世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

苦悩と孤独

2012年06月28日 | 苦境
この世で最も孤独なものは

父親と経営者である。



ボクはその両方を背負う。




経営者なら分かるだろう。


経営者は皆、苦悩と孤独を抱えていることを。





もしそう感じないのなら

まだ真の経営者になっていない証拠だ。




アイデアは

苦悩の中から生まれる。




苦悩せずして生まれたアイデアなんて

クソ喰らえだ。




孤独を知らずして

人の気持ちなんかわからない。




苦悩を味わわずして

画期的なアイデアは浮かばない。





人の気持ち

とりわけ悲哀と苦痛。



自ら死ぬほど経験しなければ

心から人を理解することなど不可能だ。




重病を患った医者、

鬱から抜け出したカウンセラー、


死の淵を彷徨った聖職者でなければ



同じ悩みを抱えた患者を救うことなど出来やしない。





人の心を打つ言葉は口から出すものではない。


心から発するものだ。




心から出る言葉は

脳では作られない。



いくら本を読んでも泳げるようにはならない。



溺れかけた時、

必死にもがいてやっと泳げるようになる。




一度も転ばず歩けるようになった赤ん坊はいない。


一度も倒れず自転車に乗れるようになった者はいない。




痛みを知らなければ

人の気持ちは分からない。






だから

オヤジと経営者は



常に苦悩と孤独を引きずっていなければならない。



それから逃れようなどと

無駄な努力をする必要なんかない。




むしろ

楽しむのだ。




人は本能的に

苦痛を避け快楽を求める。



だが

本当の快楽は



苦痛の先にあることを知るものは少ない。




孤独と苦悩を心底感じた時、


それは


一端のオヤジと経営者になった証なのだ。




喜べ、そして歓迎せよ。



さらに堪能せよ。



孤独と苦悩の世界に浸ることを。

鬱になろう

2012年06月22日 | 苦境
時には鬱を演出してみよう。


思いっきり落ち込めばいい。



鬱なんて

気のせい、さ。



じゃあ

その気になることだってできるはず。




肩ひじ張って、突っ張って、

強がりいっていても


所詮人間、弱い生きもの。



この世のすべての不幸を背負っているかのように

項垂れて歩く。



「項垂れウォーキング」

時にはこんな行動もよい。




あまり

ネガティブにならないことにこだわると


かえってネガティブ感に襲われることがある。



前向きやポジティブという言葉が巷にあふれ

食傷気味になることだってある。




無理してポジティブを装うくらいなら

思い切ってネガティブ人間になり


鬱を装ってみると良い。



つまり

「良い人を辞めなさい」、


「良い人をやめると気が楽になる」


という論理と同じことだ。



「ポジティブ人間を辞めなさい」



「ポジティブを辞めると気が楽になる」





逆説的に考えることも

時には有効になることはよくあることだ。






これはボクの主観だが

薬に頼るのはなるべくやめた方が良い。



薬は体にとって異物だし、

副作用もある。



医者から

長距離の移動を禁じられているケースも聞く。


医者が

引きこもりを推奨しているようなものだ。




穿(うが)った見方だが、


患者を手放さないように

囲い込みをしているかのようにも取れる。

(あくまでも主観である。すべてとは言わない)



これではいくらたっても元気になりようがない。




外の空気を吸う、

太陽に当たる、


風に当たる、



環境を変えてみる。



この方が効果があるような気がする。




心の病は

気のせいが多い。




枷(かせ)を着せられ

行動を制限され、


薬をどんどん投与されてばかりでは



肉体まで蝕む危険性がある。





梅雨の合間の張れた日には

遠出してみよう。




少しずつでいいから

自分の行動範囲を広げていこう。



項垂れて歩き出してもいい。




自然の爽やかさに包まれて

見慣れない土地を訪れると、


自ずと顔が上を向いてくるから。




思い切って

小さな旅に出よう。



そうすれば、分かる。




「気のせいだったんだ」、って。






【追記】


酒飲みには休肝日がいいように、

休頑日をあえて作るのがいい。




頑張るのを休む日だ。

頑張りすぎる人が多すぎるから。


頑(かたく)なに張りすぎるのだ。





休息でなく

緩息日がいい。


意識してユッ~クリ息をすること。





今日は、鬱の日、と決めるて

思いっきり落ち込む日を作るのものもいいかも。




【お断り】

これは

真剣に鬱に悩む人を決して馬鹿にしたものではありません。



重篤な場合は

やはり薬の投与が必要でしょう。



ボクは医者ではありませんので

責任は持てませんが


軽い鬱病の方とか、

鬱予備軍の方
には

いいのかもしれないという


体験上の想いで書いてみました。




多くの人がそうであるように


何を隠そう

ボクも鬱予備軍なのですから。




鬱を怖がらず

鬱と仲良く付き合った方が


楽になるような気がするのです。



何事も

軽~く考えよう



深刻にならずに。




「山より大きな獅子はいない」


「地球より大きな悩みはない」

俺の人生、ウンコのうじ虫以下

2012年06月21日 | 苦境
「俺に人生、ウンコのうじ虫以下だ」


彼が友達に当てたメールに残ていた。



彼が会社から飛び出し、

いなくなって一週間が経過した。




彼の会社からの最後通牒は、

今週末で解雇にするということだった。



それまでに

会社に来て手続きをしなさいということだ。




母親もしきりと電話を入れるが

彼は出ない。


留守電にメッセージをいれているが何の返事もない。




何処にいるのか?




