世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

瞑想修行の旅

2017年02月13日 | 
今日から瞑想修行の旅に出かけます。



どうも邪念が邪魔して、修行が足りませぬ。


行き先は、初めての国なので

あっちこっち観光もしてきますね。

(去年から今まで行ったことのない国を敢えて目指してます)


パワースポットもありそうだし。

また一段とパワーアップしますヨ。


それにちょっと危ない国。

またいろいろハプニングがありそう。

いや、あるでしょう。


事件、事故に巻き込まれないとも限らない。

命のある限り発信します。


開拓魂全開!

「旅ログ」お楽しみに。

マカオに行ってみて

2017年01月21日 | 
今回マカオに行ったのは、

カジノで一発当てようと思っていった訳ではない。
(当たればいいな~とは思ったが)


     いざカジノヘ(嬉しそう)


その証拠に、

ボクはスロットで100香港ドル(約1500円)使っただけだ。

(一時は儲かったが、結局30分ですってしまった)


では何をしに行ったかというと、

熊本に、特に西原村にカジノを誘致するためのマーケットリサーチのためである。


      中は撮影禁止


世界の3大カジノであるラスベガスとシンガポールに入ったが

マカオはまだ行ったことがなかった。


そのほか、韓国、マレーシア、そしてカンボジア(ベトナムとの国境)を見て、

日本にどのような形で誘致すればいいのかのヒントを得た。


しかも、東京や大阪といった大都会でなく、

ローカルもローカル、ド田舎に作るためには何が必要かを見極めなければならない。


そのためには既存のカジノを現場で体験する必要がある。

まず「現場へ行け!」

これがボクの一貫したやり方である。


そこで、

ラスベガスとマカオとシンガポールの違いを

収益比率で見てみるとある程度分かる。




なお、

2006年度、マカオのカジノ収入が70億ドル(約8314億円)に達し、

ラスベガスを抜いて収益では世界最大のカジノとなった。


人口60万人(熊本市70万人)の街に年間2500万人の観光客が訪れる。

しかもその大半が中国人(しかも富裕層)である。


ただし、

マカオにおける2014年12月のカジノ収益が30.4%という過去最大の落ち込みを記録し、

通年においても前年比で2.6%の落ち込みを記録した。

また、マカオのカジノ収益が2014年6月以降連続して前年割れが続いている。


その原因として、VIP向けの高額カジノが前年比20%近く減少していることがあげられており、

同じくシンガポールでもVIP向けの高額カジノが前年比20%以上減少している。

(韓国のVIP向けカジノ市場は前年比40%を超える伸びを示している)

それは中国の景気減退と習近平の政策にもよるところが大きい。



カジノの内容自体も

ラスベガスはスロットマシーンが多いのに対し、

マカオではバカラが人気がある。

ハイローラー(高額ベットする人)には特に人気がある。

しかも、

マカオカジノでの売上は実は7割以上が

VIPルームでのバカラによる売上だという。


つまり、マカオではスロットゲームよりテーブルゲームが主体である。

スロットでジャックポッドを目指すならラスベガスに行くべきだ。


カジノ場特有の派手さも圧倒的にラスベガスが上回ってい。

マカオにはバニーガールがいない。

アルコールは置いていない。

(これにはガッカリ)

(ホントはこれが目的だったのだから)


