧習やパターンに絡めとられた人生を「快適」と思ってしまったこと。








ボクの場合




普段から



1 と 3 には



後悔しないよう


生きているつもりだ。







仕事や



幸せに関しては




取り方によると思う。







自分の心に忠実に



やりたいことをやっていれば






できるできないという


結果は別にして





2、4、5の後悔は




然程ないのではないだろうか。





世間の風当たりは


むちゃくちゃ強いけどね。







ということは





やっぱり



夢を持ち



夢を追いかけ





さらに



それを実現させることって





どんなに



難しく




稀有なことかが分かる。








それだけに


夢を持ち



夢を追いかける価値がある




のではないだろうか。








死ぬとき後悔しないよう





夢を持とう!



夢を追いかけよう!

夢実3原則

2011年12月24日 | 
ミッションステートメントに基づき



実際に夢を実現するためには


どうすればいいのか。





そこには



3つの大原則がある。






まず一つ目は


① 明確な目的を持つこと



ボクの出版に関して具体的に語ってみよう。



出版の目的は



前のブログで述べた。



※ 参照

http://blog.goo.ne.jp/dreamincountrye/aedat

「出版社を訪問して」








さて


その本のタイトルだが、




「これからの生き方」


「ノマドライフをするための7つの習慣」


「どうすれば世界一周ができるか」


「これからの人生を

面白おかしく楽しく送るための13の思考法」




などが現在の候補の一部だ。







目的は


具体的であればあるほど良い。





漠然と

夢に描いていても


それが実現することはまずあり得ない。








次に


② 必ず実現すると確信すること



「強く願えば


夢は必ず実現する」




という言葉があるが、



これは




嘘である。






願っただけで、



あるいは


神社やお寺に



いくらお百度を踏んだとしても




それだけで実現するものではない。







正しくは


「必ず実現すると

確信すれば



夢は実現しやすくなる」






と言い換えた方が適切だろう。






そして


実現した暁の



自分の姿を


常にイメージするのだ。





それだけでも



ウキウキ、ワクワクしてくる。





そして


そうならなければばならなくなる。





では

何を持って



確信するのか。






それは



日々の精進によるものが大きい。




勉学を怠らず、


心を磨かなければ




確信は生まれない。






つまり



夢の内容に値する




生活態度、


生活習慣が




備わっていなければならない。





そのためには



血の滲むような



覚悟と努力が欠かせない。






ボクが


こうして


ブログを毎日更新し


書き続けているのも




その一環だ。






結果、


これだけでも


大きな自信を得ることができる。





自信なきところに



確信は生まれない。





Your attitude,

not your aptitude,

will determine your altitude.




才能ではなく


態度が



その人の高さを決める。









三番目は



行動に移し実行すること




当たり前のことだが


夢が実現できないでいる人のほとんどが



この当たりまのことができていない。






行動に移しても



単発的で、


継続性がない。




一度や二度の失敗や挫折感で


諦めてしまうケースが多い。








明確にされた目的に向かって



自信を持って




継続的に動かなければならない。





じっと座って


パソコンや携帯を眺めていても




あるいは


ああでもない、

こうでもないと



考えだけを巡らせていても



いつまでもそこから先には進まない。







ボクは、


前述のように




出版社に出向いた。




そして


これから


企画書を提出する。





だからといって


すんなりと決まるものではない。




そうした行動を


諦めることなく




続けることが肝要だ。






実現するまで。




そうすれば


実現しない夢はない。






何かを成し遂げた人にに共通する



唯一のこと、





それは



「実現するまで


諦めなかった」
 ことだ。







そういうわけで


ボクの来年の行動に



注目いただきたい。






もがき苦しむ





みっともない姿を


御覧に入れよう。







来年の


かじ えいせい




にご注目!

