英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

論点のすり替え 【宮迫・田村亮 謝罪会見】

2019-07-22 19:18:16 | 芸能
 参議院選挙の結果は、私にとっては最悪ではなかったが、訳の分からない政党が1議席を獲得したおかげで、気分は最悪である。
 彼(党首)の政見放送を聞いたが、胸がムカムカしてしまった(自分勝手な論理で業務妨害や名誉棄損になるような言葉を並べ立てていた)。
 そんな彼が国会議員になり、多額の税金が浪費されると思う無念で仕方がない。彼の主張を認め、票を投じた国民が多数いたことに、落胆してしまった。

 さて、そんな暗い気持ちでテレビを付けたら、選挙結果ではなく「宮迫・田村亮 謝罪会見」についてのレポートや論議がなされていた。たまたまチャンネルが日本テレビで、同時刻、選挙について論じていた局の方が多かったようだ(一応、他局を一通りチェックはしたが、詳細にチェックする気力はなかったので、放送に費やした2つの話題の割合は把握していません)。
 私自身、吉本興業の芸人さんたちの闇営業(“裏営業”の方が妥当な表現だと思う)と反社会的集団からのギャラの受け取り問題については、ほとんど興味はなかったが、一応、テレビをつけていると情報が入ってきてしまう。
 土曜日の会見も30分ほどに集約されたものをワイドショーで観てしまった。

 2時間半の記者会見の全容を見ていないので、間違った解釈をしているかもしれないが……ご容赦ください。
 中途半端な情報で曖昧な記事を書くのは良くないというお叱りは甘受します。しかし、今朝のワイドショーが、土曜日の会見で感じた≪論点のすり替え≫にうまく乗せられてしまっていたので、つい記事を書き始めてしまいました。現在午後5時半、今日の午後に吉本興業の社長の記者会見が行われ、宮迫・田村亮の処分撤回と、これまでの経緯と反省の言葉が述べられたようだが、詳しく把握していませんし、本記事ではそれについては語りませんので、それもご容赦ください。


(土曜日の会見について論理立てて述べる気力がないので、疑問点を箇条書きにします)
①宮迫氏は百万円をどのような経緯で受け取ったのかが曖昧
 5年前のことなのである程度記憶があいまいなのは仕方がないが、百万円もの大金なので、もう少し具体的な説明があっても良い。
 “お車代”とか“忘年会の費用にあてた”とかで曖昧に済まそうとしている。
 私が知りたかったのは、
「受け取った記憶があるのか?」
「受け取った記憶がなくても、受け取った事実を示す証拠や証言があるのか?」(“宮迫氏が忘年会費用を払って、そのお釣りを受け取った”という田村亮氏から指摘を受けたらしい)
「百万円という金額について、大金だとは思わなかったのか?」(闇営業で日常茶飯事状態だった?)
「出演したイベントの雰囲気はどうだったのか?反社会的集団だとは思わなかったか?」(土曜の会見で言及があったかもしれません)
「問題が発覚した時、“知らぬふり”でやり過ごそうという(積極的)意思があったのか?」



②「引退してでも“謝罪会見”を行いたい」という会社への要望したが、その気持ちは嘘なのか?
 会社側との話し合いやその後のやり取りで、宮迫氏は≪引退はせずに謝罪会見を開かせてもらえる≫という感触を得たようだが、両者の意向の行き違いがあった。
 その経緯を説明する中で、徐々に会社側のパワハラ告発会見の様相になっていった



 確かに、今回の件に対する吉本興業の対応は拙く、また、宮迫・田村亮らとの話し合いの中で、パワハラ(パワハラまがい)があったかもしれない。
 しかし、パワハラまがいのことは世の中に氾濫している(ないに越したことはない)。
 実際、自殺まで追いやられてしまう例も多く、パワハラ撲滅の思想は支持したい。しかし、パワハラではないのに“パワハラだ”と訴える若い人も多いようだ。新人歓迎会に誘うと「それは強制ですか?」と問われたり、業務中の普通の指示やアドバイスでも“パワハラ”と思われてしまうことが多いというボヤキもよく聞く。

 何が言いたいかというと……
 例えば激安商品があったとして、その激安価格に至るには、社員の努力や仕入れ先への強力な協力要請があるはずだ。しかし、通常、そんなことを想像して商品を購入しないし、そんな内情も知りたいという人は少ないであろう。

