世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

中国に学ぶ

2010年09月29日 | 国際
今回の中国の態度には含蓄がある。


それに対する日本側の対応には賛否両論があるものの、

ボクは、最初からイイ計らいだったとこのブログでも述べた。



決して、敗北でもなければ、屈辱でもない。


屈辱なのは、むしろそれを屈辱と取る国民、政党ではなかろうか。



なぜなら、

日本が大人で、中国はガキであることを世界にまざまざと見せつけたからだ。



再三述べているように、

中国の国土は広く(無理やり広くしているだけだが)ても、決して大国ではないし、


将来にわたって大国にはなりえない。

まして、、大国たれなどと期待してはいけないのだ。



未熟な子供だと思って接していればいい。


悪ガキに飴玉をやってなだめようとしても、

誰も、尊敬もしないし、憧れもしない。



世界に恥をさらしたのは、小国・中国なのだ。

屈辱を味ったことにさえ気づいていない。





それより問題なのは、


日本国内だ。

とりわけ、政党。


いわば、与野党も夫婦みたいなもので、


同じ屋根の下に住んで(あるいは同じ船に乗っていて)、

痴話喧嘩もいいが、


外から火の粉が飛んできているときは、

一致団結して消火に当たらなければならない。


「あんたが悪いから、ホラ火の粉が飛んできたじゃない」

などと責任を追及したりり、罵っている場合じゃない。



ここはタッグを組んで、消火に当たり、


消えてから、反省会を開くのが妥当ではなかろうか。



たしかに、

家計が火の車で、夫婦喧嘩も絶えない昨今。


しかしここは国家の一大事と考え、

休戦してでも対外処理に努めるべき時期なのだ。



そうすれば、

失墜しつつある国家力も、


「さすが、ジャパン!」 と世界から一目置かれること間違いない。


それでこそ、大国の威信であり

大国たるゆえんだろう。



【補足】

天声人語に 『蝸牛角上の争い』という表現があったが、


譲歩が必ずしも敗北とはいえない。



日常の人間関係においても、

譲歩したり、許したり、対話することは必要不可欠な協調精神だ。


「和をもって尊しとなす」

これこそ日本が世界に誇れる大和魂なのではなかろうか。



絶対譲らない、

許すどころか、憎む、

話し合いすら拒否する、



これではもはや通用しないことはバカでも分かる。


バカな中国も、肝に銘じたことだろう。

それぐらいは、譲歩して期待してやりたい。



※ 蝸牛角上の争い

カタツムリの双方の角同士が争うことから、

小国同士の争い、

つまらないことで争うこと、の意。

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