世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

感性の人

2013年09月23日 | 人生
それでなくても季節の変わり目は体調の変化をもたらす。

それ以上に、毎年夏から秋に向かう時なぜか心は切なくなる。


自分の心身から悲鳴が聞こえる。

原因は、ストレスというより過労だろう。


係わるビジネスの質や量とともに、人間関係の妙もその激しさを増す。



そんな中、

イベントやパーティの席上で縁あって

占いを立て続けにしてもらった。


一つは、陰陽師の方による占い。


初めての経験だが

名前と生年月日による古来のやり方だろう。


考え事が多すぎます。

疲れてますね、休養が必要ですとズバリ。


だが、現代、疲れていない人を探すのは至難の業(Herculean task )だろう。


秋は空きに通じ、冬まで行動を慎むように、と。

今まで無難にやり過ごしてきた旅行にもこれからは危険が潜んでいる。

だからお守りを身につけて、とも。

もっと自然に接して、龍のいる場所に行きなさい。

龍神様のいらっしゃる所へ。


ボクの自宅は、龍田であり、

昨今、頻繁に訪れるベトナムは龍の国と言われる。


守護神にタイの女性がいるらしい。

それを言うならベトナムであって欲しかった。


チョッとずれたけど、当たらずとも遠からずかもしれない。






もう一つの占いは、統計学によるアプリ占い。


これは生年月日を入力するだけで、3つのカテゴリーで判断する。


人 F

感 I

感 I

とでた。

これは何を意味するのか?


どうやら、人との縁を大切にし、感性とアイデアで生きているようだ。


ピンときたら即行動。

何となく当たっているような。

感性の人は少ないという。



人の縁は大切にするが、

現実は、多聞にもれず人間関係はギクシャクとしてへたくそだ。

常に渦巻く人間関係の中で翻弄され続けている。


良かれと思ってやることが裏目に出て、

反感や恨みを買う。



だから人が離れて行く。

切なくてやり切れない。



今回も多くの人がボクから離れて行く。

逆にそれでも残ってくれる人こそ、真の友人だ。


そして、また新たな人々がボクの前に現れる。

これも輪廻なのか。


縁は円の形をしており、線が切れることを知らない。



幾つになっても何処へ行っても

常に「危機」と「緊張」と「危険」の中にいる。


どうやらこの「3キ」に惚れられたようだ。

とり付いて離れない。


それを嫌だと思わない、むしろ快感を感じている自分がいる。



感性の人でも、完成の人には程遠い。


惑わずという心境には達しないまでも

何事にも動じなくなっては来たことは事実だ。


むしろ死ぬまで未完成の人でありたい。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【余談】


昨日、サンフランシスコに住む息子から電話(skype)があった。


無理しないで。

何事にもバランスが大切だよ。

健康第一なんだから。


彼はとどこまでも優しい。

29歳、独身。

放送局勤務。

先日はシアトルまで行ってビル・ゲイツのインタビューに係わったそうだ。


アメリカ(カリフォルニア)に住んではや12年目。

どなたか、嫁はおらんか?
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人生の法則

2013年09月18日 | 人生
人生には、法則というものが確かに存在する。


法則というのは、

こうすればこうなるという決まりきった流れだ。


つまり、ある決まった結果には、

必ず決まった原因が存在する。



それを見つけ、それを知り、

それに沿って人生を歩めば成功を収め、幸せになれることはいうまでもない。


ところが、誰しも成功し幸せになりたいと願うのに

そうなれない人が多いということはどういうことなのだろうか。


特に社会的に成功者と言われる(思われる)人は極端に少ない。


それは畢竟、


人生の法則を踏み外しているからにい他ならない。



では、人生の法則とはなにか?

それは因果の法則に基づく。


因果の法則とは、

平たく言えば、


自分がやったこと(言葉、行為)が、そのままそっくり自分に結果(報い)として跳ね返ってくるということである。


つまり、良いことを行えば、良いことが起き、

悪いことをすれば、悪いことが起きるということだ。


いたって単純な理論だが、

現実の生活においてこれを実行することは至難の業だ。



良いこととは、打算抜きの真実の愛を伴わなければならない。

打算抜き、

真実の愛、


これがなかなか出来そうでできないのだ。


どうしても見返りを求めてしまう。

どうしても愛には下心が付きまとう。


人間とは煩悩の塊のようなものだから。


打算抜きの真実の愛を捧げれるようになるには、

悟りの境地に達しなければならない。


修行僧が一番苦しむのはそこではないだろうか。



だが、お堅いことばかり言っていても人生は砂をかむような味気ないものとなってしまう。


愛には教えとユーモアが潤滑剤となって存在しなければならない。

時にはそれがダジャレであり、オヤジギャグであろうとも。


人生の法則なんて、

可笑しく面白く、(愛する)人のために真っ当な道を歩めばいいだけのことよ。


難しく、小賢しく考えるからストレスになり、ウツになったりノイローゼになったりするんだ。


気楽に、気軽に、気持ち良く生きようよ。
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人生の断捨離

2013年08月25日 | 人生
人生は、時に長距離マラソンにも例えられ、

重い荷物を背負った旅にも例えられる。


どちらも言い得て妙だが、

旅の中でも登山に近い感覚をボクは持っている。


ゆっくりゆっくり頂きを目指して歩く。

やっと登頂しても、また次の頂きが待ち構えている。


断崖絶壁の尾根伝いを行くか、一旦下山して再び挑むか、

あるいは、断念するか、

いずれも選択の余地は残されている。


決めるのは自分自身だ。

The choice is yours.



