英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

女流名人位戦① ~“ゴキゲン中飛車はずし”返し~

2011-02-16 19:58:08 | 将棋
 決着がつく前に記事を書きあげようと思っていたのですが、もたもたしているうちに、里見女流名人が3連勝で防衛を果たしました。いずれの局も、清水女流六段にも勝味があり、惜敗と言っていい内容でした。それゆえ、却って、里見女流名人の強さを感じたシリーズでした。



 今回の女流名人位戦で、私が取り上げたい局面は二つ(第3局を含めると三つ)。奇しくも二つとも『週刊将棋』で取り上げられた局面だった。
 特に感じることが多かったのは、第二局の2手目▲6八玉(第1図)。

 この手は「ゴキゲン中飛車はずし」の手である。ところが、里見女流名人は構わず△5四歩(第2図)とゴキゲン中飛車を宣言。

 では、まず簡単に▲6八玉の意味を。
 この手に対し、ゴキゲン中飛車を目指すなら△5四歩と突く。この時、▲2二角成△同銀▲5三角と角交換から角を打ち込み馬を作ることが出来る。△4二角(A図)と角を合わせても

2六に成り返ることが出来る。
 これが3手目、通常の▲2六歩だと同じように進んだ時(B図)、

 2六に歩がいるので、成り返ることが出来ない。これが、ゴキゲン中飛車が後手番の戦法と言われる所以で、先手番で同じようにゴキゲン中飛車を目指すと、△8四歩と突いていない形なので、馬作りが成功してしまう。
 3手目▲6八玉(第1図)はゴキゲン中飛車を拒否した手なのである。
 ただ、この▲6八玉は形を決めてしまうという欠点があるので、△8四歩と居飛車で来られた時にはやや損になる一面もある。よって▲6八玉はゴキゲン中飛車の使い手の振り飛車党にだけ有効な手だと言える。

 この▲6八玉については、『将棋世界2月号』の「新・イメージと読みの将棋観」のテーマとして取り上げられている。
 各棋士の回答が、将棋観が垣間見られて面白かった。要約すると、
★渡辺竜王
 △8四歩と突かれたら先手の利はなくなるが、振り飛車党(居飛車を指さない)には積極的に採用すべき
★佐藤九段
 居飛車で来られると少し損(作戦の幅が狭くなる)なので、採用したことはない(指そうと思ったことは何度もある)
★森内九段
 居飛車で来られると少し損(▲6八玉が緩手になる恐れがある)なので、指さない
★谷川九段
 居飛車で来られると苦労するはず。実戦的には有効だが、相手を見ながら指し手を変えるというのはどうか?リスクのある手なので3手目に▲2六歩と突いてゴキゲン中飛車対策を考えた方がよい
★久保二冠
 本筋ではないが、対振り飛車党限定の一手として成立している。実際やられた経験はあるが怖い手ではない(△8四歩、△9四歩、△4四歩、△4二飛など多種の作戦を取り7勝2敗)
★広瀬王位
 先手が損なので先手番ではこの手は指さない。後手番ならありがたい(△8四歩と突く)

 この手の評価はともかく、ゴキゲン中飛車封じには有効とされていたが、何とそれを否定するかのように、里見女流名人は△5四歩(第2図)と指したのだ。

 実は、この『将棋世界』の取材の後(と思われる)、2010年12月16日、A級順位戦三浦-久保戦で三浦八段の▲6八玉に対して、久保二冠は△5四歩と突いている。
 △5四歩以下、▲2二角成△同銀▲5三角△3三角▲6六歩△同角▲7七桂△4二金▲2六角成△7四歩(参考図)と進んでいる。

 三浦八段の▲6六歩は歩を捨てることによって6七への金の進出を可能にして7七桂の桂頭攻めへの緩和を図った手だが、単に▲7七桂と受ける手も有力で、これにも後手は桂頭を攻め、先手は8六に角を成り返る展開になるらしい。
 ゴキゲン中飛車の使い手の里見女流名人はゴキゲン中飛車はずしの▲6八玉対策も研究しているはずで、当然、三浦-久保戦も知っていたと考えられる。8分の考慮での着手だった。
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『CONTROL ~犯罪心理捜査~』 第6話

2011-02-16 10:46:48 | ドラマ・映画
 今回は上っ面だけの浅さを感じました。

 テーマは「殺人被害者遺族の深い悲しみ、やるせなさ、憤り」でした。
 家族を理不尽な殺人や事故で失った悲しみは深く、年月を経てもポッカリ空いた穴は容易に埋まらないものだと思います。
 しかし、「悲しみは被害者でないと分からない」と言われてしまうとなかなか返す言葉がなく、「それを言っちゃあおしまいよ」と否定したくなります。まあ、それはともかく、そういった同胞意識と、埋めきれない心の穴、憤りによって、つき合いはあると言え、復讐を勧めたり、代わりに殺人を犯すというのはどうかと思います。
 まして犯人は人の命に関与する医師なのですから。子どもを失ってから20年、なかなか悲しみは癒えず、憤りは却って大きくなっていくものなのかもしれませんが、その悲しみにとらわれず生きる価値や命の重さを大切にする生き方をして欲しいと願うのですが……
 「殺してやりたい」と言った父親を止めなきゃならないでしょう。そそのかした上、凶器(ヒ素)を渡すなんて!

 さて、ドラマの浅さを感じる要素として
①里央(松下奈緒)の父親が引ったくり現場を目撃し、犯人を追いかけて逆に刺されて命を落としていたという設定が、今回、唐突に語られたこと。脚本が一話ごとに違うという欠点と言える。
②実は、最初の殺人、いかにも怪しい容疑者、証拠もそろっていた(ネットで犯行を語る、被害者に噛まれた跡のDNAが一致など)が、実は、噛まれて退散した容疑者の後に、真犯人が来て…というありがちなパターン化と思いましたが、全然違いました
 しかし、容疑者(犯人)が怪我したうえ、毒殺されてしまうという事態に陥ったとはいえ、裏付け捜査なく犯人を確定してしまいました。証拠はそろっていましたが、自供はしていないようだった、さらに、死亡して反論が出来ないのだから、事件をあのまま決着してしまうのは、実際問題としては怖いです。
③復讐の手段が毒殺というのは、どうなんでしょうか?悲しみ、憤りの末の復讐なら、毒任せ、しかも、死に至る瞬間を見ないというのは、納得いかないです。
④被害者が里央たちによって語られるだけで、彼女の生きていた当時の父娘のやり取りや、第2の殺人の犯人の医師とのやり取りの映像がないというのも、感情移入できない要因。

 里央の刑事観を語るエピソードの回として捉えればいいのでしょうか。
 主人公タイプとしては「ハンチョウ」とどうタイプだと思っていましたが、今回はその感が強くなりました。しかし、心情ドラマにしては、掘り下げ不足を感じてしまいました。
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