世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

キューバ熱

2016年11月30日 | 
ボクのキューバに寄せる並々ならぬ関心度は

47年前から読み漁っていた本の数々をご覧いただければ御推測いただけるだろう。


      手元にあるこれらはまだほんの一部である


キューバとの係わりは、決してにわか仕込みではない。

特にゲバラに関しては、当時からありとあらゆる本を読み漁り、

ゲバラ研究家レベルにあった。

(フィデル・カストロも含めて)


当時(1969年)70年安保闘争に関わり

山本満喜子氏(ラテン音楽を日本に紹介した)の主宰する「日本キューバ文化交流研究所」に所属し、

キューバ革命支援のための「サトウキビ刈り青年隊」としてキューバ亡命を計ったことに始まる。


そしてそれはちょうどベトナム戦争と重なる。

(ボクがベトナムに嵌ったのもうなずけるでしょう)


そもそも、学生時代の専門の研究分野はラテンアメリカ経済学である。



それは何を隠そう、大阪外国語大学(現大阪大学)のイスパニア語(スペイン語)科に所属していたからだ。


言語は何かを知る、あるいは伝えるための単なる手段でしかない。

その先にどんな関心があるかで語学力(会話力)も違ってくる。

(英語も同じ)


今回、久しぶりにスペイン語の国に行ったが、

ネットが使えないということで辞書を持っていくつもりだった。

英西―西英辞典だ。



だが、ボクの所有する半世紀前の辞書は、

中がすでに黄ばんでおり、



キューバの本屋さんで買うつもりだった。

(スペイン語を含む5か国語の入った手持ちの電子辞書さえ、

古くてもううんともすんとも言わない)


ところが、ところが、

書店はあるものの、どこも在庫は少なく辞書というものが売ってない。

これには困った。

(キューバの書店に関しては後日詳しく述べる)

今頭の中にある単語力では、

相当忘れている言葉も多くそれではおぼつかない。

(それでも一週間もすれば、何とか語彙力も戻ってはくるが)


ハバナでは、街の中心部であればソコソコ英語も通じるが、

地方都市へ行くと、完全にスペイン語オンリーになってしまう。

(たとえ宿屋のオヤジさんでも英語を話せない))


まあ、取り立てて難しい議論をするわけではないのだが、

久々に伝えられない、聞き取れないもどかしさを味わった。


今回は、空港以外でまったく日本人に接することはなかった。

(宿泊先もCASAと呼ばれるいわゆる民宿だった)

そうした意味でも、スペイン語をもう一度覚え直したいという強い刺激になった。


     (モヒートを飲み、葉巻を燻らせながらね)


フィデル亡き後のキューバ、

トランプアメリカ大統領誕生後の米西関係の行く末など

関心は深まるばかりだ。


こうして世界情勢は否応なく自ずと変化していく。

日本も今、大変革を迫られている。

(ボーッとしてる場合じゃありません)


愚かなものは、変化に流され、

そこそこの人間は変化を先読みし対応する。

だが、優れたものは自ら変化を起こす。 by Asay

キューバ奇行

2016年11月29日 | 
必ず叶えると自分に誓った夢をまた一つ実現させた。

それはキューバに行くことであった。

48年前からズーッとこの日を夢見ていた。


       キューバといえばこの光景がたまらない


3週間の日程を終えて、

昨夜遅く熊本は阿蘇の住処に辿り着いた。

キューバからメキシコ経由で延べ30時間以上を費やして。

旅に絶対的に必要なものは、

お金でも、時間でもなく(もちろんある程度いるけど)、

体力であることを改めて痛感した。


生きて帰れたということは、

まだまだ果たさなければならないミッションがあるということだ。

それはまたオイオイ書いていこう。


とりあえずは、途切れていたこのブログを再開すること。

これが今現在の使命。


ということで、

「キューバ紀行」ならぬ「かじえいせいのキューバ奇行」というテーマで

綴っていきます。

よろしくネー!