そうして自分で決めた頂点を目指して

いくつかの登頂を果たしてきた。


未だに挑戦の途上にある。


途上に横たわる困難が、うねり来る津波のようにこれでもかこれでもかと襲いかかる。




一方で、そろそろ潮時かと想うときもある。

望むと望まざるにかかわらず、拡張路線をひた走っている。


気がつけば、物が溢れかえり、

自ら積み上げた課題がボクを苦しめる。



 ̄ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

断捨離という言葉が一世を風靡した。


断捨離とは、言うまでもなく不要なモノなどの数を減らし、生活や人生に調和をもたらそうとする生活術や処世術のことだ。

getting rid of the clutter in your life and living with the bare minimum of things


それは、モノの整理にとどまらない。


人間関係の整理、仕事の整理もその範疇に入る。


とうに減らすことに傾注する時期に入っているとはいえ

物の数こそ増える勢いを失ったものの

人間関係や仕事の量といえばますます増える傾向にあるのはどうしたことか。


酒の量、食べる量も減ったというのに。



来るもの拒まず、

頼まれごと断らず主義がそうさせていることは分かっている。


いい子(人)ぶる必要性はさらさない。

むしろ、人間関係、仕事を増やすことでボクの評価は低下気味だ。


それでも、マチベーションが下がらないのはなぜか?



それは愛する人がいるからだ。

守るべき人がいるからだ。

やりたいことがあるからだ。


それだけでも幸せなことではないか。



人生の断捨離を横目でにらみつつ、

ボクはまだまだ拡張期を抜け出せないでいる。


そしてそれが心地よいと感じる自分を誇りに感じる。


「あとは野となれ山となれ」

After me the deluge.


時に投げやりな気持ちになることもある。

それで、人からけなされようが、批判されようがボクは気にしない。

I couldn't care less.


ひたすら自分の信じた道を、

自分でこしらえた頂きを目指して一歩一歩登っていくだけだ。
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転換期

2013年08月23日 | 人生
人生の岐路には二通りがある。


安定か変化か。



うまくいかないとき、人は別の道を考える。


だが、物事がうまく進んでいるときは、そのまま続くことを願う。


当然のことだ。

幸せであれば誰しも幸せでいつづけたいと思うだろう。


そうすれば守りに入る。

保守的になる。


そこに落とし穴が待っている。


うまくいっている時こそ転換期なのだ。

敢えて幸せを壊してまでも、その先を見据えなければならない。




人生で最も難しいことは、現状維持なのだ。

例え幸せであろうと不幸であろうと、それを長く維持することは不可能に近い。


ただし、不幸はさらなる不幸を呼ぶことがある。

今幸せな人でも、もっと幸せになろうと欲を出せば、不幸に転じることはよくあることだ。


幸せの状態をキープすることも難しい。

どこかで何らかの試練が待っている。


うまくいっているときにそれを自ら壊すには、勇気がいる。

だから、安定を求めコンフォートゾーンに留まろうとする。



だが、さらに次のステップを望むならあえてリスクを取るべきだ。




人が同時に手にできるものは、2つしかない。

なぜなら手は二つあるからだ。


ただ、両方の手で掴まなければならないほどの人生を左右する大きなものは、

たった一つしかつかめない。


天が二物を与えることは稀なのだ。



あるいは、3つ以上のものを手にしようと欲張れば、

今持っているものは手放さなければならない。


それをわきまえ(discriminate)なければならない。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ボクの夢は現状に留まらない。


モットモット先にある。

だから、現状にあるものを手放さなければならないことは分かっている。


今その手放すタイミングを探っている。

ただ、それは遠からず必ずやってくるだろう。


それを待つのではなく、

こちらから積極的に仕掛ける(challenge)のだ。


覚悟を決めて打って出(to launch oneself upon; to make one's debut )なければならない。




人生、守勢や守りに入っては面白くない。


自ら自分の殻を破り、未知の世界へ飛び込んでこそ面白くなる。

そのためにも、知らないこと、やったことがないことへの冒険心持ち続けよう。


常に変化と進化を求めてやまないチャレンジャーであるために。



たとえ、傷ついても、失敗しても構わない。


なぜならそれが人生だから。

それがボクのライフスタイルだから。


そういう経験を誰よりもした奴が最終的には勝つことを知っている。


波乱万丈こそ、人生は面白い。
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狂う

2013年08月22日 | 人生
朝から食事する間もなく

ゲストルームの追い込み工事にかかっている。


それにしても、暑い!!

シャワールームの組立てで午前中いっぱいかかった。




それでもまだ排水工事が住んでいない。

壁作りや配線工事もひとりでこなす。


24日のオープンまで間に合うのか?




