世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

ベトナムの旅 終盤戦へ

2015年03月14日 | 
残すところいよいよあと2日間。

終盤になって慌ただしさを増してきた。


成し遂げなければならない仕事がある。

お世話になった人すべてに恩返しをしなければならない。

ビジネスの世界は、ビジネスでお返しをするのが鉄則。

つまり、相手の利益を最優先で考えることだ。



日本語訓練センターを訪れた。



ここでは。縫製や溶接の実技訓練もやっている。






全寮制で、まかないもついている。


     30人ほどの男子部屋


     ここで、約80人分の食事を作る。


可愛い先生の授業も一緒に受けてみた。






社長との面談。




続いて、留学センターへ。




会談の後は会食へ。




魚料理屋さんへ。


     香草たっぷりの川魚


     バナナの皮で包んでライギョとカエル(美味)


     45度の幻の酒(?)で精力を付ける

お猪口で20杯以上は飲んだかも。


最後は、水タバコで締めくくる


ベトナムの不動産事情

2015年03月13日 | 
ベトナムの建設ブームは続く。

マンション(コンドミニアム)もあちことで建設されている。

経済成長率5%台をキープしている証だろう。


それはあたかも日本の建設ブームであった1960年代から70年代の姿を見るかのようだ。

違うのは建物が低層住宅から高層ビルになっていることだろう。


        一番人気のLoyal City


増える人口と所得に対処するために続々と高層コンドが建てられていく。


       建築現場を足場の上から見る


それらの多くは、○○Cityと名付けられる。


       模型がリアルだ

Royal City

Town City

GoldMark Cityなどなど。

Cityというだけあって、それぞれがコミュニティのコンパクトシティ型だ。


つまり、学校病院などが併設されている。

その中ですべての生活が完結出来るコミュニティスペース。

数万人という人々が暮らすだろう。


     こんなセーフティネットで大丈夫?


     周りの歩道も、手作業?


ただ、懸念するのは

近代的ショッピングモールのお客の少なさと

空きテナントが多すぎることだ。


確かに、ベトナムには不向きなのかもしれない。

やっぱり、雑然(desparate)とした市場や個人店がカオスのベトナムにはよく似合う。




これが今のハノイの現状だ。



【補足】

価格は、2ベッドルームが1,000~1,200万円

3ベッドルームが1,500万円くらい。



何れもバスルーム仕様だ。



【おまけ】

怖いのはどっち?

バイク?彼女?

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2度目の世界一周計画

2015年03月12日 | 
          今朝のハノイの風景


旅の空の下で旅を想う。

目指すは無期限単独世界一周だ。


前回が東回りだったので、今度は西回りで行く。

韓国中国はスキップして、

やはりスタートはベトナムだ。


陸路でカンボジア、タイ、マレーシア、そしてシンガポールに入り、

インドネシアに渡る。

そこからミャンマー、バングラデシュを経てインドのカルカッタまたはブータンに入る。


ネパール、特にポカらはもう一度訪れてみたい。

問題は、インドから西をどう回るかだ。


テロと戦場と化した中近東をどう回るか。

イスラエルやヨルダンには行けるだろう。

死海は訪れてみたい。


その後、トルコから北上するか、

エジプトからアフリカを南下するかは季節によるだろう。


優先するのは、東ヨーロッパを北上し、バルト3国を抜け、

ロシアのサンクトペテルブルクに行くことだ。


アフリカも南アフリカまで抜けてみたい。

スペインのアンダルシアでは、もう一度長逗留したい。


そして、中南米、カリブ。

南極にも足を伸ばそう。


北米を一通り回って、南太平洋へ。

楽園で没するか、ベトナムへと帰るか。


2年、3年?いや5年ほどかかるだろう。

資金はどうするか。

保険はどうするか。


現実的問題はさておき、妄想は果てしなく広がる。

旅先で次の旅を考えることほどエキサイティングなことはない。


【追記】

夢は妄想から生まれ、

妄想をより膨らませることでそれは現実化する。


妄想は経験によってしか生まれない。

いかに経験を増やすかで、妄想の幅は広がる。

ベトナム滞在後半へ

2015年03月10日 | 
足早に一週間が過ぎた。

同伴者とハノイ、ホーチミン、そしてまたハノイへと行脚。

それなりの成果が出せた。


今回の課題は多岐に及ぶ。

着物、アオザイ、ココナツオイル、ストーン、人材派遣、

ベトナム政府関係者との納豆レストランの商談などなど。


まず着物をアオザイに仕立て直すことからスタート。



ボクは今まで20着以上の着物をここのアオザイ屋さんに仕立て直してもらってきた。




今回は、つてからつてに洋服に仕立て直す業者さんまでたどり着いた。


     洋服に直した着物を入念にチェックする。


おまけに、ストーンについてもいろいろと教えてもらった。


     ストーンのショーケースを眺める著者




ココナツオイルもやっとのことで手に入れることができた。




かなりの強行軍だったが、手ごたえを感じた前半戦だった。

後半は、体調保持に努めスローペースでのんびり行こう。


     魚料理、Cha Caを食す。(ハノイ)



