世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

そうだ、マカオへ行こう

2016年12月16日 | 
またまた旅の虫が蠢きだした。

(キューバから帰ってきたばかりというのに)


今回の行き先は、マカオ。

カジノ法案成立を機に、これはほっておけない、と思ったからだ。


断っておくが、

ボクはパチンコはおろかギャンブルは一切しない。

宝くじさえ買ったことがない。

ゲムセンにも行かない。

(人生そのものがギャンブルでありゲームだから)


だが、日本でカジノを合法化することには前向きだ。


問題点は大きく二つ。

依存症対策と、収益性。

あ、それともう一つ。

官民の癒着。(パチンコの二の舞はごめんだ)


カジノといえばラスベガスを思い出す。


      これも目の保養?

ネバダ州にはラスベガス以外にリノとラフリンという大きなカジノの街がある。

ボクはその3か所とも訪れた。

ラフリンにはしばらく逗留したほどだ。


     川沿いにあるラフリンの夜景

その間、スロットを数千円分くらいしかやらなかったが。


何をしていたかというと、

ショーを観たり、プールやジャグジーを楽しんだり、

コロラド川沿いにあるラフリンでは水上スキーを楽しんだりしていた。

(川を挟んで向う岸はアリゾナ州であるが、

対照的にひっそりとしている)


ここはなんでも(ホテルも食事も)安いから長く滞在できる。

特にアメリカのシニア層はこぞって長期滞在している。

そしてみんな溌溂としている。


ネバダ州がギャンブルを解禁したのには当然訳がある。

州を潤していた鉱産資源が底を突き始めると人口流出が深刻となり、

州政府は窮余の策として移住者の離婚を認め、

定住者の娯楽と産業創出のためにカジノを公認するようになったのだ。

また、1936年完成のフーバーダムにより豊富な電力を得ることができ、

今日に見られるようなネオン街が発展する契機となった。


超高齢者社会にある日本には、こういう場所こそ必要だと感じた。

中身はギャンブルというより、むしろエンターテインメントだ。


シンガポール、そしてベトナムとカンボジアの国境にあるカジノの町(村?)にも行ってみた。

(カンボジアは寂れていたが)


収益性の問題は、

かつての1987年に施行され、結局失敗に終わった総合保養地域整備法の通称、

いわゆる「リゾート法」の二の舞にならないかということだ。

依存症対策に係る入場制限と密接な関係にある。

中国からの爆買い組も一段落したことだし。



そこで、熊本にカジノを誘致しようと思う。

震災復興の大きな起爆剤となる。

福岡一極集中の歯止めにもなろう。


それも、阿蘇郡西原村に。

空港から近いことが大きな決め手となる。

幸い、阿蘇熊本空港は韓国ソウルと台湾高雄へのフライトが就航している。

上海にも自治体の熊本事務所を構える。

これほどいい条件はない。
(むしろこれを利用しない手はない)

隣の益城町も大津町も南阿蘇村も潤うに違いない。


そのためには実態調査が欠かせない。

そういうわけでマカオへ飛ぼう!

(幸い、福岡から直行便マカオ航空がある。

で、今回は香港はスルー)


【補足】

皆様のご意見とお知恵をお寄せください。

(議論は差し控えさせていただきますが)




一夜の恋

2016年12月15日 | 
少しサルサをかじると踊ってみたくなるのが人情だろう。


サンチャゴデクーバの街をぶらぶら歩いていると、

いたるところでキューバンバンドの音楽を聴くことができる。



思わず軽快なリズムに合わせて体が無意識に反応する。


そんな中、また興味深い看板に出くわした。



SALSA という文字に目が留まったのだ。

今日の夜8時半からとある。

建物の中を覗くとリハーサル中だった。



行ってみようと思った。


一旦CASAに帰ってシャワーを浴び、夕食を済ませる。

今夜のメインディナーは魚のフライだ。



食事しながらボクはCASAの旦那さんにちょっと不安に思っていることを聞いてみた。


「今夜はサルサを踊りに行くんですよ。

ところで、夜道は大丈夫なんでしょうか。

帰りは多分夜中になると思うんで」


一般的に、欧米においてはショーやパーティが始まる時間は遅い。

だいたい午後8時や9時ころからが多い。

日本は6時とか7時頃が一般的だが。

彼らは、日本人のように仕事が終わって直行はしない。

一旦家に帰り、シャワーを浴びたり着替えたりして行くのが常だ。


ただやはり心配なのは帰り道だ。

日本も物騒になってきているので、

特に女性の夜道の一人歩きは気を付けなければならない。

ましてや、海外においてはなおさらだ。


ニューヨークでミュージカルを見た後や、

スペインでフラメンコなどに行ったあとは

深夜近くになってよく夜道を歩いて帰ったものだが。

ただ、暗い道や、人気の全くない道は避けなければならない。

もちろん、タクシーを使うほうがいいが、

これも100%絶対安全とはいいがたい。


カンボジアでは、トゥクトゥクで全く反対方向に走られ、

危うく真っ暗な道に連れていかれそうになった。

ハワイでさえ同じようなことがあった。

ボクは、モロッコのカサブランカで

ナイフを持った二人組の暴漢に襲われ格闘した経験があり、

それ以来なおさら用心深くなった。

(結局荷物を奪われ、軽傷を負ったが)