     奥は2段ベッドのスペース。

     右手が個室。



     もうひとつの個室




あれもこれもと締切に迫られて息つく暇もない。


あと10日ほどで、またベトナムに行く。

それまでイベントも目白押しだ。


NPO法人の申請、

電子書籍の発行準備と今月中に済ませなければならないことばかり。


これで狂わなかったら、自分を褒めてあげたい。


ブログの更新も、この時間になってしまった。


明日もまた、炎天下、走り回る。

すでに気が狂っているのと同じ状態だ。
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進行する格差社会

2013年08月19日 | 人生
格差は何も経済的格差を意味しない。


ここでいう格差は、

精神的格差、

心の格差だ。


どういうことか。


つまり、

心を病む人と、心身ともに健全な人との格差が顕著になっている。


病む人はどこまでも病み続ける。

ひどくなっても治ることを知らない。




心を病む人に共通するある性癖がある。


当然のことだが、悲観論者である。

異常に取り越し苦労が多い。


何かを行動に移す前から、

まだ起きてもいないことをあれやこれやと心配してはふさぎ込む。


これではいくら身体(心)があっても身(心)がもたない。



潔癖症に多いと聞く。

そして、粘質性、何時までも根に持つ人。

許せない人。

仕返しをしようと考える人。


相手を困らせるだけで、自分に何の見返りもないことをしようとする。

嫌がらせだ。


こういう人は性根が腐っているから、早晩自らの心を病むことになる。



あるいは、嫌なことから逃げようとする。

嫌なことを避けて通ろうとする。




人はみな、快楽を求め、痛みを避ける。


肉体的には理解ができる。

だが、精神的なことでこれを貫くととんでもないことになる。


心の痛みから逃げていると、痛みへの免疫性が崩れていく。

生きていくうえで、身体の痛みは避けたり治したりできても

心の痛みは、避けることができないし、薬で治すことなど更々できない。


心の病に西洋医学療法は本末転倒だ。

心の病の症状として痺れや発作が体に出る。

あるいは不眠に陥る。

その現象をいくら薬でたたいても、付け焼刃(borrowed wisdom)の対策に過ぎない。



心とは思考である。

心の病に陥った人は、

思考のパラダイムシフト(Paradigm Shift of Thoght)を起こさなければならない。


これまでの考え方、価値観を一変させる必要がある。

なかなか難しいことではあるが、そうしなければ治らないだろう。


それにはそれに応じた行動を起こすことだ。



―――――――――――――――――――――――――――


人はすべからく幸せになりたいと思っている。

幸せになろうとして、いろんなものを買ったり集めたりする。

だが、物では心は真には満たされない。


日本人はそれにやっと気づいた。


でも、何が本当に心を満たし幸せにしてくれるのかが分からない。


あるものは仲間を求め、あるものは教養を深めようとする。

セミナーに参加したり、習い事をしたりして。


だけど散財し、時間をかけたた割には実感として成果が上がらない。

そこでまたジレンマに陥る。


危険を回避し、幸せ(快楽)を求めるあまり、自分を傷つけてしまう。

そうして多くの人が心を蝕(むしば)まれていく。



だが、一方、心穏やかに、楽しく幸せに暮らす人がいる。

決してお金持ちとはかぎらない。


ではどういう人たちか。


まず、

「足るを知る」 ことを知っている人たちだ。


そうすれば、今ここに生きているだけでも幸せと思えてくるから不思議だ。

幸せになることは簡単だ。


幸せになろうと求めるから幸せは逃げていく。

今ある状況を、ただただ幸せと思えばそれだけでもう幸せになれる。


そんな単純なことがどうしても分からない。


足りないもの、今ないものを追い求めることを辞めて、

今あるものに感謝するだけで、人は十分幸せになれる。


言葉に出して言えば尚更その効果が出る。

「幸せです」

「感謝します、ありがとう」



たったこれだけで幸せになれる。

毎日毎日繰り返すだけで。



も一つ、欲を言えば、

人の幸せを心から喜べるようになれば、

もっとその人は幸せになれる。




さらに人は、楽しくありたいと思う。

笑って暮らせればどんなに幸せだろうと思う。


だったら、笑えばイイ。


楽しいから笑うのではない。

「笑うから楽しくなるのだ」、とはよく言われることだ。


笑うという行動を起こせば、心はそれに従う。

脳が身体の動きについていくとされる所以だ。




【今日のまとめ】


心の病は薬では治せない。

思考のパラダイムシフト(Paradigm Shift of Thoght)を試みよ。

身体(表情)を動かす。
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周囲の人間を見ればその人が分かる?

2013年08月18日 | 人生
その人の年収は、

その人が付き合っている人々の年収の平均値である、とまことしやかに言われる。


ボクの年収は、200万円以下である。

そういえばボクの周りには、


年収200万円前後の人がかなりいるような気がする。

生活保護を受けている人のなんと多いことか。

それも、若い人が結構いることに驚かされる。



ときに、500万円に上の人もいるが

親しい人に1,000万以上の人はいないような気がする。

(いたらごめんなさい)