そんな時彼の会社から連絡が入った。



夜中に会社の寮に帰ってきて寝ている、と。


相部屋の同僚からの報告らしい。




まだ東京にいることは分かった。



彼は自暴自棄になっていいる。




週末で寮を追い出されたら

寝る場所を失うことになる。




所持金もさほどないだろう。



考えられることは

最悪の事態だ。




少し前になるが

ボクのホテルに


住み込みで働かせてくれという若いカップルが訪ねてきたことがある。



2~3日置いてやったが自分たちから出て行った。



数日後警察が訪ねてきた。


男性を強盗傷害で逮捕しているという。



お金が無くなって

通り魔強盗を働いたそうだ。



女性は妊娠していたという。


親が迎えに来て引き取ったとも。








彼はまだ犯罪を犯しているわけではない。


だが


住む家もなくなり

所持金が無くなれば



何をしでかすか分からない。




自殺ということも考えられる。




この状態で生きていくには

今の時代はあまりにも厳しい。




母親としては

今更帰ってきてもらっても困るという。




どうせ家でゴロゴロして、

働かず


小遣いをせびる日々になることは見えている。







実はもう一人

別の母親から相談を受けている男性がいる。




もうすぐ40歳になる彼は

高校卒業後ほとんど働いたことがない。



住む家があり、

小遣いを与え続けてきたためだ。



それがエスカレートし

金額も増額し、



与えないと暴力をふるうらしい。


その息子をどうにかしてくれという相談だ。




ボクの話は素直に聞く。



将来どうするつもりかと尋ねると、

働くつもりだと聞くたびにこたえる。、



それが親の前では豹変するという。



お金を与えるな、というと

暴力をふるうので怖いという。



その時は警察に、というと

みっともないから出来ないという。



いいなりにお金を与え続けていれば

解決の糸口さえ見つからない。



死ぬまでこの状態が続くだろう。







さて話を元に戻そう。


連絡がつかない息子をどうするか。



警察に身柄を保護してもらおうと電話をした。


未成年であり

行方不明者として。



猶予はあと2日。




母親に代わって迎えに行くことも考えている。




それまで

なんとか連絡だけでもしてきてほしいと願っている。








【追記】


いずれのケースも


根本の原因は


本人たちにあるのではなく

親にあるように感じる。



それをいっても始まらないので

とにかく今の現状を打開すべく何らかの手を打つしかないだろう。




子育てを一歩間違えば

親子ともども不幸の道を歩むことになる。




共通しているのは


本当の意味での

愛情不足ではないだろうか。




子供は


愛に飢えているのだ。




子供に限らず

人はいくつになっても



愛を求めている。




「愛」、「幸」 せといった


目に見えないものへの果てしない欲求を満たすことは


永遠の課題なのかもしれない。

苦しいときは、試されている

2012年06月07日 | 苦境
いろんなことが


上手くいかないときがある。




仕事も、


恋も、



家庭も、



その他の人間関係も、



健康状態も。





上手くいかないときって


何をやっても思うようにいかないんだよね。






考えれば考えるほど


行き(息)詰る感覚を覚える。




意気も詰まって消沈してしまう。





夜も眠れない。



目をつぶり


考えれば考えるほど


絶望が襲う。





不安は膨張する一方だ。






こんなときどうする?




ヤケになっても仕方ないし。


泣き叫んだってどうしようもない。






ボクの対処方を紹介しよう。




まず


瞑想する。


とにかく心を落ち着かせる。




静かに座り、


ユックリ、深く呼吸を繰り返す。




長ければ長いほどいい。






少し心が落ち着いたところで


紙とペンを用意し、




現在の問題点を書き出す。




この時

綺麗にまとめる必要はない。


書き殴るほどでちょうどいい。






その問題をどうしたいのか。


どうなれば解決するのかを書く。




だが


今そうなっていないのだからどうしようもない。





そして

ドンドンドンドン悪い方に考えが及ぶ。





ならば


最悪の状態を書き出してみる。






仕事を失う。

収入がなくなる。



家族もいなくなる。


体を壊す。



住むところもなくなる。




何もかにも失ってしまう。





ホームレスになってしまうのか。


もう



自殺するしか道はないのか。






こんな恐怖を


すべて紙に書きだす。





そこから何か見えてこないか。



拘っていたものが


スーッと消えて




むしろ気が楽になりはしないか。






こだわりが恐怖を生み、


失うことへの不安が絶望を呼ぶ。




その中で


残されたものはないのかあるのか。





命、


志、




希望。




そのすべてを閉ざしてしまうのか。




もう一度


初心に返ってみる。






生まれた時は裸一貫。



どうせ死んでも



灰になるだけ。





そんなこんなが


グチャグチャになった頭をよぎる。






もう一度

瞑想する。




心を落ち着かせ


書いた紙に目をやる。






自分は

何を守ろうとし、


何を捨てようとしているのか。





繰り返すうちに


人生のはかなさが見えてくる。




はかなさこそ


人生なのだ。




それは



人の夢と書く。



儚さ







すべてを失うなら


失えばいい。





形あるものは

所詮、



消え去る運命にある。





この世から消え去る時


残るものはあるのか。




あるとすれば


それは何か。





も一度


瞑想をし、



紙に書いてみる。





答えは見つからない。




敢えて答えを出さなくてもいいではないか。





答えを出そうとするから


苦しむのだ。





答えなんか


何処にもありゃしない。





何か

感じる、か?




