世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

バイオマス事業

2013年03月16日 | 仕事
グローカルな視点を持つことで

いろんな可能性が見えてくる。


地域(地方)すなわち、現場に立って

世界を見渡すのだ。



コーヒー粕によるエネルギー作り(バイオマス事業)が現実味を帯びてきた。




チョッとわかりにくいが

グラフは、1ヘクタールあたりの油収量を表しているが

コーヒーは、やく400Kgとパームやナッツには及ばないものの


アメリカが進めているトウモロコシよりずっと収穫量は多いことが分かる。




今設立準備中のNPO法人に

エネルギーの専門家(エネルギー管理士&環境プランナー)が加わってくれた。


文字通り力強いエネルギーとなる。

目的が絞られれば絞られるほど、専門知識が不可欠となるから。


企画集団から始まり、

専門家、行動家が加われば計画は実現する。


そのためにも的確な戦略が求められる。




現地にすぐにでもインストールできるものありました。

ですので、想定している処理量を教えてもらえますか?

排出する事業所が有効利用に意欲的であることが重要ですが、

二国間オフセットという政府が積極的に推進しているスキームを用いることで、

補助金の利用も可能になります。(私の専門です(^_^)b)



というメッセージを戴き、早速会って話をした。


具体的物量を出しFeasibility Study(実現可能性研究)の段階を経て

事業化にこぎつけなければならない。


具体的場所の面積も1,000m2が必要だ。


ハノイのカフェで実験的にすることも考慮に入れているが、

法令規制の問題も調べなければならない。


まず、ハノイに行き、Jetro, Jicaを訪ねる。

紹介をもらい、ベトナムの商工会議所へ赴く。

ここからは政府ベースの交渉となる。



面白くなってきた。


ボーダレスな奇人変人妖怪集団がこれからの世界を引っ張るのだ。
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3月15日(金)のつぶやき

