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世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

アンネ

2014年02月28日 | 国際
昔(19961年から)、女性の生理用品のことをアンネと呼んでいた。

今でもおばさんは生理用ナプキンのことをアンネと呼んでいる人もいるくらいだ。



それは、アンネ社がアンネナプキンを発売したことに始まる。


1961年、11月11日に発売されたときのキャッチコピーは「40年間おまたせしました」だった。

アメリカでのナプキンの発売から40年、

やっと日本の女性も快適に使用できる生理用品を手にすることができたのだ。

なんとそれまでは、脱脂綿を当てていたそうだ。


ではなぜアンネなのか。


それは、今話題の「アンネの日記」には、

少女アンネの生理に対する前向きな捉え方が書かれており、

その当時の日本における穢(けが)れ意識、「それはただ不潔であり、陰惨であり、苦痛であった」というものとの違いに、

発案者が感銘を受けた事からきていると言われる。





今日は、ナプキンの話題ではない。


もちろん「アンネの日記」の破損事件のことだ。

なぜこういうことをするのか、ボクには理解不能だ。


報道もまだ憶測にとどまっている。

いずれにせよこれはテロと同じ行為ではないか。


彼らは、アムステルダムに行ったことがあるのか。

アウシュビッツに行ったことがあるのか。



ボクは行った。

そして、見た。


アンネが2年間過ごした部屋を見た。

小さな窓から同じ風景を見て2年間を過ごしたのかと思うと

涙が出た。

声を潜め、音を殺し、ここで暮らしたのだ。



そしてついにナチスにつかまり強制収容所へ。


そのアウシュビッツで見たものは、あまりにも悲惨で

声も涙も出なかった。


うず高く積まれたカバン、靴、髪の毛などなど。

ガス室の恐怖。


カバンに、ボクは「フランク」の文字を見た。

それがアンネのものか、お姉さんのものかはわからない。


10代はじめでこの恐怖を味わったアンネの気持ちが分かるのだろうか。

犯人はそれを知っているのか。


日本人はそこまで落ちたのか。

情けない。



【補足】


アンネのことを知りたければ

アムステルダムの家を見てください。

今は世界遺産になっている。


そして、その足でポーランドのアウシュビッツに行ってください。


そうすれば、二度と戦争なんかしたくないと思うはずです。


とても、「アンネの日記」を破こうなんて思うはずはない。



ちなみに「アンネの日記」とは、


ユダヤ人の少女アンネ・フランクが、

ナチス・ドイツの迫害を逃れ、

家族らとアムステルダムで隠れ住んだ約2年間について書き残した日記文学。


アンネは1944年に逮捕され、

その翌年、強制収容所で15歳の生涯を終えた。



この連続性がはっきりわかります。



かつて日本がナチスと手を組み、

世界を恐怖に陥れたことは事実だが、


日本人もまた悲惨な目を追っている。

それは、鹿児島の知覧に行けば分かります。


これ以上日本人の愚行を繰り返してはならない。
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1 Comments

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無題 (んもえラド)
2014-03-14 12:27:26
アンネ(株)は、のちにライオン(株)に吸収合併されましたが、そのライオン(株)も、のちに生理用品から撤退しました。
「アンネ」は、それだけ「偉大なワード」ということになりますね。
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