では、(精神)年齢はどうして決まるか。

ボクの付き合う人の平均年齢はたぶん30代であろう。


つまり若い人が多い。

余り同年代と付き合うことはない。

同年代は、どうも湿った話が多い。

明るい話題に欠ける。


若い人の夢を聞くのが好きだ。

こちらまでワクワクしてくる。


夢無く裕福なお年寄りより、

貧乏でも夢多き若者の方が話し甲斐がある。

最近は、それもなかなか少なくなってしまったが。



旅先も、欧米より東南アジアが多いと、エネルギーをもらえる。

これがヨーロッパ主体になると、どうも暗くなりがちだ。



訪れる先も病院より学校の方が良い。

気が充満しているところの方が良いに決まっている。




ボクは生活の基盤の比率として


日本40%

アジア30%

アメリカ方面20%

ヨーロッパ方面10%にしたいと思っている。


つまり、日本と外国に暮らす比率を4:6にするのだ。

そうすることでいつでも新鮮な空気を味あうことができる。



【追記】


昨夜も2件のパーティの梯子だった。


      異業種交流っぽいちょっと年齢層が高めのパーティ


      インターナショナルパーティ


精力的に出愛の場を作ることが大切だ。



【今日の格言】


「その人を知らざれば、その友を見よ」

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言葉の習慣

2013年08月17日 | 人生
人生を決定づけることに

普段何気なく使っている言葉の癖というものがある。


「~(が)ない」などの否定語や

「ダメ」といった悲観語を多用する人は

残念ながらあまりいい人生を歩んでいない。



日本人は、国民性として

謙譲・謙遜の心を良しとする民族である。

それ自体は決して悪いことではなく、むしろ日本人の美徳といってよいだろう。



だが、時間がない、お金がない、才能がないといかにも自分を卑下するのはあまりよろしくない。

無いと自ら宣言する人のところに、

時間もお金も才能も寄っては来ないからだ。


無くてもあるように振る舞えばイイ。

無いことを言葉に出していちいち宣言する必要はない。


時間に余裕がありそうな人のところへは人が集まり、頼みごとが増える。

いつも忙しい忙しい、時間がないという人のところへは人は寄り付かない。


お金も、才能も同様だ。


特に、イエス、ノーをはっきり言わなければ通用しないグローバル時代においてはなおさらだ。




それから、人生うまくいっていないなー、と思う人の特徴に

人の悪口を言うことがある。


一般に人は、そこにいない人の噂をするのが好きだ。


その時に、悪口を言うのか褒めるのかでその人の人格が決まる。



さらに、愚痴っぽい人。

妬む人。

人のせいにする人。



よく、政治が悪い、世の中が悪いと決めつけて批判する人がいる。

自分の商売がうまくいかないのを景気のせいにする人もそうだ。


何かや他人を批判することで、いくら自分を正当化しようとしても

結局はすべて自分にはね返ってくる。


悪口を言い、批判し、相手のせいにしたところで何も解決はしない。




現状を批判し否定するのであれば、

では、どう解決したらよいのかを示さなければならない。


対案なき反対、否定は無意味である。



日本はダメだと嘆く。

じゃあ、どうすればいいのかと聞くと、分からないと答える。


ダメな日本から飛び出す勇気もない。

ただ批判するというか、悪口を言い放つだけで会話が終わっている。



だからといって、どこかの国々のように

暴力に訴えるのだはなおさら良くない。




ではどうすればいいのか。


自分自身がしっかりすればいいだけのことだ。

相手や周囲のことに惑わされることなく、

一人一人が自分を磨いて自立すれば世の中は自ずと良くなっていく。



それには普段使う言葉に注意することだ。


明るい言葉を使う。

前向きな言葉を使う。

肯定的言葉を使う。

(人を)褒める。


そして夢を語る。



それだけで、人生は好転する。



【付録】


マザーテレサの有名な言葉だ。


思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。




結局、自分の想いが言葉として口を突いて出てくるのであり、

思考そのものが言葉を通して、運命を決定づけることになる。


自分の吐く言葉、口癖を見直してみよう。
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コントロール

2013年08月11日 | 人生
自分自身をコントロールするのは並大抵ではない。

体調面もそうだが、感情をコントロールすることは特に難しい。


心と身体のバランスは微妙に絡み合っている。


今、ボクのそのバランスは崩れ気味だ。


身体は憔悴しきっていて体調はすこぶる悪い。

それでも休むことは許されない。



余りに多くのことを同時に手掛けているので、心も乱れっぱなしだ。

時にイライラが募る。


何かに当たり散らしたくなる。



だが、そこをグッと抑えなければならない。

なぜなら、


自分の至らなさを人のせいにしたり、周囲の環境のせいにすることが

如何に馬鹿げたことであるかを知っているからだ。



体調のコントロールは出来るだけ節制することだが、

付き合いが高じて、性格上すぐに無理をしてしまう性癖がある。


だから、夏風邪もなかなか治らないでいる。




問題は、感情の方だ。


たいていは瞑想で心を落ち着かせるのだが

それすらもままならない状況にある。



不快な気持ちを引きづったまま、

何かにチャレンジしてもろくなことにはならないことは分かっている。



まず、心を落ち着け、本来の自分を取り戻してから事に当たらねば。


弱気な自分、ネガティブな自分を消し去らなければならない。


ひとしきり座禅を組み、瞑想状態をつづけたならば

後は身体を動かすことだ。




そう言えば、この夏まだ海に行ってないナー。

3月にベトナムの夜の海で遊んだっきりだった。






このお盆も、8月いっぱいは休みみなしの状態が続く。

9月に入れば、またベトナムの海が待っている。


それまで何とか乗り切らなければ。




感情のコントロールとは、

『今、感じている気分を、自分の得たい気分に変えること』

だという。


自分が得たい気分とは、何か?


それを知るには行動に移すことだ。


とにかく動くことだ。

じっとしていればいるほど、気が滅入る。



問題は何か。

それをどう解決したいと思ってるのか。



瞑想で心を落ち着かせ、

自暴自棄に陥ることなく、前向きな行動することでそれがはっきりと見えてくる。



こうしてブログで思いの丈をぶちまける。

誰かに話してみる。


少しずつでもいいから仕事や課題を一つずつ熟していく。


それも行動の一つだ。



そして、それから旅に出よう!


