英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『フェイク 京都美術事件絵巻』 第5話「能面の告白」

2011-02-02 23:07:26 | ドラマ・映画
 主人公・浦沢右の事件解決における(大学講師・近代日本美術専攻としての)存在意義が薄いという指摘があります。正当な意見かもしれませんが、私はそれにこだわる必要はないと思っていますし、今回も、彼女の鋭い目利きと美術品に猛進してしまうサガが招いた災難(殺人の容疑者になったしまう)だったので、ОKなのではないかと思っています。
 それに「浦澤右、殺人容疑者になるの巻」で、拘束されたままヒントを出し、白石警部補(南野陽子)が奮闘して、真相を明かしていくのがテーマで、面白かったです。

 ただ、浦澤右が真犯人の亡くなった妻に瓜二つだったという設定は必要ないでしょう。遠目に見ただけで能面の違いに気づく審美眼を持った浦澤右が真犯人の妻とそっくりで、殺人現場付近に居合わせたというのは、偶然というより奇跡です。
 こんな設定は、ドラマを面白くさせるどころか、現実味を薄くし、安っぽくするだけです。そんな小手先の脚本より、もっと描くべきことがあったはずです。

 まあ、ドラマなのでということで、これには目を瞑るとして、あと、それとは別に、気になる点があります。
 真犯人は
①被害者(自分の妻を奪った相手)を許せず、殺す
②妻が流産してしまった子どもを弔うため、舞いたかった

 この2つの目的があったようです。

 まあ、両方が絡みあっての犯行だったというのが妥当だとは思いますが、愛する妻が宿した子とはいえ、不貞によってできた子ども(自分とは血が繋がっていない)のために、殺人を犯してまでも舞おうと思うものなのか?
 舞うのが目的なら、被害者を殺す必要はなく、監禁しておいて能面をつけて被害者に成り代わって舞えばよい。そもそも、違う能面を用意しなくても、能面を奪ってつければよいのではないか?
 また、殺すのが主なら、被害者を殺して舞うのを阻止するだけというのが自然だ。さらに、「浦澤右の鋭い目利きによって、能面が違うことに気づき、実は舞っていたのは犯人だった」というのを、この話のミソなら、「犯人が代わりに舞うことによって、犯行時刻をごまかす」というのなら、納得できるのだが……

 この点が、スッキリしません。
コメント
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