何を感じたか。





感じたことを


素直に受け止めればいい。





それが

人生さ。





所詮


儚い人生なのさ。

悲しみを背負って生きる

2012年05月17日 | 苦境
みんな


悲しいことを経験している。





いっぱいいっぱい


悲しい経験をしてきた。






別れ。


遠く離れた人を想う気持ち。



届かぬ愛。





寂しいんじゃない。



悲しいんだ。





でも


悲しさをいっぱい背負った人ほど




いっぱいいっぱい


優しくなれるんだ。





涙の数だけ



強くなれる。




涙の数だけ


優しくなれる。




人の価値を測る方法はいくらでもあるけど


涙の数では



負けていないかもしれない。




悲しかったら泣けばいい。




涙の泉が涸れるまで


泣けばいい。






男のくせって思われるかもしれないけれど


男だって泣くんだ。





男の涙は


女のそれより重いんだ。




女の涙がパールなら、




男の涙はダイヤモンド。





人は

悲しさや、苦しみ、痛みといったものを避けたがるけど


それ自体は悪いものじゃない。




歳を重ねれば



誰だって染みが増えるように


悲染みも人生の勲章となる。





肉体の痛みは別として


多くは心の問題だから。






悲しさが悔しさに変わるとき


それは大きなエネルギーを生む。




悲しくて泣いていても


やがて悔しさの涙に変わるとき、



いつの間にか乾いていることはよくあることだ。






悲しさで


人の痛みが分かるとき



それは思いやりに変わるから。





もしも憎しみを覚えるなら、


もしも嫉妬の気持ちが湧くなら



それはさらなる苦しみへと導くだけだ。







ボクらは


悲しみをバネに生きている。




ボクらは


いつも悲しみを背負って生きている。






【追記】


こんな言葉を見つけた。


●喜びと悲しみの法則


「喜べば喜びが、

喜びながら喜び事を集めて喜びに来る。
 

悲しめば悲しみが、

悲しみながら悲しみ事を集めて悲しみに来る」






確かにそうだが


人生そう喜んでばかりはいられない。





人は決してそれほど強いものではないから。





悲しいこと、苦しいことに胸ふさがれる日もある。

  

気力が萎える時もある。


大好きだった人が離れて行くこともある。



死んでしまいたいときだってある。







そんなときは




そんなときは


無理に涙を堪(こら)えなくたっていい。




そんなときは


思いっきり泣けばいい。






「悲しみさん、こんにちは」って、



笑顔で言えるようになりたいから。



 

気が乗らないとき

2012年05月12日 | 苦境
どうしても書けないときがある。


いや、書けないのではない。


こうして書いているのだから。




テーマが定まらないのだ。


書きたいこと、言いたいことは山ほどある。



普段から10個以上の下書きがあり、




朝から思いついたことを書かない場合は


その引き出しを開けて



さてどれを書こうかと考える。





だが

気持ちが乗らなかったり、


タイミングがずれていたり、



既に賞味期限が切れていたりするものも少なくない。





言いたいことの表現がうまくできないときだってある。






朝から


機関銃のように書き続けることもあるが




どうしても筆が進まないときだってある。



だが


プロならそんな言い訳は通用しない。




誰にという訳でなく、


自分に対してだ。







セルフコントロールというが、



体調管理は当然、


メンタルコントロールと同時に、


感情をコントロールすることも重要だ。





特に


腹立たしい気持ちや


悲しい気持ちは



持続させてはいけない。



イライラする気持ちも同様。







そんな時には


瞑想が効果的だ。




体調には


ヨガと気功。





気功は一種のイメージトレーニングを使う。





そうして


常に一定の状態を維持する。





生活の基本というより、


生きる基本がぶれてはいけない。





すべては

バランスの上で成り立っている。





地球が回るのも、


太陽が昇って沈むのも、



心臓が動いてくれているのも、


呼吸ができるのも、



意識せずにすべてが動く。





それを当たり前と思ってはいけない。


それだけでも



ありがとうと感謝すべきだ。





話は逸れるが



太陽の磁場がおかしいらしい。


(具体的には下記しておく)





現在我々は、


1万年ほど前に始まった気候の穏やかな間氷期に生きていると言われる。




変動絶えない地球史の、


たまさかの「晴れ間」にいるとも。





だから


これも当然ではなく、



実にありがたいことなのだ。






気持ちのいい五月晴れが続く中、


朝晩の冷え込みに異常性を感じておられる方も多かろう。




片や、


雹や竜巻が発生する。




スーパーセルにスーパームーン現象。



ただ単に何でもかんでもスーパーをつければ済む状況ではない。






ありがたみを忘れ


便利さを享受し、




快楽に浸ろうとする愚かさへの警告じみていやしないか。



消尽の時代への反省が促されている。







気が乗らない分


話が支離滅裂になってしまったが



今日はこれでご勘弁を。




【補足】


太陽の周期的な活動に異変が起き、

「冬眠」に入って地球に低温期が到来する可能性があることがわかった。



太陽の黒点の様子にも、

過去に地球の気温が下がった時期と同様の変化が見られるという。



太陽には南北両極に正と負の極があり、約11年周期で同時に反転する。





12年5月に北極のみが反転し、


太陽の赤道付近に別の極ができる「4重極構造」になるという。

モチベーションの保ち方

2012年04月28日 | 苦境
「モチベーション」


動機づけ


と訳されことが多いが、





「やる気」


と言い換えてもいいだろう。





英語では


eagerness and willingness to do something without needing to be told or forced to do it