その後は、昼間でさえ時折後ろを振り返る癖がついてしまった。

ずっとついてくる奴がいないかどうかを確かめるためだ。

それだけでも被害を未然に防ぐことができる。

事実、エジプトやインドといったところで、にらみつけるだけでそれらしき人間を退散させたこともある。

ケニアのナイロビでは、いざというときのために手にチェーンを持って歩いた。

チェーンは、荷物をくくりつけておくために南京錠とともに購入した。

もちろん置き引きに会わないようにバッグを括り付けておくためのものだが。

それから、ホイッスルを首からかけておくのもお勧めだ。


話が逸れたが、

CASAのご主人は、この町は大丈夫だよと笑いながら言ってくれた。


      CASAの優しい家族

いろいろ面倒を見てくれたり、相談に乗ってくれるのもCASAならではのいいところだ。


      比較的裕福な家だろう


ライブ会場はCASAから歩いても10分くらいのところにある。

8時過ぎに出かけたが、通りには街灯が道を明るく照らしている。

人通りもそこそこある。

だが、深夜近くなればどうなのだろう。

不安がよぎる。


こういう時は、極力荷物は持たない。

お金も最小限にする。

コンサートの入場料は$1と庶民向けなので、

ボクは小銭を$10ほどしかもたないで家を出た。

念のため、ナイフと小型の懐中電灯をポケットに忍ばせておいたが。


会場に着くとまだ10分ほど時間があった。

外には三々五々人が集まっている。

外で立って待っていると、一人の女性が声をかけてきた。

「どこから来たの」

「日本だよ。

君もこのコンサートに来たのかい?」

「そうよ。ダンスできる?」

「うーん、少しならね」

そんな会話を交わしながら、会場に入った。

ちょっと殺風景で小さなコミュニティセンターのようなところだ。

彼女は小柄でちょっと太った黒人だが、明るくて気立てはよかった。




彼女は当然のようにボクの横に並んで座った。

いよいよ演奏が始まった。



例によってオジサンバンドだ。

二曲目に入ると、彼女は「踊る?」と言ってボクの手を引っ張った。

それから3曲ほど踊った。

彼女は、キューバ人にしてはかなり控え目で、少し照れくさそうに踊った。

正直あまり上手ではなさそうだったが。

ボクもちょっとぎこちなかった。

それでもうっすらと汗をかく。


席に戻ると、「なにか飲む?」と聞く。

ボクは迷わずモヒートを注文した。

彼女の分も一緒に$6を払った。


観客も徐々に集まってきた。

地元の人が多いらしく顔なじみなのか挨拶を交わしている。

その中に、ちらりほらり白人の観光客が混じっている。

数組が横で踊ってはいるが、いまいち盛り上がりには欠ける。


少し退屈そうなボクを見て、彼女が言う。

「もう出る?」

そうだねと言ってボク達は外に出た。


彼女は、「どうする?」といった表情を浮かべてボクを見上げる。

どこか飲みにでも行きたさそうな顔つきだ。


「あんまりお金ないんだ」

ボクは正直に言った。

(実際$3しかない)

「うちに来る?」

エッ!と思ったが、

「近いの?」と聞いた。

「タクシーで5分くらい」

「そう、でもあまり遅くなれないんだ」

「どこに住んでるの?」

「CASAに泊まってるんだよ。

ここから歩いて10分くらいのところ」

「じゃあ、そこに行こうよ」


オイオイと思いつつ

「CASA Particular だよ」

と言ってそこのカードを見せた。

「知ってるわ」

というと彼女はボクの手を引っ張って嬉しそうに歩き始めた。

「ダメだよ、普通のお家だから」

「大丈夫よ、私が話するから」


夜道を一人で帰るよりいいかなと思いつつ

成り行きに任せることにした。

「何人家族?」とかたわいもない会話を交わしながら

あっという間に家の前まで来た。


「ここだよ」というと

彼女は一瞬困惑の表情を浮かべた。

「やっぱり私帰る」

こんな時間に普通の家に行くのはやはりいけないと思ったのだろうか。

時計の針はすでに11時を回っている。

「あ、ちょっと待って」

ボクは彼女を玄関先に待たせて家の中に入った。

リビングにはご主人がテレビを見ながら座っている。

ボクは、訳を話して彼女を招き入れた。


彼女は恥ずかしそうに中に入ると、

CASAのご主人と何やら話し始めた。


ボクは部屋から折り鶴とボールペンを持ってきて彼女に渡した。

彼女は嬉しそうに笑った。

「じゃあ、遅いから帰るわ」



ボクは玄関先まで彼女を見送った。

「Me gusta Usted(あなたのことが好きよ)。

今度は私のうちに泊まってね」

そう言うと彼女はボクにハグをした。

ふくよかな胸がボクの心を締めつけた。


「夜道、大丈夫?」

彼女は、大丈夫よというように小さく手を振ると

ちょっと寂し気な背中を見せながら暗闇の中に消えていった。










サルサに初挑戦

2016年12月14日 | 
サンチャゴデクーバの初日の帰り道

ふとこんな看板が目に入った。



結局ハバナではサルサを習うことができなかった。


ここぞとばかり恐る恐る階段を上り中へ入ってみる。

出てきたおばさんに習いたい旨を伝え、詳細を聞く。

1時間$10でレッスンしてくれるそうだ。

さっそく次の日の4時で予約をした。


あくる日、ちょっと緊張しながら出かけた。

少し遅れて着いた。

「もう屋上で始まってるわよ

さ、早く行って」

ボクは促されるまま、洗濯物が干してある狭い階段を上がっていった。


そこにはすでに数人の人たちがサルサを踊っていた。

教えてくれる先生はアカデミー賞受賞の名優フォレスト・ウィテカー似の

ちょっと小太りのブラックガイだった。


ボクはサルさは初めてだと断っておいた。

「OK,じゃあ、基本(basic step)からいこう」

リズムはこうだ、1,2,3、 5,6,7」

ウノ、ドス、トゥレス、 シンコ、セイス、シエテ

英語とスペイン語交じりで教えてくれる。

「やるじゃないか、ホントに始めてとはとても思えないな」

ボクはマンボの心得は少しあったので、心の中でほくそ笑んだ。


「OK,じゃあ今度はパートナーと組んでやろう」

横で待機していたスレンダーな若い子がボクの手を取ってリズムに合わせて腰を降る。



これだ!