さらに打たれ強く 絶対に倒れない生き方

2016年06月30日 | 
未開の地、未知の世界はなぜこうもワクワクさせてくれるのだろうか。


そこには今まで知らなかった愛と夢が詰まっている。

もちろん、リスク(危険)が伴うことは言うまでもない。

だから、サバイバル、いかに生き延びるかを最優先する。

生きてこそ、愛することもできれば、夢を叶えることもできる。


生きるとは、今を生き抜き、未来に望みを持つことだ。

必死で生き抜く姿、望みを持って夢を諦めず追いかける姿こそ人の心を打つ。


人の心に影響するとは、

自分のパワーを分け与えることに他ならない。

それが人助けなのだ。


お金やモノを分け与えることも大事だが、

それがなくても汗を流して力を貸すこともできる。

お金、モノ、体力がなくても、

知恵を与えることだってできる。


それには、心身ともに健康でなければならない。

健康でこそ、健やかな知恵も湧く。

心に穢れがあって、どうして良い知恵が出てこよう。

心の穢れは、悪知恵や邪な考えしかもたらさない。

それでは人を貶めることになる。



人それぞれ考え方は違う。

違う考え方に対して批判的になるのは心が穢れ荒んでいるからだ。

ようするに、心が不健康なのだ。


相手を責め、悪口を言う。

それはおおむね妬みの裏返しに他ならない。

どんなに考え方の違う人でも、

広い心で受け入れ、許し、共に手を携えることができるはずだ。


そういうボクの生き方、やり方、考え方に批判的な人はたくさんいる。

そして主に陰で誹謗中傷し(陰口)、足を引っ張ろうとする。

そういう人は大概つるんで留飲を下げることにやっきとなっている。


そうして、不幸なことに、それで潰される人も多い。

だがボクは違う。

というか、真逆である。

つまり、打たれえば打たれるほど闘志が湧いてくる。

反骨精神が漲ってくる。


相手にとっては厄介な存在であろう。

潰れないのだから。

あしたのジョーみたいに、打たれても打たれても、

倒れても倒れても立ち上がってくる。


ボクは勝とうとする気はない。

負けないだけだ。

相手にではない、自分に負けないことを心に決めている。

つまり、負けない相手は、第三者ではなく自分自身なのだ。

だから、相手を相手にしていない。

そのうち攻撃するほうが勝手に疲れてくる。

そして諦めて去って行く。

こいつはダメだ、アホだ、つける薬もないと捨て台詞を吐いて。

そこでボクは、血だらけになりながらも立ってニヤリと笑う。

これが、試合に負けて勝負に勝つ極意だ。



極意を身につけるためには

なにがなんでも打たれ強い精神力を養わなければならない。

どれだけ打たれても、倒れない性格を。

憎たらしい、大嫌いと思わせることを超越しなければならない。


いわゆる、バカにはうちあわない、と言わせるところまでくれば、

文字通り、打たれなくなる。

その場合、副作用(?)として、孤独という世界が待っている。

超越した人間はすべからく孤独であり、

また孤独を楽しむ、孤独を好む習性を兼ね備えている。


妬み、憎しみ、悪口をいう人間は孤独を極端に恐れる。

だから、徒党を組む。

だが彼らの行く末(生く末)は、孤立だ。



さて、

今回の瞑想修行でメンタル面をさらに強化できた。



今まで以上に絶対に潰れないメンタルを育くくむことができた。


瞑想はこうした精神だけでなく、同時に肉体、内臓改造にもつながる。

さらに頭脳を明晰にし、人間関係を改善する。

つまり、心、頭、身体の健康には欠かせない方法なのだ。


      男は背中で語れ


今、「瞑想カフェ@阿蘇」、「阿蘇瞑想センター」オープンに向け爆走中。

中国ハプニング編

2016年06月29日 | 
今回の旅はネパールが目的だったが、航空運賃を価格重視にしたため、時間はかかっても中国経由を選んだ。


トランジットとはいえ、久しぶりに中国の空気に触れてみるのもいいものかとも思ったし。

中国国際航空(エアチャイナ)の利用は初めてだった。




ただ以前、中国東方航空でさんざん懲りていた(サービス、CAの態度の悪さに辟易)、ので、全く期待はしていなかった。

それだけに、あまりのサービスの良さに驚かされたものだ。

トランジットといっても北京、成都間は国内線利用になる。

さすが中国の広大さを実感する。


行きは成都で一泊、帰りは北京で一泊しなければならないが、夕食をどうしようかなどと思っていたところだった。

元に両替しなかったために、当然ながら買い物ができない。

クレジットカードも使えない状態だ。


食事をとらないと夜中におなかすくだろうなと心配していたが、機内食のお陰でそれは杞憂に終わった。

北京から成都までの国内線に食べ物(中国ケーキ)が出たのは嬉しい驚きだった。

さらに帰り便はなんと食事が出たのだ。


3時間という長旅だからだろうか。

両替をしてないので、元の手持ちがなく、

空腹に耐えながら、冷たく固いスティール製のベンチで寝るのはさすがに堪える。



これは有り難かった。


ただ、行きはほぼ時間通りにすんなりいったが、帰りは散々だった。

中国の洗礼を受けたような気がした。


それでもカトマンズ・成都間は順調だった。




問題は成都から北京行きが2時間半の遅れ。

北京に着いたのは深夜12時近かった。


それからインターナショナルに乗り換えるためにモノレールで向かってE駅で降り、無事イミグレに到達。

ところがそこでまたハプニングが待っていた。



係官が来てここではない、モノレールでD駅まで引き返しあとはそこで聞いてくれと。

D駅はドメスティックつまり国内線ではないか。

なぜ、福岡行きなのにドメスティックなのかと、チケットを見せながら質問した。

だが、それには全く答えず、ただD駅まで引き返せと。