自分から進んで喜んで熱心に何かをやること



とある。



あるいは


the reason why you want to do something


何かをしたい理由


とあり、




これが転じて


動機づけ



といわれる。





ボクは


どちらかというと




前者の意味で解する。







さて


何かを進んでやろうとする



「やる気」 は



何処から湧くのか。





そして


その気持ちを持ち続けるのは



どうすればいいのか。






多くの人は


何かをやりたい、



やってみようと思う。





だが



実際に行動に移す人は



その10%と言われる。






そして


やり遂げる人は




さらにその


10%、



つまり




全体の1%に過ぎない。





100人に一人。




実際は



もっと少ないかもしれない。









なぜか?


モチベーションが下がるからだ。




つまり


やる気が失せる。





どんな時に


そうなるのか。





やってみたけど


本当は




思ったほど


好きではなかった。




面白くなかった。



くだらない、


つまらない。




見返りが少ない、


などなどだろう。






つまり


モチベーションが下がる時って




飽きてくるとき。



マンネリ化する。


上手くいかないとき。




失敗した時。



ダメだと思った時などなど。








モチベーションを保つということのは



「やる気」を継続させることである。





使い古された言葉だが


「継続は力」、という。




継続することが大事なことは



誰でも分かっている。







続けているだけで、


素晴らしい。





続けられることは


素晴らしい行為なのだ。








商いは


飽きないこと


とよく言われる。





辞めなくするにはどうすればいいのか。






モチベーションを絶え間なく上げ続けたり、


高いまま維持し続けたりことは





至難の業だ。








テンションと


モチベーションとは違う。






テンションを高くするのは大事だが



高いまま維持することは出来ない。





あくまでも


一時的な


興奮状態なのだから。





テンションが


燃え上がる暖炉の激しい炎なら




モチベーションは


静かに燃える




囲炉裏の火のようなものだろう。






一時的に


激しく燃え上がった火は


そのうち萎み、




やがては消える。





だが



囲炉裏の火は


じわじわと




燃え尽きることなく


いつまでも



柔らかな熱を伝えているような


イメージがある。









セミナーに行って


一時的に



テンションを上げることは出来るだろう。





だが


ほとんどの人は



30分から


2~3日で消えてしまう。






セミナーで


モチベーションを上げたり、



維持することは




かなり難しい。




むしろ


逆効果のことがある。





一瞬テンションが上がるが


すぐ元に戻るため




かえって

ダメな自分を再認識してしまう可能性があるからだ。






資格もそうだ。


取っても直接役にたたないことが多い。







さて


それでは




セミナーにも参加せず


資格も取らず





モチベーションを



永久に維持するには


どうすればいいか。






長くなったので


次回に持ち越します。

共に生きる

2012年03月30日 | 苦境
いい人に出会い、


       金澤翔子ちゃん



いいお話が聴けた。



       翔子ちゃんのお母さん


「無心に願えば


いつの日か



夢は必ずかなう」



ということを




改めて教わった。













無心になって



一心に願い



腐心する。





我が子が


ダウン症と宣告され、




一旦は絶望の淵に立たされ、


死をもを考えた。









誰しも


ビリになりたくてなるのではない。




だが


ビリだからできることは必ずある。





ただただ


自分に与えられた




役割



今いるポジション




淡々とこなせばいい。







そうすることで




一度は


諦めた


「日本一」の夢が



期しくも




時を経て


叶うことになる。








どんな状況でも


『希望』を失っていはいけない。







彼女は


競争社会の枠組みから外れることで




争(あらそ)わず、


妬(ねた)まず、


疎(うと)まず



羨(うらや)まず




ただひたすらに



虚心坦懐に



自分として




生きることだけに



集中できた。







そして


筆を持った時





その才能が一気に開花する。
















『愛』 を持って




『共に生きる』







「あなたは


あなたのままでいい。




なぜなら


あなたなのだから」


        by Asay







講演が終わって



彼女は



深々とお辞儀をした。













素晴らしい展示会だ。






4月3日まで。


熊本鶴屋百貨店で。


入場料500円。



言ってごらん

2012年02月20日 | 苦境
一人で悩まないでいいんだよ。




そんなに


強がらなくていいんだよ。



意地を張らなくてもいいんだよ。






誰かに



言ってごらん。


話してごらん。





自分の


今の気持ちを。






言葉に


飾りなんていらない。





気負う必要なんてない。




格好つけなくっていい。









さ・し・す・せ・そ




爽やかに



正直に



素直に



誠実に



率直に





語ればいいんだ。







もし








もしも









誰も


聞いてくれる人がいなかったら





山に向かって叫んでごらん。



海に向かって



つぶやいてごらん。





空に向かって


語りかけてごらん。







きっと


誰かが聞いてるから。






そして


誰かが




答えてくれる。





そっと


手を握ってくれる。





一緒に


涙を流してくれる。







一緒に



歩いてくれる








そのとき


気付くんだ、





一人じゃない


ってことを。








一人で悩まなくてもいいんだよ。




そんなに


強がらなくても


いいんだよ。





意地を張らなくても



いいんだよ。












PS.



