世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

希望の星

2013年01月19日 | 人生
人生、死ぬまで諦めちゃいけないんだなー、ってつくずく思った。


75歳で芥川賞。

思わず目を疑ってしまった。

しかも、前年74歳で新人賞を受賞だって。



黒田夏子さん

作品は、「abさんご」




彼女は、20代で一度文学賞に入選している。

だがそのまま若くしてデビューせず、

校正者として文学と関係ある仕事をしてきた。


力を蓄え確固とした作風や文体を持ってからの、

満を持して成熟のデビューといえるだろう。



――――――――――――――――――――――――――

新人賞って、若い人、せいぜい40歳くらいまでの人のものだと思い込んでいた。

この思い込みがいけない。


実は過去何度か文芸の新人賞に応募したことがある。

だが全くダメだった。


他の文学賞や映画のシナリオ大賞では、ソコソコいいところまでいったのだが・・・。


例えば、最終選考に残ったとか、

10傑まで入ったとか。

そんでもって、授賞式のパーティに招待されたりとか。



だが、そこまでが精一杯だった。

もう一歩、二歩、三歩届かない。


せいぜい3~4度の挑戦で

それで諦めていた感があった。


少なくとも100回、いやそれ以上挑戦すべきだ。

「下手な鉄砲も百打ちゃ当たる」の例え通り。


――――――――――――――――――――――――

ここでちょっと芥川賞と直木賞のおさらいをしておきたい。




芥川賞は、純文学の新人に与えられる文学賞である。

芥川龍之介の業績を記念して、

友人であった菊池寛が1935年に直木三十五賞(直木賞)ともに創設し

以降年2回発表されている。



新人作家による発表済みの短編・中編作品が対象となり、

選考委員の合議によって受賞作が決定される



これに対し直木賞は

無名・新人及び中堅作家による大衆小説作品に与えられる文学賞である



「芥川賞」が純文学が選考基準の新人作家が対象の文学賞であるのに対し、

「直木賞」は大衆文学が選考基準の新人及び中堅作家が対象の文学賞となっている。




「純文学」と「大衆文学」の違いはというと、


「純文学」とは大衆文学と比べて、芸術性や形式について重きをおいた小説の総称であり、

この場合、一つのテーマに基づいて書かれることが多い。


一方「大衆文学」とは、純文学と比べて、娯楽性や商業性を重んじる小説の総称であり、

この場合、ストーリーや話の展開を意識して書かれることが多い。



直木賞の最年長記録は68才だ。


まだまだ十分余裕である。


目指してみようかな…。

いや、目指そう。


だって可能性はゼロではないから。


「成熟デビュー」

良い響きだ。


大器晩成型人生を目指す身には、心地よい。



【蛇足】

あるネット上の小説に掲載していたところ

性的描写が多すぎるとして削除されてしまった。


そーかなー、って思ったけど。


いっそ官能小説に切り替えよっか。

正直それはヤダな。


あくまで純文学なんだから。


エロか文学(アート)か。

境が分からない。


まだまだ表現力が乏しいんだ。


腕を磨こう。

いや、肢(あし)を磨くか?????
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若者へ、熟年へ

2013年01月15日 | 人生
提言 & 想い



① 好奇心を持て

何にでも興味を持ってほしい。



② リスクを冒せ


何にでも恐れず勇気をもってチャレンジしてほしい。

経験をいっぱい積んでほしい。

その中で、自分の好きなこと、得意なことが必ず見つかるはずだ。


チャンスがあれば躊躇せず何にでも手を出すことが不可欠。


少々傷を負っても、大丈夫。

すぐに治るから。

ほとんどの問題は、「時」が解決してくれる。

一年もたてば、なんであんなに悩んでいたんだろう、と思うことがほとんどだ。


その過程で適応力、応用力、危機察知(回避)力を学べる。



そのためにも

③ 好き嫌いをするな

選り好みするなということだ。

喰わず嫌いはもったいない。

食べ物だけではない、

人間も、仕事も、頼まれごとも。


嫌なこと、人、苦手なもの、人は誰にでもある。

だが、逃げないことだ。

真正面から向かうことだ。


案外いいこと(奴)だったと気付かされることが多い。