そう、これがやりたくてボクはキューバまで来たんだ。

夢が叶った瞬間だった。

軽快なキューバのリズムが屋上いっぱい広がっていた。


滞在中こんな光景に遭遇し、見とれてしまった。



こんな風に踊れたらいいなー。


結局、そこでは二日にわたって習いに行った。


そして、数日後訪れたトリニダで偶然出くわしたお土産屋さんのお兄さんと踊ってみた。


  まだまだぎこちないなー(;´・ω・)







【追記】


出版する本のタイトルは

「68才、サルサを踊る」である。

サブタイトルは、

「夢はいくつになっても叶う」


まだ出版社は決まっていないが。


旅は飽くなき挑戦を駆り立ててくれる。

今回の旅の課題の一つである「サルサを踊る」夢を実現させた。


本の内容は、単なる旅行記ではない。

旅を通じた人生の哲学書である。


いくつになっても飽くなき挑戦を続ける。

それには、子供のような純粋な心と好奇心を持つこと。

これが若さと健康の秘訣でもあるから。

サンチャゴ・デ・クーバ

2016年12月13日 | 
18時間バスに揺られ、夜の7時過ぎにサンチャゴデクーバに到着した。

身体はもうくたくたに疲れ切っている。

CASAのご主人が迎えに来てくれていた。

ハバナのCASAのママが紹介してくれた。


ここは、部屋にバストイレがついて一泊$25とハバナ($30)よりも安い。

部屋は、まあなんと乙女チックで、

オジサン一人で泊まるにはちょっと場違いな感じを覚える。


         日本好きな家族だ

ここでも朝食($5)と夕食($10)を付けてもらうことにした。


         メインはなんと大きなロブスター

やはり、豪華でたらふく食べられる。


次の日は遅い朝食(ブランチ)にしてもらった。

ブランチを済ませると、例によってブラブラと町の中心部に向かった。

とりあえず両替をしなければならない。

手持ちのCUC(キューバの通貨)がほとんどない。


ハバナで予想以上の出費。

ここまで7万円($630)を既に両替えしている。

(全予算は10万円なのに( ;∀;))


町の真ん中にあるセスベデス広場周辺にある銀行に行ったが、

日本円の両替はしてもらえないという。


     セスベデス広場とカテドラル

さて、困った。


うろうろしていると、決まって誰かが声をかけてくる。

日本円を両替してもらえる銀行名を聞いていたのでそこまで行くつもりだと答えた。

歩いて行ける距離ではないという。

タクシーのドライバーも匂いを嗅ぎつけて寄ってくる。


往復$6で行ってくれることになった。

そしてそこの銀行はたしかに日本円を両替してくれた。


     Baco Finaciero International


オーンプ時間は、8時半から3時半

後日分かったが、

町の目抜き通りにCADACA(両替所)があって、

そこでは日本円を両替してくれる。


       この看板が目印(ちょっと分かりづらい)


       ここは、8時半から4時まで開いている


さて、銀行から帰ろうとすると、タクシードライバーが観光ルートを提案してきた。

断るが、かなりしつこい。

とりあえずここだけは行ったほうがいいという、

世界遺産になっている「モロ要塞」にだけは行くことにした。

確かに1時間以上滞在してしまうほど一見の価値はあった。(お勧め)


    カリブ海が望める


帰りは、モンカダ兵営博物館へ。

ここはキューバ革命の火ぶたを切った歴史的な場所で、

外すわけにはいかない。


         壁には銃弾の跡が生々しく残っている

1953年、7月26日、襲撃は失敗に終わるが、

この日はキューバの革命記念日となって歴史に刻まれている。



フィデルやゲバラの思いがヒシヒシと伝わってくる。


そこからCASAまでは歩くことにした。

そしてその途中、ある看板に目が行った。

(Continuing)

キューバの売春事情

2016年12月12日 | 
ダニエルは自分がゲイであることをボクに告白してから

心なしか態度が大胆になってきているようだった。


ハバナの街を歩き回って、ボクの足はパンパンに張っていた。

そこで、マッサージに行こうと思って彼に場所を聞いたら、

自分に心得があるから揉んであげるという。


2005年のアメリカ映画、

『ブロークバック・マウンテン』(Brokeback Mountain)の映像が脳裏に浮かんだ。

アカデミー賞も受賞した言わずと知れた「ゲイ・カウボーイ・ムービー」だ。

"Ah, ahhhh. No gracias(No thahnk youの意味)"

と笑いながら断った。

彼が変な気にでもなって、あの大きな体で迫られたら

ボクのゲイ童貞(?)を瞬く間に奪われかねないと思ったからだ。


ハバナを発つ前日の夜、

ダニエルがまた遊びに行かないかと誘ってきた。

今度はディスコではなくストリートだという。

つまり、夜の街に繰り出さないかということだ。


キューバの治安はさほど悪くない。


     目抜き通りは街灯が明るく照らす

もちろん人通りの無い暗い道は、どの国も一緒で危険が潜んでいるが。

旧市街当たりの要所には必ずと言っていいほど警察官が立っている。


        公園の前で警察犬を連れた警官?軍隊?


