世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

(た)かじ(ん)さん死去

2014年01月14日 | 人生
自分の死亡記事が出た。



「かじさん死去」


自称「タビスト」のかじえいせいさんが

ベトナムのホテルでなくなっているのが確認された。


死因は現在調査中だ。

他殺の可能性も否定できないと当局は語っている。



○○年○月○日、

ハノイの某ホテル○○の5階の部屋のベッドの上で亡くなっているのを

ホテルの従業員が見つけて警察に通報した。


かじさんはその時全裸だったという。


昨夜遅くかじさんの部屋を訪ねてきたベトナム人女性がいることから

その女性から警察は事情を聞いている。


女性は驚いた様子で、

終始泣きじゃくりながらも、

かじさんとの関係、いきさつについて素直に話しているという。



女性は昨夜かじさんの部屋に泊まり、

今朝朝食を一緒にホテルの部屋で取り、

昼前に帰ったがその時はかじさんは元気だったと供述している。



女性はかじさんと6年越しの付き合いがあるという。


バイアグラや他の薬は一切服用していなかったという。

すこぶる元気だったらしい。


ちなみに、かじさんは60歳代、

女性は20歳代だ。


フィリピン女性や他のベトナム人女性との多角関係の誤解から

で派手な喧嘩は数回あったらしいが


女性はかなり嫉妬深く、

どうやらその嫉妬心以外にその女性に動機はないようだ。


それに、彼女は心からかじさんのことを愛していたようだ。



外傷もなく女性の話の様子と

かじさんのペ○スから精液が確認されていることなどから、

腹上死の可能性も出てきた。


あるいは、仰向けで大の字になっていることから腹下死した可能性もある。

女性の話だと、特にかじさんは騎乗位を好んでいたらしい。



シーツに残った体液からDNA鑑定を始め、

彼女の他に別のお女性が訪れていないか調査中である。



かじさんは年齢の割に夜の方も強く

オフレコだが、ある意味羨ましい。



調査を進めていくうちに、

かじさんは女性問題を多く抱えていたと証言する人もいるが、


実際は複数の女性関係を持つようなことは全くなく、

本当の彼は真面目一筋だったようだ。


だがそれを知るものは少ない。



ただ多くのビジネスを手がけるやり手でもあり、

友人も多いが、デマに惑わされ彼を嫌う人も多かったという。


ビジネス面での怨恨関係も否定できないと当局は語っている。


司法解剖して女性関係とビジネス絡みの両面で捜査を進めていくという。




なお、現在アメリカと日本に3人の子供がいるというが、

今、彼らと連絡を取り、遺体の引き取り手を探している。



かじさんの人生と人格の多様性からしても、

謎に包まれた死亡事件だ。


捜査は困難を極めることが予想される。
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新しいものに批判は​つきもの

2014年01月12日 | 人生
「批判されたくないなら、 何もせず何も言わなければよい。

 しかし、それは生きていないのと 同じことである」
     
        (By エルヴィス・プレスリー)


今日のM氏のメルマガから引用。


ボクが何かしようとすることは

人がやっていないこと、あるいは非常に希なことである。


それに、できるかできないか分からない、

いやむしろ、できない確率が高いことへの挑戦である。


他人はそれを何故止めようとするのか。

嘲り笑うのか。

後ろ指を指すのか。

そしてそれを関係ない人にまで吹聴するのか。




人のやらないことをやりなさい。

自分で土俵を作りなさい。


面白いと思ったこと、

人の役に立ちそうだと思ったことなら

どんな小さなことでもやってみる価値はある。



儲かると思うこと、

今儲かっていることに手を出すから結局は失敗する。


一時的に儲かっても

持続性がない。


儲かっても面白くないから、モチベーションが下がるのだ。

役に立つどころか、社会的弊害が多いことに気づくのだ。


あぶく銭を掴んだところで、本当の幸せは得られない。




人に批判されても、

自分を信じることだ。


自分の感性に従うことだ。


人の意見には耳を傾ける必要がある。

だが、必ずしもそれに従う必要はない。


素直な心で接すれば、

何が必要で、何が必要でないかの判断は自ずから付く。



ボクがこのブログでどんなに損失を被ってもやめないのは、

それ以上の価値を感じているからだ。


自分の醜さを暴露したところで一銭の価値もないというのに。


それでも、自分の心の内を洗いざらい吐露することで

少なくともストレス解消にはなっている。



言いたいことを言わないことほどストレスを溜め込むものはない。



物言えば、唇寒し冬の風(本来は秋だが、今は冬なので)

Silence is golden.


「沈黙は金なり」だ。



やしきたかじんも言いたい放題だった。

それで人に嫌われたり憎まれたりもした。


だがそれ以上に好かれた。


それは彼が言うことは辛辣でありながら、正論だったからだ。

何より、自分の気持ちに正直だった。


奇をてらう(make a display of being unusual)ことなく

淡々と自説を述べる。



それは自分を信じているからこそできるものだ。



近々、たかじんさん死すから

「た」と「ん」が抜けた


「かじさん死す」のニュースが流れるだろう。

誰も見向きもしないだろうが。


みんなざまあみろ!と言うだろう。


それでも地獄に落ちたボクは、笑ってることができるだろう。


がははははは、

そして言う、


ざまあ見ろ!!