 芸能界(ワイドショー関係者)にとっては、吉元興業の社長と芸人のパワハラ問題に関心が高いのかもしれないが、私は①の疑問の周辺が知りたい。ついでに、②引退してでも謝罪会見の覚悟の真偽も訊きたい。

(午後6時を過ぎても吉本興業社長の記者会見は続いているようです)

 この件に関して、私のリサーチ不足です。その状態のまま記事アップしてしまったことをご容赦ください。(まあ、どの記事でもそうかもしれませんね)
 

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『又吉直樹のヘウレーカ!』 「僕等はなぜ“絵”を描くのか?」 (~チンパンジーは絵を描くか?~)

2019-03-14 21:01:54 | 芸能
番組の最初から観ていたわけではなく、録画したドラマを見終えて、再生を停止した時に偶然放送されていたのがこの番組(こういうパターンで、この『ヘウレーカ』を視聴しています)。

実は、このレビュー記事を書いている動機は、もちろん、内容が面白かったからなのですが、再放送が今夜日付が変わった午前0:30(NHK Eテレ)からあるので、視聴をお薦めしたいからなのです。特に、絵を描く趣味がある人にお薦めです。

内容を書いてしまうと、番組の面白さが減少してしまうので、多くを語りませんが……
≪“想像する”能力は人間特有のモノ≫
≪絵を描くには、“あるモノ”が大きく関わっている≫
≪“あるモノ”は表現の上で大いに役に立つが、それによって損なわれるモノもある≫

といった内容です。

もしかしたら、絵を描いている方は、≪そんなことは充分承知している≫かもしれません。
 
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メダリスト オン アイス ~非常に残念なフジテレビの演出~

2017-12-27 21:08:51 | 芸能
胸が締め付けられるような熾烈な競い合いの“全日本フィギュア”だったが、そのエキシビションの“メダリスト オン アイス”でのフジテレビの演出は、その感動をぶち壊すようなものだった。

 “メダリスト オン アイス”の直後の『民衆の敵』の出演者の篠原涼子さん、田中圭さん、鳥越壮真くんらをゲストに呼び、何度も番宣をさせていた。ラストもドラマへのカウントダウンで終わり、エキシビションの余韻も何もないという終わり方だった。
 それに、本田望結さんに会場進行などを担わせたのも、≪なんだかなぁ~≫という感じだった。
 本田真凜選手の妹さんで、タレント(女優)で、自身もフィギュアスケーターで、うってつけの人選と考えたのかもしれないが、五輪出場の夢破れた姉の真凜さんのことを思うと、望結さんもつらいだろうし、選手たちも真凜選手のことが頭に浮かんでしまう。
 また、進行の一部を担わせるのは、まだ“荷が重い”ように感じた。

 その他いろいろ余分な演出があり、実際に演技したらしい三原舞依選手の演技は紹介されなかった(他に同様な扱いを受けた選手がいたかは不明)。録画したのをつい先ほど観終えたが、非常に残念な思いでいっぱいだ。BSフジでもオンエアされたようだが、同じ内容だったのだろうか?もし、BSの方はオーソドックスな演出構成だったとしたら、(地上波を録画したのは)大失敗だったなあ……
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『プレバト!!』、夏井いつき先生に物申す!

2017-11-19 15:08:53 | 芸能
(9月7日に放送されていたらしいです。今更と思われるかもしれませんが、田舎なの今頃放映されます)

 息子が観ているのでたまに観るが、楽しく見ている息子の脇で、なんやかんやと“いちゃもん”をつけまくっている。
 そのいちゃもんをつけることが多いのが、俳句の夏井いつき先生に対して。

 芸能人が読んだ俳句を遠慮なく一刀両断に切る様は、痛快なのかもしれないが、夏井先生の感性だけでそこまで断言、評定していいのだろうか?
 今までも、番組を観るたび、ブログに書こうとしたが、私は素人なので、まったく的外れなことを思っている可能性も大きい。なので、沈黙していた(根性なし)。
 もちろん、≪なるほど!≫と感心することも多い。