カジノ頼みなので、いわゆるショーが少ない。

お目当てのダンシングウオーターショーはお休みだった。

マジックショーは見たけど。


      前座を務めるマジシャン


ラスベガスは、

1990年代にカジノ中心のビジネスから、

テーマパーク型のホテルや大型のショーを誘致したことで、

総合エンターテイメントへと路線をシフトすることにより成長を続けてきた。


今やラスベガスは、

ボクシングなどのスポーツイベントやマジックショー、シルクドソレイユ、人気歌手のコンサートなど、

イベントや興行において切っても切れない関係となっている。

またラスベガスのホテルや街そのものがテーマパークの中にいるような非日常を提供することで、

アメリカ全土から、そして世界中からの観光客を呼び込むことに成功し、現在のような収益構造となった。


そのため、カジノが収益に占める割合は相対的に小さくなっている。


ただ、リノやラフリンといった アメリカの地方カジノは、

大半はカジノの収益となっており、

また顧客の多くは車で1~2時間の50マイル(約80km)圏内の周辺住民となっており、

そのモデルは大きく異なる。


これは、日本の地方都市にカジノを誘致するうえで重要な意味を持つ。


マカオは、

ラスベガスとは反対に、カジノに特化、

さらにはVIP向けの高額カジノに特化することで、

世界最大のカジノ都市にまで成長した。


収益の7割以上はカジノが占めており、

またそのうちのさらに7割近くが、

VIP向けの高額をかけ合うバカラというカジノサービスとなっている。


いうまでもなく中国人を中心とするアジアの富裕層がその対象となっている。


こうした富裕層は、


通常一晩で数百万円~数千万円を使っており、

カジノ間での富裕層の奪い合いが激化している。


自宅からの送迎にはじまり、

スイートルームでの滞在、飲食代などすべてが無料サービスとして提供される。

ただ、収益の半分近くを一部のVIP、そしてVIP向けの特定のカジノゲームに依存することのリスクは当然ながら大きい。


日本では(特に地方では)、

特定の富裕層に収益を依存することなく、

またカジノ(特に高額カジノ)の収益に依存することのない統合型リゾート全体で収益をバランスさせていくことがポイントになるだろう。


この点、ラスベガスの収益構造が目指すモデルに近いかもしれない。

つまり、ショーやイベント、ショッピング、飲食の比重の高いモデルとなるだろう。


(カジノを含む)統合型リゾートというのは、

一般的なビジネスとは異なり、

狙うべき収益構造や規制によるコントロールをはじめから想定し、

そのための実行計画をつくり、

最適なパートナー(カジノオペレーター)を選定していく必要がある。


特にアジアで先行していたカジノが変調をきたす中、

確実に持続可能なビジネスモデルを構築していくためには、

今までの世界の過去事例にない創意工夫も必要となるだろう。


それを今回のマカオの旅で学んだ。

あとはどう生かすかが問題だ。

カジノロワイアル

2017年01月19日 | 
カジノの旅もいよいよクライマックスへ。



何度もしつこく言うが、

ボクはギャンブルはしない。
(ただし、人生そのものがギャンブルである)


むしろ、異国情緒、エンターテインメント、アミューズメントを楽しむほうが先決だ。


     ポルトガルの風情(マカオは元ポルトガル領だった)


       スペイン人の美人マジシャンと

ということで、

最後はゴンドラで夜景を楽しむことに。




そして歩き疲れたあとは

ホテルのバスタブでゆっくりと癒す。






スリランカからの贈り物

2016年12月30日 | 
年末ぎりぎりになってスリランカから嬉しい贈り物が届いた。




fbでの友達になっているが、面識はない。

いわゆるバーチャルフレンドだ。

男性で、かれは僧侶だ。


贈り物は、こんなにたくさん、

ジンジャー、シナモンティーなどいろんな種類のお茶と大好きなカシューナッツ。


そして、レター。



招待してくれるって。

うれしー、ありがたい。

感謝!