     Bainh Xeo(ホーチミン)


あと一週間、ハノイに滞在しています。

コーヒーでもしませんか。


     名物、卵コーヒー


カラオケ in ベトナム

2015年03月09日 | 
ベトナムは、海外では2番目にカラオケの多い国だという。

一番は、フィリピンらしい。


で、カラオケで何をするかというと、

もちろん、歌を歌うのである。




だが、ベトナムではそれだけではない。

もちろん、ベトナム人のファミリーカラオケやローカルカラオケといった、

純粋なカラオケ屋さんもある。


だが、多くは店の女性が横に座り、お酒を注いだり、

一緒に歌ってくれたりする。




いわば、日本のキャバクラのようにところだ。

ボクはキャバクラに行ったことがないので比較できないが。


特に日本人の駐在員向けに、日本語のできるホステスがいて、

日本の歌が歌えるカラオケ屋を「日カラ」という。


店の入り口には、アオザイ姿の若くてかわいい女性が待ち受けていて、

「いらっさいませ~」と日本語で迎えてくれる。


促されるまま部屋に入ると、

10人ほどの20代の女性は入ってきてその中からお気に入りを選ぶ。

気に入らなければ替えることもできる。


料金は飲み放題で、$40~$50ほどだ。

時間は関係ない。

一時間いようが3時間いようが同じ。


カラオケは機械に「通信カラオケDAM」などと書いてあるが、実際は通信していない。

だから今どきの曲は入っていない。

駐在員はオジサンが多いので昭和の懐メロで十分なのだろう。

中古を日本から輸入している。

ボクも一度頼まれたことがある。


ラウンジレディ(ホステスをそう呼ぶ)たちはそれぞれ選んだ人の隣にちょこんと座って

お酒をつくってくれたり、リクエスト曲をインプットしたりしてくれる。

彼女たちとトークしたり、歌ったり、お酒を飲んだりしてそれなりに楽しい気分に浸ることができる。

時には、デュエットしたり、チークで踊ったり。


お触りはそこそこOKだが、胸やお尻はご法度。

どちらかというと、駐在員の癒しの場といった処。


彼女たちは、マネージャークラスを除けば、若くて初心(うぶ)だ。

お国柄ピュアで献身的な子が多く、性格もまじめな子が多くて対話はいつでもハートフル。

エロトークもあまり通じない。


ここでお持ち帰りはほぼ不可能。

もちろん、人にもよるので、

電話番後を聞いて、

部屋番号の書いたホテルの名刺を渡しておけば、あるいはということもある。


それを望むなら、ベトナム人男子が行くローカルカラオケのほうが可能性は高い。

もちろんベトナム語しか通じないが。


ベトナムのホテルは法的には連れ込み禁止だが、

実際はフロントは黙認する。


ということだそうだ。

これはみんな聞いた話。

実体験ではございませんから、念のため。


【追記】

ちなみに昨夜の夕食は、海鮮料理。




    ハマグリ






ハノイへ戻りました

2015年03月08日 | 
小雨降るハノイへ昨夜戻ってきた。



同じベトナムでも10度c以上の温度差がある。


2泊3日という短い滞在のホーチミンだったが、

いろんな形で成果を残すことができた。






人材派遣会社との連携、

ココナツオイルの仕入れ、



そして、ストーン街の現状把握と購入。






さらに、着物に関しては、

和裁工場を引き続き現地のビジネスパートナーが探してくれることになった。


濃い毎日が続いている。


ハノイで後半の残り一週間もどんなハプニングと出会いが待っているか、

楽しみだ。


【追記】


タクシートラブル。

昨夜遅く、ハノイの空港からホテルのある旧市街までタクシーに乗った。

何十回と往復しているので道も値段も知り尽くしている。

新しい道ができて40~50分かかっていたところが、

30分ほどで着くようなった。

もちろん料金も安くなった。


なのに、その運転手はこれまでの旧道を走り始めた。

すぐさまクレームした。

Why don't you drive new road?