 今回、目にしたのは、ベテラン女優の松原智恵子さんの句。

「落日に 人生の秋 重ねみる」
 ……夕日と人生の後期にいる自分とを重ねて観てしまうが、この綺麗に輝く夕日のように自分も輝いて終わりたい……という心情を詠んだ句である。

夏井先生の評定
・夕日を見ることで自分の人生を顧みるのは凡人的発想。
・「人生の秋」と表現すると、「秋」は人生の後半という比喩としての使われ方なので、季語の鮮度は落ちる。


①この季語の鮮度低下を修正するには、語順を変える。「秋」と「人生」を離せば、「秋」は純然たる季語になる
②俳句を詠むこと自体、「重ねみる」行為なので、その当然のことに5文字を使ってしまうのは勿体ない

 「季語としての鮮度」のこと、さらに①②の改良点や指摘は、なるほどと思った。
 しかし

【添削の結果】
「秋の落日に 静かな 余生いま」
 これだと……沈みゆく夕日に静かな(何の起伏もない)残りの人生が重なって観えてしまう……

これは酷い!
まったく別の句になってしまっている!


1.松原さんは「落日」と表現してはいたが、彼女の説明では「綺麗な夕日」を観て詠んだと言っていたのに、「落日」の終焉のイメージを強調
2.「綺麗に輝いて終わりたい」と願いを込めたのに、「静かな余生」に差し替え


 自分を謙遜して「余生」と表現することは多いが、人に対して「余生」と言うのは「あなたは年寄りです」と言っているに等しい!さらに「静かな」を加えているので、「静かに暮らしなさい」と。
 季節や自然美や感情を表現する技能はあっても、人を思いやる気持ちが乏しいようだ。



 あと、いつも気になるのは
五・七・五の「韻律」の無視が多いこと。
確かに、韻律に拘り過ぎるのは良くないし、韻律に囚われず表現を重視する考え方もあるが、あまりにも無視が多い。
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新・情報7daysニュースキャスター(TBS)での あやふやな解説

2017-07-09 09:16:59 | 芸能
 昨夜(7月8日)の『新・情報7daysニュースキャスター』(TBS)をたまたま見ていたら、将棋が語源の一般用語について、北野たけし氏が解説をしていた。
◆「必死」……将棋用語としては「必至」が正しいとされている
 まず、「詰めろ」を次に玉を詰ます手であると説明した後、「必死」はどう対策を取っても詰みが逃れられない、「必ずそうなってしまう」状態と説明していた。
 「ひっし」の説明としては、ほぼ的確であったが、「必死」ではなく「必至」が正しいはず。
 子どもの頃に読んだ将棋の入門書には「“必至”(“必死”とも書く)」と記述されていた。

 で、この記事を書くに当たって、国語辞典(旺文社)を引いてみた。
「必至」……必ずそうなり、避けることのできないこと。必然。
 思っていた通りの意味だが、「将棋用語」という記述はなかった。
 そこで、念のため「必死」を引いてみた。
「必死」……
①必ず死ぬこと。
②死を覚悟して行うこと。死にものぐるい。決死。「――の努力をする」
③将棋で、次の手で必ず詰めになるような形。「――をかける」

 え~!こっち?(辞典が“1985年重版”となっていて、現状には則していないことも生じてきているのだろう……きっと)

◆「結局」
 将棋の終局が語源という主旨の説明をしていたが、その際、「将棋を打ち終える」という表現をしていた。
 しかし、正しくは「将棋を指し終える」である。

 ちなみに、辞典では
1.[名詞]終わり。最後。
2.(副詞)つまり。終わりに。
【語源】囲碁を打ち終えることから出た語

となっている。

 北野氏は用意されていた説明ボードを見ながら解説しており、あやふやな説明が北野氏に起因したものなのか、説明ボードを用意したスタッフが原因なのかは不明。
 この件について、TBSに問い合わせのメールを送ったが、おそらく返事はないであろう。


 
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歴史ヒストリアの放送変更について

2017-07-07 20:19:34 | 芸能
 今夜(7月7日)の『歴史ヒストリア』が急遽、ウィンブルドンテニス錦織選手の試合に変更になりました。
 「世間の要望に、臨機応変に応じる」という姿勢は良いことだと思います。しかし、それが度を過ぎるのは考え物です。度を超えたとしても、その際の心配りを充分にしてくれれば、問題を感じないのですが……
 以下の内容を、メールで送りました。NHKのメールフォームにも問題があります。勢いに任せて送ってしまうと、こちらに原文が残らないし、制限字数が400というのも少なすぎます。