少なくとも



ボクは



聞いてるよ。





君の声を。

苦しみが楽しみに変わるとき

2012年02月13日 | 苦境
分かってる。



今こんなに苦しんでいるのは


変わろうとしているからなんだ、と。





殻を破るってことは


こんなにも大変なことなんだ。





蝶がさなぎから孵化するとき、


鳥が卵から出る時、



蛇が脱皮するとき。


セミが殻から出る時。

(セミの抜け殻を見て

手にしたとき

いつも思う。



こんなに硬くて

背中の

狭い切れ目から

抜け出すなんて



きっとすっごく痛いんじゃないだろうか、って)





そして

女性の出産のとき。




若葉が


芽から吹き出るときだって


痛みを感じているのかもしれないナー。






どれも


経験したことがないから




痛みも


喜びも分からない。






だけど





想像するに難くない。







自分の人生を振り返ってみた時にも



新しく生まれ変わる時って


成長を遂げる時って




決まって


その前は




苦しみぬいた日々があった。






その辛さに耐えかねて


あるいは




苦しみを想像しただけで





何かを


諦め


何かを



捨ててきた。







その苦しみの先にある


喜びを




強く感じ



イメージした時に





今の


激しい痛みさえ




楽しむことができるのかもしれない。






だが


今まさに


痛みの只中にいて




心底

楽しめるのだろうか。





咽喉元に引っかかる


熱さに



どれだけ耐えられるだろうか。












苦しいときにこそ



笑え!



という。




涙を流しながらでも


笑って見せろ!






嬉し泣きはできるけど


悔し涙は流せるけど、




泣き喜びや


悔し笑は




どこまででできるのだろう。





悲しいときには


笑えなくても





苦しいときには


笑えることを知った。









狐の嫁入り


が好きだ。



日照り雨のこと。

a rain(fall [shower]) in the (sun)shine




明るい雨だから。



自然に顔が上を向く。


自然に顔がほころぶ。






強い陽射しも



冷たい雨も


そこにはない。





中途半端な


曇り空とも違う。







も一つ


2~3度経験したことがある。




雨と晴れの境目だ。




それは




大草原で、


大海原で




会った。





いずれも



旅の途中。





なぜか


幸せな気持ちになった



ことを


覚えている。






人生には



そんな日は少ない。







でも


足元の、


目の前の




小さな小さな



出来事や


人々の中に




そんな光景は


いっぱい潜んでいるものなのだ。





それに


気付くには




時間がかかる。






手遅れの時もある。






無くなって、



居なくなって





初めて気づかされるものの



なんと



多いことか。





【追記】


雨のデイオフが


ボクを




感傷的にさせる。




The day off in the rain

makes me sentimental.

どんなに頑張っても、結果が出ないとき

2012年02月04日 | 苦境
自分はこんなに頑張っているのに



思うように成果が上がらない。







悪戦苦闘が続く。







そういえば


学生時代も





そういうことがあったっけ。





一生懸命勉強してるつもりだけど、



テストの点数が


なかなか思うように良くならない。





参考書や



問題集ばかり






買い漁って



ドンドン増えていく始末。




どれからどう手を付けてよいものやら。









どうして解決したか。




朝集中型に変え、



参考書に頼らず、



教科書一本に絞って



徹底的に勉強した。




迷いが消えた。







見る見るうちに成績は上がって



ついに



トップに。







ポイントは


時間配分



集中力だった。












英会話だってそうだ。






どんなに勉強しても


いくら英会話スクールに通っても




なかなか



うまく喋れるようにならない人がいっぱい。






早く



ネイティブのように喋れるようになりたい。




気は焦るばかり。





巷にあふれる教材や



マスコミに踊らされて





本屋CD,DVDばかりが増えていく。




そのうち



諦め


投げやってしまう。










この原因はどこにあるのか。







どうすれば



テストの成績も上がり、





英会話の実力もつくのだろうか。









英会話は



継続性と




英語環境下で


声に出すことが
決め手だろう。






そして



実践の場を多く設けること。




(何を隠そう


実践の場が「フリートーク」です)








毎日コツコツと



集中して続けていれば








ある時を境に



急に英語が口を突いて出てくるようになる。





そうすれば



面白くなって





加速度的に



上達していく。




(具体的やり方が分からない方、



英語環境の作り方


直接ご相談ください。




3か月でしゃべれるようにして見せます))











ビジネスにおいても



然り。







売り上げが上がらない、



利益が出ない、云々。













いずれも







原因は




大きく分けて






二つある。








① やり方が間違っている











② まだやり切れていない



つまり



時間の使い方が間違っている






のどちらか



もしくは





双方だ。





双方の場合が



圧倒的に多いが。











ボクが行っている



二つの事業について



具体的に検証してみよう。








まずホテル事業。



「ドゥリーミン カントリー・インAso」





通算


33年間


ホテルビジネスの経営に携わってきたが





数年前まで



順風満帆だった。








このところ




お客様が激減している。








なぜか?