新しい道を走れ、と。

だが運転手は英語がわからない素振りで、旧道を走り続ける。


途中でガソリンスタンドへ。



給油せず、なにやら用事を済ませているらしい。

すかさず、クレーム。



ホテルの到着。

料金は倍近くになっている。


ホテルのスタッフを呼んで事情を説明。

口論の末、

結局ノーマル料金で話を付けた。


時々こういうことが起きる。

特に日本人は少々高くても泣き寝入りすることが多い。


おかしいと思ったら、すかさずクレームを。

そうでないと、舐められる。

そのためにも、英語力と場馴れが必要だ。

ホーチミン2日目 フル稼働再開

2015年03月07日 | 
休む暇がない。


それだけ、会う人、会ってくれる人がいるということはありがたいことだ。

今のところ、日本人との接触は一切ない。

現地、ベトナム人の方々のご厚意に甘えている。

恩返ししなければ。


それにはビジネスを作って、少しでも利益を還元しなければならない。


ボクは、夢を売るのが仕事だが、

相手は夢だけを買いに来ているのではない。

その先にある利益に期待している。


自分ではなく、相手の利益を最優先で考える。

彼らはボクに投資してくれているのだ。

それに応えることがボクのノルマである。


そのためには、休んでいる暇はない。

会いたいという声がかかれば、すっ飛んでいく。


糸井重里氏はいう。

「おれ、ここが、これが好きなんだ」っていうのが、大切ってこと。

それがわかってきたのが、現代なんじゃないかなあ。

必ずしもすぐに儲かるとは限らないし、

そもそもお金儲けとは関係なかったりするけれど、

結果、周りから「いいね!」と言ってもらえる。

それが「価値」だよね。

と。


心底好きかどうかがボクの行動判断の基準なのだ。

好きなら命も厭わない。

I am willing to give you my life.