仕方ないので言われるままにDステーションまで行き

バッゲジクレームを通り抜け(荷物のピックアップは必要なし)、いったん空港の外へ出た。



そこから2階の出発窓口へ行ったが、すでに午前1時近くになっており、もう閉まってしまったので午前6時にまた来てくれとのこと。

そのフロアのベンチで一夜を明かすことに。



午前6時前にインフォメーションに行くとゲートナンバーC55を告げられた。

そこで大混雑のセキュリティでまたハプニング。




ボクは福岡まで行くので当然国際線のつもりであるし、チケットもそうなっている。

成都で預けた荷物は福岡までスルーだ。

まず、イミグレがない。

ここはあくまでもドメスティック(国内線)だ。

セキュリティでそのことについて間違いないか聞くも、そのまま進めの指示。

ろくに説明もない。


そういえば、福岡から北京に行くときも大連経由だった。それについては一切知らされていなかったので、

福岡から到着した空港がてっきり北京だと勘違いしてしまった。

首都の割に小さな空港だなと不思議には思ったのだが。

そこでイミグレを通過したが、手荷物は引き取らなかった。

一旦飛行機から降り、イミグレを抜けて、カードを渡された。



どこに行けばいいのか聞くと25番のゲートだという。どうも意味が分からない。

しばらく待つと北京行きということでぞろぞろと登場しだした。

そしたら同じ機内で、同じ座席に案内された。

要は大連経由で、イミグレ(入国審査)のため下ろされたのだ。


終わってみれば何のことはないが、

今までの旅の経験からして、どうもつじつまが合わないことが多い。

それに対して説明ということをしない。

その場の動きを指示されるだけで、一切の理由が述べられない。


ビジネスの上も理論が通じにくい国だ。

こうだからこうだという論法。

なぜそうなのかが抜けている。

最後の帳尻が合えばまだいいが、

突然手のひらをひっひっくりかえされることがあるのは要注意だ。

約束事や契約というものがあまり意味をなさないお国柄。

それを見越して、こちらから二手三手先を読んで行動しないととんでもないことになる。


ボクはホテルやゲストハウスを長年やっているので、

中国人のお客さんも多い。

中国人のスタッフを置いたこともある。


だいたいのことは心得ているつもりだが、

現地の役人、公人の融通が利かないことは現地に行かなければわからないことが多い。


世界のリーダーはおろか、スタンダードにはなりえないなと確信した。



帰国の途へ

2016年06月26日 | 
2週間余りもあっという間に過ぎた。

帰りも中国(成都・北京)経由だ。

荷物の重量が心配。

エアチャイナ(中国国際航空)は、重量制限が国際線23K、国内線20Kとなっている。


苦しい資金繰りながら、何とか仕入れを済ませることができた。

買いだせばキリがないのでATMが使えなくて返ってよかったのかもしれない。


昨日の瞑想センターの敷地内では、ファーマーズマーケットが行われていた。



その合間に、コーヒーを飲みながら帰国後の構想を練る。



瞑想センター、瞑想カフェとして立ち上げるのに、

熊本大地震における小規模事業者持続補助金を申請するかしないかで

その方法・内容はかなり違ってくる。


平成28年熊本地震の影響で、顧客や販路の喪失という状況に直面した九州地方の小規模事業者が、

経営計画に基づいて実施する販路開拓等の取り組みに対し、

200万円または100万円を上限にする補助金(補助率2/3)が出る。

検討に値する。


瞑想修行も無事最終日程を終えた。


     瞑想も板についてきた


     シンギングボールもうまく音が出せるようになった


あれやこれや気をもむより、

まずは無事に帰国しなければならない。

トランジットとはいえ、

成都から、国内線を使って北京で一泊する必要がある。


ここは余計な疑いをかけられないように、

あの地震の日から伸ばしていたヒゲをきれいさっぱり落とした。


さあ、無事帰国すれば、また新たな挑戦が始まる。


よろしければクリックしてください。
にほんブログ村

カトマンズの恋人たち

2016年06月25日 | 
何か場違いなところに迷い込んで知ったようだ。

そこは花と若いカップルたちの楽園だった。

まるでイギリスの庭園を模したエレガントなたたずまいを見せている。

カオス的喧騒の中から異次元の世界にワープしたかのような気分になった。


そこではいたるところで恋人たちが思い思いに恋をささやき合っている。


       噴水のたもとで語り合うカップル


       寝転ぶカップル

      


悔しいから、ボクも一人で寝転んでみました。




ここで野暮なオジサンは、この光景を見ながらリスを相手にビールを傾けることにした。





夕陽が沈むまでロマンティックな気分に浸りましたよ。




よろしければポチッとしてくださいネ。
にほんブログ村

カトマンズの休日

2016年06月25日 | 
旅は歩け歩け、が信条。

一日10kは歩くだろうか。

歩けばいろんなものが見えてくる。

時には、アーミーに呼び止められ拘束されることもある。

それはご愛嬌。


あるいはこんなお祭りに出くわすこともある。



なにやら女性陣がたむろしている。


      こねる女性
     
どうやら女性たちが料理を作ってふるまっているようだ。


      揚げる女性


      焼く女性


     果物を切る女性


     お茶(?)を沸かす女性



     こちらは食べる若い女性

ヤッパリ、地べたで手で食べるんだね。


     食べ終わった女の子たち


     踊ってくれる女性

こんな陽気で愛嬌のいいおばさんも。


      こちらは威厳を放つ大御所(?)