④ 海外へ出よ

とにかく旅をしろ。


旅先では率先して仕事(ボランティア)をし、恋をせよ。



――――――――――――――――――――――――――

若いうちは何度でもやり直しがきく、というが

年を取ってからでも、死ぬまでやり直しはきくものだ。



だから、60からの挑戦だって同じことが言える。


むしろもう捨てるものなどないから、結構強い。

死んで元々、って開き直れる。


開き直った奴ほど怖いものはない。

それに、いぶし銀というか経験値がものを言う。

味わい深いものがある。


本当は、人生60からが面白いのだ。

それまでは、ほんの助走期間、ウオーミングアップに過ぎない。





問題があるとすれば

「体力」と「気力」と「情熱」と、といったところ。

だから、鍛える。


大事なのは、精神力だ。


あとは、志と信念と少しばかりの勇気があれば、何事も成さザラン。



さあ、老いも若きも、突っ走れ!

ぶっ倒れたっていいじゃないか。

そんときゃ、そん時。


人生泣いても笑っても一度きり。

ならば、笑って生きようよ。



現代は、

ボーダーフリー

ジェンダ―フリー


(ゲイもレズも市民権を得ている?)


そして

エイジフリーなのだ。


ジジイだって捨てたもんじゃないぞ。




加えて、個人的には

現在、アルコールフリーである。

断酒中なのだ。


ご理解くだされ。

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人生のパターン

2013年01月13日 | 人生
人生には3パターンしかない。

攻めるか、守るか、逃げる(退く)かだ。


そして多くの人は、このパターンの組み合わせの中で生きている。


ボクの人生は攻撃に徹してきたと言えるだろう。

攻撃をチャレンジと言い換えてもいいかもしれない。



攻撃は最大の防御と言われる。

ボクの好きな言葉だ。

ちなみに、「一点突破全面展開」は学生の時からの座右の銘だ。

もう若気の至りとはいえないが。



だが、無防備に攻めれば痛手を負うことも

ほぼ例外なく起き得る。

または、成功の美酒に酔う時、

有頂天になっているときは、決まってしっぺ返しが来る。



守りを固めながら攻める必要がある。

つまりガードを固めて攻撃することだ。



言うまでもなく攻撃には常にリスクが伴う。

危険を冒す(risk my neck)


いわゆる、後漢書にあるところの

「虎穴に入らずんば、虎児を得ず」のたとえだ。

Nothing venture, nothing have.

No risk, no gain
.




だが逆に守りに入ると衰退する危険性がある。

だから常に攻撃の手を緩めてはいけない。



その場合、リスクをヘッジすることもまた不可欠だ。

risk hedge とは、

様々な起こりうるリスクを回避したり、その大きさを軽減 するように工夫することを指す。


勝つため(成功するため)に攻撃は行うのだが、

失敗した(負けた)時の対処の仕方も同時に考慮に入れておくべきなのだ。


もちろん、いつもいうAプラン、Bプラン、Cプランを作った上でだが。

そのためにも適応力、応用力を養っておかねばならない、



ガードには持続力、攻撃には瞬発力が必要であることも忘れてはならない。


もう一つ、生き方には、ヒット&ラン戦略がある。

この場合のランは逃げるの意味だ。


あまり好きな言葉ではない。

狡猾さや小賢しさが臭うからだ。


それに、刹那主義が伴う。

株やFX,アフィリエイトといった安易さも嫌いだ。

もちろん、ギャンブルや宝くじもそうだが。



攻撃の中にも、二歩進んで一歩下がる的な謙虚さも考慮に入れておく必要がある。

行け行けドンドンより、じりじりと進んでいく感じだ。


時には身を引き、譲る覚悟も大切だ。


時に退くことは、決断はもとより、人一倍勇気がいる。

その引き際といったタイミング、方法も重要だ。



―――――――――――――――――――――――――

一難去ってまた一難

One misfortune followed close on the heels of another.


どう転んでも、人生とは所詮難儀なものなのだ。

Life is like a hard journey。

It's been one misfortune [problem] after another.