だから、目先の利益、金に執着する人は去っていく。

大半の人がそうなのが現実だが。


今夜はハノイに戻る。

その前に一仕事、二仕事。



ボクは、利益で動く人間ではない。

「好き」で動く。

何とかしたいという気持ち(情熱)で動く。

そこがボクの欠点であり、長所でもある。


【追記】

昨日の行動


学生さんに案内され、ココナツオイルの店へ。



そこはエッセンシャルオイルの店だった。


それから、ストーン店の立ち並ぶ通りへ。



昼食をはさんで、



COOP MARTへ。



ここにもココナツオイルは置いてなかった。


夕方から、留学生派遣センターへ。




    日本食レストランでごちそうになる。


そして夜は、定番。




初めての海外ダウン

2015年03月06日 | 
旅先で病気になったらどうするか。


世界一周を含め、

これだけ旅して、これまで一度も大きなけがや病気になっていないことが不思議なくらいだ。

日本でも同じだけど。


特に今までベトナムで腹を壊したことなどなかった。

8年間、30回以上もきているのにだ。


昨夜はきつかった。

お腹というより、胃が締め付けられるようで、吐き気を伴って気分が悪い。

ベッドに横になった瞬間から起き上がることができなかった。


持参の薬をやっと飲んだ。

病院へ行こうかとも考えた。


考えてみれば、ベトナムへ来て4日目。

この4日間、毎日3~4時間しか寝ていない。

動いて、人と会い、打ち合わせをして会食をした。


寝不足で免疫力が落ちていることはわかっていた。

ひたすら寝ることにした。


昼間は30度を優に超す猛暑。

ここで動いたらぶっ倒れること間違いない。


夜になって活動開始。



幸い、ホーチミンのビジネスパートナーも夜しか動かない。

気力だけで、打ち合わせをした。




faebook やメールで数か所と同時進行の打ち合わせも含めて、

ココナツオイルを中心にかなりの進展を見た。


今日は午前中からアポが絶えない。

動けるうちは、動こう。


いずれどこかでぶっ倒れるのだから。

その日まではフル活動。

スピード感が生死を分ける

2015年03月05日 | 
グローバル、ボーダレス時代においては、

スピードこそがビジネスの勝敗を分ける。


会合に次ぐ会合、

交渉に次ぐ交渉の中、

日本が国際社会の中で優位性を失っているのは、

一に英語力、二に決断力のなさが原因だと感じる。


国際交渉、特にビジネスにおいては常に即断即決が求められる。


ベトナムではすでに2つの事業を立ち上げた。

そして、その都度即断即決が要求されてきた。


今回もそうだ。


ベトナムの政府関係者と会食をした。



彼らは、ボクの納豆レストランの企画に興味を示してくれた。


そして、ベトナム側のカウンターパートになるとの申しでがあった。

願ってもないありがたいオファーだ。


もちろんこれから条件面を詰めていかなければならない。

余談は許さないが、大きな前進であることには変わりはない。


問題は、日本側の協力企業を見つけだすことだ。

納豆メーカーや食品関係の会社で東南アジアの進出を狙っている企業はいないか。

必ずあるはずだ。



アオザイ屋さん一つとっても、

値段交渉と、金銭の受け渡しには一瞬の緊張が走る。



そうして初めて一件落着と相成る。




人生何が起きるかわからないが、

出会いの縁を大切にしなければならないことはわかっている。

一人一人、その瞬間瞬間がもっとも大切な時であり、大切な人なのだ。



そしてもう一つ。

どんなに状況が悪くなろうとも、

諦めずに進んでいけば、オセロゲームのようにどこかで好転する可能性が潜んでいる。


だから、やってきたことは一つとして無駄はない。

そして、必ず好転するということを信じて疑わないことだ。


常に笑顔を忘れず、呼吸を穏やか似た持って事に当たれば、

必ず運は開ける。

それには、自分を信じることだ。



今日からホーチミンに入る。


課題は、和裁の縫製先を見つけることと、

ココナツオイルの仕入れ先の発掘だ。


ココナツオイルに関しては、数量が多いだけに輸出方法で難航している。

だがこれも産みの苦しみとして理解している。


大事を成そうと思えば、それに見合う苦しみが伴うものなのだ。


苦しんで苦しんで、考えて考えて、工夫して工夫して、

耐えて耐えて、諦めずにやり抜いた先に明るい展望が見えてくる。



課題は多く、どれも道のりは険しい。

だからこそ遣り甲斐がある。



夜は常にお互いの労をねぎらって、乾杯の音頭が鳴り響く。

ハノイ第2日目 ベトナムの技能実習生

2015年03月04日 | 
実に濃厚な一日であった。


午前中は、着物のリメイク先を求めて駆けずり回った。

たまたまホテルの前に生地屋さんを発見、

早速情報収集に軽くジャブを打ってみる。




勧められるままに市場へ向かう。





だが思った成果は得られずに、空振り。


それから向かった絹の村でも、縫製屋さんは見つからない。


      必死に交渉するも……


昼にビールをあおる。


      一本では足りない!?