で、これは行かなきゃ。

お礼かたがた。

スリランカはまだ行ったことないし、

ぜひ行きたかった国の一つでもある。


幸い、瞑想センターもあるので、瞑想修行を兼ねて。

彼自身僧侶であるからして、

何かと教えてもらえそう。


治安上ちょっと問題のあるお国柄だけど、

何といっても現地の知り合いがいると心強いからね。


で、2月に行く計画を立てることにした。

思いついたらすぐ動く。

と、困ったことに(?)また旅の虫が蠢きだした年の瀬である。


1月は、マカオだし、

この際、来年は毎月海外に行くことを目標にしよう。


残すところあと一日。

皆様、良いお年をお迎えください。

最後のハバナ

2016年12月27日 | 
ハバナでは、最初に泊まったCASAに舞い戻った。


      ハバナはやはりクラシックカーが良く似合う

ママもダニエルも泣いて(?)喜んでくれた。

帰ってくるよって言ったのに、期待していなかったのだろうか。

一室しかないゲストルームには、カナダ人の先客が居座っていた。




ダニエルは自分の部屋を空けてくれた。

お前はどこに寝るんだ、と言ったら

リビングで寝るからいいよ、って。



申し訳ないけど、ありがたいね。


で、最後の日、

海に行きたい、泳ぎたい、って言ったら

連れて行ってもらえることに。

ただ、20kmほど離れているという。

もう$20しか残ってないんだけど、というと、

彼は黙ってうなずいた。



市バスを乗り継いで、約1時間かかってビーチに着いた。


     市バスは外国人は乗れないらしいけど…


 料金を払うダニエル

最後の日になって、カリブ海で泳ぐという最後の目的が果たせる。




    カリブの海はどこまでも青く透き通っていた



砂浜でモヒートを飲み、


ココナツにハバナクラブを注ぐ。


そして、砂浜に繰り出した楽隊に合わせサルサを踊る 

もうサイコー!!
 

帰りは例によって、相乗りタクシー(ジープ)だ。


       ニュー人ランドからきたカップルと


この3週間、まったく退屈することもなく

むしろ最後の最後までエキサイティングで

期待通り、いやそれ以上の最高に幸せなキューバの旅だった。


本当はチョッと怖かった。

47年間夢見て憧れていた国に失望するんじゃないかって。

その不安は全くの杞憂に終わった。


また来よう。"Hasta la vista Cuba"

今度は愛する人と。

ボクの恋い焦がれた国を見せてあげたい。

そしてサルサを一緒に踊ろう。

そう誓ったカリブの海だった。



【番外編】

隣のおばさんのうちに招待される。



「おい、かじ、この人と結婚して、キューバに住みなよ」



「オッ〇イも大きいぞー」

「何言ってんのよダニエル、まあ、恥ずかしー」


【番外編2】

帰国の日の朝、

テレビはフィデル・カストロの死を伝えていた。



全国民が悲しみの中に陥った。


ボクも悲しいけど、

フィデルが生きているうちに来ることができて、ボクは幸せだった。



ハバナへ帰る

2016年12月26日 | 
一人で思い悩む必要はない。

そして、既成の情報だけに頼ってはいけない。

つまり、情報は疑ってかかることだ。


バスチケット売り場のおばさんが

たぶんキャンセルが出るわよ、ッといった意味が分かった。


相乗りタクシーという手段があったのだ。

(CASAのママも最初から教えてくれればよかったのに)

Taxi colectivo


    車内は楽しい(ドイツ人カップルとチェコの女性)

朝8時~9時の間に迎えに来てくれるという。


    トランスポーターのジェイソン・ステイサム似のドライバー

値段は、

ナント

ナント


$30

(30CUCだけどここは敢えて米ドル表示します。
ほぼ一緒だから)


で、バスはといえば、

$25


ところが、タクシーのほうがかえって安くつくのだ。

なぜって、

バスを使うと、

バスターミナルまで$5(自転車タクシー5分)

ハバナのターミナルからCASAまで$10.(タクシー20分)

合計、$40


相乗りタクシーのほうが断然安い!

しかも、ドアツードア。

バンでなくて綺麗な乗用車。



かかった時間は、4時間。

(途中トイレ休憩をはさんでも)


バスだと、6時間かかる。


海沿いの道を時速130Kで突っ走る(ちょっと怖いけど)




ちなみに、貸切ると$120(4人分)


こんな手があったのなら、何故最初から教えないのか。

ガイドブック(地球の歩き方)にも載ってない。


みんな知ってしまうと、

バスは上がったりだよね。


チケット売り場のおばちゃんも

教えたくないよね。

タクシーのほうが安い、早い、快適と3拍子揃ってるし勝ち目はない。


ということは、

ハバナからトリニダに行くときもこの手が使えるということになる。

だって、帰り便でお客が拾えれば

タクシーだって助かるわけだし。


次は、この手を使うぞ。

夜中に出る必要もないし。

CASAやホテルで聞けば調べてくれるかも。


これはお勧め。

ハバナに帰れない!?