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弱者の論理

2013年08月04日 | 人生
当たり前だけど、

人はいろんな人との係わりの中で生きている。



でも、どんだけ係わるかは人によって違う。


30年間、宿泊業を営んで田舎暮らしが続いた時期は

家族がいて、接する人は全国から来られるお客さんがほとんどだった。


そしてそのほとんどが一期一会の出会いだった。




そして、この5年ほど


家族から離れ、一人暮らしの中


世界を旅し、街中で起業することでまた新たな人々とのつながりができてきた。


しかも、それはスタッフであり、濃い付き合いのできるお客さんであったり、

仕事や企画を協業する仲間たちであったり。



安定を避け、変化を望むライフスタイルとしては

願ってもない環境にある。



ただ、今までは家族と自分のことを中心に考えればよかったが

今は、スタッフの生活や係わる人たちの暮らしまでもが自分の中にずっしりと入ってきている。


ボクの呼びかけに共感してくださる人々。

ボクの提案で生活を変える人たち。


そうした一人一人の人の中にも入っていき、影響を与えていることを実感するこの頃。


フリートークのスタッフたち、

新しいお店にかかわる仲間たち、

NPOという組織で一緒に活動する仲間、


遠くはハノイの店で働くパートナーやスタッフの面々。


こうした一人一人の生活に責任を感じる日々が続く。




何事もやり始めたからには、プッツンすることはおろか、

病気もできないし、病気になっても休むことさえできない。



今の仕事を変えたり辞めたりまでして

ボクの提案やアイデアを受け入れて付いて来てくれる人たち。



そういう人々をどうして裏切られようか。


ボクは、家族から離れることで自由を得たが、

また新た仲間たちと出会い、


それぞれの人生に関わりを持つことになった。



人は、どんなに孤独であろうとしても

人間とのかかわりの中で生きるしか術はない。



ただ、経営者、リーダーである立場は

その責任故、孤独を感じることは致し方ない。


それを受け入れ、耐えることができるものだけが真のリーダー足るのだ。

そのためには、自分を犠牲にする捨て身の覚悟が必要となる。



自分の信念を貫くことと

捨て身の自分であることに、時に矛盾を感じることがある。


廻りからも誤解の目で見られることも数々ある。

誹謗中傷の数々、非難の目に晒される。


それでも、揺るがない信念があるやなしや。


例え意にそぐわない結果になろうとも

そのため、反感や恨みを買おうとも


相手のことを思いやる心を失ってはならない。




例え勝者の道を歩もうとも、

弱者、敗者の側に立って考えることを忘れてはならない。


そして、自分がその立ち場になった時の覚悟を常に持っていなければならない。



人生に常勝はあり得ない。

あるのは上昇志向だけだ。


歳をとるだけで、弱者や敗者になることはよくあることだ。


人生、体力と気力だけが勝負の世界を決めるといっても過言ではないだろう。


若いうちは、体力が勝り、

歳をとれば、気力がカバーする。


そのどちらも衰えた時

人は弱者と呼ばれ、敗者の道を辿るのかもしれない。



誰しも弱者や敗者にはなりたくはないだろう。

だが、勝者を続けるには骨が折れる。


ただ、相手を勝者に仕立て上げることは出来る。

弱者とよぼれる人を、勝者にするお手伝いなら生涯貫けるかもしれない。


相手を勝者にしたからといって、

必ずしも自分が敗者になるとは限らない。


時には、強い敗者でいることが美徳とされることもある。



それ以前に、勝敗にこだわらなくなればもっと素敵に違いない。




【補足】


弱い人は、責任を外部に求め

強い人は、それを自分の中に見出す。



リズムに強弱があるように

人生にも強弱は付き物だ。


そのバイオリズムとバランスこそがその人の人生を形作る。



強く勝つことだけが人生じゃない。

時には、弱く、負けることを知ることで人生の旨味が分かるものよ。



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惻隠の情 - 武士道精神

2013年07月30日 | 人生
ボクは何故、スケベ、エロオヤジと言われるのか。


そして、女性に「あの人には気をつけなさい」と言われるのか。



その心は、武士道精神(THE SOUL OF JAPAN)にあると見たり。


新渡戸稲造の「武士道」によれば、

武士道精神とは


① 義(rectitude)もしくは正義(justice)

② 勇気、勇猛心と忍耐

③ 忠誠の義務

④ 品性の形成(to build up character)

⑤ 克己心(セルフコントロール)