そう思えば、どんな困難、苦難、非難も甘んじて受けられよう。


ただ、最近(に限ったことではないが)、女難が多いのが難儀だ。

自ら災いを招いているきらいは否めないが……。


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ミクロとマクロの視点

2013年01月08日 | 人生
世界の動向、世の中の流れを察知するマクロ的視点と、

自分の人生をどうするかというミクロ的視点を

同時に併せ持つことが必要だ。


いくら世を語っても、

自分の行動がそれに同化しなことには何事も始まらない。

ただ、世の中の動きに迎合する人生もまた空しい。


世を見つめ自分を知り、確固たる生き方を見つけなけれならない。

視点は世界を見回す鳥瞰が必要だが、足は地にしっかりとつけておかねばならない。


つまり、鳥のように舞い、蟻のように這いずりまわることだ。


人まねや、人の言うなりの人生はこれもまた空虚としか言いようがない。

むしろ、人のやらないこと、できないことを見つけ出し、

自分の個性と融合させなければならない。


そのためにも、世の中を俯瞰して見つめ、

自分を知り、さらに切磋琢磨しなければならない。


――――――――――――――――――――

さて、かくいう自分はどうか。


世界の重心はアジアに傾いているとみる。

人口も経済も。

アジア人の一員として嬉しいことだ。


ただ、日本がただ一人置いてきぼりを食らいそうな気配に危機感を感じているのは

決してボクだけではないだろう。


とはいえ浮足立ってはならない。


スタンスとして

日本にしっかり足をつけておいて、アジアを軽快に動き回る。



もうひとつ気を付けておかねばならないことがある。

それは

変化の激しさだ。


日本の首相のように、覇者は次々と変わっている。

というか、覇者の存在が希薄になっているのだ。


群雄割拠状態といってもいいかもしれないし

その傾向は今後ますます強くなるだろう。


だから、一所にすべてを賭けることは危険だ。

つまり、リスクを分散し、身軽に動ける体制を維持しなければならない。


そのために世界情勢を常に監視しておかなければならないのだ。


政治や経済(景気)を国任せにするなど、愚の骨頂だ。


キーボードひとつで個人が政治を動かすことだってできる。

景気回復を待つより、自分から世界を股に仕掛けていくことだ。


ホームで戦うことより、

アウェイで戦い勝利する方程式を作り上げなければならない。


世界には可能性は無限にある。

知らないだけだ。


じっとして待つ時代は終わった。

自ら打って出る時代だ。


さあ、動け、動け!
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新たな旅立ち

2013年01月07日 | 人生
大きな夢と

大事な人を失うかもしれないという絶望の淵から

新しい年が始まった。


どちらも自分の人生を大きく変える、

まさにターニングポイントとなる予感。


自分の中で、何かが大きく変わろうとしている胎動(New movement)が聞こえる。



今までの自分の生き方、生業(なりわい)を再考し、

これからのライフスタイルを作り上げていかなければならない。


もう一度夢の原点に立ち戻り、

今までの経験、失敗を糧に真の自分らしい生き方を模索し発見し、実施しなければならない。



まさに、大転換時代の幕開けになるだろう。


15世紀から17世紀にかけてヨーロッパ(主に西南)によるアジア・アメリカ編進出は

大航海時代と呼ばれる。


ボク自身にとってのアジア進出は大航海時代(Age of Exploration)と言えるのか。


少なくとも大後悔時代にはしたくない。
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新年の誓い (The New Year’s Resolution) 

2013年01月01日 | 人生
これは決意表明である。




今年中と言わず、半年以内に必ず実現させる。


ただ漠然と思っているだけでは、決して実現しない。

何年経っても足踏み状態が続く。

そのうち情熱が失せて忘れ去られる。


今年は、半年以内に「出版」を実現させる。

そのためには手段を選はない。


そこからがスタートだから。

その先の夢はでっかい。


      Dream Map


単に出版するのが目標ではない。


売ること、ベストセラーにして次の出版に繋げる。

一発屋では意味がない。


そして、小説家の道へ。

ヒットさせて映画化へ。


しかも、ハリウッドムービー

そしてオスカーの脚本賞を戴く。


出演陣もオスカーを総嘗め。

音楽、衣装も。



同時に、講演活動も活発化させる。

自ずと印税生活になる。



「世界一周」企画を売り込み、

旅をしながら情報発信していく。


もちろん、観光地巡りなんて柔なものじゃない。

人間の繋がりの中から平和への糸口を紡ぎだしていく。


これがボクの夢だ。

命のある限り、夢を追い求めて実現していく。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


そのために決断します。

酒を断ちます。

もう一度言います。


酒を断ちます!


1月6日から。

なぜなら、5日はお泊まり新年会を開くから。

この日が飲み納め。

(だからみんな飲もうぜ!)



その後、出版が叶う日まで、一切の酒を断つ!