2016年12月25日 | 
旅はトラブルの連続。


旅で身につく力は無数にあるが、

中でも、問題可決能力は格段に身につく。

否が応でも何とか解決の糸口を見つけなければ生きていけない。


必死になる。

覚悟が決まる。

開き直ったその先に一筋の灯りが見えてくる。


トリニダはキューバで最も人気のある観光地である。

町の素晴らしさは当然だが、

ハバナからバスで6時間という距離も行きやすくしている。


一日数千人もの人が訪れるという人気スポットなのだ。



ということは、

早くバスを予約しないと満席になることは容易に想像がつく。

なんせハバナ行は1日に3便しかないのだ。


そこで、前日ではなく、2日前に予約を入れようとバスターミナルに向かった。


そこはすでに列をなしていた。

もちろんすべての人がハバナへ帰るわけではない。

トリニダからサンタクララやカマグエイ、サンチャゴデクーバへ行く人も多い。


前の人の話を聞いていると、明日はどうもハバナ行は満席らしい。


食って掛かる観光客も

ボクは不安を抱えながら順番が来るのを待った。


「明後日、ハバナ行き、一枚」

ボクの希望に冷たい返事が返ってくる。

”Full"

「しあさってはどうか?」

答えは同じだった。


さらに、

「5日先までいっぱいだよ」

という絶望的返事が。


ボクは、4日後にはハバナを去って帰国の途に就かなければならない。

ボクのスケデュールでは、

2日後にハバナに戻り、最後にハバナに2泊するつもりだった。


そのことをチケット売り場のおばさんに伝える。

当日(明後日)3時30分にここへ来なさい。

そうすればキャンセルが出れば4時のバスに乗れるかもしれない。


"Are you sure?"

"Probably(たぶんね)"

ボクはマジかよ、と思ったが、それ以上どうしようもなかった。

これだけ人が多いのに、キャンセルなんか出るのか?

キャンセル待ちも半端ないみたいだし。


不安の渦が脳裏を駆け巡った。

乗れなかかったらどうなる?

ハバナに帰れなかったら、日本に帰れない。

(まあ、帰れなくてもいいかもしれないが)

いやいや、それは困る。

ボクの帰りを待ってる人がいるし、

日本に帰ってやらなきゃならないことだっていっぱいある。

帰れなーい、帰りたい。


ボクの脳みそは激しく思考を回転させていた。

飛行機はどうだろう。

いや、トリニダには空港はない。

(隣町のシエンフェゴスには空港がある)

いやいやあっても、満席に違いない。


そうだ、タクシーではどうだろう。

ハバナまで約400Km.

行けない距離ではない。

いくらで行けるだろうか。

$100?$200?


そんなことをつらつら考えていた。

CASAのママに相談した。

その時は、特に何も代案を示してはくれなかった。


困った。

人生最大の危機?

カマグエイでバスに乗れないかもしれないと思った時より

事態は深刻だった。


とりあえず、

当日バスターミナルへ行ってキャンセル待ちの列に並ぶしかなさそうだ。

あとはどうにかなるだろう。


そう開き直って覚悟を決めたその時だった。

藁をもすがる解決策が足元に転がっていた。



【格言】

旅によって、人生で必要なすべての能力が身につく。

トラブルを楽しむ。

トラブルの数だけ人は強くなれる。

諦めなければ必ず解決策はある。 by Asay

洞窟でディスコ

2016年12月24日 | 
洞窟探検


カリブの海賊といえば、

ジョニーディップのパイレーツ・オブカリビアン

(スペイン語ではPiratas del Caribe)