⑥ 不屈の精神



などが挙げられているが、

ボクが注目したのは


「惻隠(そくいん)の情」である。



惻隠とは、 かわいそうに思うこと。同情することの意である。


武士道によれば、

惻隠の心((the feeling of distress」は、

いたましく同情する心で

相手の立場に立ってものごとを感じとるという感覚上の自然の性格の発露とされる。


そして、愛、寛容、他者への愛情、同情、哀れみは

常に至高の徳として認められてきた。



また、「仁」は、優しい母のような徳であるが、

孟子は「惻隠の情は仁のルーツである」と言った。



か弱き者、敗れたる者、虐げられた者への仁の愛情は、

とくにサムライに似つかわしいものと称揚された。




また、夏目漱石曰く、


「可哀相とは、惚れたということよ」と。


つまり、惻隠の情は、

愛という心情に結びつき、

「他人を愛する」という博愛の精神と同類型の心の動きなのだ。




社会生活を送る際にも、家庭生活を過ごすのにも

この「愛の精神」が根幹にあって大きくすべてを包んでいる。



また、『情緒と形』とは、


自然に対する感受性、無常観、もののあわれ、美的感受性や情緒など、

日本人特有の感性によって育まれた、

慈愛、誠実、忍耐、正義、勇気、惻隠、名誉、恥などであり、

それは一定の精神の形として、日本人の行動基準、判断基準となってきた。



―――――――――――――――――――――――――――――――


ボクは特に海外を旅するとき

この日本人としての矜持に支えられる場面が多い。


特に「惻隠の情」はボクの心を大きく支配している。



そしてまた、ボクの周りには

か弱き者、敗れたる者、虐げられた者がいかに多いことか。



ボクは、女性に限らずすべての人々に

愛、寛容、許容、同情、哀れみを感じ、それを表現するのに憚らない。


それが特に女性において

漱石のいう


「可哀相とは、惚れたということよ」となって受け取られるのではないだろうか。



それは悲憐の思想と相容れ、

愛の「当為(Sollen)」性として表面化するのだろう。



さらにそれはカントが主張する

真・善・美などの価値の当為性であり、

なんと、プラトン的エロスに繋がる。



こうしてボクが俗にエロオヤジと言われる所以が

弁証法的に実証されたといえよう。


例え、こじつけと言われようとも。




【今日の結論】


つまり、

ボクのスケベ(と俗人に言われる)の根源は


なんと


儒教の教えであり、武士道精神にあり。


それも特に

「惻隠の情」にあったのだ。


しかも、古来、哲学として立証されているではないか。



誤解を恐れてはならない。

「すべからく愛を惜しみなく与え、それを憚ることなかれ」

                  by Asay
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脱皮

2013年07月28日 | 人生
人間には、変化と成長が欠かせない。


一方今、日本人の若者の中には安定を求めるものが増えている。

波風の無い暮らし。

結婚して、子供を作って、郊外に家を持ち、平和な暮らし。


実際この言葉をマジメ顔で吐く若者に3度ほど会った。

しかも男子。


草食男子の真骨頂(true worth )か。


決して悪いことではない。



だが、

自分の人生、80年間安定してました、

と言える生涯を送った人が歴史上に実際何人いるのだろうか。


そして、それってどうなのよ!と聞きたくもなる。



それ以前に、安定した暮らしとはいったいどういう暮らしなのだろうか。


失敗もなく、生活に困ることもなく、怪我も病気もせず、

失業することもなく、人とのトラブルもなく、

家族や周囲も恙(つつが)なく一生を終える。


もしこれが安定した暮らしといえるなら、

どれだけの人がそうした生涯を送れるのだろうか。


ボクは、皆無に近いと思う。



――――――――――――――――――――――――――――――――

ボクは、戦後の経済成長時代を駆け上ってきた。


「24時間闘えますか」 というコマーシャルソングにも応えた。

(今も相も変わらず24時間闘っているが)