ミッション・ステートメント 来年の抱負

2011年12月23日 | 
またまた


この時期がやってきた。



来年の抱負を語る時期(とき)だ。




毎年


同じことを語っていないか。




単に



「来年こそは


夢を叶えるぞー!」



って言ってやしないか。





もっと具体的に語らなければいけない。





たとえば

ボクの場合


「本を出版して



10万部以上売り上げて


ベストセラーにするんダー!」




そして


そのための


期日を設定する。




1月中に


出版社に企画書を提出する。




そのための

企画書づくりを

すでに始めている。






その他にも


叶えたい夢は


10個以上ある。




それを



上記のように



書き出し






それぞれに具体性を持たせ、


期日を切る。





当然


プライオリティ(優先順位)をつける。




それは


期日的なものもあれば



重要度による場合もある。




緊急性や


タイミングなどを考慮しなければならない。






または


一過性敵に完結するものもあれば


継続的に続けなければならないものもあろう。






ボクの場合



本を出版することは


その時点で



その本に関しては完結するが





日本人の過半数が


日常英会話を話せるようにすることと、




ボーダーをなくす



という夢は




継続的で


永劫完結することはない。







いつもいうように


夢は尽きないが








具体的に述べ



優先順位をつけて



締切日を決める。





これが



『夢実』 の



鉄則だ。





【追記】



これからの『夢実』 において




絶対に忘れてはいけないことがある。






それは


社会に貢献するものでなければならない



ということだ。






私腹を肥やすためでなく、


利益は




すべからく



社会、


スタッフ、


設備に




還元しなければならない。





これを忘れると



一旦夢が叶ったかのように見えても


続くことはないだろう。




そして


むしろ



悪影響を及ぼす結果を招くことになるだろう。






世のため、


人のためになることで、



スタッフや


サポーターに




幸せをもたらし、




さらなる組織の充実を図らなければならない。






案外


外しやすいポイントだ。





肝に銘じておきたい。

夢の作り方

2011年12月13日 | 
そもそも


夢がなきゃ



叶えたくても

叶えられませんね。






夢は作るもんじゃない、



見るものだ。


とか



いや



夢は叶えるためにある、



などと


いう前に、





なんでもいいから




「ブッ飛んでみよう!」






夢というから



構えるかもしれない。





「夢はでっかく!」


なんて言われると




すくんでしまうかもしれない。







で、


なかなか浮かばない。




人に言うと、


恥ずかしい。





どうせ叶わないから、



と最初から



思考停止状態。







だが


アーしたいなー、



こうしたいなー、






アーなったらいいなー、




こうなったらいいなー、って





思いつくこと、



思う浮かぶことなら






誰しも


何がしか




あるだろう。





「何か今やりたいことある?」


って聞くと



けっこう答えが返ってくる。







もし、



お金も、



時間も、




才能も



あったら、




どうしたい?




とか、





もし


宝くじで



一億円当たったら


何に使う?



と聞かれるのと同じで、




答えは様々。




ただ


宝くじが当たったら、は





あくまでも


お金だけの問題。




1,000円で、



あるいは


一万円くらいで夢が買えるなら




な~んて



いう人が多い。





それこそ


幻想に近い。





実際大口を当てた人たちが



どうなったかは


よく言われるところ。








「遊んで暮らしたい」 的な発想は




何して遊ぶの?


と聞きたい。





いずれ飽きちゃうよ、



って言いたい。







人は


欲望が満たされると



飽きて



次の欲望へと進む。





留まるところを知らない。







『マズローの法則』(下注釈) にもある。





その


欲望の先には何がある?



そう聞きたい。







お金があったら



○○したい、



的な考えは





実際お金ができると


そうしない場合が案外多い。





老後の資金とかいって


預金にまわしちゃうとか、





くだらない物に使っちゃうとか。




そしてまたこうこぼす。



「アー、お金があったらナー」 って。






ホントにやりたかったら



お金がなくても


やってしまうもの。





「お金がないから」 は



単なる言い訳に過ぎない。







情熱が



熱意を生み、





人を動かす。






そこに



お金が生まれる。







多くの成功者は



当初は


お金のない人が多い。





最初からお金持ちで


大成する人は


極稀である。





三大目には


食いつぶす例は



枚挙に暇がないほどだ。






成功した人の心には





必ず



「情熱」 と




「明確なヴィジョン」 
  


が横たわっている。





それが



他人を感動させ、




共感を呼び、






お金が発生する、
のだ。






逆に



いつまでも



お金が足りない、



資金不足だ、




時間がない、



自分には才能がない、





人がわかってくれない




などと



ナイナイ尽くしの



言い訳人間は





いつまでたっても



夢を実現することは



ないだろう。





Chase Vision, not money.



 "You are never given a dream

 without also being given the power to make it true.


 You may have to work for it, however."



 「夢が与えられる時には、必ず実現する力も与えられる

(その夢を実現する力を与えられることなしに決して夢は与えられない)

 しかし、そのために君は、努力をしなければならない。」


               by リチャード・バック







【注釈】



『マズローの法則』



. 欲求の5段階説ともいいます 。

人間はまず第1次的欲求によって動機づけられますが、

それが適度に満たされてくると 、

より高次の第2次的欲求によって動機づけられます。

更に第3次的欲求と続いて、・・・・・



①生理的欲求(食欲・睡眠・性欲)

②安全性欲求(住居・衣服・貯金)

③社会的欲求(友情・協同・人間関係)

④自我の欲求(他人からの尊敬・評価される・昇進)

⑤自己実現欲求(潜在的能力を最大限発揮して思うがままに動かす)

三大夢

2011年12月11日 | 
常日頃から言っている



ボクの 


 「三大夢」





一つ



ベストセラー小説を出版して


ハリウッド映画化すること。






二つ、



も一度


「世界一周」 すること。






三つ、




旅して暮らす


「ノマド・ライフ(Nomad Life = 旅暮らし)」 


を実現すること。







二つ目と

三つ目は



連動している。




つまり



 「世界一周」 


そのことが




 「ノマド・ライフ」 


の一環なのだから。







持続可能な


旅暮らしを実現するには




旅をしながら


収入を得る手だてを作らなければならない。






旅しながらといっても、



放浪者のように


ずっと移動を繰り返すわけではない。




Stay & Move




時にはとどまり、


そしてまた移動するといったことを



繰り返す形態が望ましい。





そのためには



いくつかの拠点づくりが必要となる。






現在


頻繁に訪れている


ベトナムやカンボジア、




そして


子供たちの住む




アメリカはその有力候補だ。






ヨーロッパは、



やはり、



スペインに限る。





アンダルシアを起点に



ユーロ圏や




アフリカ



中近東を巡る。






その


3~4か所を拠点に




周辺諸国を



ヒット・アンド・ラン的に


行き来する。





そうすれば


いちいち日本に帰る必要はない。






そうして


そのうち




どこかで








野垂れ死ぬ。





これが



ボクの最終章を飾る(?)




