英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

将棋雑感 11月23日

2009-11-23 20:13:01 | 将棋
 《何か引っかかるなあ》と思いつつ、流れてしまう今日此の頃です。
 そのまま忘れてしまった方がいいのかもしれませんが、すっきりしないので、書き留めておくのは、精神的にも、事柄の整理のためにもいいかもしれません。
 というわけで、理論的でなく、メモ書き程度で書き留めておくことにしました。
時系列もランダムになると思います。

★将棋の日(11月21日放送)
 女流棋士10秒将棋 矢内理絵子女王×村田智穂女流初段戦は、解説の阿部八段と山崎七段が乗り過ぎ。10秒というのは、他に気を取られると、あっという間に過ぎてしまいます。まったく関係のないことなら、まだいいのですが、指し手に関する余計な情報だと最悪です。ハッキリ言って、妨害に近かったです。
 もちろん二人に悪気はなく、最初、簡単に村田女流初段が敗勢になってしまったので、何とかしようという思いからだと思われます。大衆の面前で10秒将棋は、村田女流初段にとっては、荷が重かったのかもしれません。

 次の一手名人戦は羽生名人×久保棋王。面白い将棋でした。受け一方に追い込まれたように見えた羽生名人が、巧みに切り返し、派手な技の掛け合いを制して勝利。面白い一戦でした。次の一手名人戦においては、羽生名人は無敵のような気がします。
 地元の久保棋王としては、残念な一局でした。神吉六段の「空気を読まない羽生名人」という突っ込みは絶妙でした。

 番組の最後に表彰式があります。いつも「え?何の表彰?」と思ってしまいます。そう、「次の一手名人戦」(次の一手予想のチャンピオン)の表彰式なんですよね。熱戦なので、いつもその存在を忘れてしまいます。


★BS『囲碁将棋ジャーナル』の島井女流初段
 なんだか冴えませんね。インタビュアーとしても将棋の聞き手としても。
 言葉もはっきりしないし、手の聞き方、解説のとらえ方も、ポイントがずれているように思います。指し手も頭に入っていないし。
 以前担当していた時の方がよかったように思います。どこか上の空のような……何か心配ごとでもあるのでしょうか?

★竜王戦第3局、BS中継 室田女流初段
 振り飛車党ということもありますが、腰掛け銀については勉強不足のように思えました。また、手の見え方も良くなく、聞き手としては疑問符がつきそうです。せっかくの最高峰の将棋の中継、少し残念。(個人的には、室田女流初段は好きです)
 聞き手もそうですが、今期の竜王戦は、その解説陣が対局者についていけていない気がします。佐藤九段、郷田九段、深浦王位、久保棋王や、若手なら阿久津七段(形勢判断が的確)、宮田五段、豊島五段、でないと、難しいのかもしれません。

★ものぐささん(shogitygooさん)の復活
 最近、さびしかったんですよ。
 “「そろそろ復帰してよ」というコメントを書き込まねば”と思っているうちに、復活していました。
 復活祝福のコメントをする機も逸してしまい、ここで密かに書いておきます。
 戻ってきて、うれしいです。
コメント (6)
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『週刊将棋』 11月18日号

2009-11-23 17:42:19 | 将棋
 第1~3面は竜王戦第3局。(内田 晶氏)

 角換わり腰掛け銀の定跡形で、1日目で82手まで進むハイペース。先手の森内九段が意表の封じ手で、未知の局面に突入。終盤、渡辺竜王が△7九銀の鮮烈な寄せで3連勝。順位戦の対久保戦と合わせて、「渡辺竜王、強し!」を印象付けた。


 時々感じるのですが、『週刊将棋』の記事は勝負の流れの白黒を断定しすぎていると。
 小見出しは「森内 予定変更響き完敗」とあり、記事中には「森内の封じ手は予想された攻め合いではなく、取りになっている自陣の金を逃げる手だった。1手で飛車が捕獲されるので大胆極まりない決断だったが、その後に致命的な誤算があった。構想は崩れ去り予定変更で光明が射すことはなかった」という記述があります。
 記事を読む限りは、森内九段はいいところなく完敗という印象です。
 確かに、封じ手以降、渡辺竜王が優位に立ち、鮮烈な寄せで一気に決めたという将棋だったようです。
 しかし、それがわかったのは、局後の検討や決め手の△7九銀が放たれて、後手の優勢(勝勢)がはっきりしてからです。対局中は、ネット中継や衛星放送(午前中)の解説では、形勢判断はできていませんでした。それほど微妙な美差を、竜王が完璧な指し回しをして、完勝に結び付けたのです。
 裏を返せば、「森内 完敗」になりますが、何かスッキリ受け入れる気になりません。

 で、私が不満に感じるのは
「その後に致命的な誤算があった。構想は崩れ去り予定変更で光明が射すことはなかった」
 という部分です。「その後の致命的な誤算」については、同紙で谷川九段が



「▲6八金右(封じ手)△3九歩成に対し実戦の▲2四歩~▲3三銀不成は予定変更だったようです。△3九歩成に対して▲4二歩が森内九段の予定でした。△同飛なら▲3三銀成で寄りですが、△2二玉と上がられて攻めきれないと判断したのです(このあと、角を見捨ててどんどん玉が逃げ出して、後手が際どく残していると表現している)」
 「致命的な誤算」というのが上記の玉が逃げ出す変化だと思いますが、それが「構想が崩れ去る」ほどの「致命的」なものだったのでしょうか。
 予定変更した実戦の▲2四歩~▲3三銀不成と比べて、どちらがましだったのか(悪いながらも難しかったのか)?どうなのでしょう?
 実践は▲2四歩~▲3三銀不成の直後の竜王の△5五馬が予定変更の構想を覆す見事な指し手だったようです。「森内 完敗」の言葉で表現するのは、あまりに短絡的ではないのかと思ってしまいました。


 とにかく、『週刊将棋』は断定的な選評が多いような気がします。
 少し前では、竜王挑戦者決定トーナメントで羽生名人が森内名人に「完敗」を喫しています。
 確かに、ずっと森内ペースで進み、そのまま押し切った印象でしたが、終盤、かなり難しい変化もあり、一概にそう言えないと思い、「羽生 完敗」という表現に抵抗を感じました。(←結局、それかい!)
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