もしくはディズニーランドのアトラクションを思い出す。


カリブ海を含めた中南米の歴史を紐解けば、

1492年のコロンブスの新大陸発見にさかのぼる。

そういった中でキューバもスペインの植民地化され

海岸に町を築いていったが、

たびたびカリブの海賊の襲われ山中にに町を移したとされる。


世界遺産の町トリニダもその一つで、

サトウキビのプランテーションで栄えるが、

奴隷制度の廃止と共に反映を象徴する立派な町並みを残したまま

静かに衰退していった。

それからこの町の時計は止まってしまったたのだ。


         夜のマヨール広場


山中には洞窟(鍾乳洞)がたくさんある。

その中の一つがディスコになっている。


ボクが乗馬の途中で通ったDisco AYARAがそうだ。


ボクはそこに行ってみることにした。

ただ、オープンは夜の10時からとガイドブック(地球の歩き方)にある。


CASAから歩いて20分くらいの山中にあるが

夜道は大丈夫なのだろうか。


CASA周辺は人通りこそ少ないが、黄色い外灯がついてさほど暗がりはない。


夕食とシャワーを済ませると、

ボクは最小限の現金($20)とデジカメだけをポケットに忍ばせて9時半ごろCASAを出た。


途中道を尋ねながら、

昼間散策したマヨール広場(Plaza Mayor)に建つ教会(Iglesia Santisima)の角を曲がり

未舗装の坂道を登っていく。

一部暗がりもあるが、ところどころに小さな屋台のバーが控えめなネオンを付けて待ち構えている。




       家の軒先もバーに早変わり

何軒か屋台のバーをかわし進んで行くと、

お兄さんが声をかけてきた。


「ディスコは11時からだよ。

ここで休んでいきなよ」

時計を見ると9時45分。

「10時からじゃないのか?」

「いや、11時からだよ。

まだ空いてないから行っても無駄だよ」


どのみちまだ15分はある。

のども乾いたしここで一杯ひっかけて行くのも悪くない。


ボクは迷わずモヒートを注文した。

葉巻をくゆらし、腰かけていると

三々五々ディスコに行く外国人が登っていく。


お兄さんは、その都度声をかける。

「まだ開いてないよ、ここで休んでおいきよ」


無視して登っていった人たちは、ものの10分もしないうちにまた引き返してくる。

ア――、ホントに開いてないんだなとこの時実感する。
(地球の歩き方の情報は間違っていますよ)

そのうちボクも客引きを手伝う。

ドイツ、スペイン、オーストリア、オーストラリア人と

国際色豊かな客で瞬く間に小さな店は一杯になった。



結局楽しくてモヒートをお代わりしながら11時まで居座っていしまった。


じゃあ、繰り出すか―、みたいな勢いでいざ洞窟のディスコへ。


11時を回っているのに、洞窟の前には長い行列ができていた。

入場料$5(ワンドリンク付き)を払って中へ。



ちょっと怪しげな長い階段を下りて行くと

想像以上の広い空間にビートのきいた音楽とミラーボールの照明が飛び散っていた。





憧れのトリニダ

2016年12月22日 | 
かくして、一睡もしないまま

午前9時過ぎにバスはトリニダのバスターミナルに到着した。


そこでは自転車タクシーのお兄さんが待っていてくれた。


        

荷物を載せると、石畳(石ころ)の坂道をガタピシいわせながらいかにも重そうにペダルをこぐ。


       初めて乗った自転車タクシー

これは足腰が鍛えられるだろうな、と思ってるうちに

CASAに着いた。




重厚な扉の向こうに、別世界が広がっていた。


     豪華な調度品

今までのCASAと違って、ゲストルームが5室もある。

規模の大きなCASAだ。


パティオでウェルカムコーヒーをいただく。



眠気が吹き飛ぶ。


まだ午前10時前だというのに、部屋を掃除して入れてくれた。



で、さっそく朝食も。



少し休んだら、美しい世界遺産の町並みを散策しよう。





バストラブル

2016年12月21日 | 
カマグエイからいよいよトリニダに移動する。

もちろんまたバスでの移動だ。


それで、野球観戦が終わって

CASAのオヤジさんがボクをバイクでバスターミナルまで連れて行ってくれた。


     バイクの後ろは乗り慣れてる(ベトナムだってネパールだって)