  ==========================================
 7月7日の歴史ヒストリアが、突然と言っていいほど、急にウィンブルドンテニス錦織選手の試合に切り替わりました。世間の要求に臨機応変に応えるのは、非常に良いことだと思います。私もスポーツ観戦好きなので、どちらかというと歓迎です。
 しかし、今回の場合は、ほぼ、前触れもない変更(ネットやレコーダー(録画機)の番組表では察知は可能)で、テニスファンにとっては「テニス中継を知らずに見過ごしてしまった」。歴史ファンにとっては「楽しみに帰宅してテレビを点けたらテニスをしていた」となってしまいます。
 しかも、「ヒストリアは中止となりました」と1回テロップが出ただけ。さらに、今日予定の回の放映日は未定。
 誠意や責任を感じない今回の変更でした。
  ==========================================

・歴史ヒストリア放送中止(延期)のテロップは少なくとも3回出すべき
・その際、謝罪の言葉を入れるべき
・中継の契約金を渋ったため、衛星放送枠では放映権(中継権)をWOWOWに独占されてしまった。なのに、地上波でこういう通常放送に支障をきたすことを、平気で行うのは如何なものか
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落花生で豆まき?  『月曜から夜ふかし』情報への疑問

2015-02-03 19:41:22 | 芸能
今日、2月3日は節分
明日は立春で、暦の上では明日から春ですが、まだまだ寒い日が続きそうです。でも、日は長くなりましたね。一番日の入りが早い12月初旬と比べると、40分ほど日が沈むのが遅くなっています。


 もともと、「季節の変わり目(立春、立夏、立秋、立冬)の前日」のことを『節分』と呼んだのですが、春を季節の先頭にして「春夏秋冬」と言うように、もっとも重要視し、特化したと考えられています。
 で、豆まきなのですが、「季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うための悪霊ばらい行事が執り行われた」(ウィキペディアより)そうで、そういう行事のひとつとして、豆まきが一般化したようです。

 『月曜から夜ふかし』は2日の23:59~3日の0:54で、番組開始1分後には2月3日の節分に突入しました。まあ、2、3日ずれてもネタには取り上げるとは思いますが、タイムリーな話題と言うことで、「豆まき」が取り上げられていました。
 その中で、『関東以北や九州地区では、「豆まき」に落花生をまく』という情報がありました。
 番組中では、確か北陸地方も落花生をまく地域と言われていましたが、画面の地図では該当していたのは新潟県だけです。まず、この段階から、情報に“胡散臭さ”を感じました。

 ちなみに、北陸地方と言うと、福井、石川、富山、新潟(敢えて福井県から並べます)の4県を指しますが、福井、石川、富山の3県のみを指す場合も多いです。
 高校スポーツの地区割りでは、福井、石川、富山、新潟、長野でひとくくりにされることが多いようです。この場合は「北信越」という呼称になります。「信越」という語句は長野、新潟を指すので、そのことを考慮すると、北陸は福井、石川、富山の3県のような気がします。あっ、今年3月に金沢までしか開業しない北陸新幹線の観点からいうと、福井は北陸ではないみたいです。
 気象では、北陸は新潟を含めた4県を指します。気候が南北の差で大きく違ってくるので、一番北に位置し、それも南北に非常に長い新潟県を含めて考えるのは非常に不合理です。
 たとえば、梅雨明け宣言などは、新潟県が梅雨明けしないと、北陸地方は梅雨明け宣言がされません。また、大雪情報も、新潟県のみ大雪でも、福井県まで大雪なのかと勘違いされます(逆の場合もあります)。


 さて、番組のデータですが、まず驚いたのが「約3割の人が、豆まきをする」ことです。なかなか、マメと言うか、律儀と言うか、まじめな人が多いですね。
 で、さらに注目すべきなのが、先述した『関東以北や九州地区では、「豆まき」に落花生をまく』ということ。
 確かに、殻付きのままで落花生をまけば、豆本体は汚れないし、隙間に入り込んだりする大豆と比べて、拾い集めるのも楽です。
 しかし、豆まき本来の由来を考えると、落花生で果たして意味があるのか疑問が生じます(「大豆をまいても同じよ!」とマツコは突っ込んでいましたが)。