【今日の格言】


何かに挑戦することに憚(はばか)ることなかれ。

怯むな、臆するな、恥じるな。


Din't hesitate 《to do》

Din't be afraid [shy] 《of》


Feel free to say your thinking.
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新しいものに批判は​つきもの

2014年01月12日 | 人生
「批判されたくないなら、 何もせず何も言わなければよい。

 しかし、それは生きていないのと 同じことである」
     
        (By エルヴィス・プレスリー)


今日のM氏のメルマガから引用。


ボクが何かしようとすることは

人がやっていないこと、あるいは非常に希なことである。


それに、できるかできないか分からない、

いやむしろ、できない確率が高いことへの挑戦である。


他人はそれを何故止めようとするのか。

嘲り笑うのか。

後ろ指を指すのか。

そしてそれを関係ない人にまで吹聴するのか。




人のやらないことをやりなさい。

自分で土俵を作りなさい。


面白いと思ったこと、

人の役に立ちそうだと思ったことなら

どんな小さなことでもやってみる価値はある。



儲かると思うこと、

今儲かっていることに手を出すから結局は失敗する。


一時的に儲かっても

持続性がない。


儲かっても面白くないから、モチベーションが下がるのだ。

役に立つどころか、社会的弊害が多いことに気づくのだ。


あぶく銭を掴んだところで、本当の幸せは得られない。




人に批判されても、

自分を信じることだ。


自分の感性に従うことだ。


人の意見には耳を傾ける必要がある。

だが、必ずしもそれに従う必要はない。


素直な心で接すれば、

何が必要で、何が必要でないかの判断は自ずから付く。



ボクがこのブログでどんなに損失を被ってもやめないのは、

それ以上の価値を感じているからだ。


自分の醜さを暴露したところで一銭の価値もないというのに。


それでも、自分の心の内を洗いざらい吐露することで

少なくともストレス解消にはなっている。



言いたいことを言わないことほどストレスを溜め込むものはない。



物言えば、唇寒し冬の風(本来は秋だが、今は冬なので)

Silence is golden.


「沈黙は金なり」だ。



やしきたかじんも言いたい放題だった。

それで人に嫌われたり憎まれたりもした。


だがそれ以上に好かれた。


それは彼が言うことは辛辣でありながら、正論だったからだ。

何より、自分の気持ちに正直だった。


奇をてらう(make a display of being unusual)ことなく

淡々と自説を述べる。



それは自分を信じているからこそできるものだ。



近々、たかじんさん死すから

「た」と「ん」が抜けた


「かじさん死す」のニュースが流れるだろう。

誰も見向きもしないだろうが。


みんなざまあみろ!と言うだろう。


それでも地獄に落ちたボクは、笑ってることができるだろう。


がははははは、

そして言う、


ざまあ見ろ!!



【今日の格言】


何かに挑戦することに憚(はばか)ることなかれ。

怯むな、臆するな、恥じるな。


Din't hesitate 《to do》

Din't be afraid [shy] 《of》


Feel free to say your thinking.


【今日の英語】


なんでも進んでやる人、野心家

I'm go-getter person.


社交家、外交家

I'm also outgoing person.
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いつまでぬるま湯に浸かっているつもりですか

2013年12月27日 | 人生
ゆったりと浸かる湯船は最高に気持ちがいい。

こういう寒い日はまた格別だ。

だが気持ちがいいからといつまでも湯船から出ないと、

のぼせるか、時に茹で蛙となりかねない。


そのぬるま湯の気持ちのいい湯船を日本に置き換えてみたらどうだろう。


夢も希望もなくても、その日暮しでも食っていける。


今はいいかもしれない。

まだ、なんとか持ちこたえているかもしれない。


だがこの湯船には明らかに亀裂が入っている。

小さな穴があいていて少しずつだがお湯が漏れている。


それでも、知ってか知らずかどっぷり浸かって動こうとしない。


修復を手がけることも必要だろう。

だがお湯が減ることは止めようがないこともまた事実だ。


古びてカビ臭くなった湯船から飛び出せば、

豪華なジャグジーが待っているかもしれない。


ただそこに行き着くにはかなりリスキーであり、

またその保証もない。


それでも可能性を求めて飛び出さざる状況にあるのも事実なのだ。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

さて、昨夜第9回目となるインターナショナル・プロジェクト協会の総会が行われた。




新人3人を含み熱い議論が飛び交った。



特に今回は、2月のベトナムにおけるクールジャパン事業を控えているだけに、

話が具体的で真剣そのものだった。


現在参加者は6人。

今日も興味を持たれる方が来社がされる。


参加者の思いも様々だ。

だが、勇気を持って参加を決められた方に敬意を評したい。


そしてその方々の未来に幸あれと祈る。

ボクの責任は大きい。



まずその前哨戦が大晦日から始まる。

ベトナムへの納豆売り込み作戦だ。


これは単独で行う。

しかも行き当たりばったり。


年末年始をベトナムで過ごすのも初めてだ。

ボクにとっても新しい挑戦が続く。



いまボクの周りには、

ぬるま湯や閉塞感から外に飛び出そうとする人が続々と集結している。


その全ての夢を背負って、ボクもまた新たな挑戦の旅へと向かう。
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プランB