        ここにも(なぜか女性と話している)


これは、ニューヨークのマンハッタンの例を見ればわかる。

一昔前は、ニューヨークの夜道は怖くて歩けなかった。

地下鉄も一緒だ。

今は、100%とはいいがたいが、夜道も歩けてかなり安全になってきている。


ただ違うのは、

キューバは銃社会ではないということだ。


       ハバナの銃砲店(割と緩い店構えだ)

一般市民が銃を持つことは禁じられている。

これはベトナムも同じ。(だから治安はいい)

アメリカはもとより、

フィリピンをはじめ子供まで銃を持っている国はそれだけで十分怖い。



先日、ダニエルにディスコに連れて行ってもらった時にも、

深夜にもかかわらず店の前の通りではかなりの若者たちがたむろしていた。

きっと店からあぶれたか(入場制限などで)、

あるいはお金がなくて入れないでいる人たちかもしれない。

彼らは夜中というか、明け方までそうして時間を費やすのだろうか。


      夜のハバナも楽しい

〝I'm straight, not street”

と、行ってみたいという好奇心を抑えながら冗談めかして言った。

この場合のstraightは、

異性愛者、つまりゲイではないという意味である。

それに、Street girl(道に立って男を誘う女性のこと、つまり売春婦)をひっかけたつもりだった。


実際、そのへんの事情はキューバではどうなっているのだろう。

一人で歩いていると、ときどき男性から"Chica?"と声をかけられる。

Chicaとは、女の子という意味で、

女性を買わないか、と誘ってくる。


ボクは好奇心からいくらなのか聞いてみた。

$25だという。

以前何かの番組で、安く体を売るキューバの売春の様子を放映していたことがあった。

その時は、$10~$20とか言っていたような。

その時に比べると値上がりしたのかな。


まあ、値段はどうでもいい。

場所を聞くと、すぐそこだと指をさす。

近くにそういうホテルや部屋があるのと聞くと、

いや、そこのbaño(バニョ)だという。

ボクは思わず聞き返した。

"Baño!?"

bañoとはトイレのことを意味する。


なるほど、キューバではもちろん売春はご法度illegal。

たぶんホテルの部屋へのお持ち帰り(連れ込み)もダメなんだろう。

売春宿などもないのかもしれない。

もちろん、普通の民家であるCasaに至っては厳禁に決まっている。

(後でちょっとしたハプニングがあったが、別記します)

だから勢いトイレで済ますのだろうか。


次の日は深夜初の長距離バスに乗らなければならない。

ここでまた体調を崩したら大変だ。

ということで、ダニエルの誘いを涙ながらに断って

早々にベッドで眠りについた。


どれくらいたっただろうか。

男性同士がひそひそと何やら話す声で目が覚めた。

時計を見ると午前2時を回っている。

あー、ダニエルが帰ってきたな。

友達を連れてきたのか。

と、うつらうつらまた眠りに入ろうとしたその時、


「アー、アー、アー」という男の艶めかしい声が聞こえてきた。

ん?

これはもしかして・・・、オ・ト・コ お持ち帰り?

つい聞き耳を立てながら、思わず股間に手を当てた。



ついにダウン

2016年12月11日 | 
無理がたたって、とうとうダウンした。


それはそうだ。

延べ30時間かけてメキシコ経由でハバナに真夜中の到着。

時差ボケのまま、明け方までディスコで呑んで踊れば倒れないわけがない。


ハバナでの3日目は、一日中寝ていた。


本当は次の日は移動日に当てていた。

それも、長距離バスでサンチャゴデクーバまで(18時間)行く予定だった。

とても無理と判断。


キューバの医療制度(無料)ということにも興味があったので、

病院に行くことも考えたが、

幸か不幸か熱は出なかった。

持参した薬(風薬と痛み止め)で済ませた。


       ベッドの上で瞑想して治す筆者


CASAのママも心配して、暖かい料理を作ってくれた。


      メインは魚のフライ

一日中寝ていたおかげで、

次の日は何とか体調も回復した。


まだ少しふらつく体を押して、バスのチケットを買いに出かけることにした。

有難いことにママが一緒についてきてくれた。


        左端がママ

市バスに乗って、バスターミナルへ。
(バス代は10円、タクシーで行けば$10)


バスターミナルは意外とこじんまりとして目立たなかった。



チケットブースで予約を入れる。


     サンチャゴデクーバまで$51、安くはない)

次の日のの深夜発(午前12時30分)。


        西から東手横断、最も長い路線だ


        意外と(?)こざっぱりした待合室


かくして、予定は決まった。

当初は、サンチャゴデクーバまで(1000K)行くなんて全く想定していなかったが。

この後珍道中が続く。

ゲイの館

2016年12月10日 | 
(文末に動画があります)

ディスコから半ば強引にボクを連れ出したダニエルは

"Follow me"というとすたすたと歩きだした。

途中一人の男性に声をかける。

5分ほど歩いた先には

薄暗い道にひときわ華やかなネオンが輝いている店があった。


再び黒装束の強面ガイに入場料を払い、中に入ると

そこには異様な世界が広がっていた。


ごった返す店内はまさに男の世界であった。

男しかない世界といったほうが良いかもしれない。


"I'm gay!

ダニエルが無表情でボクの耳元でささやく。

ボクは、背筋に冷たいものが走り、全身が鳥肌立ち、

思わずお尻を押さえた。


そしていつのまにか彼の横に、さっき途中で声をかけた男が立っていて、

ハグをしたかと思いきや、熱いキスを交わしている。

ボクは吐き気を覚え、思わず目をそらした。


そらせたボクの目線の先に、

ボクに向かってウインクするひげ面の男が立っていた。

ボクは無視した。

男たちが二人、三人と立て続けにボクに話しかけてくる。

なんとも居心地が悪い。

ボクは男にモテるのか、

それともボクにゲイのDNAが潜んでいるとでもいうのか。


一体全体ここに何人のゲイがいるのだろうか。

100人、いや優に200人はいるかもしれない。


奥のステージから男たちの野太い歓声がひっきりなしに聞こえてくる。




一応女性の格好をしていれば、

それが男と分かっていても比較的抵抗がないのは不思議だ。




こりゃあ、CASAに帰ってもうかうか寝てららないな。

夜中の3時か。

Havana Clubを胃の中に流し込まずにはいられなかった。




Gay show in Havana

ゲイになりまして!?