バスの予約をするために。


ところが、せっかく来たのに、

明日来なさいと言って追い返された。



オヤジさんもちょっと浮かない顔だ。


明日といっても、

バスの時刻は、午前2時45分だ。

また夜中か。


夕食をいただくと、





荷造りして早目にベッドに入った。


うつらうつらしていると、ドアをノックされた。

午前1時だった。

タクシーが来たから、バスターミナルに行くようにという。

奥さんがコーヒを入れてくれて、

サンドイッチを持たせてくれた。


こういうところはCASAはありがたい。

眠い目をこすりながら、見送られてボクはタクシーでバスターミナルに向かった。

あのポンコツタクシーで。




気のいいタクシードライバーは、チケット売り場まで連れていってくれた。



だが、ドアがロックされている。

多分もうすぐ開くだろうから、ここで待ってればいい、

と言い残していってしまった。


ドアの前には二人の男性が物憂げに座ってる。


どこへ行くのか聞いてみた。

トリニダだという。

オー、同じだ。

チョッとホッとした。


で、チケットは?ときくと、

まだだ、だからここで待っている、という。

どうやら彼らも同じ状況にあるらしい。


       疲れ果ててうつらうつら

彼らはドイツから来ていた。


それからは彼らと運命を共にすることになる。


午前2時を回ったころ彼らに肩をつつかれ起こされた。

チケットブースのドアが開いたという。


彼らについて中に入ると、一人のおばさんが不愛想に座っている。

トリニダ行きのチケットを、といっても発券してくれない。

2時45分まで待てという。

ボクは彼らと顔を見合わせ、

バスが着く時間ではないか。

それでは遅すぎないか、と言葉を交わした。


諦めてまた冷たいスチール製の椅子に戻った。

やがて、2時45分になった。

バスはまだ来ない。


時間だよ、と時計を指さしながらながらボクはおばさんに挑戦的に言った。

待てと一言、相変わらず無機質な返事が帰ってくるばかりだ。

なぜ発見してくれないのか。

僕たちはイライラしながらドアの前で待った。


午前3時半になって、バスはようやく姿を見せた。

バスが来たよ、チケット売ってくれよ、

と掛け合うが、おばさんは一向に黙って座ったままで動こうとしない。


するとやがて、バスのドライバーがやってきた。

トリニダに行くのは?

3人だ、と答えた。

すると、何やらおばさんとドライバーがやり取りをしだした。


やっとわかった。

発券しない理由が。

座席がない、満席なのだ。

ガガーン!!!!


オイオイ、ここまで待たせて乗れないなんて、そりゃーないぜ。

ボクはドイツ人と顔を見合わせ、あきれたように肩をすぼめた。


ボクは、ドライバーにどうしてもトリニダに行かなければならないことをすがる思いで訴えた。

ドイツ人たちも同調する。


これを逃したら、その日の23時45分までバスはない。

それだって、この調子だと乗れる保証は全くないのだ。

何と言っても、バスが来なけりゃわからないのだから。

たしかに、50年前にタイムスリップしているようだった。


必死に訴える僕らを置いて、ドライバーは一旦姿を消した。

乗れないかもしれないなと半ば覚悟を決めかけたその時、

ドライバーが戻ってきていった。


通路でもいいか。

いい、いい、なんならトランクだって屋根だって乗るぞ。


かくして、難民になった気持ちでバスの通路にしゃがみこんだ。



 このほうが足が延ばせる(振動はすごいけど)

カマグエイの奇跡

2016年12月20日 | 
旅先では自ずと冒険心が湧いてくる。

怖いもの見たさなのかもしれない。

知らない道を歩いてみたいという衝動に駆られる時がある。
(人生でもいつもわき道に逸れているが)

そうして、迷い込んでしまった道。

その先には奇跡が待っていた。


南米といえばサッカー。

だが、キューバはアメリカ、日本と並ぶ野球の国。


知らない町をあてどもなくフラフラとふらつくのが好きだ。

この日も晴天の中、冒険心がボクをどこともなく連れて行った。


広い公園のようなところに差し掛かると、

大きな夜間照明が見えてきた。




何かのスタジアムだと思い行ってみる。

入口らしきところに数人の人が立っている。



好奇心から近づいてみる。


どうやら野球場らしい。

中の方を鉄格子沿いに覗き込んでいると声がした。

「(試合開始は)1時半からだよ」

時計を見るとまだ11時を回ったところだった。

「写真撮るだけ、いい?」

と言って、ボクはカメラを中に向けた。

すると、横に立っていたセキュリティが中に入って来いというように手招きをする。


ボクは、言われるままに中へ入り、

選手たちの顔写真が貼ってある壁に向かってシャッターを切った。


それだけかと思いきや、ついて来いという。

そして、ダッグアウトを抜けグラウンドへ。


そこで選手らしき大柄の男性に何やら声をかける。



名前は知らないが、彼はボクにユニフォームを売ってくれた($20)。

(半ば強制的にだが、)