2013年12月24日 | 人生
めまぐるしく過ぎていく日々の中で、

今年も一年が終わろうとしている。


充実の中にもあまりにいろいろの出来事があった一年であった。

起業、進出、提携、そして背信(betray,unfaithful)。


時に鼓舞され、時に打ちのめされる。

人生はままならない。




人生思い通りにいかないのはご承知の通り。


恋もビジネスも一筋縄にはいかない。

だから面白い。


どんなに用意周到にことを運んでも、

最後にドタキャンをくらい、どんでん返しになることは最近よくあることだ。


当てにしていた相手が突然降りると言い出す。


その人しかできない仕事を手伝って孤軍奮闘した矢先、

いきなり梯子を外される。



あいた口がふさがらないような事象が前にも何度かあった。

口約束はもとより、サインをした契約書さえ平気で疎んじる神経は理解不能だ。


その都度計画の変更を迫られてきた。



だがものは考え方一つでどうにでも変わる。


そもそもその人の考えで動かされる。

何かをやりたという熱意を感じ、信じて協力をする。


そうして苦労してスタート地点まで来たところで

いきなり踵(きびす)を交わされる。


今更レースを中断するわけには行かず、自らが走らされることになる。

あるいは、間髪を入れず代理の走者を探さねばならない。




疑ってばかりでは物事は進まない。

信じることはリスクを犯すことと同じだ。

相手に賭けるのだから。



だからこそリスクヘッジは欠かせないのだ。

つまり、プランB,プランCを用意しておかなければならない。


計画は慎重綿密にして柔軟であらねばならない。


nonrefundable(返金不可)とか、

Unchangeable;irrevocable(変更不可)ではいざという時は困るのだ。


Endorsement(裏書き)できない手形を渡されても不渡りにはできないのと同じ。



アツアツだった恋人が、

結婚の二文字に触れたとき豹変することはよくあることだ。


そこにはいろんな事情があろう。

その場その場の情事は楽しめても、

一生添い遂げる自信はない。


恋愛と結婚は別物なのだ。

マリッジブルーが襲う。


だからドタキャンの憂き目に会うことになる。


要は、恋もビジネスもドタキャンはつきものと思え。

そして、その時のためにプランBを常常考えておく必要がある。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「ものは取りよう、考えよう」、という言葉がある。


同じ現象でも、取り方考え方で正反対の感情を抱く。


例えば、ボクは前回のベトナムの旅で10万円を盗まれた。


それは悔しく、悲しかった。

だがいつまで悔やんでも取り返しはつかない。


だからこう思った。

10万円でまだ良かった。

命を取られなくてよかった。


そして、この事件はボクの気の緩みが招いたもので

これからは気を引き締めてより一層慎重を期すべきだという反省ができた。


少々高かったが、授業料と考えればそれで良しとすることができる。




もうひとつの例だ。


ボクを屋根にあげ、はしごを外した輩が数人いる。

だが、その人々がいなければそもそも屋根に上がることはなかった。


そこには今までボクが見たこともない変わった素晴らしい世界(視界)が広がっていたのだから。

そういう機会を与えてくれた人々に感謝したい。


あとは、その景色を堪能したあと、

どうやって降りるかを考え出せばいいのだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

人間の中には、

やたらと不満や愚痴、悪口を吐く人がいる一方、

何事にも感謝をして穏やかに過ごす人がいる。


一方は満足指数が低く、

もう片方は、満足指数が高い。


満足指数が高いということは、

生きていることを喜び、 感謝を感じる能力、 自由な喜びや今ここにいる幸せを感じる能力が高いことだ。


しかめっ面をして過ごすより、

ずっと幸せな日常が送れることは言うまでもない。


どうせなら満足指数を高くして生きよう。


Wish you a successful and prosperous New Year!
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2014年に向けて

2013年12月22日 | 人生
2013年も残すところ10日になった。

今年はいろいろあった。

今年もというところか。


仕事面で、ボクの手がける事業全てに変化があった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

本来ボクは一体何屋さんなのか。


一部世間では、ボクのことを怪しげな人間と見ているらしい。



これまで主な生計は宿泊業で立ててきた。

通査35年間、ボクはこの業界で生きてきたのだ。

その道のプロといってもいいだろう。


宿泊業は、賄いを伴うことから勢いレストランや喫茶の分野も手がけることになる。

それにお土産という分野の物販業。


そして全国海外各地から来られるお客様との会話の中から、

いろんな知識を得ることができる。


一宿一飯を共にするわけだから、

人の人生を垣間見る、といってもいいだろう。



それは様々な業界の実態であったり、

人それぞれの人生の妙であったりする。




そこから派生してボクの手がける事業範囲は、

起業ビジネス、人間関係、輸出入業、商品企画開発といった人が生きる上でのあらゆる分野に渡る。


つまり、衣食住全般を扱うことになる。


とりわけボクの場合、旅人を受け入れながら、

かつ、自らが旅人としてライフスタイルを形成して来た。




そもそもボクは総合商社マンとして社会に出た。

商社マンになることは高校時代から決めていたことだ。


商社マンになって海外に出る。

そう決めていた。


当時はまだドルが360円で、

海外に出る人は年間100万人に満たなかった時代である。

(現在は約1、700万人)


しかも沖縄はまだアメリカ領土だった。

沖縄に行くにもパスポートが必要だったことを知る人は少ない。



そんな時代にボクは海外を目指した。

そして紆余曲折を経て、

学生の頃からの念願の夢だった世界一周を果たした。



だがボクは燃え尽き症候群(burnout syndrome )になることもなく

休むことなく次の夢への段階へと突き進んでいった。



それは社会起業だった。


そう思った瞬間からボクの人生は大きく変わっていった。


人のために尽くす、

世の中に貢献する。


人の夢の実現のためのお手伝いをする。


その中で、次々と企画を立て実現していった。


その魁(さきがけ)の年が今年だった。

それは軋轢をうみ、弊害を伴った。


思いがけない抵抗や非難を生んだ。

誹謗中傷も半端じゃないほど叩かれた。



良いも悪いも強烈な印象を残す年になるだろう。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

振り返ってみた。


① 阿蘇のホテルをAso English Village としてアメリカ人夫婦に貸した。

だがこれはわずか一ヶ月で逃げられて失敗。


② 時を同じくして、ベトナムのハノイに店を開く。

こちらはなんとか持ちこたえている。


③ NPO法人の立ち上げに携わる。

進行中。


④ インド人のリサーチ会社と業務提携。

ハノイに支店を開く。

シンガポール本社訪問。


⑤ ゲストハウス”LOVE TRIP"を開く。

同時に、Meetrip, Nanocafeの開業を手伝う。


⑥ クールジャパンの国の事業に参画(おもてなしを主題として)

来年2月実施。


⑦ 納豆メーカーと提携。

海外進出を手がける。まさに進行中。



他にもベトナムとの人材交流を手がけ、

起業の芽があちこちに芽生えている。


殆どが途上にあり、まだ海のものとも山のものともわからない。

だがそのほとんどが、来年花を咲かせ実をつけるだろう。



それにしても、これだけ多くの事業に携われることに喜びと感謝の念を抱く。

これも多くの出会いと仲間たちに支えられてのことだ。


それらの多くの方に心から感謝する。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ボクの大きな夢である「出版」はまたまた先伸ばしとなった。