       宴もたけなわ、談笑する女性たち


何か宗教の行事らしいが、

興味深い光景だった。

しばらく足を止めて見入ってしまった。


よろしければポチッとしてくださいネ。

にほんブログ村

まだ日本で消耗してるの?

2016年06月24日 | 
まだ日本で消耗してますか?

旅に出ませんか。

旅に出たら目先が変わるよ。

視野が広がるよ。


      カトマンズの瞑想センターにて


今いるところで、じっとしていくら考えても、いつまでたっても拉致は開かない。

堂々巡りするだけ。

もうあの地震から2か月以上も経って、

地震前に戻そうなんてどう頑張ったって戻るわけがない。


考え方が変わったんだから。

価値観が激変したんだから。

自分の頭も切り替えなきゃ。

古い頭のままじゃダメ。

目先をガラッと変えなきゃ。


どう切り替えるかだって?

それは人それぞれ違う。

やりたいことは一人一人違うのだから。


共通していることは、

好きなことをやりなさい、ということ。


目先のこと、儲けることばかり追い続けてもロクなことはない。

今までそうしてきた結果がこうして出ている(不景気や災害、息苦しさという形)のだから。


今こそ好きなことで生きていく覚悟をしなきゃ。

好きなことしてダメでも、まだあきらめは付くだろう。

いやいややってダメだったら、後悔ばかり。


もうこの先何も保障されてない。

今を生きなきゃ。

今やりたいことをやらなきゃ、いつやるの?

定年後?

お金を貯めてから?