★豆まきに関する由来
・大豆は五穀のひとつで穀霊が宿ると云われている
・大豆は炒ったモノでなければならない
  鬼(厄)を払った豆が、芽を出すのは縁起が悪い
  「炒る」=「(鬼を)射る」に通じ、「豆を炒る」=「魔目を射る」。
・豆まきは夜に行う
  闇に巣食う鬼(厄、魔)を払うという意味から、夜に行ってこそ意味がある
・最初に「鬼は外」ばかり行い、鬼を追い出した後、「福は内」を行う。 


 せっかく豆まきをするのなら、しきたりは守った方が良いと思いますが、私が問題だと感じたのは、そんなことではなく、「落花生で豆まきをする」という検証です。
 現地(北海道など)で聞き取り調査をしていたのですが、その答え方が≪豆まきは落花生でするのが当たり前≫と言うような感じでした。
 あの、全国分布データは、「豆まきに落花生を使うところもある」とか「どちらかと言うと落花生を使用する方が一般的」というものではないのでしょうか?
 子どもが「豆まきは落花生でするもの」と思い込んでいるのならともかく、北海道では、社会人が「え?豆まきを大豆でするの?」と皆が答えるのは、インタビューの意図的取捨作業があるように思えてならないのです。
 当地で豆まきを落花生でしていたとしても、一般知識として「大豆で豆をまく」という図が定着しているのではないでしょうか?それとも、これこそ私の思い込みなのでしょうか?



 よろしければ、関東地方、北陸地方(福井、石川、富山を除く)、東北地方、北海道、九州の方、私の疑問に答えてください。


【追記】
 既に、koumamaさん、ssayさんからコメントをいただいていますが(ありがとうございます)、
『みんなとみなとのNHKちばブログ』
『秒刊SUNDAY』
『DIAMOND online』
 などで詳しく述べられていました。
 落花生の南限は、関東北部~新潟南部県境ラインらしいですね。
 千葉県は大豆圏ですが、県特産の落花生拡販のための動きはあるようです。

 でも、私としては、みなさんの生の声をお聞きしたいです。よろしくお願いします。
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心に沁み入った曲(思春期編) その3

2014-05-05 16:31:11 | 芸能
「心に沁みこんだ曲(思春期編)」「心に沁みこんだ曲(思春期編)その2」の続きです。

想い出の樹の下で(岩崎宏美)1977年1月
「二重唱(デュエット)」「ロマンス」「ファンタジー」「未来」「ドリーム」「想い出の樹の下で」「熱帯魚」「思秋期」「あざやかな場面」「シンデレラ・ハネムーン」「さよならの挽歌」「春おぼろ」「万華鏡」「スローな愛がいいわ」「女優」「銀河伝説/愛の生命」「摩天楼」「恋待草」「檸檬」「聖母たちのララバイ」「家路」「橋」「決心/夢狩人」「好きにならずにいられない」「手紙」「ただ・愛のためにだけ」

 と、いきなり曲を並べたが、相当なファンです。アイドル時代ではなく、ここ数年で2回コンサートに行っている。
 語りだしたら、「その10」まで行きそうなので、簡単に。
 『スター誕生』でアイドル乱造の流れから、歌唱力に疑問を感じるアイドルが多い中(『スター誕生』が歌唱力の乏しいアイドルを乱造したと言っているのではありません)、彼女の歌唱力は群を抜いていた。透明感があり伸びやかな高音は魅力抜群だった。
 「二重唱」「ロマンス」で惹きつけられ、4曲目の「ファンタジー」でファンになった。
 今回は“思春期”ということで、対象は「万華鏡」辺りまでですが、そこまでで好きな曲を選ぶとしたら、「ロマンス」「ファンタジー」「熱帯魚」「あざやかな場面」「シンデレラ・ハネムーン」の中からになるが、印象に残る曲という観点からだと「想い出の樹の下で」になる。
 この曲、出だしから目一杯に彼女の歌唱力をぶつけてくる。「わたし~は~忘れない、わ~たしは忘れない、晴れた日の想い出の樹~の下を~♪」と歌われて、私には“想い出の樹”の存在はないが、一気に“想い出の樹の下”に連れて行かれてしまった。
 とにかく、彼女のスケールの大きさを最も感じさせる曲である。
 横道にそれますが、彼女の曲の中で1、2を争う名曲「シンデレラ・ハネムーン」がコロッケのせいで、“お笑いソング”になってしまったことが、残念でならない。