最大の楽しみは最後に来る方がいい。


だが、出版が実現した折には

ボクの最終実現項目、「も一度世界一周」への大きな足がかりとなることは間違いない。


出版に伴う映画化も実現の希望が見えてくる。



来年もまた濃い年になるだろう。

今年以上に濃ゆい年に。



だがまだ残り10日間でやれることは山ほどある。

それらをやりきった上で、

来年の抱負を語ろう。


これもまたてんこ盛りになること請負だ。



こうして健康で生かされていること自体に深く感謝する。


ミッションを果たすべく命を懸けて死ぬまで邁進するのみである。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【追記】

最高に嬉しいニュースが飛び込んできた。


4年ほど前、

ボクの阿蘇のホテルで "English Boot Camp in Aso"を催した折、


その時のカナダ人の講師と、北九州から参加していただいた女性が結婚して

カナダに移住しているという。

女性は60代、カナダ人は70代だと思う。


こういうお目出たいことがあると、やってて良かったと思わざるにいられない。


彼女はいまカナダ永住権を取得すべく幸せに暮らしている。

嬉しくて嬉しくて涙が止まらない。


みんなに幸せあれ!(Be happy!)

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取り越し苦労をしないで済む方法

2013年11月20日 | 人生
精神を患う人の多くは、取り越し苦労型人間だ。


起こってもいないことを心配したり、

やりもしないのに、やれないのではないかと思い込む。


そうして負の情報法を自らどんどん引き寄せる。


企画を作れば否定され、

営業に出れば拒否される。


そうしてめげて、もうだめだと早々と諦めてしまう。

挙句、自分の殻に閉じこもり、ますます自分の世界を狭めていく。


こうなると負のスパイラルに入り込んでしまい、抜けられなくなるのだ。



つまり、情報をネットを通じて得ようとし、

たまに現場に赴くとそこには自分の得た情報と違った世界が広がっていることに愕然とする。


そして自分には才能がないのだと自ら見切りを付ける。

さほど努力もしないで、こんなに頑張っているのにどうして報われないのかと、

人のせいにしたりして外部に責任を押し付けてしまう。



取り越し苦労の多い人は、

できない理由を上げることにエネルギーを使い、

出来ることをどんどん切り捨てていく。


そこに外部からの圧力がかかるともうダメだ。


打たれ弱い。

愚痴が多くなる。

他人を羨ましく思い、比較したがる。


うまく立ち回っている人のことを妬み、さらに自分の情けなさを嘆く。




では、こういう人はどうすればいいのか。


まず、他人や周りを変えようとせず、

自分の考え方を変える必要がある。



なにかやろうとして、いろいろ問題が起きるのは前​進している証拠なのだ。


前向きにやろうとすると

必ずと言っていいほど負の圧力が作用する。


それをいちいち気にしていたらとても前には進めない。



それを突破する秘訣は次の2つのいずれかしかない。


思いきって水に流すか、まるごと受け入れるか、だ。



気持ちを切り替えて忘れ去るか、

覚悟を決めて真っ向から挑むかである。


とにかく、一度やると決めたら、諦めないこと。

一定の成果が出るまでやり続けることだ。



いろんな人に会い、いろんな価値観があることを知ることも大切だ。

それが苦手な人は、一人旅に出てみればいい。


とにかく、ひとつところにじっとしていると、

気が滅入り、ろくなことは考えなくなるものだ。


不安が襲い、眠れなくなり、ついにはウツになる。


そうならないためにも、動くこと。

大体、一日の活動を、動と静の割合が平均3:1にすればいい。


8時間働くとすれば、6時間は外で仕事をし、2時間が家(屋内、事務所)などにする。

そうした習慣が、人生に良い流れを作ってくれる。



見えないものほど怖いものはない。

しっかりと刮目し、現実を受け入れ、謙虚に対処していくことが必要だ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