それは今までの考え方。

これからは、すぐに行動に移さなきゃ。

思い立ったら即行動。


その中で考えるとするなら、

好きなこと、やりたいことと生活(生計)をどう結び付けるかということだろう。


      考えて考えて考え抜く

その仕組みさえわかれば、人生無敵。

それは、走りながら考えればいい。

じっと座ってネットでいくら調べても、

知識ばかりを詰め込んでも事態は動かない。

何の変化もない。


人生はヒットエンドランの繰り返し。

投げられた球を打たなきゃ始まらないし、

打った後はたとえアウトと分かっていても必死で走る。

凡ゴロでも相手がエラーするかもしれない。

そこは全力疾走しよう。

アウトだったら、息を整えてまたバッターボックスに立てばいい。

人生トライアンドエラー。


確かに、日本にはセカンドチャンスが少ない。

一回失敗すれば、二度とバッターボックスに立てない風潮がある。


だから、旅に出るんです。

そんな生きづらい日本に執着しても、いつまでも堂々巡り。

これからますます日本は生きづらくなる。


とにかく、どうしたらいいかわからなければまずは旅に出てみよう。

いろんな制約はあるだろうけど、

とにかく旅に出よう。


いろんな国の生活を見ていると、

日本の良いところ、おかしいところが見えてくる。

日本の当たり前は、世界では異常なことも多い。


きっと何かがわかるから。


選挙の結果だって、絶望的なものになりそうだし。

どうして日本人はこうも愚かになってしまったのだろうか。

資本主義に、アメリカに毒されてしまった結果かもしれない。


これからは、お金やモノが財産ではなくなる。

経験や心の持ち方が財産となる時代になっている。

それに気付く人、気づかない人で、

人生は大きく違ってくる。


まだ多くの人が気付いていない。

あるいは気づきだしているけど、実際切り替えができていない。

今までの生き方を変えることに臆病になっている。


自分の箱から抜け出さないと、いつまでも狭い思考の中で、

同じ意見の人たちとつるんでばかりいても、何ら根本的解決策は見つからない。


ぬるま湯につかっていれば気持ちいい。

だけど、じわじわと知らないうちに火がくべられ、

飛び出すタイミングさえなくした茹でガエルになってしまう。


机の前に前に座って、いくらネットで調べて知ったかぶりしても

それは本当の情報ではない。

生の情報ではない。


現場に行って、風にあたって、臭いをかいで、

暑さ寒さを感じなければ本当のことはわからない。        


人間は変化を嫌う。

変化にはリスクが伴うから。

良くなるかもしれないけれど、何の保証もない。

そこは賭けてみるしかない。


人生は賭け。

人生は挑戦。

さあ、勇気をもって。

覚悟を決めて。

自分を信じて。

これからはそういう生き方が求められる。



【追記】

日本でなきゃどこの国がいいのか。

どこの国でもいっしょだろう。


完璧な人間がいないように、

完璧な国なんてない。


まだ日本はましかもしれない。

そう思う人は日本にとどまればいい。


だが、外の状況も肌で把握してほしい。

ようは、どこでも生きていける、生き抜いていける力をつけることだ。

ボクも日本に帰る。

日本人だし、日本が好きだから。

日本をよくしたいから。


だからまた旅に出る。


よろしければクリックしてください。
にほんブログ村


軍隊に拘束されました

2016年06月23日 | 
ハプニングのない旅はつまらない。

で、いつもやらかす。

今回は、マジネパールの軍隊に連行された。

警官ではない、軍隊にだ。


それは、瞑想センターからの帰り道に起こった。


      瞑想仲間のドイツ人のおばちゃんと
      (Himalayan Buddist Meditation Center にて)


いつものように、いろいろ撮影しながらホテルへの約30分の道のりを歩いていた。

交差点に差し掛かり、警察官の交通整理の模様をビデオ撮影して(この間4~5分)、

横断歩道を渡っていると、後ろからExcuse meと呼びかけられた。

物売りか何かだろうと無視したが、

しつこく呼び止められる。

振り向くと迷彩服にヘルメットをかぶった、見るらにいかついアーミーだった。


とっさにボクは撮影のことだと感じた。

「あなたは今ビデオをとっていましたね」

ボクは正直にYesと答えた。

Something wrong?

というとPlease follow meと言ってはす向かいの詰め所に連れていかれた。

ボクは素直に従った。

後ろからついていく途中、ボクはカメラのスマートメディアを抜き取ってポケットに忍ばせた。

没収されたら元も子もない。


詰所には数人の軍隊が仁王立ちしてボクを取り囲んだ。

「ここは撮影してはいけない重要な場所なのだ」

「Oh, I din't know about that」

「いくつか質問があります。時間は大丈夫ですか」

意外と丁寧だ。

どこから来たか、何のために来たか。

そしてパスポートの提示を求められた。

「パスポートはホテルに置いている。今ここには持っていない」

「滞在先は?」

ボクはホテルの名刺を差し出して見せた。

「ここに来ればパスポートはある。来ますか?」

それから、名前、日本の住所、年齢などなど根掘り葉掘り聞かれた。

Kajiという意味が、ネパール語ではBig peaple communityだと聞いていたので

そう説明すると彼は思わずにんまりした。

年齢を言うと、驚いて、若く見えるといった。

いくつに見えるかと逆に質問した。

40くらい、と彼は笑いながら答えた。

みんなそういうよというとまた笑った。


「ネパールは何のために来たのか?」

「瞑想しに来た」


日本住所をいうとき

KUMAMOTOは今や世界的に有名である。

特にここネパールにおいては、1年前に同じ規模の地震を経験しているので。

同じ被災者(victim)というと、まるで同じ釜の飯を食った同胞のように共感してくれる。


「被災者はみんな心の痛手を負っている。

それは、あなたたちもわかるはずだ。」

彼は深く相槌を打つ。


「ボクはそれを瞑想で癒したいと思っている。

そのために、ネパールに瞑想修行に来た。

ネパールの瞑想は素晴らしい。

今も、瞑想センターからの帰りだ。

ほら向こうにあるだろう、瞑想センターが、知ってるか?」


彼は首を横に振った。

「PTSDには瞑想がとても効果的なんだ。

何なら教えようか」

彼は苦笑した。


「なぜ、ここで撮影したのか」

おいでなすった。

「ここの交差点に感動したimpressiveからだ」

「Impressive?」

「そう、警察官の交通整理が素晴らしい。

みんなよく規則を守っている。

交通事故も起きない

こんな素晴らしい国は見たことがない」

ちょっとオーバーだが、褒めちぎった。

「そんなに素晴らしいのか}

「素晴らしいなんてもんじゃない。

だからこの光景をつい撮影したくなった」

「見せてみろ」


      ここが問題の交差点(左にアーミーが見ている姿がある)


きたきた。

ボクはカメラを見せた。

「何も映ってないぞ」

「そんな馬鹿な」

わざとらしくのぞき込む。

「オーマイガッ!なぜ映ってないのか!?」

他人事のように驚く。

「あー、しまった!ソフトを入れわすれたのだ」

「じゃあ、何も撮ってなかったのか」

「そういうことになる、しまった!残念だ!」

ここはオーバーアクション。

「我々は何も撮ってないあなたを拘束したことになる」

彼は苦笑しながら申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「いやいや、それは構わないよ。こちらも知らなかったのだから。