午後から人材派遣会社へ。



研修風景にも参加。

  
     真ん中のかわいい女性が、センセイ


夜は社長さんとも夕食を共に。




まったくお世話になりました。



最後は、こんなところまで。

感謝の念に堪えませぬ。

実績作って恩返ししなきゃ。

アオザイ三昧 絹の村

2015年03月04日 | 
       桜の花の下で、著者の鼻の下も伸びている。


アオザイフェチである。

アオザイ姿の美女を見ると居ても立ってもいられなくなる。


で、絹の村で美女軍団に遭遇。




        ウ~ン、色っぽ~い!! ムラムラ、絹のムラ
     

ちょうどお祭りの日だという。


            美味しそう、だけど可哀想

ここは3年ほど前に一度訪れたことがある。

今回のミッションの一つ、絹の着物のリメイク先を探しに再び訪れた。




       必死の交渉が続く


残念ながらここでは直接的な情報を得ることはできなかった。


         昼食。  ビールが一本じゃ足りないよー



だが、夕方になって思わぬ展開に。


案内してくれた人材派遣会社の部長が、

縫製工場を経営している知り合いを紹介してくれた。



ナント、急転直下、そこで商談が成立。



いやいや、一段落といったところだ。


だが、まだまだ舞台はこれからホーチミンへと続く。

ハノイ、第一日目

2015年03月03日 | 
同行者と一緒の機内は飲み会に変じた。

相手が酒豪であればなおさらだ。


「機内は空気が薄くなっております」

「飲みすぎにはご注意ください」

「お水をお持ちしましょう」

ナント、FA(Flight Atendant)からあまりの酩酊状態に釘を刺された。


すっかり出来上がったまま、

新しくなったハノイ・ノイバイ空港の国際ターミナルをくぐる。




今年から、30日以内のベトナム再入国にはビザが必要となった。

イミグレ(入国審査)が厳しくなったと聞いた割には、今まで通り何も聞かれず通過した。

だから、こちらから入国審査官に聞いてやった。

Arival VISAは取れるのか、と。

答えは予想した通り、Yesだった。

これで一安心。

だが、係官が間違うこともあるので油断はできない。



空港には予定通り迎えが来ていた。

新しい道路と橋を渡って、旧市街のホテルへ。




何十回も来ているハノイだが、不思議と新鮮に見えた。



休む間もなく、着物を持って行きつけのアオザイ屋さんへ出かけた。

とりあえず、4着の着物をアオザイに仕立て直してもらうことに。

そのうちの一着は、ボク自身の男性用アオザイだ。

出来上がりが楽しみ。


夜は、夕食に招待を受けベトナム料理に舌鼓を打った。




ほぼ一日中酔っぱらっていたが、まずまずのスタート。

寝不足解消のため、早めに就寝。


今日は、いよいよ絹の村へ。

ベトナムへ

2015年03月02日 | 
2か月ぶりのベトナム。

昨年はひと月おきに行っていたから、ずいぶん久しぶりのような気がする。




だが、今回も重要なミッションが控えている。

まず、初の同行者がいる。

着物を扱う会社の社長さんだ。


今まで案内した人は5人ほどいるが、いずれもは現地で落ち合っていた。

思えば、常に一人旅だった。



新しくなったハノイのノイバイ空港には、迎えが来ている手はずになっている。

タクシー以外の迎えは今までもあったが、

人材派遣会社からの迎えは初めてである。


それだけに結果が求められている。


それから、ココナツオイルのオーダーも受けているので、

しっかりした買い付けが要求される。


価格と品質を間違えると、商談が無駄になる可能性がある。

慎重には慎重を要する。


納豆レストランに興味を持つベトナム政府の担当者にも会う手はずになっている。

手始めにランチに招待されている。


気の抜けない旅になりそうだ。

新しい旅のミッション

2014年12月25日 | 
自由とはかくも過酷なものなのか。

自分で選び、自分で決め、自分で行動する。

その責任もすべて自分が引き受ける。




人との係わりに中で生きていく以上、

避難も謗(そし)りも免れない。




人の敷いた線路の上を進むのがよっぽど楽かもしれない。

冒険もない代わりにリスクも少ない。


3週間という今回の旅は新たな課題を与えてくれた。

一つのことが完結し、

新たなステージへと進む。

たぶん、シーズン5くらいになるだろう。




思えばベトナムに来だしてから足掛け8年になる。

長いようで短かった。


JICAのボランティアがきっかけで来るようになった。

最初の2~3年は観光気分だった。




だが、何かビジネスを起こしたくなった。

雑貨を仕入れた。

店を作りたくてカフェを作った。


それがベースで、日本語センターを手掛けた。

これまでは、いわば序章かもしれない。


こうした経験と培った人脈を活かして大きく飛躍しよう。

お世話になった人々の期待に応えられるように。


見返りを求めず、恩返しをする。

恩返しの旅に出る。


そこから新たな旅の一ページが開く。

Worldventuresってどうよ

2014年12月24日 | 
ひそかに旅を商材にしたネットワークビジネスが話題を呼んでいる。


格安で旅行ができ、

しかも稼げるという内容だ。

これはタビストとしては垂涎の的ではないか。


        大好物のベトナム料理、空芯菜


確かに格安で質の高い旅ができることはありがたい。

信じられない価格で4つ星、5つ星のホテルに泊まり、

豪華なクルーズが楽しめるという代物だ。



      ベトナムサラダ。ピー-ナッツが絡んでおいしい


だが、ネットワークビジネスとなるとイメージが悪い。

アムウェイやニュースキンをはじめ数多とその種のものは世界中にある。


一生懸命取り組む人はそれなりの稼ぎがあるようだ。


    豚肉のボイル。香草と一緒に食べる


だが、人間関係がズタズタになったり、

精神状態が悪くなったりとあまりいい話は聞かない。


それに、ボクの旅スタイルや、ライフスタイルから見ても、

ゴージャスな旅形態はボクには似合わない。


今回の久々のバックパックの旅で味を占めてしまった。

気楽で、気ままで自由な旅がモットーだから。


      鳥の足。骨ごと食べる


そして何より、現地の人たちと知り合い、

その人たちの助けになることがミッションなのだから。


そのうえ、旅で稼ぐというコンセプトは軍資金上外せない。

その手段は執筆にある。


来年は出版して、そのシステムを確立しなければならない。


とはいえ、ちょっと気になるワールドベンチャーだ。

既にやっている人、

詳しい話を聞かせてね。