世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

新しい時代の幕開け

2016年05月06日 | 100の力
数年前から気付いていた。

こういう時代が来ることを。

このブログでも、何度も警鐘を鳴らしてきている。


今巷では、復興、復興と威勢のいい言葉が飛び交う。

それ自体は決して悪いことではない。


が、復興とは何か?

また元の姿に戻すことなのか。

天災にしろ、人災にしろ、

なぜ世界がこういう状況になったのか。

人間の奢りと身勝手が地球をボロボロにしてきたからではないのか。

その付けがこういう形ででてきている。

元に戻すことにこだわらず、

形を変えてもっと良い世界を作り出すことだ。


結局野性的感性が生死を分ける。


原始時代に戻れというわけではない。

少しは、節度を持って不便さを享受してみてはどうだろうか。


復興より新興。

あるいは、旧興と言うべきか。


原点に返ること。

自らを変えること。

今までとは違うじぶんに変わること。

価値観を変えること。


それには良い機会なのだ。

どう変わるかはこれから模索していかなければならない。


今自分を生きることに必死だ。

愛する人を守ることに必死だ。

それだけでも自分に課せられた役割を果たすことができる。

いや、それが一番難しことかもしれない。


メンタル面で痛手を蒙る人が急増している。

物質的復興もさることながら

心の復興のほうがより問題であろう。


梅雨明けまでは土砂崩れ、土石流の危険性があり近づけない。

もしも、住処が無事に残れば、それからが出番となる。

それまでは、敢えてひたすら静観を決め込む。


焦らない、慌てない、急がない。

周囲の心無い雑音は気にしない、惑わされない。

自分が心身を患っては元も子もなくなる。

避難しても非難することなかれ。

人それぞれの役割があるのだから。


昨日から、第二の疎開先に身を潜めている。

ここにも多くの避難者、援助者たちが集まっている。


     鹿児島からゴミ収集車が集結している

そういう人たちとの触れ合いも意義深いものがある。



       今は敢えて座して(瞑想)して、出番を待つ(阿蘇・西原村にて)ことに努める



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