さて今日は、ベトナムの大きな案件が2件控えていて、人と会うことになっている。


一つは、例の大手食品会社との打ち合わせ。

もう一つは、名古屋に本社を置くグローバル企業との交渉だ。


結果はどうなるか分からないが、

何ごともやってみなければわからないのだ。


やらないうちから諦める必要はさらさらない。


当たって砕けろではなく、

当たって砕こう!の気概を持って望む。



その結果は明日のブログでご紹介できると思う。

お楽しみに。
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サバイバル力 生き残る力

2013年11月18日 | 人生
本当に神様がいるのなら、

なぜこんな仕打ちができるのだろうか。


時に世界で起きる大きな災害で、

罪なき多くの人が犠牲になる。


今は、フィリピンだ。

日本では東北の大震災がある。

時折襲う台風や大雨の犠牲者もいる。


ここで生死を分けるものはなんだろうかと考えてみた。

紙一重ということもありうるだろう。


振り返ればボクも何度か死んでもおかしくない災害や事故に遭遇している。

だが、未だにこうして生き延びている。



生まれてくるのは自分の意志ではないにせよ、

生まれ落ちてからは、その大半が自分の意志が働く。


選択と決断がその人の人生を左右する。

環境、思考方法(考え方)がその人の人生を決める。

そして、学習能力。


つまり、環境や考え方は学習により自分の意思で変えることができる。

だがそれも、自ら積極的に変化、適応していく人と、

現状に甘んじる人がいる。


人生は、移動の時間、距離で変わる。

移動が多ければ、事故の確率も一般的に高くなる。


安心、安定を望む人は、変化を嫌い、移動を嫌う傾向がある。

逆に、変化と移動を好む人は、安定は得にくい。


だが、変化の中に安定や安心を見出すこともできる。

ボクの場合がそうだ。


じっとしていると不安になる。

現状維持という状況に危機感を覚える。


じっと一ところで動かずにいると、考えることが多くなる。

停滞の中での思考は、どうしても下向きになる。

ふさぎ込んでしまう傾向になる。


動いていると気が紛れる。

もちろん、動くために立ち止まり、考えることは必要だが。


ところが、動かずに考えてばかりいる人が結構多い。

気が滅入り、心を患い、ウツになったりする。


安心、安定を求め、リスクを犯さないことばかりを考えることで、

かえってリスクを引き寄せることになる。


人の考えは十人十色、人生いろいろだから、どれが良いとか悪いとかジャッジすることはできない。


ただ、見ていて歯がゆくなる人が多いのは事実だ。

そしてそういう人に限って、間違った選択をして自分で自分を苦しめている。


だがそう言う人は、それすらも気がつかない。

人の話を聞こうとする姿勢に欠ける。

自分の世界に閉じこもる。


だから、人とのコミュニケーションが不得手である。




だからといって、短命かといえばそうでもない。

冒頭に戻り、

もしこの世に神様がいるのなら、

人の寿命というものをどうやって決めているのだろうか。



その人の生命力というものがある。

それは、生きる力ではない。

生き残る力だ。

復活する力といってもいい。



英語では、災害の生存者をSurvivorという。

Alivorと言ったりしない。


または、再び蘇ることはreviveという。

このviveという語源はラテン語やフランス語に由来する。

joie de vivreというと、

a feeling of general pleasure and excitementの意味をなす。

vivid やvivaともつながる。


または、on the qui vive (for something)と言ったりして

「気を配る(pay attension)」という意味に使われる。


「気」は、英語ではchiと言ったりすることもある。

それは、life energyであり、 vital energyでもある。



人の寿命は何で決まるのか?

歴史的偉人の中には志半ばで若くして倒れる者もいる。


坂本龍馬や織田信長、チェ・ゲバラといったボクの好きな人物も皆そうだ。

かと言って、天寿を全うする人物もいる。

天寿までいかなくても長生きしたエジソンやアインシュタインのように。



もしも神様がいるのなら、

そうした寿命はどう決めているのだろうか。


命は神から与えられた最大のギフトだと思うのだが。


さて、自分の余命はあとどれくらい?

それがわかれば苦労はしない、か!?

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時(とき)

2013年11月14日 | 人生
日々の生活の中で、ボクが最も大切にしているものがある。


それは、


「時(とき」)である。


時間ほど、全ての人に平等に与えられ、

規則正しいものはない。


「時」 に美さえ感じる。




一方、時とは、取り返しのつかないものである。

ただ、思い出に残るだけだ。


それもまた、時と共に風化していく。

時とはそれほどまでに切ないものであり、悲しいものなのかもしれない。




だが、時にも効用がある。

それは、忘却である。


「忘却とは、忘れ去ることなり。

忘れ得ずして忘却を誓う心の 悲しさよ
」という有名なセリフがある。



時は、悲しみを、憎しみを忘れさせてくれる。

積年の恨みも、時と共に薄れ、馬鹿らしく思えることさえある。


いつまでも根に持つとロクなことにはならない。



だが、いつまでも悲しんでいては、先には進めない。

どこかで割り切る必要がある。


時は、背負った傷さえも癒してくれる。




それが、今朝起こった。

ずっと気になっていた人から、一通のメッセージが。


ボクはその人を傷つけ、ボクも傷ついていた。

このまま遠い人となっていくことを覚悟していた。


それこそ、忘れえずして忘却を誓ったものだ。



その傷はお互い消えていなかった。


「元気?」

その一言が嬉しかった。

同時に、彼女と過ごした日々が昨日のことのように蘇った。


「元気だよ。君は?」


彼女はそのことには答えなかった。

彼女は一度は死にかけた人なのだ。


ボクはその時彼女の命を繋いだ。




ボクの質問に答える代わりに、

「あなたと友達になれる?」

彼女はそう聞いてきた。


恋人だった。


友達という言葉に、いささかショックを覚えながら、

「ああ、もちろんさ」と快諾した。


恋人にはもう戻れない。

お互いそれは分かっている。


彼女は生き延び、もう一度ボクに光明を見ようとしているのだろうか。

思い上がりかもしれない。

だが今のボクは、それに精一杯答えることができる。




これからは友達でいようね、って

別れるカップルがいる。

バカ言うな。

それは詭弁でしかない。


恋人からいきなり友達にはなれないことぐらいは分かっているだろう。

それに、ボクはそんなに器用ではない。




だが、時がそれを可能にする。

これからお互い友情を育めるだろうか。

戸惑いはある。

もう会うことはないだろう。


これから先のことは誰にも分からない。


だが、時がボクにそれを引き受けさせてくれた。



清々しい晩秋の朝にふさわしい

一日の始まりだ。


時とはこれほどに暖かく、物悲しい。


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また新しいステージが始まった

2013年11月06日 | 人生
いつも、旅の終わりは、新しいステージの始まりでもある。


フリートークは、アメリカ人スタッフによる新しいい経営形態が始まりそうだ。


NPO法人もいよいよ本格始動する段階に入ってきた。

BRCORPとの提携も、仕事内容が具体化する。


東南アジア戦略も進展しつつある。


さあ、すべてはこれから始まる。


新しい夜明けが待っている。
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幸せな人と不幸な人との決定的な違いとは

2013年10月19日 | 人生
成功する人、失敗する人

運の良い人、悪い人

損する人、得する人


つまり、成功と失敗の分かれ目、

運の良し悪しの分かれ目、

損得の別れ目はどこにあるのか。



運がいい人が成功して得をする。

運の悪い人は、いつも失敗ばかりしていて損をしている。


ということは、究極は「運」なのか。



では、良い運の人と、悪い運の人はどう違うのか。

運は才能ではない。


頭の良い人、何か才能がある人がいつも成功して得をするわけではない。


頭が良いばかりに、

あるいはいたずらに才能があるばかりに損をする人もいるわけで。



運が良かった、悪かったというのは結果論でしかない。


その結果を引き寄せる能力こそ、運の良し悪しを決めるのではないだろうか。


では、いい結果を引き寄せる能力とは、何か?