最強の(?)


 「生き様 & 死に様」  だ。





畳やベッドの上でなく、



大自然に抱かれ



大の字になって



大往生する。






子供たちは


大変だろう。





最後まで




子供たち以上に


我がままで



バカだったオヤジ。






そう言われたい。






【予告】



明日は



バカで我がままな




オヤジが子供たちに残す



言葉を書こう。

また一つ夢が・・・

2011年12月10日 | 
急に会社を作りたくなった。




ボクは

自分のことを



ズ~ッと




 「商社マン」  


だと自覚して生きている。






33年前、



総合商社を辞め、



いわゆる


脱サラで




東京から



故郷の熊本へ帰り、





それ以来




場所を変えながら


ホテルビジネスを生業としてきた。





しかし、



ボクの頭の根底には、




ホテルビジネス = 旅 ≒ 商社マン


という図式が演繹法的に常に横たわっている。






旅が


人生の総合作業(学習)であるなら





ホテルビジネスは


事業の総合産業に当たると考えている。





なぜなら


宿泊には





人間が生きていくうえでの


衣食住すべてが係っているからだ。








そして




世界を股にかけて


ありとあらゆるビジネスを手掛ける。




それが


  「商社マン」  


の定義だからである。







旅そのものが



これもまた


衣食住を伴う。





そして


買い物という行為の中で



商品を物色し



価格交渉(値引き)を通じ、





日本に持ち帰ることが






輸入業となる。





持ち出せば


輸出行為であり、





海外での会話は


商談へと発展する。







そこで



宿屋のオヤジ = 商社マン


という



方程式(?)が成り立つわけだ。







「フリートーク」 を立ち上げたことも


「商社マン」故の



新規事業に当たるわけで、




立派な

商社事業活動の一環である。








取り扱う商品は



何でもいい、





ビジネスになるものなら



どんなものでも手がける。




法に触れなければ

何でもいいのだ。




輸出入はもちろん、



国内取引も、




仲介でも、


合弁でも、



すべて手掛ける。





これもまた


「商社マン」 たる所以だ。






まさに


「フリートーク」 
 も


そういったコンセプトできている。





だから



英会話にとどまらず、



何でも手がける。









そもそも



現役の商社マン時代、





「個人商社」 を立ち上げることは


ボクの人生設計の中にあった。





それが


ホテルビジネスという形を変えて




同事業を手掛けてきているだけのことだった。






そのなかでの



商品取り扱いは




雑貨販売という形で



実店舗ならびに



ネットショップを通じて


細々と行ってきたに過ぎない。










そうした中で


火種として残っていた


「個人商社」  の総業


というカテゴリーが




心の中に巻き起こった


新風 (今回の旅) によって




一気に燃え上がってしまった格好だ。








商社としての


会社を立ち上げる。





簡単なことだ。



来年4月の

「フリートーク」 の



一周年を果たした暁には





『AK Trading Company, Ltd.』 (仮称)


を立ち上げる。




そして


ベトナムに支社を構えよう。



こちらは

  『Cool Japan in Vietnam』   (同じく仮称)
だ。







それから



ボクの夢の真髄へと




一気に突き進む。





アー、



また


アドレナリンが


抑えようもなく噴き出してきたようだ。






こんなことを


旅の空で



上の空に考えている。








本当に



毎日がワクワク、ムラムラ、



楽しくて仕方がない。





【注釈】


ボクの夢の神髄に関しては



明日述べることにする。






影の声:


「まだあるんかい!?」



そう


まだまだ

あるのです。




しかも


増殖中!!


暴走中!!





止めたくても


止められない。





ホントは



そういう自分が



怖い!!





だけど



嬉しい、


楽しい、




面白い!!!!!!






【さらに蛇足】




常日頃から


死を意識して暮らしている。





旅に出るときは


特にそれが強い。




もう生きて帰ってこれない


そう思って毎回旅に出る。






だから


遺書を書く。





無事に帰ってこれたなら



遺書を破り捨て




アー、


まだ生かされている、




きっと


「愛する人のために


何かをやりなさい」




と神様がおっしゃっているのだ、



と考える。





まだ


こんなボクでも




誰かが



ボクを必要としてくれている。






だから


一分、一秒たりとも



疎かに人生を送ることはできない。





瞬間、瞬間に



命の炎を感じ、




目の前にあること、


目の前に人に




誠心誠意を尽くすこと





これが


ボクに与えられた使命だと


感じつつ。






旅を重ねるたびに



その思いは


強くなる。