渚のシンドバッド(ピンクレディー)1977年6月
 インパクトという点では、ピンクレディーが一番かもしれない。
 なんたって、デビュー曲の「ペッパー警部」の股開きの振り付けにギョッとした。“キワモノ”の印象が強いが、この曲、なかなかの名曲だと思う。
 2曲目の「S・O・S」、彼女らを一発屋で終わらせなかった更なる名曲である。
 3曲目「カルメン'77」は独特な雰囲気の曲。イントロとエンディングの振り付けが秀逸。これを完璧にコピーして宴会で披露すればバカ受け間違いなし。
 で、4曲目の「渚のシンドバッド」が彼女らをスターダムにのし上げた。
 アバンチュールの夏の浜辺の雰囲気を徐々に盛り上げていくテンポの良さに「イチコロにダウン」であった。

 しかし、5曲目「ウォンテッド(指名手配)」の掴みかかるような振付が子供たちに受け、6曲目「UFO」でお茶の間にも認められ、ファン層が下がってしまったのが残念だ。

プレイバックPart2(山口百恵)1978年5月
 山口百恵は私の思春期においてと言うより、“日本の永遠のアイドル”と言うべき出だろう。
 心に残る曲も多いが、実は彼女の現役時代はそれほどのファンではなく、レコードを買ったことはなかった。ただ、コンサートに行ったことはある。それが、商店街と市の共催だったと思うが、場所が市の体育館、ゴザの上に座って彼女の曲を聴いた……時代を感じるなあ。(デビュー仕立てではなく「白い約束」を聴いた記憶がある)
 思春期においてはファンと言うほどではなかったが、それでも、好きな曲は多い。どれにしようか迷ったが、「プレイバックPart2」を挙げたい。
 この曲、4拍ほどの静止・無音が非常にインパクトがあるが、何よりイントロが綺麗で、出だしの歌詞の「緑の中を走り抜けていく」情景が見事に表現されている。
 この曲で、山口百恵の“大人の女性”のイメージを押し出している。そのことも印象に残っている要因である。

 
虹とスニーカーの頃(チューリップ)1979年7月
 特にファンと言うわけではない(ごめんなさい)。
 「もつれた糸を引きちぎるように、突然ふたりは他人になった」と言うフレーズが……フレ~ズが………嗚呼……(涙)別れる前の恋人たちの甘酸っぱい情景と、大人の恋ができなかった男の悲しさが相まって切なさが倍加した。

 流れるようなメロディと財津和夫の声が良くマッチしていた曲です。
 一点、「わがままは男の罪、それを許さないのは女の罪」というのは同意できない。


遠くで汽笛を聞きながら(アリス)1976年9月
 ラストはこの曲。
 リリースは古いが、この曲の存在を知ったのはアルバム「栄光への脱出〜武道館ライブ」(1978年10月)で、シングルリリースとはタイムラグがある。
 コンサートでは「アリスのテーマソング」と紹介していた。

 「自分の言葉に嘘はつくまい。人を裏切るまい」
 私のテーマソングでもある。(嘘です)       【終】(一応)
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心に沁み入った曲(思春期編) その2

2014-05-03 15:54:16 | 芸能
「心に沁みこんだ曲(思春期編)」の続きです。

木綿のハンカチーフ(太田裕美)1975年12月
 太田裕美も名曲が多く、好きな曲(「赤いハイヒール」「最後の一葉」「しあわせ未満」「さらばシベリア鉄道」)が多いので迷った。
 特に「九月の雨」とこの曲とで、どちらにしようか最後まで迷ったが、思い出やエピソードで『木綿のハンカチーフ』に決めた。