約束です。
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成長戦略

2012年12月29日 | 人生
アベノミクスの経済戦略のことではない。

自分自身の成長戦略を描かなければならない。


人は、子供から大人へと成長していく。

それは、依存から自立へのプロセスといってもいい。


だが昨今、自立できないで依存状態にある大人が多い。

つまり成長が止まっている人。



順当に自立できても、それだけでは成長は止まってしまう。


では、成長を続けるため自立の先にあるものは何か。


それは、貢献だ。


まず自分の足でしっかり立つ。

その次は、他人の自立を助けることだ。

助けるというより、手伝うといった意識が必要かも。

陰から支えるといってもいい。


それには、働かなければならない。

働くとは、傍(側)を楽にすることだから。



自立とは、自分が自分のために生きることだが、

その先にある貢献は、

自分のために生きることより人のために生きることであり

その方がずっと難しいことは言うまでもない。


だがより充実した人生が送れることもまた間違いない。


遅ればせながら、今それにやっと気づくことができた。

ただそこに気づいて行きつくまでには多くの経験(失敗)を必要とした。

そして、多くの涙を流さなければならなかった。


今まで多くの人から温かさ、恩、情け、優しさ、そして笑顔を戴いた。

今度は自分の番だ。

お返しをしなければならない。


今その苦しみと同時に喜びをかみしめている。

―――――――――――――――――――――――

昨夜の講演で、そう言ったお話をした。



介護士になることを目指す方々への講演だった。

そこで、パッチ・アダムス(最後に注釈・動画あり)のことを引き合いに出した。



彼は言う、

「人を思いやるという人生を送ることによって、

自分の中で一番深い平和と安らぎを得ることができる」
 と。




それは、悟りに近いものがある。

そしてそのための修行と実践は厳しいものがある。

生半可な思考や行動では到底達しえない。


自分を投げ打って犠牲にしなければならない。

今それに挑んでいる。

身も心も捧げることにした。


これが、「貢献」だ。


成長に終わりなし、貢献に限りなし。


後見人より貢献人。

毀誉褒貶を顧みず、「寄与貢献」することに努める。



【追記】

来年は、出版することにしました。

まだ、出版社も決まってませんが。


そして、講演活動をもっと増やしていくことにしました。

自分の想いを伝えていきたいと強く感じたからです。


来年、自分に課したキーワードは、

「出版」「講演」 。


もう一つに人生(Another Life)に挑戦する。

命を懸けて。



(注釈)

パッチ・アダムス(Patch Adams, 1945年5月28日 - )は、アメリカ合衆国の医師。

クラウンドクター。本名はハンター・キャンベル・アダムス(Hunter Campbell Adams)という。

ワシントンD.C.の生まれ。

ホスピタルクラウン、クリニクラウンを始めた人。


ロビン・ウィリアムズの主演映画『パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー』(1998年)の実在のモデルである。


現在も世界中でクラウニング活動の実践や、更なる普及に向けて講演活動をしている。

日本にも講演会の為に何度か来日している。(Wikipediaより)



パッチ・アダムス in 日本2011~Patch Adams Smile Baton~



Patch Adams Official Trailer #1 - Robin Williams Movie (1998) HD
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お誕生日会

2012年12月27日 | 人生
フリートークファミリーは

実にいつも楽しい企画をしてくれる。


その月の誕生日の人たちを一斉にお祝いしちゃおうというもの。

12月生まれは、ボクを含めてこの日5人だったと思う。

あんまり多すぎて、訳が分からなくなる。






それぞれに名前入りのバースデイケーキが。



こうした配慮が、マッタク泣ける。










この日はナント4次会まで。

カラオケとダンスで大盛り上がり。









午前3時半にお開きになった。


余りに楽しすぎる仲間たち。


来年はモットモット仲間が増えるだろう。

フリートークの大家族は全国に、そして全世界に繁殖中。



英語を駆使し、一人でも多くの人が世界中に友達を作り、

友達の輪がドンドンドンドン大きくなり

繋がっていけば、必ず世界平和は実現する。


そのために、身を削ってでも貢献する。


例えこの身がどうなろうと、

それがボクの使命であり、生きた証になる。
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犠牲と覚悟

2012年12月25日 | 人生
今年一年を振り返ると

当たり前のことですがいろいろなことがありました。


ただ、流れに沿って(流されて)ただただ突っ走ってきたように感じます。

ある意味行き当たりばったり(バッ旅)だったようです。


それはそれでよかったと思っています。

概ね、順当な一年が過ごせたからです。

(まだ今日を入れてあと一週間ありますが)