じゃあ、もう行っていいかな?」


一件落着したかのように見えた。

ところが、

「いや、もう少し待ってくれ。

今USAの係が来る」

「アメリカ?アメリカ軍がここにいるのか?」

「あー、いる。今そこからの指示を待っている」


そうか、ここでも中国の侵略に備えて米軍が駐留しているのか。

そうでなくて、アメリカ大使館だったのだ。(星条旗が見えない)

それで合点がいった。

彼らは、アメリカ大使館の警備担当だった。


面倒くさいなーと思いながらも、指示を待っている間雑談する。

「ネパールは好きか」

「あー、いい国だ。特にネパールの瞑想は優れている」

「ネパール人はどうだ」

「みんな親切だよ」

たわいもな会話の中にも緊張感が漂う。

隙を見せてはいけない。


しばらくすると、無線が入った。

「もういい、帰っていいよ」

「アメリカ大使館員は来ないのか」

「あー、来ないそうだ。時間を取らせたな」

「いやいやこちらこそ」

最後は握手をして別れた。


いやー、身体検査でもされたらどうしようと、内心ハラハラドキドキものだった。

その場合は、日本の大使館を呼び出そうと考えていた。

そこまでいかなくてよかった。

パスポートナンバーも聞かれないままだった。

ここががもしも中国大使館だったらと思うと、血の気が引いた。


フーッと、安堵の息を気づかれないように吐き出しながら足早に立ち去った。


よろしければクリックしてください。

にほんブログ村



【追記】

ネパールでは10年前(2006年)まで、

11年間にわたりネパール政府軍とネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)の間で内戦が繰り広げられていた。


チベット問題と絡めて、

中国の侵略も続いている。

ここにUS armyの制服組がいてもおかしくはない。


ところで、

先ほどUS armyの高官(General)からfbの友達申請があった。

これは偶然なのか。

背筋がぞくっとして鳥肌が立った。


帰りは中国経由。

成都と北京。

国内線に乗るので、一旦中国に入国しなければならない。

そして北京で一泊。


果たして無事帰国できるだろうか。


よろしければクリックしてください。

にほんブログ村




シンギングボールを求めて

2016年06月22日 | 
今回の旅の目的は、

瞑想修行とシンギングボールの買い付けにある。

いつも仕入れで難儀するのは、

パッキングとその重量だ。

もちろん仕入れ金額もだが。


今回は、ATMが使えなかったことで、

手持ちの現金に頼るしかなかったので、

大変やりくりに苦労している。

ただ、円高が少し貢献してくれて助かっている。

実質1割ほどは浮いたことにはなるだろう。


それも切り詰めて切り詰めて、何とかやりくりしている。

ホテル代が$10で済んだのは助かった。

ただ思ったより食事代がかさんだ。

特にビールが高いのには閉口した。

一日2食を貫いたが、それでも一日当たりの食費が1000円近くかかる。

もちろんビール代も含むが。(ビール代が半部近く占めるか)


今回は移動しないので、ほとんど交通費がかからない。

基本観光もしない。

それでも、15泊で、ホテル・食事代で3万円だ。


今回の飛行機代は63,000円だったので、
(中国2都市トランジット)

なんだかんだで10万円で収まる。

あとは仕入れだ。


ボクは、女遊びや飲んで回ることはしないので、その分は一切かからない。
(意外でしょ。こう見えても真面目なんですよ)


さて、今回の仕入れのシンギングボールだが、

値段や数はもちろん、金属だけに重量に気を配った。

数にして、20個は欲しい。

重量は10kまでという制約を設けた。


     座り込んで物色中

これまで20軒ほど店を回った。

思ったよりたくさん店があるので驚いたが。

いろいろ店主が教えてくれる。

大きさも色も様々だが、一つ一つ音色が違う。

そしてそれは7つに分類される。

つまり、チャクラの数だ。

A~Gまである。

音階にもなっている。

それを計るためにチューナーを購入した。


     メトロノームもついてる

これはギターの調律にも使えるからボクにとっては一石二鳥となる。


一個一個叩いて、7つの音階をそろえワンセットとなる。


     これでワンセット(3万~5万円はする)