2016年12月09日 | 
旅はまさに未知との遭遇、未知の体験。


ハバナでの二日目の夜、

ダニエルに踊りに行こうと誘われた。

何時から?と聞くと。

10時だという。

夜の10時から、ダンシングナイト。

金曜の夜。

フライデーナイト・フィーバー、か?


ダニエルは何やらめかし込んでいる。

気合い張ってるなー。


そして、タクシーで会場(?)へ。

ところが、あれ1? Closed.

二軒目もClosed.

そしてやっと3軒目に辿り着いた。


そこは、ディスコクラブ。

チョッとサルサとはイメージ違うけど、

マ、いっかー。

ということで、

黒装束のブラックガイに入場料$3(一人)を払って中へ。


Dancing in Havana


熱気ムンムン。

音はガンガン。

光はチカチカ。

どこも変わらぬダンシング・オールナイト。

さっそく金髪のカワイ子ちゃんをゲット。




ダニエルはめかしこんでいるだけに、浮きまくり。


続いて、腰をくねらせセクシーダンスを披露しているスレンダーな黒人の子と密着ダンス。



ところが、突然ダニエルが怒りだして、ボクを外に連れ出した。


そして、怒鳴った。

Are you gay?

(continuing)












ハバナビエハ(旧市街)の休日

2016年12月08日 | 
今回キューバへ行ってやりたいことは、はっきりしていた。

もちろん、学生時代からの思いを果たすことが第一の目的に変わりはなかったが。


キューバに行くならこれだけはやりたいリスト。
 
① モヒートをしこたま飲む



② キューバンリズムに浸り、サルサを踊る
 
        バンドと一緒になって演奏、ダンスをする筆者


        店の外で陽気にサルサを踊る80歳のおじいさん

キューバはお年寄りが元気だ(日本も見習いたい)


③ 葉巻を吸う (ゲバラと同じ銘柄)

④ ゲバラ ヘミングウェイの面影に浸る

⑤ カリブ海で泳ぐ


そしてこれまで海外に行ってチャンスがあれば必ずやってきたことに乗馬がある。

(これまで約20か国で馬に乗ってきた経験がある)


だが、最初キューバで馬に乗ることは想定していなかった。

キューバで乗馬というイメージがわかなかったのだ。

まさかキューバで乗れるとは。

嬉しい誤算だった。


ハバナには馬車がいたが、それはあくまで観光用だった。

それは高いだけで、ボクにとっては興味の対象ではない。


ニューヨークをはじめ、世界の多くの街では観光用の馬車が走っている。

ある意味見慣れた光景だ。


なぜ日本ではそうしないのか、不思議だ。

(湯布院の辻馬車はあるが)

熊本の街おこしで馬車の運航を提案したことがあるが、けんもほろろに却下された。

今一度、提案してみよう。(あきらめてはいない)


実は、もう一つ期待していなくて思いがけず実現できたことがある。

それは野球だ。

キューバは、中南米の中で唯一サッカーより野球が人気がある国である。

乗馬と野球に関しては、また別の機会に書くことにしよう。


ここでは、ハバナビエハ(旧市街)について述べよう。(前置きが長くなったが)


遅い朝食が済み、ハバナビエハ(旧市街)を散策してくるというと、

CASAの末っ子であるダニエルが案内を買って出た。

彼は、昨夜ここのママと一緒にボクを迎えてくれた男性だ。

ガタイが大きく、強面だが笑うと優しい顔になる。

どう見ても30代には見えるが、本人は22歳だというが信じがたい。


       モヒートでカンパイ!


強い日差しの中をブラブラと歩いて

10分ほどで目指すオビスポ(Calle de Obispo)通りにやって来た。

この通りがいわばメインストリートだ。



車が入れない遊歩道になっているので、

お土産屋やライブをやっているレストランなどを眺めながらのんびりと散策できる。


とりあえず通りの入り口にあるフロリディータ(Floridita)に立ち寄る。

ここはヘミングウェイが足しげく通った店で有名。

カウンターの端に実物大のヘミングウェイの像が設置されている。


      オジサンが居座って入る余地なし

いつもお客さんでごった返していて、とても近づけず、ダイキリにもありつけなかった。

(次回の楽しみに取っておこう)


ヘミングウェイはボクの大好きな作家。

実は、アメリカのフロリダ州キーウェストでも彼のお気に入りの「スロッピー・ジョーズ・バー」や

今は猫屋敷となっている彼の邸宅も訪れたことがある。


書店という書店に入り、彼の「老人と海」を探したがどこにも置いてなかった。

だが、古い彼の  を格安(2冊$10)で入手することができたのは実にラッキーだった。


      表紙が黄ばんだ2巻になっている小説集(お値打ち品)