2013年03月16日 | 音楽
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第三の局面

2013年03月15日 | ライフスタイル
人生には3つの局面がある。


人生を25年周期で分けるか

30年周期で分けるかの違いはあるが、

人生を3つの部分に分けてそれぞれのライフスタイルを決める必要がある。



自分の場合に当てはめて考えてみよう。

ボクは2度結婚をした。


最初は25年周期を辿るかに見えたが

2度目の結婚を機に30年周期に切り替わった。



家族を持つということが周期の変わり目となる。


第一局面は、独身時代。

第二局面は、家族時代。


そして、第三局面こそ最も大切な〆の時代なのだ。



第一局面の独身時代は、

好き勝手をやる「冒険時代」ともいえる。


ここでいろんな経験を積むのだが、

失敗と挫折を数多く味会うことが後々意味を成す。


親の影響力も大きい。


第一局面の経験値が高ければ高いほど、のちの時代に好影響を及ぼす。

反対に、経験値が低いと、後々苦労を余儀なくされる。

これは精神的な側面が大きい。





第二局面の家族の時代は

結婚して子供を設け、子育ての色合いが濃くなる。

いわゆる「子育て時代」だ。

人生の中で最も充実した時代と言えよう。


ここでは、「夫婦」、「家族」、「仕事」といったものが

3要素として大きな意味を成す。


大海に漕ぎ出した船のように

あらゆる艱難辛苦が待ち受けている。




そして、それを乗り切った後、

第三の局面が待ち受けているのだ。


ここでは家族の問題からは解放されるが、

健康問題、資金的問題が浮上してくる局面となる。

真の意味で、人生の成否を決める最重要な局面だ。


そしてそれは、第二局面での足跡が大きくかかわってくる。



人生の勝負は、この第三局面で決まるといっても過言ではない。

第二局面に全エネルギーをつぎ込んだため

意外と想定しない課題が噴出する。


解放されたかに見える

夫婦関係や子育てが足を引っ張る可能性もある。


第三局面で重要なキーワードは、「仲間」である。

いかにに仲間づくりができるかにかかってくる。


それは、それまで築いてきた人脈が大きく影響する。


人脈とは、単なる知り合いを数多く作ることではなく、

如何に「信頼関係」を築いてきたかにかかっている。


現役時代の人間関係は、往々にして肩書きに頼ることが多い。

リタイアして肩書きが無くなると同時に、

雲の子を散らすように今まで親しかった人たちが離れて行くケースが多く見られる。


だから肩書きに頼らない信頼関係をどれだけ築けたがポイントだ。


もちろん、第三局面に入ってから新たに築く信頼関係も必要だ。

それには、それまでの経験値がものを言う。



自分の得意分野、趣味などが新たな関係を作る。

第二局面における仕事一筋人間の危うさはここにある。


配偶者からも、子供たちからも見放される危険性が潜む。

第三局面で多く見られる現象だ。


それゆえ、人生の第三局面をいかに有意義に生きられるかが

最も重要な事柄と言える。




【追記】


結婚して、子供を設けるといった第二局面が描けないケースが増えている。


最も重要な仕事面でも、第一局面のまま不安定要素を抱えて

第三局面を前倒し的に突入する場合もある。


それこそが大きな社会問題となって国を揺すぶる。


環境問題やエネルギー問題の陰に

人間のライフサイクル問題が横たわる。


いかに生き、いかに死ぬか。

永遠の課題だ。
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3月14日(木)のつぶやき

2013年03月15日 | 音楽
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それでもNPOを作る

2013年03月14日 | 仕事
人との出会いは良かれ悪しかれ

絶妙のタイミングで起きるものだ。


全ての出会いはチャンスにつながる。

なのに出会いで人間を選り好みするのはあまりにも愚かだ。


なぜ、あの人とは合わないと決めつけるのか。

合わないのが当たり前ではないか。


人を自分に合わせようとするのではなく、

自分がその人に合せるだけの器を持たなければ到底人生に行き詰るだろう。


我を通してロクなことがあったためしはない。

それで自滅していった人を数多く見てきた。


自分はそうはなりたくはないものだ。


第一印象で、合わないと思った人でも、

しばらく付き合ってみることだ。


相手も変わるかもしれない。

自分が変われるかもしれない。


その時お互いが成長できる。

より良い人間関係を築こうと思うなら、

人との違いを認め、受け入れ、許しあわなければならない。


ましてや、国際交流、国際人を目指すものならなおさらのことだ。


好きな人間、自分の気に入った人間だけを集め

仲良し仲間を作ったところで、所詮狭い世界しか作れない。


再三言っている

Diversity(多様性) & Inclusion (包括性)は

国際交流、国際人の基本である。


―――――――――――――――――――――――――――――

さて、昨夜第二回目となるNPO立ち上げのための説明会を行った。

早くも内部でゴタゴタがあり、

期せずして、ボクが理事長を引き継ぐことにした。


期待した人間が去り、突然急ブレーキがかかった状態になったが、方針は不変である。



「夢を抱いて世界に羽ばたこう」 をスローガンに掲げ

『NPO法人国際交流プロモーション協会』 を設立すべく

邁進する所存です。


多くの方の夢と希望を実現すべく

とりあえず、定款づくりに勤しみます。


引き続きご協力、アドバイス方よろしくお願いいたします。
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3月13日(水)のつぶやき

2013年03月14日 | 音楽
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ブログは災いの元?

2013年03月13日 | ライフスタイル
本音で語ると災いを産む。

建前が先行する日本においては当たり前のことである。


分かっちゃいるけど、それでも本音をぶつけたい。

その衝動を抑えきれず、ブログを書き続けている。


本音を語れることこそが、モチベーションの源だといっても過言ではない。


建前論、きれいごとに終始したブログなんて書きたくない。

クソ喰らえだ。(Kiss my ass)