もちろん



ボクの取り組む姿勢に



大きな問題があることは



自覚している。










その他に考えられるのは、


まず価格設定






高からず



安からず、





中途半端なのだ。






客層を


値段(安さ)にこだわるところに求めるか




高級層に求めるか、





どちらかに絞り込む。








現在


中間層が少なくなり



消費者が上下に二分されてきた。





時代のニーズの変化



対応しなければならない。






値段を下げれば



手っ取り早く


そこそこ客足は回復しそうだ。




(多くの事業が


その手段を選ぶ)






だが



当然





利益率は下がる。





客層も悪くなる。





価格競争の泥沼にはまり込む。









つまり





何のためにやっているのかという


やり甲斐がなくなる。






モティベーションが下がり



結果





客足も一時的で


また遠のくだろう。








一方



値段を上げるには



もっと高級感を出し




質を上げなければならないが






設備投資をする資金的余裕はない。







泊食分離



当にやっている。





差別化もまずまずだ。






だからそれなりに


そこそこの成果は上がっている。







やはり




問題は




ゲストの絶対数が落ち込み



利益率が下がり




十分でないだけだ。










現状の価格設定のままでいくのなら





あとは



情宣にもっと力を入れるべきだろう。






そうしよう。















も一つ、



「フリートーク」はどうか。





いまだ



安定飛行までには至っていない。



今一歩のところなのだが。








価格は



宿泊同様





高からず、



安からずといったところだろう。









目下の対策は



先日もこのブログで述べたように


http://blog.goo.ne.jp/dreamincountry/e/ca38a9d20a278138e79fed670964a955






見込み客の取り込みと




メンバーを増やすことだろう。






差別化と



オリジナリティ
においては





他に類を見ない業態だけに



情宣活動




まだまだ強化していかなければならない。





今は



口コミだけに頼っている。




SNSもかなり活用している。








営業活動もそうだ。









こうしてみると



まだまだ


やり切れていない部分






いっぱいある。





まだまだ



頑張りが足りないということだ。






「すべてやりつくしたと思っても




まだ半分」




という言葉が好きだ。







いつも自分に言い聞かせている。










方向性(Mission)は



決して





間違ってはいない、はず。





自信がある。








来てくださるゲストの




笑顔が



物語っている。






スタッフ(キャスト)も




精いっぱい頑張っている。













ボクは




ゲストと



キャストのために






縁の下の力として



もっと頑張らなければいけない。








考えて考えて



苦しんで苦しんで


もがいてもがいて






それでも



やる。







自分を信じ、



未来を信じ、





人を信じ、




世の中を信じて。






ただただ



人のため




世のためを思い







汗水たらして


歯を食いしばって





今日を精一杯




生きていくだけだ。








一日一日



今日という日を繋いでいくことで





明るい日




明日(あした)がやってくる。









まだ


やりたいことはいっぱいある、





まだ



やり残していることが


山ほどある。






まだ


ボクを必要としている人




居る、






好きな人がいる。




ボクを想ってくれる人


キットいるだろう。







ネイティブアメリカンの言葉にある。



「想ってくれる人がいるから


君はこの世に存在しているのだ」






その言葉を


信じたい。





その言葉に



頼りたい。










だったら



ここで



へこたれるわけにはいかない、



倒れるわけにはいかない、





死ぬわけにはいかない。

ストラッグリング(もがき苦しむ中で)

2012年01月18日 | 苦境
出版社に提出する


企画書がなかなかまとまらない。







気晴らしに


本屋さんで



売れ筋の本を探す。





平積みされた本の題名を眺める。





物色しているうちに



一冊の本が目に入った。






「不幸な国の、幸福論」



購入した。








今の時代は




あまりにも


選択肢が多すぎて


迷う。








ややもすれば


どれもこれも


中途半端になっているような気がして、





滅入る。










今は



電子出版という手段もある




だが



まだ



確立されているわけではないようだ。






とはいえ



これから





大きな流れになることは



間違いないだろう。






だから


その方向も


同時に考えている。











時に



ボクは




自分を客観視することがある。







幽体離脱させて




自分の分身を


上空に浮遊させておく。







そこから見た


自分の姿を




分身に語らせるのだ。





「何やってんだ、お前」



「もっと頑張らなくっちゃ」







別の分身が言う。




「いや、それでいいんだよ」




「今は


もがき苦しむときなんだ」




「それが、今は、


必要なときなんだから」










時に


自分の不甲斐なさに



涙が出る。







だけど


考えてみると





何かを始める時は



いつもこうだった。






もがき苦しんだ。





事の大小にかかわらず、


簡単にできることって




今までまったくなかった。






ただ


良くしたもので、




苦しんだ記憶は


余り残っていない。






成し遂げた達成感が



爽やかな思い出だけを残してくれる。









いつも



これが自分の最後の仕事だろうと思って



取り組んだ。




もう


こんな苦しみは



二度としたくないとも思った。





二日酔いの時には


いつも思うのだが…。






また


それは






あたかも




♪ お前が



俺の



最後の女 ♪







言わしめているのと似ている。



(最後の女が何人いたのだろう?)