 まず、この曲、曲調と内容のギャップがすごい。
 さわやかな明るいイントロから「恋人よ、ぼくは旅立つ♪~ 東へと向かう列車で♪~」と希望に満ちたフレーズ。
 その後も、軽快で甘い彼女の声で、二人のやり取りが語られていく。
 しかし、都会の色に染まって変わっていく恋人、そして、別れ。
 最後の歌詞も「涙拭く木綿の~ハンカチーフ ください~、ハンカチーフ ください♪~」
 と、最後まで明るく軽快、彼女の甘い歌声も変わらない。

 浅く聞くと「明るい歌」と勘違いしてしまいそうで、歌番組で女性アシスタントが曲紹介の時
「いい曲で、好きなんですよ~」
と明るく声をかけていましたが、≪絶対、歌詞読んでないよな≫と思った。

 この曲は、“大ヒット曲”の部類に入るが、ヒットチャートの2位でずっと留まっていた。
 ある“大ヒット曲”のせいだが、あえて書かないでおきます。


春一番(キャンディーズ)1976年3月
 南沙織と同様、特別なファンというわけではないが、やはり彼女と同様、好きな曲が多い。
 「哀愁のシンフォニー」「やさしい悪魔」(←衣装は嫌い)「アン・ドゥ・トロワ」「わな」などがそうだが、一番好きな歌は「夏が来た!」。
 「春一番」に続いて出した曲で、”二匹目のどじょう”という匂いがするタイトル(内容)だ。
 ウィキペディアによると「元々は歌詞にも出てくる“僕”が似合う女性歌手を想定して作られたが、急遽キャンディーズが歌う事になった」そうである。色々いわくがあったかもしれないが、初夏の躍動感とわくわく感がマッチしていて、さわやかな気分になる曲である。

 おっと、『春一番』について語らなねば。
 「年下の男の子」でメジャーになったが、『春一番』がキャンディーズをトップアイドルに仲間入りをさせたといってよいだろう。
 前述の「夏が来た!」ではないが、この曲も「春が来た」という躍動感と喜びがずんずん押し上げてくる曲だ。
 春が近くなると、自然と口ずさみたくなる曲である。

 ただ「雪が解けて……つくしの子がはずかしげに顔を出します」と来て、直後に「もうすぐ春ですねぇ♪」って、「まだ春が来てないのか」と突っ込みたくなるんですよ。


夏にご用心(桜田淳子)1976年5月
 「純情」「甘酸っぱい」「弾ける」……桜田淳子
 「純潔」「切ない」  「儚い」 ……山口百恵
 というイメージがあるが、この『夏にご用心』は彼女の「はつらつさ」を前面に押し出した曲で彼女の絶頂期でもあった。
 実は、私が初めて買ったレコードがこの曲。当時の歌謡曲は演奏時間が短いが、この曲は2分30秒ぐらいしかなく、すぐ終わってしまうなあと思った記憶がある。
 好きな曲は他に、「はじめての出来事」「ひとり歩き」「十七の夏」。


想い出ぼろぼろ(内藤やす子)1976年9月
 全く彼女のファンではないが、ラジオの深夜番組で一番心に残っているのはこの曲。
 試験勉強をしていると(単に起きていただけという説もある)、この曲の“やさぐれ感”がなぜかフィットした。
 サビの部分の彼女のしゃくり上げる歌いに、励まされるような気がした。


落葉が雪に(布施明)1976年10月
 サントリーのウイスキーのCMに使われた曲で、好評だったのでレコード化された曲。CMに使われたサビの部分しか収録されておらず、急遽レコーディングされたという記憶があります。
 ウィキペディアによると、
『井上順のために作ったもので、ある番組で井上が「あれ本当は僕が歌うはずだったの?」と聞くと、布施は「君が歌ってお蔵か廃盤になってた」と言った』とある。

 それはともかく、布施明は歌唱力があるので、単に歌詞だけの情景でなく、布施明が描く世界をも想起させてくれる。
 また、布施明にしか歌えない曲があることを実感させてくれる曲でもある。【続く】
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心に沁み入った曲(思春期編)