ただ、流され来たようだといったのは

やりたいことがあまりに多すぎて行動に一貫性がなかったからです。


集中と分散を繰り返しながら収斂させていくことが自分のやり方です。

ただ、分散が過ぎたような気がします。


これからは、集中する時期です。

とはいっても、一本に絞るのではなく、


やりたいこと一つ一つにもっとエネルギーを集中させるのです。

つまり、できたらいいナー、などといった中途半端な気持ちではなく

必ずやる! 必ず出来る、といった覚悟を決めることです。


今まではどこか甘えがあったような気がします。

出来ない言い訳を自分でして、逃げ道を作ってしまっていたようです。


一生懸命やれば結果出来なくても仕方がない、的な甘えが。

それではいけない。


死んでもやる、的な決断と覚悟が必要なのです。

実際死んだらできないので、死ぬ(死んでもいい)つもりでやるが表現としては正しいでしょう。



それには覚悟と同時に、何かを捨てなければなりません。

つまり、犠牲者(物)が出るのです。


何かを掴もうとすれば、今持っているものを捨てなければなりません。

でなければ

骨をくわえて、水に映る自分の姿を見て加えていた骨まで失ってしまう犬の逸話のようになってしまいます。


新しい服を着るには、今着ている古い服を脱ぎ捨てなければなりません。

着重ねをしていくと、着ぶくれして仕舞には身動きが取れなくなります。


欲張ってはいけないのです。

本当の意味の断捨離とはそういうことなのではないでしょうか。


何かをやろうと思ったら、

まず、捨てる覚悟を決めること。

それから、トコトンやり抜く覚悟を決める。


地位を捨てる、見栄を捨て去る、財産を捨てる、

恋人を捨てる、家族を捨てる……。


―――――――――――――――――――――――――――

ボクの過去の経験から言うと

大学受験に失敗し、浪人生活を余儀なくされた時、

自ら頭を丸めました。

当時付き合っていた彼女を捨てて、受験勉強一本に絞りました。



脱サラをすると決めた時、

酒を断ちました。

付き合いの場でも、一切のアルコールを口にしませんでした。


その前に、女房に逃げられましたけど。(トホホ)




ボクは意志の弱い人間です。

だから、何かを真剣にやろうと思った時、

こうした形、行動から入ることはとても効果的だったのです。


気持ちや口だけで、よし、やろう!と決めても三日坊主になるのが落ちでしたから。


さて、今回は何を犠牲にして覚悟を決めようか。


それ以前に、自分は一体何をしようと(得ようと)しているのか、

夢の原点に立ち返ってじっくり考えてみよう。
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2013年はどうなる

2012年12月23日 | 人生
もう一つ、年の瀬になると気になるのが

来年はどんな年になるのだろうか、ということだ。


これには大きく分けて2つの要素が含まれる。


一つは、世の中はどうなるのか?

ということと

もう一つは、自分は来年いったいどうなるのか?

ということだ。


いずれも大きな問題だ。

世の中と一口にいっても

日本はどこへ行くのか、世界はどうなるのか、

自分の住んでいる地方、地域はどうなるのかとこれまた大きく3つの分野に分かれる。


自分個人も、

お金(金)は、仕事(稼ぎ)は、家族(人間関係)は、結婚(夫婦生活)は、健康はといろいろ気になることが多い。

いわゆる5Kだ。


これに子供の問題が入れば、6Kとなる。


大体個人的問題はこの6Kの範疇に入る。



―――――――――――――――――――――――――――

世の中にしても、

政権が自民党へとまた変わり

日本は後戻りしてさらに凋落の道を辿るのか、

それとも新生自民が文字通り生まれ変わって日本を救うのか…。


日本の景気は良くなるのかならないのか?

社会保障はどうなる?

外交問題は(主に対中国、韓国)?

地震は起きるのか?




さらに、世界の潮流はどうなっているのか。

もちろん、それは日本にも大きく影響する。


習近平政権下の中国はどう動くのか?

初の女性大統領を迎える韓国の動きは?

東南アジアの動向は?

オバマが引き継いだアメリカは?

依然として財政危機下にあるEUとユーロは?

シリア、イスラエル・パレスティナの紛争はいつまで続くのか?