だが弊害も半端じゃない。

いままで何人の友達を無くしたか。


ボクの過激(?)なブログを読んで、あんな考えの奴とは付き合えない、と。

いや、もともとそんな人間とは友達ではなかったのだ。


知り合いが去っていった、というべきかもしれない。


きっと知らないところで

ボクに好意を寄せていた女性もかなり姿を消しただろう。


あんなスケベな奴とは到底付き合えない、と。


まあ、人間関係で最も大切な「縁」というものの重みも知らないからだろう。


一旦かかわった人間をボクは自分から切ることはしない。

全ての出会いはすべからく意味がある。


あまねく人を愛する。

人間を好き嫌いするのは、愚者の行為だ。


とはいえ、相手から去るのはどうしようもない。


「来るものは拒まず、去る者はチョッと追うが、しつこくは追わず」

がボクのモットーだ。




だが、これを言えば(書けば)知り合いを失うと分かっていながら

それでもボクが執拗に本音で語るのはなぜか。


それは

ボクがボクであるために必要なことなのだ。

自分のアイデンティティを確立するためには避けては通れない道だ。


本当の自分を知ってもらったうえで、

友人になるなり、親しくなる方がイイに決まっている。

それが真の友情となる。


自分を偽り飾リつけたところで、いつか化けの皮は剥がされる。


だからボクはイイ人ぶらない。

むしろ、必要以上に悪人ぶる。




そんなボクでも

それでもボクを愛してくれる人は必ずいるはずだ、と思うから。


きっといると信じているから。



ボクは正直に生きたい。

自分に対して正直に生きていきたい。


人を騙すことは出来ても、自分自身を欺くことは出来ない。


自分を飾って、

自分でない自分を表現することなんてボクにはできない。



だからボクは、本音で語ることを辞めない。


例え多くの人がボクの側を去っていったとしても。


それでも、ひとりでもボクを理解し、愛してくれる人がいるのなら。


大衆迎合(populisim)、八方美人(everybody's friend) は辞めにしよう。

それはボクには似合わないから。
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3月12日(火)のつぶやき

2013年03月13日 | 音楽
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モテる秘訣

2013年03月12日 | 
異性だけではない。

男が人にモテる秘訣を伝授しよう。


まず、

1.相手の立場になって考える。

最近の人は、忙しい。

芸能人並みに、予定がギッシリ。

仕事も、残業続きで、お疲れのご様子。

これではデイトもままならない。



そこは、辛抱。

じっと相手の都合を待つ。


焦ったり、怒ってはいけない。

心の広さを見せるのいいチャンスだ。


だが、メールで優しい言葉をかけるのを忘れてはいけない。


どう、元気にしてる?

何か困ったことはない?


気遣うと同時に、こちらの気持ちも伝えることも必要だ。

会えなくて寂しいよ。

いつも君のことを考えているよ。

いつだって、何処だって君の都合のいいところに飛んでいくよ。



禁句がある。

こちらが言ってはいけない言葉。


「忙しい」と「疲れている」だ。

相手もそうなんだから。





2.詮索したり相手の行動を制限しない。


どこ行くの?