そのあとは、数件のレストランバーをはしごし、

モヒートを飲みながら日が暮れるまでキューバンミュージックに酔いしれたことは言うまでもない。


      女性のバンドは珍しい




      オヤジバンドが多いな



いたるところでこうしたバンドが演奏し、歌っている。

CASAの食事

2016年12月07日 | 
初めての土地へ行ってまず何をするかというと

宿の周辺の様子を知ることから始める。


周囲はどんな環境なのか、

近くにレストランやマーケットなどの店はあるのかなどなど。

つまり危険度(安全性)と利便性のチェックだ。


夜に着くと、まったくと言っていいほどそうした様子がつかめない。

深夜の12時を回ってタクシーから見る光景は

すべての家が寝静まっていて、

お店らしきところもあるのかないのか分からない。

外灯は角々に薄暗く灯っていて、

たまに人が歩いている。

緊迫した危険性はあまり感じない。

「夜道も歩けそうだな」という印象を持った。


ただ、ベトナムのように

深夜まで開いてる店や、

飲んだり食べたりしているような光景は全くない。

みんな夜はどうしているのだろうか、

という不安にも似た疑問が頭をよぎった。


さて、一夜明けて10時ごろ遅い朝食を宿のお母さん(CASAの主)に作ってもらう。



CASAは夕食と朝食を頼むことができる。

てか、向うから、作るよって言ってくれる。


     初日の朝食

卵料理とパン、コーヒーにジュースそしてフルーツ。


     初日の夕食

この日のメインは、チキン。

ちょっと甘めのソース。

定番の黒豆のスープはご飯にかけて食べる。

そして、トストネス(tostones)と呼ばれる

青バナナを揚げた付け合わせ。

これも定番。


夕食$10、朝食$5.


一見高そうだが、観光客向けのレストランで同等のメニューを食べるより断然安い。

量があるのでおなか一杯になる。

第一、毎日外に出て、今日はどこで何を食べようかなどと悩まないで済むし、

家庭料理が食べれて、ボリュウムもある。

質素だが、いわゆるチョットしたコース料理といえる。


というわけで、まだ時差ボケ眼でシャワーを浴び、

遅めの朝食をとると、

すかさず、ダニエル(CASAの息子)が街を案内するよって言ってきた。


さて、最初のお目当て、

街が世界遺産になっているハバナビエハ(旧市街)へ繰り出そう。


今回、20日間、4都市、全行程CASAに泊まり、
(バス車中泊2泊)

朝夕食をそこで頂いた。

だいたいでどこでもメニューのパターンは似たり寄ったりだ。


       サンチャゴデクーバの初日の夕食にメインは魚料理


       ママさんが作ってくれた



       2泊目は豪華にロブスター(盛り付けも立派)



       カマグエイでの食卓(at home な感じがいい)



       トリニダでは優雅にパティオで


       メイドのカルメン(陽気で世話好きだ)


最終的には、

キューバの家庭料理がどこでもおいしすぎて

太ってしまった。(3k増)

一日朝夕2食だけにかかわらず。


それに、外で食事することは一切なかった。

モヒートとビール、それにコーヒーはしこたま飲んだけど。










宿泊先の選び方

2016年12月05日 | 
キューバは非常に特異な国である。

何が違うかというと、入国するのにいろいろと手続きが面倒なのだ。


まず、事前にツーリストカードを入手しなければならない。

(30日以内であればVIZAは不要だが)

これはキューバ大使館に申請する。


次に、海外旅行保険に加入しなければならない。

しかもAIUなどのアメリカ系の保険会社ではダメ。

この辺はまだアメリカとの壁を感じる。

海外旅行保険加入を義務付けられている国は初めてだ。

実際日本の空港でのチェックインカウンターで、その保険証書の提示を求められた。


そして、宿泊先を決めておかなければならない。

これはアメリカなどもイミグレ(入国審査)で厳しく聞かれることがよくある。

ただ、実際決めていなくても適当に答えればいい。

(ヒルトンでもシェラトンでも。

バウチャーの提示までは求められないから)


しかし、現実問題として

やはり宿泊先を決めずに海外、しかも初めての国(特に途上国)に行くことは非常に不安であり、

実際危険でもある。

さらに深夜着ともなればなおさらだ。

(そのタブーを敢えて犯してしまった)


今回、

ツーリストカードを取得し、海外旅行保険には加入した。

だが、宿泊先は決めなかった。

まあ、何とかなるだろうと。

(旅慣れしていない方は真似しないほうがいい。

過去に、インドやモルジブでいかがわしいところに連れ込まれたり、

野宿を余儀なくされそうになったことがあるから)


だが、ハバナに着く予定時間が夜の10時半と夜遅いことも不安材料ではあった。

実際、30分遅れの11時にハバナに着いた。

イミグレを通過し(問題なく)、荷物を受け取り(税関もパス)、

両替を済ますころには既に夜の11時半を過ぎていた。


外は思ったより暑くない。

むしろ涼しささえ感じる。


       空港の外にある両替所で並ぶ


        両替所のことをCADECA(カデカ)という       


日本円で直接両替する。(日本人であることを幸せに思う)

今回は、事前に米ドルにもユーロにも両替はしなかった。

CITYBANKのキャッシュカードも使えないので、

すべて日本円の現金で持っていった。

(20万円。

3週間で15万円以内には押さえるつもりだった)


さて、それからタクシーの運ちゃんに掛け合うことになる。

国によっては、客引きが寄ってきて無理やりバッグを持っていくことだってある。

その点、想像していたよりハバナは比較的おとなしかった。(時間が遅いせいもあるのかな)

タクシー乗り場には黒いスーツを着た配車係と思われるいかついオジサンがいた。



まずは、そのオジサンに宿を決めていないことを話す。


キューバの宿泊先には大きく分けて3つの形態がある。

一つは一般のホテル($25~上限なし、いわゆる3つ星~5つ星)であり、

二つ目は、ドミトリーなどの安宿($20以下1つ星~2つ星)。

そしてもう一つが、キューバ独特のCASA(カサ、家という意味)だ。

いわゆる民宿のようなもの。(だいたい$30~40とそう安くはない)