恋するように



仕事をしてきた。





語弊はあるが



ビジネスをするように



恋をした。





恋は



駆け引き


ともいう。








特に


家庭を築くということは




起業することに通じるものがある。





結婚も



婚姻届という



「契約書」 にサインをすことから始まる。





家庭も



小さな組織であり、




運営体であることに



変わりはない。






いかにマネージしていくか。






昔は



分担作業だった。





ところが今は、



船頭が二人いる。






舵取りが難しくなる。



いや



舵取りがいない。









大黒柱が


二本あると





家は



むしろ


安定性を欠く。









おっと、



話がまた



脱線してしまったようだ。







そう、



企画書の話だった。





もがき苦しむ中で



作品は生まれる。









生みの苦しみを味わっている。






難産の子ほど可愛いという。





ならば


苦しみの先の



光明を信じて





思いっきり


もがき苦しんでみよう。






それもまた



楽しからずや。(涙笑)

経営者の胸の内

2012年01月16日 | 苦境
最近


苦しみネタが多いけど


大丈夫か?



というお言葉を


数人の人からいただいた。






大丈夫ではないようだけど、


とも。








そうかもしれないし、



そうでないかもしれない。






Nobody knows.



Who knows?






ご心配をおかけして


申し訳ない気持ちと、





心配してくださる方がいらっしゃるのだという



嬉しさと


感謝の気持ちが湧き上る。









ただ


これだけは



言える。






経営者は




孤独だ。







孤独を恐れていては



経営者たる資格はない。






むしろ



自ら進んで


孤独を受け入れ



孤独を楽しむすべを知ることこそが





経営者の資質であり、





ひいては


人生の極意となる。







だから




どんな状況においても





悩みや苦しみは


尽きないのだ。







悩むこと、



苦しむことは




経営者に与えられた



試練であり




ある意味


特権なのかもしれない。






悩み、苦しみのない経営者が


どれほどいるだろう。










そして



その悩みや苦しみに耐えかね


潰れていく経営者もいれば、






そのたびに乗り越えて




さらに成長するものもいる。







誰しも後者を望む。







ならば



そのためには


どうしなければならないか。










まず


あるがままを受け入れる


ことだろう。





くよくよしない、



じたばたしない、


ダラダラしない、




自暴自棄にならない。






自制心を失ってはならない。



自生しなければならない。








悩み、苦しむということは



「考える」
 ということである。



「学ぶ」 ことである。







ボクは



主に





自然の中で考え、



自然から学んできた






自然から


知恵とエネルギーをもらってきた。








自然の中で



一人静かに佇む。






座禅を組む。




ひたすら


無に近づく。





あるがままを



無心で受け入れる。





ただ



それだけのことだ。







心を無にすることは





考えることとは



相矛盾するようだが





これこそが極意なのだ。







無になることで







この苦しみを受け入れ




苦しみを極める中で





苦しみさえ


楽しめれるようになる。











また、




こうして


人にはあまり見せたくない



心の内を



吐露することで




自分自身


正直で、




素直
な気持ちになることができる。




心にけじめをつけることができるのかもしれない。







誰しも



弱みは見せたくないものだ。






ひたすら


胸の内に仕舞い込み、





我慢する。






とくに


嫌なところ、


欠点、




短所、



見苦しい様、など。








壁を作り、



自分を見せようとしない人が多い。



隠そうとする人が多い。







なかなか



心を開こうとしない。




心を許そうとしない。











それができる




家族や


友がいないのかもしれない。







中には



カウンセラーや



コンサルタントの


コーティングを受けるかもしれない。






巷のセミナーに


足しげく通う人もいる。







だが



そうしたことが


功を奏することは少ないようだ。






最悪



心を病んで、




病院や


薬に頼ることになる。









その点



自然は正直だ。





自然に語りかけ、



自分を見つめ、





何らかの示唆を受ける。



感じ取る


といってもよいだろう。







都会の雑踏や


ビルの狭い一室を抜け出し






海や


山、



森や




草原の中に





身を置くだけで





癒され


治癒されていく。










だからといって






自然は


悩みや苦しみに



答えを与えてはくれない。







人間の悩みの多くは



お金や


ビジネス、



家族、


人間関係、




健康の問題がほとんどだから。










自然はただ



そうした悩みや苦しみを




希釈し、





時には



消し去ってくれる。






その過程で



あくまで



自らの力で




いわゆる


「自然治癒力」を持って



乗り越えていかなければならない。







それが



経営者というものなのだ。








【追記】



英語の



Solution (名詞)


Solve (動詞)



には



解決する


答えを出す




という意味があるが




溶かす、



溶解する




和らげる(solvent)