そのあと、試合前の選手たちの控室まで案内してくれた。


      リラックス中にいいのかな

ここでもフレンドリーに記念撮影に応じてくれる。


      さすがにみんな大きい


いったん、CASAに帰り、ボクは改めて球場へ出かけた。

今度は試合を見るために。

やはり本場のプロは違う。

球場の雰囲気も肌身で知りたかった。

カマグエイの相手はマタンサスという強豪チーム。


入場料は$1。



やはり庶民の値段だ。

(先日亡くなったフィデルカストロも大の野球ファンだった)

人に押されながらバックネット裏の席を確保。


ニューヨークではヤンキースタジアムで大リーグの試合を見ていたので、

ビールを飲みながら観戦しようと思った。


     
ところが、スナックやソフトドリンクだけしか売りに来ない。



なるほど、満員のスタンドには物々しい軍隊が張り付いている。

アルコールはご法度らしい。






いつの間にか試合観戦するボクを案内してくれたセキュリティが目ざとく見つけ、
(なんと数千人?の観客の中から見つけ出したのだから)

試合後もまたグラウンドに案内してくれた。



     監督らしき人とパチリ


     彼が親切なセキュリティ(案内礼金$5)


思いがけず本場のキューバ野球を見れて大満足。


「現場に行き、本物に触れる」

これがボクの旅のモットー。


そして、やっぱり旅は歩け歩けですね。

そうすれば、思いがけない出来事がついてくる。
(危険も背中合わせだけれど)

何が起きるかわからないところが、旅の醍醐味。

カマグエイへ

2016年12月19日 | 
最初はカマグエイに行く予定はなかった。

当初、サンチャゴデクーバからトリニダに行く予定だった。


だけど、ハバナからサンチャゴデクーバに行く長距離バスの車窓から見たカマグエイの美しい街並みに感動して

急遽立ち寄ることに予定を変更した。


サンチャゴデクーバのバスターミナルで

前日カマグエイ行きのチケットの予約を入れておいた。


出発は、今度は早朝6時30分発。

いつも深夜か早朝だが、長距離移動のため仕方がない。

しかし今回は約7時間、元来た道を引返す格好だ。


     わりとすいていてゆったりとした感じ

バスはハバナ行きで、途中下車になるため、

あらかじめドライバーにカマグエイに着いたら教えてくれと頼んでおく。

(アナウンスがないため、乗り越さないように)


バスはほぼ定刻通りカマグエイのバスターミナルに着いた。

そこには、タクシードライバーが迎えに来てくれていた。



こういったところは、CASA間の連携が密で、ちゃんと連絡をしてくれていて助かる。


ただ、ドライバーは陽気でいいオジサンだが、

車が今にも止まりそうなポンコツ。


     フロントグラスにはヒビが

それでも、途中観光案内してくれながら、何とかCASAまでたどり着く。


予想通りの綺麗で閑静な良い町だ。

キューバで最も古い町の一つ。

広場と路地が迷路のように連なるコロニアルな町並み。

なんてったって世界遺産の町なのだ。

期待が膨らむ。


ここのCASAもこじゃれたかわいらしいお家(うち)。

オーナーはおじさんだったけど。


部屋も、また、ラブホテルと見間違うほどの色っぽさ。



キューバ人て結構乙女チックな人が多いのかなー?

