英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

女流名人位戦④ ~タイトル戦として考える~

2011-02-24 21:55:24 | 将棋
 過去3回(①“ゴキゲン中飛車はずし”返し②4手目の岐路③逡巡)と、くどいほど、3手目~5手目のゴキゲン中飛車はずし周辺を考えてきたが、タイトル戦での指し方として考えた場合、どうしても引っかかりを感じてしまう。

 もちろん、3手目、清水女流六段の▲6八玉自体は、後手に居飛車で来られるとやや損になるというリスクを覚悟の上の牽制で、卑怯と言うわけではない。また、5手目の▲2六歩も逡巡による作戦変更とも考えられるが、自重して通常の常道の手順に戻すのも、妥当な選択肢の一つである。
 しかし、タイトル戦、つまり、女流棋界の第一人者を争う舞台で、3手目に▲6八玉をを着手したからには、それ相応の研究と覚悟を持ってのことであるべきだと思う。
 それ相応の研究とは、過去にも書いたが、Ⅰ居飛車で来られた場合の指し方(先手がやや損)、Ⅱゴキゲン中飛車以外の振り飛車(後手が妥協)、Ⅲかまわずゴキゲン中飛車に対する研究をしなければならないが、タイトル戦で着手するからには、当然、それらを網羅した上で、指すべきだ。
 それ相応の覚悟とは、Ⅰの場合のリスク、Ⅲの場合の相手の研究上の乱戦で、特にⅢの場合は▲6八玉の“ゴキゲン中飛車はずし”を無視(否定)する指し手で、否定されたのに、「ああそうですか、では取りやめます」では、タイトル戦の舞台での指し手としては不満を感じる。第一人者を目指す指し手ではないのではないか。
 「ゴキゲン中飛車を止めてくれたら儲けもの。突っ張ってこられたら、普通に戻せばいい」では、気概は感じられない。
 この考えに対しては異論を持つ方も多いと思う。少しでも優位を求めるための牽制、そして、負けない為の冷静な判断とも言える。もちろん、それを否定するつもりもない。あくまで私の持論である。
 私が里見女流名人の立場だったら、「気合勝ち」「その程度の研究の▲6八玉だったのか」と思うし、もし縁台将棋で先手が仲間や後輩相手だったら、「へなちょこめ」とからかうところである。
コメント (4)
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