何してるの?は気になるところ。


だが、ここもグッと我慢。

聞きたい気持ちを抑えなければならない。


何してた?でなく、どうしてた?と聞く。


誰と一緒?も、禁句。

友達と、と言われても、、男?女?などと詮索はしない。

何人で?なんてことも聞かない。


最近の人は、交友関係も広いのだ。

飲んだり、食べたりの機会も多い。

特に、facebookをはじめとするSNSでのつながりが広がっている。


ユル~く広~い付き合いを楽しんでいる風情がある。

もちろん、浮気や他の男に乗り換えられる危険性はある。


だけど、信じてあげる器量の大きさを見せれば、大丈夫。

たぶん、だけど。




3.話を聴いてあげる。


おしゃべり男は嫌われる。

男はやっぱり寡黙が似合う。


ちらりと教養を見せるのが効果的。


傾聴男はモテる男の最大の秘訣。




4.夢を語る。


将来設計のできる男は魅力的だ。


愚痴っぽい男、

文句の多い男、、

ネガティブワードの多い男はNG。


そもそも夢の無い男は論外だ。



男を磨くことを怠ってはならない。

自分を決めつけないこと。

自分を諦めないこと。

自分を見放さないこと。


自分は〇〇だから、という言葉を吐かない。


特にダメだから、才能がないからなどいった

自分を否定するような言葉はご法度だ。




5.食べ方飲み方に気を付ける


飲食事は人間の本質が出る。


なぜボクは女性を食事に誘うのかは

前回のブログでも書いたが、

お互いを観察し合うのには欠かせないカテゴリーだからだ。


もちろん、女性にお金を出させてはいけない。

割り勘にする奴はそこでフィニッシュ。



―――――――――――――――――――――――――

男を磨くには

まず教養をつけること。


だが情報量では女性にはかなわない。

知ったかぶりをするより、

教えてもらうという謙虚な姿勢も大事。


智識を増やすことも大事だが、

学習能力を身に着けることの方が大切だ。


特に、時事問題には精通しておきたい。

政治、経済は女性の不得手とする分野。


お笑いやバライティ、ゲームなど低俗なものはソコソコでいい。

もしそうした話題なら、

裏話や業界の事情など人の知らないことを話すのならOKだ。


テレビの番組ネタなどは、かえって教養の無さをひけらかすようなもの。

くだらない時間の使い方も見破られる。

もちろん、同類の女性なら話は別だが。




女性は、自分の知らないことを知っている男に弱い。

くだらない内容は論外だが。


もちろん、あまりにマニアックなことも変人とみなされ、

かえって引かれてしまう危険性がある。


自慢話もご法度だ。

得意分野がキタッと思っても、サラリと見せつけるテクを持とう。

滔々(とうとう)としゃべり続ける輩がいるが、

次からは敬遠されること請負だ。



以上、

「かじえいせいの(女に)モテるための男の磨き方講座」でした。



【追記】


もちろん、

外見も大事。


その中でも清潔感が重要だ。


ファッションなどセンスの良さも求められる。

何より自分のあったセンスが重要。




それから、肉体改造。

身体を鍛えること。


マッチョになる必要はないが、

腕を太く、胸板を厚く。

足腰を鍛えることも。


鉄アレー筋トレが最適。



もちろん、精力も。


肝心な時ダメになる奴が増えていると聞く。

あまり人のことはいえないが…。



ガンバろ!
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3月11日(月)のつぶやき

2013年03月12日 | 音楽
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点と線と面

2013年03月11日 | 仕事
スポット的に今までやってきたことが

線で繋がりを見せだす時がある。


そしてその線が結ばれ面をなす。


最初は何の関係もないように見えたことが

絶妙に結ばれる様は、

全くの他人が知り合い関係性を持つのと似ている。


結局、物事も人と人とのつながりによって拡大していくのだから。


そしてそれは微妙に回遊する。


人生とは、

収斂と拡散の連続である。


ある出来事が、どこかで接点を持ち拡散し、

またどこかで弾けて収縮していく。


時には化学変化を起こし、思いもかけない姿へと豹変する。



――――――――――――――――――――――――――――

今自分の歴史を紐解くとき、

この激しい流れの中で

意味のなかったものは何一つないことを実感する。


泣いたり笑ったりしながら

悲劇と喜劇を繰り返すうちに

人生は物語を紡ぎだす。


その一つ一つが今の自分を作り上げてきた。


あたかも一滴の滴が

清流となり大海に注ぐかのように。


だが、2年前の未曽有の震災を目の当たりにしたとき、

川が逆流することを知った。


それはすべてを破壊し、飲み込む。

物の脆さ、人の命の儚さを知った瞬間でもあった。


――――――――――――――――――――――

歩んできた人生に後悔はないか。

これから歩もうとする人生に夢はあるか。


過去の点が、それが汚点であろうと美点であろうと

自分の足跡であることは否定しようがない。


そして、汚点と美点が繋がれたとき

その意味することが分かるようになる。



悔し涙を流したこと、

悲しみに沈んだこと

誇らしげにガッツポーズを決めたこと、

友と、愛する人と喜びを分かち合ったこと


その一つ一つが、今ここにいる自分を作ってきた。


それを、生かすも殺すもこれからの人生にかかる。


感傷に耽っている暇はない。

身も心も、清流から濁流に揉まれ、

すっかり濁り、汚れきってしまった。


時に澱(よど)みで腐りかけもした。


それでも誇りを失わず大海原を目指して生きている。

そこでまた新たな役目が待っているから。


ただし、

逆流せぬよう、身も心も引き締めて。


黙とうとともに。

合掌。
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3月10日(日)のつぶやき

2013年03月11日 | 音楽

百鬼夜行の乱世 オモシロオカシク生きよう! goo.gl/sfMhC


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ビジネスは夜作られる

2013年03月10日 | 仕事
毎晩飲み歩いている。

毎日が午前様だ。

商社マン時代を彷彿とさせる。


20代だった。

若かった。


今それと同じことをやっている。

ただし飲み歩くといっても

今年1月6日以来、禁酒してアルコールは一滴も飲んでいない。


今はノンアルコールという便利な代物ができている。

飲んだ気にはなれる。


アー、何時になったら飲めるんだ。

出版するまでと、自分で課したけじめだから仕方がない。



飲み歩く相手は様々だ。

もちろん主にフリートークを核とした結びつきだが、

内容は多岐にわたる。


グローバル世界であるフリートークには

玉石混交、種々雑多が集うからだ。


清濁併せのむ覚悟で臨む。

浅い知識でも、広い心があれば補って余りある。



昼間オフィスや会議室で話をするより

食べながら、飲みながらの方が話が弾むことは当然のことである。


しかも、その人の人となりが分かる。

また、自分自身も曝け出すことから

お互いに信頼できるかどうか、判断するにはいい機会ともなる。



男女間も然り。

ボクが女性をよく食事に誘うのも、ナンパ目的ではない。

全否定はしないが

そんなことをしていたら身も懐も持たないでしょう。



中でも若い人と夢を語るのは楽しい。

同世代は、回顧的で愚痴っぽくて困る。

かえって夢も希望も失せる。



欠点は、出費がかさみ、体力を消耗することだ。

それでも、それ以上のものがあるから辞められない。


ただ、犠牲は付き物だ。

20代の商社マン時代は、家庭を無くした。


今は、失うものがない。


自分の気力と体力が続く限り徘徊癖は取れないだろう。

痴ほう症で徘徊するよりまだましかもしれない。




今も昔も、ビジネスは夜作られる。

と思っている。

実際そうだし。



まさに百鬼夜行(pandemonium)