10代の受験戦争にも勝ち、

20代の就職戦線でも勝ちを収め、

30代での脱サラ(起業)においても成功し、

そして、40代、50代にわたる3度の転職(転業)も熟(こな)してきた。


まさに24時間、365日闘ってきた常勝(上昇)組だ。



普通は60も過ぎれば、もうここらで休もうかと思うのが普通であろう。



だが、ボクはここから一気に快(怪)進撃が始まる。


都会から田舎へ舞台を移し、

さらに街へ帰ってきた。


そして新たなビジネスを創り、

海外へも進出し、店舗も増やそうとしている。



まるで脱皮を繰り返すさなぎのように、

ボクの人生に安定という2文字は存在しない。


不可能という3文字もない。



だがその都度激しい痛みを伴う。


それに耐え、乗り切ってこそ成長がある。




―――――――――――――――――――――――――――――


「さとり世代」といわれる

80年代半ば以降の生まれで、20代半ばまでの年代の若者。


幸か不幸か、右肩上がりの成長を全く知らずに育った世代である。


とはいえ、物があふれ喰うには不自由していない。

だからか万事、欲がない。


車もブランド品も欲しくない。

海外旅行にも恋愛にも興味が薄い。

ましてや将来、偉くなりたいなどとも微塵にも思わない。



今のままがいい。

このままぬくぬくと安定した状態を保ちたいと。


敢えて波風を立てるなどとはもっての外だ。


つまり、「結果をさとり、高望みしない」


悟りとは、

仏教でいえば、迷いを去り真理を会得することとされる。

が、ふつうには、知る、理解する、気づくといったところか。


長引く不況が彼らにそう強いただけなのか。

時代が生んだ新しい生活哲学なのか、と天声人語はいう。


作家の高橋源一郎はすでに10年前に指摘していた。

身近な欲望しか持たない「喪失の世代」が登場することを。


これは「世界最先端の現象」だ、という。


つまり日本の若者は、あらゆるものを手にしているように見えるが、

夢と希望を失った「喪失の世代」なのだ。



そういえば、村上龍もたしかこんなことを言っていたな。

「日本には何でもある。

無いのは、夢と希望だけだ」、と。





19世紀、ダーウィンは言った。


「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。

そうではない。

最も頭のいいものか。そうでもない。


それは、変化に対応できる生き物だ」



安定と変化は真逆のものである。


安定を求め、変化を嫌う(恐れる)日本の若者は

この先生き残れるのであろうか?
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経験と解釈がものをいう

2013年07月26日 | 人生
世界でひとつだけの花を作るにはどうしたらいいのか。


それは、

好きで

得意(特異)なことを見つけることだ。


そして重要なのは、それに基づいて経験を積むこと。



どんなに好きで得意でも、何事も経験を積まなければ

ビジネスやライフワークにすることは難しい。


好きこそものの上手なれ、って言います。

好きであればこそ、飽きないでしょ。


寝る間を惜しんで取り組んじゃう。



昨夜も、英語のお勉強会、それに続く飲み会が12時過ぎまであり、

その後店舗づくりに深夜3時まで作業してました。



体は疲れ切っているけど、

頭は冴えわたってて、テンションが高いから疲れを感じない。


誰から言われるでもなく、

好きだからこそ寝食も忘れるくらい打ち込める。

---------------------------------------


ボクの場合、


好きは、「旅」

得意は「英語」と「乗馬」


だから、それらをビジネスと自分のライフスタイルに当てはめて

宿泊業やゲストランチ(観光牧場)をやってきた。


そしてその合間に、世界各地を旅してきた。


そうした経験を積むことで

英語力は自然と磨かれ、

失敗を繰り返しながらもビジネスセンスも身につけてきた。



そして今、新たなチャレンジが始まろうとしている。


推進力(モチベーション)は、

「好奇心」と「情熱」だ。


好奇心はエネルギーを産み、

情熱は人を動かす。



経験とは、継続であり、蓄積である。


すぐに根を上げたり、人のせいにして放棄する様な人間にはその蓄積ができない。




アンソニーロビンズは、

「あなたを他の人とは違う、唯一の存在にしているのは
 
あなたの経験です。」 と言っている。


過去に見たもの、聞いたもの、触ったもの、

味わったも、嗅いだものはすべて、

意識・無意識に記憶されていて、


自分が誰で、何を信じ、何ができるのか、

どう考えるのか、のよりどころになるものが

経験なのだと言う。


----------------------------------------
  人生のデザイナーはあなた!
----------------------------------------

そしてさらに重要なことは、


経験したことをどう解釈するのか?ということだ。


経験とは決していいことばかりではない。

むしろ苦い経験の方が多いはず。


要は、そこから何を学び、何を信じ、何に価値を置くのか?


食べ物、住むところ、着る洋服、読む本、

働くところ、旅行先、恋人選びなど、

人生を作っているのは、すべて自分自身だ。



----------------------------------------
  人生を変えるきっかけ
----------------------------------------

それは困難だったり、誰かの影響だったり、

外国での経験だったり、人との出会いだったりする。


彼はいう。

「人生を変えるきっかけは、個人的な経験から生まれる!


だから、 本を読んだり、映画を見たり、音楽を聞いたり、

ミュージカルを見たり、 見知らぬ人と会おう!


すべての経験にはパワーがあり、

どれが人生を変えるか分からない!


待っていても、自分から探しに行かないと

手に入ることはめったにないんだ!」



◎人生にスパイスをきかせるような経験したり、

◎手に汗にぎるようなチャレンジにトライしてみたり、

◎心が躍り出すような体験をしてみる。


少し考えるだけで、なんだかワクワク・ドキドキする。


できるできないではなく、

やれたら面白いかも!

というアイディアをたくさん出すと新しい発見があるはず。



何かを始めるのに遅いということはない。

Never late, to start something.


今日も新しい経験が待っている。

さあ、チャレンジしよう!!
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女にモテて、お金持ちになる超簡単な方法