2014-05-02 21:28:04 | 芸能
 エスカルゴさんが、ジャンボ秀克氏の死を悼ぶ記事を書いたことにより、中部地区において“ローカルな番組”だと思われる北海道放送『HBCベスト100・マラソンランキング』という番組を、≪えっ、エスカルゴさん(英さん)も聴いていたの?≫と驚き、盛り上がりました。
 エスカルゴさんが、「懐かしのラジオ番組第二弾」を書いて、その中で想い出の曲ベスト20を選曲していました。「アーチスト一人につき一曲」という限定されていたので、それに倣いました。
 エスカルゴさんは「20曲に絞るのはとてもたいへんな作業ではある」と書いておられましたが、私は半分ちょっとしか思い浮かびませんでした。好きな曲や思い入れのある曲は多いのですが、アーチストに偏りがあるからなのでしょう。あと、思春期限定(若干、幅がありますが)。
 しかも、順位はつけられません。(ランク付けは好きなのですが)
 なので、リリース順に語りたいと思います。(曲中心の場合と、アーチスト中心の場合があります)

夏の感情(南沙織)1974年6月
 「17才」「潮風のメロディ」「早春の港」「傷つく世代」「色づく街」「ひとかけらの純情」「人恋しくて」など名曲が多い南沙織であるが、心に残る曲といえばこの曲である。
 当時、視聴のパターンは、テレビ、ラジオ、レコードやカセットテープ(CDではない)。コンサートという手段もあるが、田舎では難しい。
 南沙織の場合は、ほとんどテレビ。歌謡番組の一曲として上記の曲を聴いた。特にファンというわけでもなかった。ただ、大学時代に彼女のベスト盤(カセットテープ)が目に止まり、曲目を見てメロディが蘇り購入した。
 上述したように名曲が多いが、心に残る曲といえばこの『夏の感情』である。
 彼女の曲は乙女心を淑やかに哀愁漂うものが多いが、この曲は、恋の感情と夏の情景がぶつかりあうように押し寄せてくるのだ。この曲を聴いたときのインパクトが強く、聴いたときの部屋の景色が今でも覚えている。

冬の駅(小柳ルミ子)1974年10月
 抒情曲といえばいいのだろうか、「私の城下町」以来、女心と共に里(街)の風景が浮かび上がる彼女の曲。
 『冬の駅』も基本的にこの路線なのだが、これまでの曲は昔ながらの風景で曲のイメージも柔らかいものが多かったが(「恋の雪別れ」は例外)、この『冬の駅』は、現代風でシャープさを感じた。髪型もボブカット?にイメージチェンジ。
 初めて、心が揺れた“大人の女性の歌”である。

裏切りの街角(甲斐バンド)1975年6月
 ラジオで偶然聞き、独特な曲調が耳に付いた。特に、イントロがインパクトが強かった。
 甲斐バンドは特に好きなグループではないが、「感触(タッチ)」「安奈」「ビューティフルエネルギー」「漂泊者(アウトロー)」は好き。特に「安奈」は名曲だと思う。
 最大のヒット曲「HERO(ヒーローになる時、それは今)」は、あまり好きではない。サブタイトルの「ヒーローになる時、それは今」は、≪何だよ、これは?≫という感じだし、サビの部分もこのフレーズだが、この部分も好きではない。他の部分は非常に良いと思うが、この部分は許せない。(ごめんなさい、個人的嗜好ということで、お許しください)
 同じ傾向が「漂泊者(アウトロー)」にも言えて、出だしの「世界中から声がする~♪……」は滅茶苦茶好きだが、サビの部分「誰か俺に愛をくれ~よ~」でややガッカリ。
 実は『裏切りの街角』もサビの部分「しとしと五月雨ぇ~、わ~だ~か~ま~り~」という部分でかなりガッカリ。でも、イントロや曲調が私の嗜好にもろに合致した。何気なくラジオで一度聞いただけなのに忘れなかった曲。

なごり雪(イルカ)1975年11月
 この曲は、失恋した時に聴いたという点で忘れられない。もちろん、それがなくても名曲である。
 かなりロングヒット曲だった。3月か4月に初めてテレビで聴いたとき、いい曲だと思ったが、歌っているイルカが女性なのか男の子かわからず悩んだ。声や背格好は女性だとは思うが、男の子にも見えた。
 失恋したのが5月であったが、まだ流行っていたように思う。5月なので、いくら「なごり雪」でも福井では相当季節外れであるが、私の心の状態には一致した。
 もちろん、「駅のプラットホームで別れた」という経験はない。

                               …………やはり、続く(笑)
コメント (4)
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