これは認可制になっている。

つまり営業許可が必要なのだ。


ボクは、ちょっと割高かもしれないが、

とりあえず2~3泊CASAに泊まってみようと思っていた。

興味本位からと、安全上の面を考慮した。

(安宿に泊まると、荷物の管理に不安がある)


その旨を、タクシーの配車係のオジサンに伝える。

まずは、値段の交渉から始まる。

ボクの腹積もりは$20。

オジサンは$40といきなりいう。

ボクは首を横に振り、max$30だと告げる。

しかもバス付で。


彼は一瞬戸惑った表情を浮かべたが、

OKといって、すぐに携帯をかけた。


しばらく交渉している様子だったが、

電話を切ると今度はタクシーのドライバーに行き先を告げた。

彼はすぐにタクシーに乗り込むようにボクに言う。

だが、まだ確認しなければならないことがある。

その部屋はバス付であることと、

タクシー料金だ。

$30だという。


ちょっと高いなと思ったが、ここは仕方がないと判断。

時計の針はもうすでに12時を回ろうとしていた。

まあ、とりあえず今夜のねぐらは確保できそうだ。

荷物がトランクに入ったのを確認し、

助手席に乗り込んだ。(後部座席には乗らないこと)

窓を開けると乾いた風が入ってきた。


長距離バスの旅 第二弾

2016年12月04日 | 
長距離バスでもう一つ気になるのは食事。

今回も、真夜中発、夕方到着で、15時間のバス移動。

(実際は18時間かかったけど)


だいたい、午前8時前後に朝食&トイレ休憩、

お昼12時過ぎに同じく昼食&トイレ休憩となる。


     美人姉妹で有名(?)なレストラン(昼食場所)


ところが今回のドライバーは全く無言。

何分休憩とか言わないし。

乗客は置いて行かれないかと心配になる。

発車する時も全員いるかどうかの人数確認すらしない。

だからみんなドライバーの動きを注視してピリピリ行動している。


今まで経験した海外の長距離バスは

アメリカのグレイハウンド以外に、

ハノイ(ベトナム)- ビエンチャン(ラオス)22時間

ホーチミン(ベトナム) - プノンペン(カンボジア)6時間

プノンペン - バンコク(タイ)12時間

と乗ってきたけど、大概はそれなりにアナウンスがあった。

人数確認も。


キューバの長距離バスはVIAZULというバス会社が一手に引き受けている。


        ここにもゲバラが

意外なのは、ドライバーにパイロットみたいなユニフォームがあること。


      カメラを向けるとおどけて見せた

アメリカのグレイハウンドもだけど、

結構ドライバーがプライドと威厳をもっている。


飛行機と同じで、命預けて乗るからね。

オールナイトで運転するから、居眠りされたら一巻の終わり。

(日本のスキーバス同様)

1000Kを走りぬくドライバーもエライ!

(日本では法律上あり得ないけど)


バスは中国製で、見かけはいいけど中はガタガタ。



途中エンコしないか心配。(一度止まったけど)


ちなみにガソリンの価格はリッター60~80円ほど。




結局3時間遅れで、

夜の7時、なんとかサンチャゴデクバに無事到着した。

疲れた。


       夕闇も迫り、ぐったりとシートで眠る筆者

1000K 長距離バスの旅 ハバナからサンチャゴデクバへ

2016年12月03日 | 
最近は、一所に逗留する旅が好きだ。

今回も、3週間というやや長い旅をハバナでのんびり暮らそうと思っていた。


ところが、お世話になったCASAの家族の強い勧めで

思いがけず長距離バスを利用することになってしまった。


そこではハプニングの連続。

最初は、ハバナから東部のサンチャゴデクバまで一気に1000キロの旅を余儀なくされた。




いきなり夜中の12時50分出発。


     乗った瞬間からみんな眠りに入る

長距離バスの旅の場合、

最も問題なのはトイレである。

念のため水分を控えるのが常だ。


オッ! トイレ(バニョ)があった。



これなら安心。

水分をとってトイレが近くなっても我慢せずにすぐに行ける。


そして事件(?)は起こった。

大概長距離バスの場合、

2~3時間に一度はトイレ休憩がある。


2時間くらいたって尿意を催した。

それでなくてもバス内は冷房が効きすぎて冷えるのだ。

深夜3時。

みんな寝静まっている。

ボクは息を殺してトイレへ。


ところがトイレのドアが開かない。

施錠してある。


運転手のところへ行き、トイレのカギをくれといった。

ところが彼はいきなり無言でバスを減速させだした。

そして路肩でバスが止まると、シューッとコンプレッサーの音がしてドアが開いた。


なるほど、外でやれとの意味だなと悟ったボクは

タラップを降りて、暗がりの草むらに向けて用を足した。


ちょうどスーパームーンの日で、

やけに月が明るく大きく見えた。

ボクは大きく息をすると、さっぱりした気分でバスに戻った。


そのあと、キューバの世にも恐ろしい(?)トイレ事情を知ることになる。

(Cntinuing)

教育と医療

2016年12月02日 | 
日本は本当に豊かなのだろうか。

時々疑問に思う。

たしかに、モノはあり余るほどあるし、

食べるものも、捨てるくらいある。

(実際捨ててるし)


教育と医療はどうだろう。

とにかく高くつく。


子供のいる世帯の教育費の割合が収入の4割という。

(エンジェル係数としては3割くらい)