これがわかれば、負け知らずの人生を歩むことができる。


運のいい人生を歩む方法がわかれば、百人力だ。



では、その方法とは。


いたって簡単である。


答えは、


「自分は運がいい」 と思えばいいのだ。


どんなに失敗しても、

どんな災難が降りかかろうとも、


それでも「自分は絶対運がいい」、と思い込めばいいだけのことだ。


そうは言っても、それがなかなか難しい。

順調に行っているときは、

自分はなんて運がいいんだろう、誰しもと思える。


だが、ひとたび奈落の底に陥ると、とても運がいいとは思えない。



仕事を失い、女房(彼女)に逃げられ、病気したとき

運がいいと思えるだろうか。



実は、そこが運の分かれ目なのだ。


どんな苦境に陥っても、

運がいい人は、どんな状況の中でも、運がいいと思えるのだ。


誰が見ても運が悪いとしか思えないようなときに、

オレは運がいいのだ! と言える人間。


それこそ、物事がうまくいって得する人間なのだ。


だからこそ、なかなかいない。

大半の人は、

運が悪い時には悪いと思ってしまう。


失業して、女房には逃げられ、おまけに病気を患っている状況で

オレはなんて運がいいんだ! と思えるか!?




思うのです。

「それでもオレは運がいい!」 と思うのです。



そうすれば、

新しいより良い仕事が見つかり、

若くて美しい女房が現れ、

挙句病気も治り一層健康になり若返る。





どんなに落ちぶれても、胸を張って歩こう。

自信とプライドだけは失ってはいけない。




そもそも、人間に生まれてきただけでも運がいいからなんだ。

ひょっとしたら、ゴキブリだったかもしれない。


人は全て運がいいようにできてるんだ。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

運をよくする具体的な方法としては、


まず、人と比べないこと。

人と比べるから、落ち込む。

落ち込むから、ドンドン悪くなる。


自分は、自分。

オレはオレ。


それでいいジャン!



どんなにビジネスで成功している人でも、

家庭がうまくいっていない人や健康に問題を抱えている人も多い。


あるいは、実際は資金繰りに苦労している場合もある。


仕事も、人間関係も、健康も、

全く問題ない人なんてこの世にいないよ。



だけど、それを乗り切る人は、

うまくいかない中で、自分のことより人のことを考えている。


自分の幸せより、人の幸せを願っている。




もう一つは、

常に「ポジティブなイメージ」を持ち続けること。


心配ごとや不安などのネガティブなイメージが

ネガティブな現実を生み出している、ということを忘れてはいけない。




【追加】


声に出して言ってみよう!


オレ(私)はついてる。

私は運がいい!


オレ(私)はできる。

私はやれる!


やってみせる!

必ずやってやる!


私は幸せだ。




呪文のように唱えてみよう。


そして、


みんなに、全てに感謝しよう。


ありがとう!