アラブの春は花を咲かせることができるのか?などなど


といった課題、関心ごとの種は尽きない。



――――――――――――――――――――――――――――――

それは推測はついても結末は誰にもわからない。

いや、結末はないのかもしれない。

あれだけ大騒ぎした(?)世界の終焉も今のところなかったのだから。



だが、これだけは言える。

人任せにはしていられない、と。


政府も、自治体も、会社も、組織もあてにしてはいけない。

あるいは、最後の頼みの綱である家族だってそう言えるかもしれない。


絆を叫んだ昨年の震災後、本当に絆と呼べるものは深まったのか。


否。ますます希薄になったのではないか。

SNS(facebookなど)やLineの普及で、「浅く広く」に一層拍車がかかったのではないか。


出会いの場や機会は無限大に広がった。

婚活、友活、就活と活動は活発化しているように見える。

その実、結果はどうなのか。


まったく無意味とは言わない。

だがそれがかえって虚無感を産んではいないか。


――――――――――――――――――――――――――――

動きには功罪があり、光と影が必ず付きまとう。

それを自覚した上で、責任の所在は自分へと跳ね返ってくることを知らねばならない。


人への責任転嫁は無意味だ。

介護者に限らず、自分のケツを自分で拭けない輩が増えている。



というわけで、

2013年の標語は決まった。


一生、
「自分のケツは自分で拭こう!」


Wipe your own ass by yourself!


これで

教育問題も、高齢者問題も、財政問題も、国際問題も

一挙に解決(ケツ)する。


人に頼るな。

人任せにするな。

自分のことは自分でせよ。



これが

世の中、世界がますます、サバイバル化していく2013年を

生き抜く秘訣(ケツ)だ。。
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一年の計

2012年12月22日 | 人生
「一年の計は元旦にあり(New Year's Resolution)」

誰が言ったか知らないけれど、

毎年毎年一年を振り返ると、ほとんど実現できてないことが多い。


ボクノ場合、誕生日とクリスマスとお正月が立て続けにやってくるので

慌ただしいことこの上ない。


そんな中で、一年を振り返るのはこの時期だ。

今年は出来なかった、よし来年こそは、と。

計画を立てる、あるいは浮かぶと、即スタートダッシュだ。


だから元旦では遅すぎる。

と言うか、毎年元旦は仕事で忙しい。

それが宿泊業の文字通り宿命かもしれない。


さて、折しもマヤ暦による「世界滅亡説」が不発に終わり

冬至の昨夜つらつらと今年を振り返ってみた。



例年以上に海外行脚が多かったように思う。


ベトナム、カンボジアからフィリピンへと足が伸び、

ニューヨークを挟んでベトナム、フィリピン

そして締め括りはさらにベトナム、マレイシアと活動の場は広がった。


その間、フリートークは2年目に突入。

ひとまずは打ち上げ成功から、大気圏を抜けた。

だが、常に遠隔操作を余儀なくされ予断を許さない。


ビジネスというものに安心、安定はない。

変化と競争に晒(さら)され、軌道修正を繰り返しながらの綱渡りである。


その間にも、新しいビジネスを展開すべく奔走する。


継続の中にも変化有り、成長していかなければ生き残れないサバイバル競争時代。


ベビーブーマー世代にとっては真骨頂(true waoth)といったところだろう。

そうしてひと山越えては次の頂を目指す。

チャレンジャーの性(さが)だ。

休むことは許されない。

ただ、ひと瞬(とき)の快楽を貪(むさぼ)る。



既に来年の課題は見えている。

ベトナムにカフェをオープンして、東南アジア進出の橋頭堡作りは緒に就いたばかりだ。

まずはこれを実現させなければならない。


それと同時に、出版によるベストセラーの実現だ。

ここ数年の大きな目標であったが、来年は必ずやる。


もう待ったなしなのだ。


決して順風満帆ではない。

むしろ、逆風万班でジグザグ走行を強いられてきた。

それでも、前へ前へひたすら進む。


決してあきらめない。

諦めは即、死を意味する。


こうして夢を語り、実現に向かって真っ向勝負をかける。

必要に襲い掛かる孤独の不安を愛おしみ、困難を糧にして。


チャレンジャーは、どこまでもチャレンジャーであり続けなければならない。



【補足】

想い続け、書き続け、言い続けることで

夢の実現は大幅に加速する。
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素晴らしき誕生日をありがとう!