店の人と一緒になってやる。



まるで音楽スタジオにいる気分になる。

なかなか面白い作業だった。


比較的大きくて、振動(波動)が強いものは、

ヒーリングボールと呼ばれる。


    Mr.ビーンもおすすめのヒーリングボール

これは上質で、1万円以上するので手が出ない。

今後、輸出や、日本に来る人に持たせるなどの渡りは付けた。


さて、旅の終盤戦。

懐と相談しながら買い付けに走ろう。


よろしければクリックしてください。
にほんブログ村

トイレ事情

2016年06月20日 | 
ネパール滞在もちょうど折り返し地点に来た。

瞑想修行もワンクールを終え、ちょっと一息といったところだ。

だが一週間を過ぎたところで、さすがに疲れが出た。

そういえば、道中タフな旅だった。


     中国・成都の空港で一夜を明かした


昨日から腹の調子が思わしくない。

下痢まではいかないまでも、ゆるい。

もちろん、氣で抑えてはいる。


実は、前回ネパールに来たとき、

激しくおなかを壊した。

それは、世界一周の終盤だった。

なかなか治らず、一か月ほど思わしくない日が続いた記憶がある。


どうもトラウマらしい。

ベトナムには40数回行っているが、

一度もおなかを壊したことがないというのに。


たぶん、水だろう。

いわゆる水が合う、合わないというのがある。

もちろん、どこへ行っても日本以外の国で水道水は飲まない。

だが、うがいの時、洗った食器の水気が取れていなかったときなど、

どうしてもわずかな水が胃の中に入ることは否めない。

それくらいでと思うかもしれないが、

水とはそうしたものなのだ。


で、今回は、前もって下痢止めを持参した。

まだ服用までには至っていないが。

今のところ整腸剤で済ませている。


ところで、尾籠な話(talk about indecent [indelicate] matters [topics])続きで申し訳ないが

紙がなく、水しか置いてないトイレはどう使うのだろうか。


ボクは、いつもバッグにトイレットペーパーを忍ばせている。

移動の時も少なくともティッシュは持っている。


      ホテルの部屋のトイレも紙がない


だが、現地の人は水しか使わない。

いや、水すらないトイレもある。



用を足した後、水でお尻を洗うことはわかる。

左手を使うという。

で、右手でご飯を食べる。(インドも一緒)


左手を使って水でお尻を洗うのはいいが、

紙がない場合、どうやってベチャベチャのお尻を吹くのか。

紙も水もない時、どうしているのか。

そこが知りたい。(ダジャレじゃないよ)


そういえば、やたらと犬が多い。

野良犬なのか飼い犬なのかわからないが。

時には、牛もうろついたり、道路の真ん中で寝てたり。
(いったいどこから現れるのだろうか)


       車もよけていく

ところが、その割にうんこが落ちてない。

用を足す場所をわきまえているかのようだ。


      迷い子牛(モーモーないてたよ)


ヨーロッパのある国では、道がうんこだらけで、

歩くのも難儀するくらいだというのに。


いずれにしても面白い国だ。


アー、日本のウォシュレットが懐かしい。


よろしければクリックしてください。

にほんブログ村

今ここに生きる

2016年06月19日 | 
ボクの故郷(ふるさと)熊本が今厳しい試練にさらされている。

あの2度の大地震から2か月が過ぎても、今尚続く余震。

2000回にも及ぼうかというその数も過去に例がない。


加えて梅雨とはいえ、狙い撃ちされたかのような大雨と雷。

ボクの家(阿蘇・西原村)も土砂災害の危険性があるため避難指示が出ていて現在帰れない。

ボクは早々に県外、海外へと逃亡しているが、動けず留まる人も多い。

人にはそれぞれの抱えている事情があるのだから。


ボクが今いるネパールも決して安全とは言えない。

熊本大地震のちょうど一年前、

ここカトマンズ周辺ではマグニチュード7,8という規模の大地震が起き、

多くの家が崩壊し、

9000人近い人が亡くなり、未だ行方不明になっている。

その傷跡もまだ生々しく残り、

経済的復興もおぼつかない状態が続き、

多くの人が喘ぎ苦しんでいる。


その現状を目の当たりにし、ただただ愕然とする。

日本に来たいという人も多いがそれもままならない。


同じように、現地に残って何とか再起を図ろうとする人もいれば、

脱出して活路を見出そうとする人もいる。

仕事などの経済的事情、家族(子供や親)の事情、身体、健康上の理由などなど様々だ。


だが言えることは、

どちらにせよ決して楽な道はないということだ。


幸いボクには柵(しがらみ)がほとんどない。


      中国人のアーティストが撮ってくれた

今のところ有難いことに健康上の問題もない。

自ら動ける。

精神的にも身体的にも障害がない。

加えて経済的にも何とか凌げる状態なのだ。

一時的だが、被災したことで一定の猶予を頂いたおかげで。

そうしたアドバンテージを生かさない手はない。


将来を見越し、別のリスクを冒してでもやりたい夢がある。

残されたモノを工夫し、活用し、

自分の培った経験と能力を活かしてできることを最大限やり抜く。


ボクには、世界のどこでも生きていけるという強みがある。

ここでなければならない、

これがなければダメだという拘りがない。

ただ、今この状況で何をなすべきかという判断の下で行動している。

好奇心の趣くままに、直感に従って。


その総合的判断から、今ボクはネパールにいて

瞑想という厳しい修行を行っている。


ボクの生きるコンセプトは、二つ。

楽しむこと。

寄与すること。


どこにいても試練はある。

だからどんな試練さえも甘んじて受ける覚悟はできている。


楽な道などどこにもない。

あるのは自分が楽しいと感じる道だけだ。


これこそがタビストの本懐(My long-cherished ambition)と言えるものだから。


「故郷は遠くにありて想うもの

ただ有り難きかな」 by Asay


よろしければクリックしてください。
にほんブログ村


「ふるさとは遠きにありておもうもの」室生犀星

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて 異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

 [小景異情ーその二] より



ヒーラー I am a healer.