【追記の追記】


決してどこかの宗教団体ではありまシェン。

念のため。
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縁の意味するところ

2013年10月17日 | 人生
知り合った人、

つながった人とは必ず意味がある。


その意味とは、

その人が自分の役に立つか、害になるかということではなく、

あるいは、どんな利益を持たすか、不利益をもたらすかではなく、


自分がその人にしてあげる何かがあることに気づくことなのだ。



人と出会った時、まず思うこと。


「この人の良いところはどこだろう」

「この人のために自分は何ができるだろう」


この二つだ。


つまり、

相手の「良いとこ探し」、

自分の「出来ること探し」
 だ。


大事なことは、

見返りを求めないこと。


純粋に、その人のことを想うこと。



全ての人の役に立つことはできないかもしれない。


でも、目の前の人のためになることは何かしらできるはずだ。


それがどんなに些細なことでも、

その人にとっては最高の贈り物になるかもしれないのだ。




よく、物をあげる人がいる。

プレゼントだ。


それはそれでいいことなのだが、

本当は物ではなく心が欲しいのだ。


優しい心。

温かい心。

思いやり、

おもてなし、


それが想い出となって残るから。




心から心配してくれた人。

話を一生懸命聞いてくれた人。

ただそばに寄り添っていてくれた人。



そんな人が相手にとっては一番嬉しいのだ。



最近、再認識したことが二つある。


一つは、上記に述べたように、

縁あって知り合った相手の利益になること、有利になることを考え与えようとすれば


人間関係はよりよく形成される、ということ。




もう一つは、

何かをやろうと思ったとき、

思い切って宣言することで思いもよらなかった人々がそこに集まり出す、ということだ。


これは、「看板効果」といわれる。



そして、集まってきた人達のことを、また考えてあげる。

来てくれた人たちのことを、自分より最優先して考えること。




実例を出そう。


Sくんが新たな事業を始めた。

すると彼のもとに、その事業に詳しい方たちが来てくれるようになったのだ。


そして、助言をし、手助けをしてくれる。


昨夜、彼は初めてのセミナーを行った。



彼にとっては何もかにもが初めての経験だ。



もちろん、全てがうまくいくわけではない。


人間関係にしても、良かれと思ってやったことで、

逆恨みを買うものもあれば、妬みや誤解を生むこともある。


だからといって、その圧力やストレスに押しつぶされていては

自分がやろうとしていることを見失ってしまう。




大事なことは、

やろうと思ったことを始めること、

始めたら途中で辞めない、諦めないことだ。



そのためには、自分で決めたことをとことん貫くという強い覚悟が必要だ。


自分に自信を持つこと、

つまり自分を信じること、


周りが何を言おうとも、揺るがないこと。

そのため、不断で普段の努力が欠かせない。


そして、謙虚になること。


謙虚とは、人の意見や助言を聞く耳を持つ、いいことは取り入れる。


これは、周りに振り回されるのとは意味が違う。

軸足をぶらさず、頭は柔らかく保つことを意味する。


頑固で柔軟。

一見矛盾することが生きる上では必要となる。

要はバランスの問題だ。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


バランスといえば、

自分のことと相手のことをどういう比率で考えるかということも同様だ。


自分が可愛いことは誰しも共通する。

だが、愛する人には自分を投げ打ってでも守ろうとすることも本能。



そうでない相手、つまり、誰にでも自分を投げうつことができるか。

特に困っている人に対して。


貧困はその最たるものだろう。

そうでなくても、相手の利益を最優先に考えることは難しい。



ボクは、

独り身になった今、

そして、物質欲がほとんどなくなった今、


人の利益を最優先に考えることができるようになった。


ボクは、最小限のおこぼれでいい。


みんなと楽しく、少しだけ食べて、飲んで

雨露をしのげる寝床があって、

旅して暮らせればそれだけで本望である。



人のために、ボクの体験で培った知恵や知識が役立って、

相手が幸せになってくれればそれでいいのだ。


報酬をいただけるなら、ほんのちょっとでいい。

殆どは、相手の人が手にすればいい。



そう思って縁あって係わる全ての人に接することができるようになった。

そうすることで、自ずとボクは幸せになった。




手に入れようとするな。

与えることに一生懸命になるだけでいい。


そうすれば自ずと必要なものは手に入ってしまう。


そうして、それをまた人に与えればいい。

空いた手には、また何かがギフトとして与えられる。



最高の人生とはこの繰り返しである。



「奪うことなかれ、与えよ。

さらば救われん。」
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Keep going ahead!

2013年10月07日 | 人生
この1、2ヶ月激しい変化の渦の中にいる。


というか、今年に入り、めまぐるしい変化が自分の人生の中に訪れている。

もちろん、良いも悪いも嬉々こもごもだ。


少し整理してみよう。


まず、4月、2つの新事業が同時にオープンした。


ひとつは、阿蘇に英会話合宿の”English Village"がオープンしたこと。

だが、早々に頓挫した。


この後始末は残念ながら法廷へと場所を移す。



もうひとつは、ハノイに店をオープンしたこと。

こちらは今のところ曲がりなりにも頑張っている。



全く離れたところ(別の国)で新企画が始まったわけだが、

完全に明暗を分けた格好だ。



そして、7月、まだ新事業の熱気が覚めやなないうちに

階下のテナントの利用の話が大家さんから浮上した。


格別の条件と、その立地の良さから引き受けることに。


これもまた無謀な挑戦だ。



幸い、その後知り合った青年と、

かねがね起業したいと語っていた方とによって


8月、9月と立て続けに協業体制がスタートした。


自らも、ゲストハウスを立ち上げた。




そして間髪を入れず、外資系の会社からコラボの企画が持ち込まれる。


さらに、先月末、立ち上げから行動を共にしていた有能なスタッフが辞職した。



今年に入ってNPO法人の立ち上げを急遽引き受けることにしたのも何かの因縁だろう。




この一連の慌ただしい動き、変化は一体何事だろう。


一年内に、今までこれほど激しい変化を見せた年はこれまでなかった。


離婚や裁判や大移住といった

個人的な大事件はそれなりの間隔(略6年~12年おき)で起きてはいたものだが。




というわけで、

すべての難題を一挙同時処理していかなければならない立場に立たされている。


おかげで寝る暇もない。

いつ倒れても不思議ではない状態にある。



だからといって辞められない。


不思議にも、これが使命感となって心の中は熱く燃え盛っている。

決して嫌な状況とは感じない。


むしろ好ましいとさえ思う。



これだけの試練、難題を天から授けられた感謝の気持ちでいっぱいだ。


解決できる問題だから我が身に起きる、と考える。

乗り越えられる試練だから、我が身に降りかかる、と思う。



むしろ、自分がこんなにも問題解決能力を試されていることに

有難いとさえ思う。



それはボクにとって悪い話、不幸な話であろうと思われること以上に

素晴らしい話が転がり込んでくるのだ。



そして、ボクの悪口を言いながら離れていく面々以上に

素晴らしい人たちに恵まれていることに感謝の念が絶えない。



自ら損の種を撒きつつ、

まるで、その脇から正体不明の新芽が続々と吹き出してきているかのようだ。




当然のことながら、問題は山積している。

これからも新しい問題が吹き出すだろう。


誹謗中傷という風評被害にも耐えなければならない。


決して小局を無視するわけではないが

大局を見据えて、自分の信じる道をただひたすらに進むだけだ。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


本当は今日は別の内容で書き始めたが

書いているうちにこのような内容になってしまった。


実は、また新たな企画を考えついたのだ。

そのことについて書こうと思ったのだが。


それについては、数日内に発表できるだろう。




ただこれだけは言える。


たとえ不幸に見えることが起こっても

それは全て良い方向へと導かれるものである、ということ。


起きた事象を悪いこと、不幸なことと捉えてしまい、

悲観したり、ふさぎこんでしまうのが最もいけないことだ。


もうダメだ、自分はダメだと思ったらそれでおしまいである。


まだいける、まだやれると思えば、

事態は必ず好転する。


そして不幸と思える出来事も、

結局はそのために用意された不可欠な出来事に過ぎなかったことに気づかされるのだ。



だからはっきり言おう。

自分自身が悪いと思うから悪くなるのであって、

悪いことは絶対起きない。


全てはその人のために起きている単なる現象に過ぎない。


要は、すべての事象を良いように解釈することだ。


過ぎたことをいつまでも悔やんでも何ら解決はしない。



認めて、受け入れて、許して(相手も自分も)、

そしてひたすら信じた道を前へ進むのだ。


諦めるな!、辞めるな! 続けろ!


Don't quit!

Don't stop!


Keep going ahead!
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自分の世界は?

2013年10月06日 | 人生
自分を取り巻く世界の大きさはどれだけ?