これは一人で寝るには空しい。
(仕方ないけど)


おまけに、

部屋にミラーボールはあるは、コンドームはケースごと置いてあるは。




      これは使い切れないでしょ

嫌がおうにも高揚させられる。
(ここはじっと我慢の子)


部屋の前は、こじんまりしたパティオ。

CASAの子が懐いてボクから離れようとしない。





洗濯物はお母さんが干してくれた。


      晴天続きで、すぐ乾く


全くキューバのCASAは居心地がいい。


一服して町を散策。

世界遺産の町だけあって町全体が小綺麗だ。


       町の中心地サン・ファン・デ・ディオス広場


     恋人たちもゆったりとくつろいでいる

タクシー馬車がいたるところに通っている。





好きだナ~、こんな町。






息子の誕生日

2016年12月18日 | 
今日は息子の32回目の誕生日。

そして、

ボクの68回目の誕生日でもある。

つまり、息子はボクと同じ誕生日なのだ。

(しかも干支も一緒、つまり36歳の時の子)


32年前のボクの誕生日、前妻からのビッグなバースデイプレゼントだった。


その息子が一昨日帰熊(きゆう)した。



半年ぶり。

久しぶりにゆっくり話し込んだ。

立派に成長した息子にボクは喜びを隠せない。


そして、娘が二人。

みんな自立して、健康でそれぞれの道を自分の足で歩んでいる。

これが何より嬉しい。

立派に育ってくれた子供たちに感謝。

(お母さんたち(複数)のお陰、感謝)


彼らは、ボクが授かった最高の宝物。

厳しい時代だが、

この世が、この世界が、この地球がどうなろうとも、

逞しく生き抜いてほしい。



ボクは、世界一の幸せ者。



愛する人に、ご縁のあるすべての方々に、

そしてあらゆる出来事に

感謝!!


これからも、生ある限り(生かされている限り)、

あらゆる人を愛し、すべてを受け入れ、何事も許し、みんなに感謝して

残された少ない人生を

positive に aggressive に challengeable に生き抜いていきます。

ありがとう!!心を込めて。


【補足】

息子の嫁さん募集中!

優しい子ですよ。

ボクが保証します。


ただ、しゅうとが曲者((笑))

カリブ海に想う

2016年12月17日 | 
20年前、ボクはフロリダのキーウェストにいた。

アメリカ最南端の町だ。

ここはアメリカのキューバと言われるほど限りなくキューバに近い。

そこでカリブ海を眺めながら思った。

ここからキューバに行ける。

ハバナまで約130km。


      ハバナまで105Mlとある(マイアミに行くより近い)    

泳げる距離だ。(実勢泳いだ人がいる)

月日は流れた。



サンチャゴデクーバで宿泊したCASAは少し高台に位置し、

目に前にはカリブ海が広がっていた。


        見送るCASAのママ

そして、その先にはジャマイカ、ハイチが目と鼻の先にある。

天気がいい日には 標高2,256 メートル (7,402 ft)のブルー・マウンテン(ジャマイカ)が見えるだろう。

言うまでもなくコーヒーの生産地としても有名な山だ。

そこには友人が住んでいる。

以前、熊本でALT (Assistant Language Teacher外国語指導助手)をしていた女の子Kerry。

ダッコちゃんみたいな愛嬌のある顔をしていた。

今は帰国して、以前からジャマイカにいらっしゃいと誘われていた。

キューバからは飛行機で一っ跳び。

行きたい衝動にかられたが、非常に危険な国であり今回は躊躇した。

(外務省の危険情報ではレベル1の「十分注意」となっている)


今回のキューバの旅の目標の一つは、「カリブ海で泳ぐこと」である。

海に行ってみた。

ハバナ同様、そこは港になっていて、

泳ぐことのできるビーチはかなり離れている。


港の周囲は公園化され、市民の憩いの場としてふさわしい。

若者たちが何やら集まって、写真に向かってにこやかにポーズをとってくれた。



人懐っこさがキューバ人の特徴だ。


ボクはこの町がすっかり好きになってしまった。


      夕暮れの海が旅愁をそそる。

どこか日本の景色に似ている。


キューバに来てもう10日が過ぎようとしている。

旅程の約半分だ。

いつになったらカリブ海で泳げるのだろうか。