2016年06月17日 | 
やっと瞑想の師に巡り合った気がした。


その家は、タメルのはずれ、ボクのホテルから徒歩15分くらいの住宅街の一角にあった。

早速行ってみた。


大きな通りへ出ると、いたるところで工事がなされ、

否応なく砂埃の中を歩いた。




家に入ってしばらくすると初老の男性が現れた。

少しボクの描いているイメージとは違った。
(長いひげを蓄えていると勝手に想像していた)


瞑想室に案内される。

いかにもといった雰囲気が漂う。


いくつかの質問の後、

ロウソクに火が灯され、音楽が流れだすと

早速瞑想が始まる。



光と音、そして匂いはやはり瞑想の3点セットなのだ。


それぞれのチャクラについて詳しく教えてくれる。

そして、座禅や気に付いて話しが及ぶと、

師はおもむろにボクの手のひらを見た。

そして、「オッ」と軽く叫ぶと

”You are a healer.”

としっかりした声でボクに告げた。

ボクの指先がすべて赤みを帯びていることを示してくれた。


ボクは今まで自己治癒を行ってきた。

ポリープを消し、胃や腰の痛みを自ら和らげた。

それとなく自分にはその能力が備わっていることを感じてはいた。

だが、これまで一切他人に施したことはない。

何となく確証が持てないからだ。


いままで数人の気功師と名乗る人に会ったことがある。

はっきりいってどうも胡散臭い。


瞑想は、自ら行い自ら気を取り入れるものだと思っている。

瞑想にもいろんな種類があって、やり方が違う。

呼吸法や意識の持っていき方などなど。


その方法を習得するのが今回の旅の狙いだ。

さて、今日から待ちに待った本格的な瞑想修行が始まる。



【余談】

生きる醍醐味、4Hについて。


エロオヤジと呼ばれて久しい。

いわゆるHだ。

これが若さと健康の秘訣だ。


嫌われ者としても名を馳せている(?)ようだ。

いわゆるHeel。


そして、今回のHealer.

最後に目指すは、言うまでもなく

Hero.

どうやら3段階まで来たようだ。



よろしければクリックしてくださいネ。

にほんブログ村





知りたかったら現場へ行こう

2016年06月16日 | 
今回の旅の大きな目的は

本場の瞑想を知ることである。


その中で、瞑想には欠かせない道具がいろいろとあるが、

中でも、一番の関心はシンギングボールである。


シンギングボールは思った以上にいろんなところにある。

そして、思っていた以上に、

シンギングボールについて知らないことが多すぎることに気付いた。


    オランダ来た彼女がいろいろ教えてくれた

それだけに、知れば知るほど面白い。

ヤッパリ現場に来なければわからないことだらけだ。


ボクは、英語にしても我流独学で覚えてきた。

現場に入り、見様見真似で盗んだ。

恥をかき、冷や汗もたくさんかいた。


日本で英会話学校に行くくらいなら、

そのお金で海外に行ったほうがいい。

もしも、一年間に10万円使かっているなら

海外には十分行ける。

そのほうが効果的だ。


このブログのタイトルのとおり、

ボクは、「旅で人生の大切なことを教わってきた」

今回も然りである。


今、守ろうとしているものを投げうってでも旅に出れば、

それ以上のものを得ることができると信じている。

あとは、その勇気があるやなしや。


幸いにもボクは、好むと好まざるにかかわらず、

すべてのものを失った。

おかげでこうして好きな旅ができる。


観光とかショッピングとか美味しいものを食べる次元ではない。

現地の人とできるだけ触れ合うことをモットーとしている。

できるだけ現地の人の生活の中に飛び込んで、

同じものを食する。

今回はいきなり山岳に住むご家族の家にお世話になって、貴重な体験をさせていただいた。




      薪で料理しくれたお母さん


ショッピングも、仕入れの域を出ない。

今回は、シンギングボールだ。



できるだけたくさん買って帰りたいが、

金属だけになんせ重量がある。

帰り便も中国を2か所経由するので、

チュックインも2回しなければならない。

その都度重量オーバーではかなりの追加料金がかかることになるだろう。

それでは割に合わない。

ここはちょっと考えどころだ。


こういったことも旅では教えてくれる。

いろんなトラブルに会い、

一つ一つ対処していく。

自分の頭で考え、工夫し、自分で判断して行動する。

そのすべてに命がかかっているといっても過言ではない。

一所懸命、必死だ(こうみえても)。


まさに旅は生きる力が身につくサバイバルゲームなのだ。




よろしければポチッとクリックしてくださいネ。
にほんブログ村