兵(つわもの)どもが徘徊する百鬼夜行の乱世(a chaotic [pandemoniac] world)であることは変わりない。


しかも、歌って踊って、飲んで食べて、抱いて

仕事ができるのだから

こんな楽しいことはない。

(最後の「抱いて」は余計だが)


こうして早春の夜も更けていく。

いや、夜も明けていく。


しかし、眠い!



【追記】

どうせ死んでいく身。

オモシロオカシク生きましょう!
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3月9日(土)のつぶやき

2013年03月10日 | 音楽
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人のために生きる

2013年03月09日 | 人生
人生が好転する唯一無二の秘訣がある。


こ(う)すれば幸せになれるという魔法のランプがあるとすれば

誰しも欲しがるだろう。




それは何か。




それは、


「捨身(しゃしん)の心」である。


捨て身と呼んでも構わない。


「捨身」とは、

自分を犠牲にして他の命を生かす行為のことである。


当然、人に善行を施すことは、自分に対しては犠牲の側面をつ


何かの見返りを求めて人に善行を尽くすことはよくあることだ。

だが、見返りを求めず人に善行を尽くすことは、思ったよりも難しい。


無意識のうちに、見返りを期待するものだ。


我さえよければそれでよいは、いくら表面は善人ぶっていても最低の行為だ。


他人を愛するには、まず自分を好きになることだ、とよく言われる。

自分を愛せない者は他人を愛せない?


それは詭弁だ。

我れよしは、自己愛の最たるものなのだ。

それは自己中を増やすのみ。




「捨身飼虎」という言葉がある。

お釈迦さまの前世の王子が

飢えた虎の親子をかわいそうに思って自分の体を食べさせたという話だ。


大いなる菩薩心を発して他人を利益しようとするなら、

衆生のために身命を捨
てることなど難しいことではない、と説く。



矛盾するが、

幸せになろうと思って他人に善行を施しても、なかなかそうはならない。

それは、その時点で見返りを求めているからだ。


無意識のうちに、盾になって銃弾からわが子を守る親心のような

無心な捨て身の心が必要なのだ。


それが、他人に対してもできるか。


食べ物や金品を与えるという物質的なことだけではない。

優しい言葉をかける。

一緒に寄り添う。

話を聞く。

共に涙を流す。


出来そうでなかなかできないことだ。


だが、それを成し得た時、

自ずと幸せが舞い込んでくる。


そして、その幸せさえもシェアできれば、

幸せの連続性が起きてくる。


その時、人生が好転する。



イエスキリストは

「求めよ、さらば与えられん」と言った。


仏教の教えには、

「与えよ、さらば自ずと与えられん」、とある。



人に無心することはあっても、無心の心になることは難しい。



【追記】

ボクの好きな言葉


禅の言葉に

『好事不如無 』〈碧巌録〉というものがある。

 好事 (こうじ) 無きに如 (しか) ず、と読む。


好悪の分別を捨て、

好事は好事に任せ、又否定もせず、求めもせず捨てることも無く

あるがままに受け止める無為自然、無心の境地を尊んだ言葉だ。


好事とは文字通り好き事、善い事、目出度いことの意味であり誰もが望むことである。

良い事は無いよりあった方が好ましいと思うのが普通の人の感覚だ。


しかし、好事があればその好事に執着し、もっともっとの求める心もおきやすい。

逆に悪しき事や凶事があれば、悪しきを嫌い、心を曇らし沈んでしまうこともある。


煩悩は、

好悪、吉凶の分別をなして好を取り、

悪を捨てる等による「取捨憎愛」の心から生ずる。


もちろん、好事を否定し排斥するものではない。


悪しきこともまた同じで、

好悪の分別を捨て、好事も悪しき事もあるがままに受け止めていく

その「無心の境地」より生れる判断こそ尊いのだ。


では「無心の境地」はどうすれば生まれるか。


簡単な方法がある。

それは、


座って瞑想するだけ。

つまり、

『座禅』


続きはまた別の機会に。
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