2013年07月23日 | 人生
食欲、眠欲、性欲の3大欲求と同じくらい

「モテたい」、「持ちたい」 は人類発生以来の変わらぬ欲望ではないだろうか。


そのため、男は女を追い求め、

お金持ちになろうと必死で努力する。


お金持ちになれば、必然的に女にモテると錯覚することもしばしばだ。


フェラーリを買えば、フェラ〇◌〇もついてきた??なんてネ。




ところが、金も女も際限はない。


金持ちになればなるほど金を追い求め

モテればモテるほど目移りがする。



大枚をはたきオンナをはべらせ贅沢三昧の日々。

そんなことをするお金持ちはまず長続きしない。


一時の成金ほど手が付けられない。

仕舞には、金の切れ目が縁の切れ目とばかり女は去っていく。


―――――――――――――――――――――――――――――


20世紀は、カネ・モノの時代であった。

金持ち、物持ちが持て囃された。


時代は変わって、今は心の時代。


お金や物の豊かさではなく、

心の豊かさこそが求められる。


だが、悲しいかな、

未だに20世紀の遺物を追い求めてやまない輩がほとんどだ。


革命の足音がすぐそこまで来ているのに、耳を貸そうとしない。



ただ、心豊かになるにも

ある程度モテたい、お金持ちになりたいという心理は働く。




では21世紀、どうすれば心豊かにモテて、お金持ちになれるのか。



その心は、





「欲して求めず」にある。


この心境に達すれば、自ずとモテて、お金も入ってくる。



ところが俗人は、欲しいものは必至で求めたがる。

追いたがる。


付け回す。

まるでストーカーのように。


これでは女も金も逃げていく。



「差し障りなく」、「さりげなく」 がキーワードだ。



【追記】


ボクの推奨する「社会起業」に疑問を持つものがいる。


あるいは、ボクが推し進めるNPOにしてもそうだ。



そこには”お金の臭いがしない”という。

つまり、そん(損)なことやっても儲からないじゃないか、という論理だ。



ボクの意味する「社会起業」、「NPO」の真の意味が分かっていない。


これからの組織はこの2つに収斂(しゅうれん)される。

そしてその形態こそが莫大な利益を生み出すのだ。


ここでいう利益とは、お金だけを意味しない。

「社会性」「生き甲斐」といったものの充実度が意味を成す。


それだけに働き方が今までとは根本的に違ってくる。

ワークライフバランスの問題がこれまで以上に重視されてくる。


それに早く気付いたものだけが、真の幸福(豊かさ)を掴みとるだろう。




【参考文献】



2025年の働き方を提示した『ワーク・シフト』の著者と元マッキンゼーの人材育成のプロが、

これから世界で起こる変化とそれに備える方法について考える。



これからの働き方「3つのシフト」


1.ゼネラリストから「連続スペシャリスト」へ


広く浅い知識しか持ってない「なんでも屋」の最大のライバルは、

ウィキペディアやグーグルである。

未来で成功するには、「専門技能の連続的習得」が求められる。

これからニーズが高まりそうな職種を選び、

高度な専門知識と技能を身につけ、

その後もほかの分野に脱皮したりすることを繰り返さなくてはならない。


同時に、自分の能力を取引相手に納得させる「セルフマーケティング」も重要になる。




2.孤独な競争から「協力して起こすイノベーション」へ


未来ではイノベーションが極めて重要になる。

そのためには、多くの人と結びつくことが必要だ。

カギになるのは、オンラインで築かれる世界規模のコミュニティを指す「ビッグアイデア・クラウド」、

同じ志を持つ仲間を意味する「ポッセ」、

そして情緒面で安らぎを得るための「自己再生のコミュニティ」。

この3 種の人的ネットワークが、創造性を発揮する源となる。




3.大量消費から「情熱を傾けられる経験」へ


所得を増やし、モノを消費するために働く──こうした仕事の世界の「古い約束事」がもはや機能しなくなっている。

先進国の多くの人は、所得がこれ以上増えても幸福感は高まらない。

働くことで得られる充実した経験こそが、幸福感の牽引役になる。

時間とエネルギーを仕事に吸い取られる人生ではなく、

もっとやりがいを味わえて、バランスのとれた働き方に転換しよう。
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幸せで豊かになる方法

2013年07月19日 | 人生
ボクは今まで自分が幸せになろう、

お金持ちになろうと思いながら生きてきた。


それは家族のためでもあった。


3人の子供たちがすべて独立し、自立している今、

自分のことはどうでも良くなってしまった。



どうでもいいというのは、

投げやりになるということではない。


自分より、自分を取り巻く人々の幸せを考えるようになったのだ。




出会うのはすべて偶然ではない。

出会うべくして出会うのだ。


そしてそれにはすべてに意味がある。


どんな意味かというと、

出会った人の力になってあげなさいという使命を戴いているのだ。


出会った人たちを幸せにしなさい、という使命だ。


そして、それがボクにはできる。

だがそれは簡単ではない。

だから多くの試練がボクを待ち受けている。


経営者として、決断と実行を迫る。




あくまでも経営者感覚で、

出会った相手のことを一生懸命考える。


相手の話を聞く。

相手が何をしたいのか、どんな夢を持っているのか。


それが分かれば、そうできるよう考えてあげて、

あとは、ボクができることをすることだ。




人を幸せにさせてあげる、

人が幸せになるお手伝いをする。


それができた時、

その人の笑顔がボクを幸せな気持ちにさせてくれる。


豊かになるのは、お金や物ではない。


幸せな気持ちが、豊かにさせてくれる。


借金してでも人のために使う。

ボクは貧乏になる一方だけど、

なぜか自然と笑顔になる。


そうして生きている、まだ生かされている。


ボクを必要としてくれる人たちがいるのだ。

ボクには生きて為すべきことがあるのだ。


だから、生きてそうしなさいと言われている。



そして、ボクの何げない言葉や行動で

その人が幸せになってくれば、それだけでボクは十分幸せになれる。


だから、その人に感謝する。

心からありがとうという。



――――――――――――――――――――――――――

昨夜は3つの素晴らしい出来事が起きた。



ひとつは、

下の店”LOVE TRIP"でカフェをやってただける人が決まったこと。


全面的にお任せすることにした。

素敵なオープンカフェが出来そうだ。



彼は4人家族だ。

彼の家族の将来がかかっている。

彼に任せることで、彼の家族が潤ってくれるお手伝いをすることがボクの役割だと確信した。


それを引き受けてくれた彼の勇気と誠意に感謝している。




もう一つは、

プレゼンターに元祖のT氏を東京からお招きし、

PrsnTを辛島公園でやったこと。



良い話が聞けた。


野外でやるって、気持ちいい。

それから飲みに。


素晴らしい人と出会ったことに感謝。


PrsnTを主宰するN氏とA氏に感謝。




そして3つ目はというと、

ある出来事で気まずくなっていた人と、そこで遭遇。


彼にあったら言おうと決めていたことがあった。


彼のお蔭でNPOを立ち上げられるようになった。

彼がいなかったら、NPOそのものが存在しなかった。


だから、彼に感謝している、といった。

ありがとう、と直接心から伝えることができた。



恨みつらみや悪口を言っていたらこうはならなかっただろう。

彼もまだ若く、素晴らしい才能の持ち主だ。


家族もいる。

ただただ彼の幸せを願う。





一晩で、3つの感謝が重なって

ボクは幸せな気持ちになった。

心豊かになった。




だからといって、これで全てが完結した訳でない。

むしろこれからが勝負だ。



ボクを取り巻くすべての人の幸せを一手に引き受けた重圧に押しつぶされそうになりながらも

生かされている限り、

ボクを必要とする人がいて、ボクに役割がある限り、

ボクは命を懸けてやり抜く。




――――――――――――――――――――――――――――――

【今日のボヤキ】


これで3日続けて午前様。


身体もお金も限界を超えている。

ボロボロなのだ。

I'm mess.



それでもボクを奮い立たせてくれるのは

みんなから幸せのお裾分けを戴いているからに他ならない。



ボクの真意を分かってもらえず、

ボクを誤解し離れて行く人もいる。


それもこれも、縁だ。



一期一会。

今ここにいる人のことを一生懸命考える。

今、この瞬間を命を懸けて費やす。


その一秒一秒の積み重ねで人生が刻まれる。


今日もまた灼熱と忙(せわ)しないセミの鳴き声に急(せか)されるように一日が始まった。

そしてそれにも感謝。


ありがとうございます。




【今日の格言】


周囲の人を幸せで豊かにすれば

自ずと自分も幸せで豊かになっていく。



求めよさらば与えられん、ではなく、


「与えよ、さらば与えられん」 だ。


叩けよさらば開かれん、ではなく


「感謝せよ、さらば開かれん」


が正解である。 (by えいせい語録より)


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