といった意味もある。







悩みや苦しみには




必ずしも



答えを探し、



答えを出す必要はない。







溶かして


和らげるか


消し去ればいいだけのことだ。

どんなに苦しくても夢だけは追い続ける

2012年01月13日 | 苦境
苦しい。



収入がないのだから。



支払いは刻々と迫る。




預金もついに底が見えてきた。






このままだと


早晩行き詰る。






もちろん


手をこまねいているわけではない。





何とか切り抜ける手立てがないわけではない。







夢を見た。





海面へ向かって下降する


飛行機の操縦桿を必死で引き上げている




機長の姿があった。





たぶん



自分のようだ。






海面すれすれでもいい、


何とか機首が上向いてくれればと




必死の形相で頑張っている。







同時に


海面に突っ込んだ時の



脱出方法を考える。





だが



突っ込む1ミリでも



機体が浮いている以上



諦めはしない。












なぜこれほどまでに



不安が襲うのか。





それは


「もし・・・・・・」



と考えるからだ。






もし


水面に激突したら



機体は壊れる。





自分も死ぬかもしれない。



死ななくても



大けがをするだろう。




その場合、


機体から脱出できるのだろうか。





仮に脱出できたとしても


泳ぎ切れるのだろうか。






タイタニックを連想する。






無事生還できても


賠償責任が生じる。




今度は



負債地獄が待っている。





どっちに転んでも


悲惨な人生が待つだけだ。








などなど



まだ


起きてもいない状況を





しかも



最悪の状況ばかりを



つい考えてしまう。







そして


その亡霊にとりつかれ




不安のスパイラルへと



自らを招いていく。







妄想が


精神さえも蝕み、





体力を奪う。











そんなことを考えず、





とにかく今は


機体を起こすことに




全身全霊を捧げれば




この危機を脱出できるかもしれないのだ。







歯を食いしばり、



渾身の力を注ぐ。






火事場の馬鹿力とは



自分が思う限界を超えた




超常現象的エネルギーだ。






今は



それに賭けてみるしかない。






生き延びる希望を失ってはいけない。





そして



生き延びた後の



夢を




妄想するのだ。







絶対に


切り抜けてやる。





そして


その先には




信じられない



バラ色の光景が広がっている。







妄想しろ。




笑え。





苦しいときほど



笑え。






歯が砕けんばかりに


食いしばれ。








生き抜く。



夢を捨てない、



諦めない。








また


必ず




大空へ向かって


飛び続けるのだ。







オレは



できる。






オレなら




できる。






オレしか




できない。






オレだから



必ず



できる。







やってみせる。





やらねばならない。






ナニクソ!




コンチクショウ!






どんなに苦しくたって



夢を希望だけは



失うまい。






自分の最高の姿を



描こう。






脳に刻み込め。






自分を信じろ。



自分の脳を信じろ。





描いた姿に


脳が導いてくれる。





もしも


神がいるなら、




自分の脳にこそ宿っている。








実現するまで


夢をあきらめない。





実現するまで


何としてでも




生き延びてやる。








目が覚めた。

行き詰った時、どうするか

2012年01月11日 | 苦境
「ピンチはチャンス」


とか言われる。




だが


それは


後から振り返ってみた時に言えることであって



ピンチの真っただ中にいて、


これはチャンスだ、なんて





なかなか思えない。







今、


資金繰りに苦しんでいる。




このままだと


破産だ。





金策に走る。




当然の行動だろう。





しかし


当面の苦境は逃れても



所詮、


一時凌ぎにすぎない。





根本的原因を解決しなければ


すぐにまた



行き詰る。





根本的原因とは、



売り上げを伸ばし、


利益を上げること





これが事業の鉄則だ。





薄利多売で



売り上げを確保しても


利益が出なければ


同じことだ。





ただ


忙しいだけで


徒労に終わることは目に見えている。





基本は


利益を上げること、だ。






今までのやり方では


客足が激減したわけだから、




やり方を変えなければならない。





値下げはもっとも簡単なやり方だが、


先ほど述べたように



利益を圧迫し、


かえって自分の首を絞めることになりかねない。





サービスを強化する、ことも考えられる。




システムを変えることだってできる。




どれも


即効性はないものが多いから




持ちこたえる


忍耐が要求される。




なにくそ



という負けん気だ。






そうして


もがき苦しむことが




新たな展開を生む元になることがある。





それゆえに


ピンチがチャンスにもなるのだ。




ただ


それは



結果論にすぎない。






ピンチの時は


やはり



どうもがいても



ピンチであることに代わりはない。






折れないよう


ただ踏ん張り続けるしかない。




その中で


その苦しみの中で




救いの一手を見出すしかないのだ。





それが


事業であり、




人生なのだから。









【追記】



土俵際の粘り腰。



これが



サバイバル力だ。





だが


もし、



それでも



土俵を割ったら、



どうするか。






鍛えなおし、



次の勝負に賭けるか。







その時



鍛えなおす


余力、



気力は残っているか。





はたして


次の勝負に臨めるのか。




巻き返しができるのだろうか。







ピンチはチャンス







いくら言い聞かせても




ピンチの最中にあっては


どうしても




弱気が頭をもたげてくる。







相田みつお風に



人間だもの


と言ってしまえば



それまでだ。





ひとは




往々にして


弱者の論理、



負けの構造にひかれる。




人とは


弱いものだ。








だが



諦めてはいけない。


Be strong!



There is surely a way,





強くなれ、


道は必ずあるものだ。







泣き言は言うまい、


愚痴はこぼすまい、




ましてや


人のせいにはするものではない。






死ぬまでは



生き続けることに



必死であれ。





【追記²】


人の真価が問われるのは



順調な時ではない。




ピンチに立たされた時こそ


その人の


真価が試される。





そして


今、



まさに


真価が試されようとしている。