それは行道範囲でほぼ決まる。

毎日行き来する家と職場。

仕事が終わって帰宅までに立ち寄る場所。


行きつけの居酒屋であったり、

習い事のサークルであったりするかも。


直帰型は家族との団欒を楽しむか、

ひとりの時間を大切に趣味に打ち込む。


オフの日の過ごし方も様々だ。

遠出を常とする人もあれば、

近場でお茶を濁す人もあろう。



また、行動範囲が狭くても、

読書や映像によって自分の空想の世界を広く持っている人もいよう。


頭の中の行動範囲も捨てたものではない。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この一年を振り返り、自分の行動した地点を線で結んでみよう。


地域の地図だけで収まる人。

九州、日本地図の隅っこまで線が伸びる人。


世界地図を引っ張り出して数本の線を長く引くく人。


長くとどまる地点が2箇所3箇所と増える場合もあろう。



今年のボクは、

熊本市内を中心に、阿蘇(西原村)との週一移動を繰り返す。


そして福岡から台北を経由してハノイへと数本の線が重なる。


ハノイから、べトナム国内移動の線が2本、

マレイシアのクアラルンプールまでが一本。


フィリピンのマニラまでが2本。


そして今年の〆は、ソウルから今年4度目のハノイとなり、


そこから新たな線がシンガポールまで伸びる予定だ。




一年を通じてハノイの滞在日数は一ヶ月を優に超える。

今や第二の故郷的な居場所になってしまった。


たしかに水が合うというか、空気が和むといちうか。

それは必ずしも綺麗を意味しない。


むしろ反対に、濁ったところが妙に落ち着くといった感覚に似る。


透けて見える自分の姿より、

どこか薄汚れて消えてしまいそうな自分が好きだ。



その移動と滞在地点でどれだけの人と出会い、

どれだけの人と別れたか。


今年は今まで大きな別れが二つあった。

そのどちらも大きな痛手となってボクの心に突き刺さる。



出会いの数はそれより多いが、

新たな人間関係を構築するにあ長い時間を有する、


別れが一瞬であるのと対照的だ。


その中で、腐れ縁と言える関係も続いている。


友の数は少なくとも、その長さは長いほうがいい。

浅く広くがご時世の世の中。


いかに永遠の友を得るかがその人の人と成りを決めるといって過言ではないだろう。


時に友遠方より来たる。

十数年ぶりの再会もあった。


また楽しからずや。




人生は一生涯に移動した距離と、

出会った人数によって意義や深みが決まることが多い。


一生を井の中で暮らす蛙でいるの、

大海の遊魚のように一期一会を繰り返すのか。



どちらが良いとか悪いとかいうわけではない。


狭くとも深い、浅くて広いといった区別も当てはまらない。

広く深く長くが理想なのかもしれないが。




【補足】


衣替えとともに、

人替えも起きる。


時にポーカーの総替えという手を使うのも

人生の選択の一つの手であろう。


いつまでも握り占めているカードに見切りをつけ、

柵(しがらみ)を断つ。


強い決断が要求される。


それには、

手持ちのカードの数に変わりがないことがミソなのだが。
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世界を変える

2013年09月30日 | 人生
これからのボクの行動の一つ一つは

全て世界を変えるためのものである。


一つとして、一瞬足りとて無駄はない。

世界を変えようという人間に、

休息の時も、寝てる暇もないのだ。



解き放たれた鳥のように、

あるいは、水を得た魚のように

ボクは今まで以上に自由かつ思い切った行動ができる。



いままで手に持っているものを離せば、

新たなものを手にすることができる。


必死で守り続けてきた対象を失っても、

また新たなものが見えてくる。


そしてそれはより重要で貴重なものなのだ。




ボクは、世界平和のために命をかけている。


だが一気にはできない。

少しづつ、小さな行動に移すことで

それは着実にゴールへ向けて近づいている。


ボクはそれを感じることができる。





フリートークは、

『Global Business Center』 として、

門戸を広く開け、あらゆる可能性を追求していく。



NPO法人が認可された暁には、それは一気に花を咲かせるだろう。

今はその産みの苦しみを味わっている。


その道程において、夢を諦めて去っていくものもあれば

ボクを信じて一緒に活動するものも増えている。



多分、ボクは変わったと言われるだろう。

多くは批判の対象とされるだろう。


甘んじて受けよう。



変化に対応できるものだけが生き残る。


ボクは変わるのだ、

文字通り一皮むけて脱皮するのだ。


カメレオンのように周囲の環境の変化を読み取り色を変え、

アメーバーのように形を変えて動き回る。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


当面の活動。


① 『グローバル・ビジネスセンター』

コ・ワーキングスペースとして開放します。


詳しくは直接お尋ねください。



 『BRCORP』 との提携に際し、

ベトナムおよびシンガポールに出向きます。

予定は、10月25日から10日程度です。

詳しくはまたお知らせしますが、

同行者を募集します。



③ 各種イベントパーティを企画し、開催します。

第二、第四木曜日の「英会話サロン」、

第四火曜日の「英語でしゃべり隊」は今までどおりです。


新たに、

「英語 de ガイド」勉強会、

「ビジネス英会話」講座、

「翻訳・・通訳講座」

各種語学(中国語、フランス語、ベトナム語etc.)講座、


に加え、

従来の「アジアビジネス進出戦略会議」

「ワールドサロン」

「ワールドクッキング」

「ファイナンシャルセミナー」

など一連の活動をより充実させます。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


このブログを書いている今でも

事態は変化し進行している。


中国語講座は今週末にも始まりそうだし、


ボクがアイデアを提案していたある食品メーカーの社長から

興味があるのであって話がしたい、との一報を受けた。


それは、クールジャパン活動の一環で、

まずベトナムを突破口として世界制覇を狙うものだ。


変化が変化を呼び、いよいよ仕掛けてきた企画が動き出した。


君も一緒に世界を変えてみないか!?



もう一つ。

ボランティア秘書を募集します。

手伝ってくれませんか?


国籍、年齢は問いませんが、美女に限ります。(joke)


まずはご連絡を!






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