2012年12月19日 | 人生
ここ数年、「一人きりのバースデイ」が続いていた。

だが、去年、今年と思いがけなく温かい祝福を受け

賑やかなバースデイを送ることが出来ました。





昨年の誕生日には、長女家族が東京リゾートに招待してくれました。


そして、昨夜は松岡氏の主宰する「英語でしゃべり隊」の2周年となるイベントと重なりました。

そこで思ってもいなかった皆さんの祝福を受けることができたのです。


MIKIちゃんがボクの大好きな生クリームタップリのシフォンケーキを作って持ってきてくれました。




「英語でしゃべり隊」の参加者にもお裾分け。




プレゼントもいただきました。

ありがとう!




そして、お勉強会の後は、お決まりの会食。




平日にもかかわらず、深夜12時までみなさんと楽しいひと時を過ごさせていただきました。

「英語でしゃべり隊」の仲間たちに心から感謝です。



ヤッパリ、「向学心」、「好奇心」旺盛な人たちは明るくイイ人ばかり。

英会話や海外旅行はその両方を満たしてくれますからね。


フリートークファミリーをはじめとするこうした仲間たちに囲まれ、

数え切れないほどの祝福のメッセージや素敵な写真、イラストを戴いて

ボクは最高に幸せ者です。


ベッドに入ってからも余りの嬉しさで涙が止まりませんでした。(ホント)

枕がグショグショです。(チョッとオーバー)