医療費や介護費もどんどん高くなっている。

特に高齢者の負担額が上がり続けている。

だんだんと暮らしにくい世の中になっていく。


もし教育費と医療費がただだったら、

どれだけ家計が楽になるだろうか。

だけど、そんなの無理。

むしろ、負担は増える一方。


ところが、教育費と医療費が無料の国がある。

それが、キューバだ。


国のリーダーの評価はいつも2分されるが、

先日亡くなったフィデル・カストロの最大の功績は

教育も医療も無料の国を作ったことだろう。

医療技術も優れているという。


そして、2重貨幣制度(兌換ペソと人民ペソ)を取ることで、

国民の負担を極力減らしている。

(人民ペソは兌換ペソの25分の一)


逆に見れば、外国人観光客には割高だ。

例えば、ビールやモヒートは4~500円するが

地元は100円前後で飲める。

(そのため思っていたより出費がかさんだ)


      モヒート片手にサルサを踊る筆者


タクシーも交渉制だが、チョッと乗りでも500~1000円はかかる。


      陽気なタクシー運転手

市バス代はどこまでいっても10円だ。


       市バスの中
これは共通。

てか、観光客は乗っていない


ただ、医療費が無料といっても診察と手術だけで、

薬代はかかる。

病院から処方箋をもらって、薬局で買わなければならない。


宿の女主人から、風邪薬もってないかと聞かれた。

病院行けばただだろうと言ったら、

薬は高いという返事。



キューバの学校は楽しそう。

あけすけだ。

勝手に入っていける。

こっちがセキュリティの心配をするくらいだ。

で、授業中でもこの通り。



先生が率先して生徒たちににハイチーズと言ってくれた。


     (廊下にはゲバラの写真が)

どの子もなつっこくて明るい。




どこの国だって、いい面もあれば悪い面もある。

要は自分の肌に合うかどうか。

住所未定の身としては、渡り鳥のように良いとこどりして暮らしていける。


【追記】

キューバに行ってる間はしばらく忘れていたが、

今朝は揺れた。

熊本はまだ余震が続いている。

出版します

2016年12月01日 | 
出版意欲が俄然湧いてきた。

それはキューバでの出来事だった。

皮肉にもネットが使えないことがボクを駆り立てた。

ひたすらノートと持っていったタブレット(surface)のwordに書き綴った。


一つは、キューバ日記だ。

これは、ゲバラ日記になぞったものである。


映画にもなったMotorcycle Diaries


それに、文豪ヘミングウェイを気取ってみたかった。

モヒートを飲み、カリブ海を眺めながら。






もう一つは、出版企画書としての作成に取り掛かった。

これは思いのほかスラスラと進んだ。


なんせ、7年間毎日欠かさず更新し続けたblogを発信できなくなったのだから。

それに、facebookにもアクセスできないし、

maleも開けない。

新聞も読まないし、TVも見ない。


一体世の中が、世界が、日本が、友人、知人が、愛する人がどうしているのかさえ分からない。

一切の情報が消えた。

この情報社会においてだ。

今の世の中、

情報が3度の飯より大事な時代。

情報を制するものは世界を制す、的な感覚に溺れている。


ところがどうだ。

強制的にネットがシャットダウンされる。


もちろん、つなげることはできる。

高級ホテルや一部地域がwifiエリアになっている。

そこでしかつながらないし、

しかも有料で時間制限がある。

それに、繋がったが、遅い。


3度ほど試みた。

繋がったー!とおもって入力しても、時間内に送信できない。

辞めた。

これじゃ日本にいるのと同じじゃないか。

キューバくんだりまで来て、スマホばかりのぞき込んでるなんて。


      暗がりでスマホに興じる若者たち


   このカードを買って($3)パスワードを入力する(30分間使用可)


スマホを捨てて町に出よう!なんてキャッチが浮かぶ。

今、目の前にある生活、空気、感触だけを五感で目いっぱい味あおうと、

ある意味開き直った。


あまりにも今の生活は、

情報に左右され、スマホこそ命的な

しかもそれが当たり前的な感覚に毒されているのではないか。


キューバは、50年間時間が止まっている、と批判的に言う人もいる。

情報の開示率から言えば

北朝鮮に次いで低いのでっはないだろうか。

ただ、違うのは、

人々が異常に明るいということだ。


豊かな暮らしに憧れはあっても、

今の暮らしにさほど困っていない。


あんなにかっこよくクラシックカーを乗りこなす国がどこにあるのだろう。

馬に乗り、馬車を引く当たり前の暮らし。


         馬車タクシー

まるでアーミッシュの世界に紛れ込んでしまったような錯覚に陥った。


どこかの国のように、

怒鳴り合ったり、なぐり合ったり、

あるいは銃をぶっ放して殺し合ったりする光景はない。


向こう三軒両隣り、長屋のような温かい、明るい、笑顔のある

まるで落語の世界を絵にかいたような暮らしがそこにはあった。


ボクが泊まったCASAと呼ばれる民宿はすべて住宅街の中。

2~3日いるだけで、あちこちから挨拶の声がかかる。

Ola,Ola

もうそれだけで親しく、なんだか自分も住民になって溶け込んだ気がしてくる。

それがなんとも微笑ましく、うれしい。


      近所の子どもたち(なつっこい)


アメリカに逆らった、アメリカに頼らなくても

物質的に十分に恵まれなくても、

ネットが繋がらなくても

50年前の生活に戻っても

人はこんなに豊かに生きていける。


ベトナムも、同じように歴史を刻み、

そして豊かになってきた。

(もちろん、中国や旧ソ連の支援は受けたけど)


アダムとイブが禁断の果実をかじったように

ネットという果実の味を知ったら、もう後には戻れないのだろうけど。


今一度日本という国を考えてみなきゃ。


そう思うと、もう居ても立ってもいられなくなった。

これを、この想いを本にしようと。