これからも、残り少ない生涯をみなさんのために文字通り粉骨砕身捧げます。


頼みごとは、断らない、拒まない、困らないがモットーです。

一期一会の精神で、来るものは拒みません。

清濁併せのむ覚悟で命を賭してすべてを受け入れる所存です。


至らないボクですが、これから一年もどうかよろしくお願いいたします。

感謝 & 合掌
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右肩上がりの人生

2012年12月18日 | 人生
人生を春夏秋冬、四季に例えることはよくあることだ。


五木寛之は「林住期」という著書の中で書いている。

「林住期」こそ人生のピークであるという考えは無謀だろうか。

私はそうは思わない。

前半の五十年は、世のため人のために働いた。

五十歳から七十五歳までの二十五年間、

後半生こそ人間が真に人間らしく、みずからの生き甲斐を求めて生きる季節ではないのか―。

林住期こそジャンプの季節、人生のクライマックスである。 と。




古代インドでは、

人生を学生(がくしょう)・家住(かじゅう)・林住(りんじゅう)・遊行(ゆぎょう)の四期に分けていた。


師についてヴェーダを学び、

家に住んで家族を養い、

出家して林に住み、

独りになって旅に出る――という。



――――――――――――――――――――――――――

ボクの考えは少し違う。

生涯現役とか、生涯青春とかいうように

死ぬまで勉強し、死ぬまで働き続けたい。


結果、死ぬまで成長し続けたいのだ。


人生の前半は、自分のため、家族のために脇目も振らずに働いた。

それは自分のためでもあった。


家族を連れて世界一周したのも、

ある意味自分の夢を叶えるためだった。


今一人で旅を続けるのも、見聞を広げるためなのは言うまでもないが

それは人のために尽くそうという目的が根底にある。



話を戻せば、家住期と林住期を同時にこなしたことになる。

森に棲んで家族を養った。

今、学生期に戻って遊行期に至っているう。


引退はもとより、隠居や老後といった感覚は毛頭ない。



日本経済が右肩上がりの時代はとうに終わった。

だが、自分の中では常に右肩上がりでいつづけたいと思っている。


五木寛之の言葉を借りれば、

いつ死んでも、その時点が自分の人生でピークである状態でいたいと思うことは無謀だろうか。


正直でいることは求めても

マジメであることには程遠い人生。


むしろ、不真面目人生をこのまま歩み続けるだろう。

どう転がっても「なんとかなるさ」の精神で。



【追記】

誕生日に際し、つらつら考えてみた。


沢山のおめでとうのメッセージを戴いた。

お一人おひとりに感謝の気持ちをお伝えすべきですが

この場を借りて御礼申し上げます。

本当にありがとうございます。


今後ともご教授、ご鞭撻、そして叱咤とともによろしくお願いしたします。



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好奇心の先にあるもの

2012年11月26日 | 人生
知りたいという欲求は本能的なものだ。

強弱は人によって違うけれど。


だけど知ってどうする。

単に知識として蓄えているだけではもったいない。

インプットばかりでなくアウトプットしなければ宝の持ち腐れになる。


アウトプットの仕方もいろいろあるが、

貢献という形が望ましい。


自分の知識を生かして何か(誰か)の役に立ちたいという本能も働く。

それが人としての自然の流れだろう。



そのために常に新鮮な空気(智識)を取り入れ、

呼吸のように吐き出す。


そうした代謝や脱皮を繰り返すことで自らも成長していく。



滞れば、腐るか濁る。

動くことで玉は磨かれる。


仮に摩耗しても再生できる代物である。


せっかくインプットして知識やスキルを、

金儲けや私利私欲だけに使うことは

道を誤るだけでなくもったいない話だ。



知りたいという欲望を抑えてはいけない。

直感の赴くままに動けばいい。


その方向が、貢献となって現れるよう努力すべきだ。

そうすれば後に悔いを残さないですむ。






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ピボット (Pivot)

2012年11月21日 | 人生
ピボット(pivot)という言葉はご存じだろう。


一般的には、バスケット用語でお馴染みかもしれない。


球技でボールを持った選手が片足を軸にし、もう一方の足を動かしてからだの向きを変えたりすることだが、

もともと 先端が円錐形になっている回転軸で、計測器や時計に用いられるものである。


ゴルフにおいても、クラブを振る際に背骨を軸にして肩や腰を回転させることを意味する。


ちなみに英語(pivot)では、

1. a central point or pin on which something balances or turns

バランスを取ったり、ターンするときの真ん中のポイントやピン


2. the most important thing in a situation, system etc, which other things depend or are based on.

ある状況やシステムにおけるもっとも重要なもので、

そのほかのことがそれによっているか、基づいているもの。



ボクは、自分軸という認識でいる。

自分の人生で、ぶれない思考や行動を持つとともに、

それに基づいて自由自在に動き、変化していくべきだと考える。


変化は厭わない。

だが、軸がふらついては単なる心変わりに過ぎない。


政治家の節操のない野合集散は日常茶飯事が、

こと自分の生き方はブレナイ軸を貫きたいものだ。


――――――――――――――――――――

では、自分の軸はどこにあるかと問われれば、はたと答えに困ようでは困る。

だから、ズバリ、


『旅』 であると答えよう。


ブログのタイトルにあるように、

すべては旅から学んできたし、

旅抜きでは、自分の人生は成り立たない。


旅というキーワードを軸にして、生きてきた。


だが、旅は生き甲斐であると同時に、逃げ場にもなる。

旅は、逃避行としては最適なのだ。



ボクは

ぶれない、

めげない、

逃げない


を生き方の3大モットーとしている。


もちろん、

大いにブレ、時にはメゲ、またある時には逃げ出したくなる自分がいることも事実だ。


いくらかっこつけて旅に出ても、常に逃げの要素は付きまとう。

敢えて否定はしない。


遊びと言われても、いい加減と後ろ指を指されても、

それでもボクは自分から旅を捨てることができない。


どんなに旅が好きでない人も、

旅が出来なくてイライラしている人でも、

最後はみんな否応なく旅立っていくのだ。


だから、日常においても常に旅支度を怠ることは出来ない。



――――――――――――――――――

もう一つ、自分軸を言うならば、

気障ったらしいかもしれないが、


それは、『愛』である。

これも誤解を与える場合もあるが、

すべての行動に愛を忘れては本末転倒になりかねない。


旅には愛がよく似合う。


愛の無い旅は、逃げにつながる。

―――――――――――――――――――――――――――

もう一つ、

旅は人間(特に男)の持つ、狩猟本能を蘇らせてくれる。


現代人の悲劇は、この狩猟本能を忘れたことに起因すると考える。

狩猟本能は、知性と感性の源だ。


農耕という生産活動を知り、定着したことで

人類は便利と快楽に走り、幾多のものを失ってしまった。


ボク自身もその甘えを享受している。

だから少しでも、旅に出て自己反省をしたいという想いもある。




なんだかんだと屁理屈を並び立てても、所詮非難の目に晒されることは否めない。

それもあらぬ所からのものが多いが。



正直に言おう。

そう、ただ旅に出たいだけ。


時に眠っている狩猟本能がボクを激しく突き動かす。

抗(あらが)わずそれに従うのが賢明だ。


だから、また旅に出る。

軸をブラすことなく。

ただ、それだけ。
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