「2020年東京五輪の開催費用は3兆円を超す可能性がある」
(by 都の調査チームの検証・試算)
この件について、今朝のフジテレビの『とくダネ!』で取り上げ、五輪招致委員会の鈴木知幸氏が説明していた。
【当初の見積もりに比べ、桁違いに膨らんだ開催費用について、鈴木氏の主張】
①五輪誘致の際に計上した予算は、“建物の本体のみ”というように、できるだけ少なくなるように算出したもので、決して“杜撰な予算計上”ではなかった
五輪誘致が絶対的正義で、自分たちは誘致を成し遂げたかのように、全く悪びれる様子なく説明していた鈴木氏だが、計上した数字では当然収まらないことを承知していたことになる。
“計上した予算を超える莫大な費用はどうするか”は全く頭になく、“立案が通ってしまえばどうとでもなる”という無責任な体質は東京都政と全く同質である。
②通知段階での費用の試算は、細かく見通しを立てたものではなく、オリンピック委員会が求めた項目だけについて、暫定的に計上したものである
少し前に「杜撰ではない」と断言していたが、“どんぶり勘定”どころでは済まずに、たらいが必要なほどの杜撰さである。
鈴木氏の主張を言い換えると、オリンピック委員会の求める資料要綱についてはきちんと数字を出しているので、非はない。他の諸々の費用については訊かれていないので、敢えて言及しなかった(知らぬふりをした)。
(ここで所用ができ、この後はきちんと見ることができなかったので、次項の鈴木氏の主張は推測です)
③五輪開催は都市の整備事業と重複するので、すべての経費を五輪開催費用に繰り入れるのはおかしい
確かに、どこまでを五輪開催費用に入れるかで数字は大きく違ってくるが、五輪実施に必要な予算なら、きちんと計上し予算を確保する必要がある。
その上で、必須かどうかの仕分け、整備事業に組み込む事案かどうかの検証、代替施設や代替案などの経費節減を検討すべきである。しかも、なるべく早く。
それに、国税や都民の税金を投入するのなら、情報を公にしなければならないはず。
こういう無責任な体質が、国立競技場問題、エンブレム問題を引き起こしたのである。
(by 都の調査チームの検証・試算)
この件について、今朝のフジテレビの『とくダネ!』で取り上げ、五輪招致委員会の鈴木知幸氏が説明していた。
【当初の見積もりに比べ、桁違いに膨らんだ開催費用について、鈴木氏の主張】
①五輪誘致の際に計上した予算は、“建物の本体のみ”というように、できるだけ少なくなるように算出したもので、決して“杜撰な予算計上”ではなかった
五輪誘致が絶対的正義で、自分たちは誘致を成し遂げたかのように、全く悪びれる様子なく説明していた鈴木氏だが、計上した数字では当然収まらないことを承知していたことになる。
“計上した予算を超える莫大な費用はどうするか”は全く頭になく、“立案が通ってしまえばどうとでもなる”という無責任な体質は東京都政と全く同質である。
②通知段階での費用の試算は、細かく見通しを立てたものではなく、オリンピック委員会が求めた項目だけについて、暫定的に計上したものである
少し前に「杜撰ではない」と断言していたが、“どんぶり勘定”どころでは済まずに、たらいが必要なほどの杜撰さである。
鈴木氏の主張を言い換えると、オリンピック委員会の求める資料要綱についてはきちんと数字を出しているので、非はない。他の諸々の費用については訊かれていないので、敢えて言及しなかった(知らぬふりをした)。
(ここで所用ができ、この後はきちんと見ることができなかったので、次項の鈴木氏の主張は推測です)
③五輪開催は都市の整備事業と重複するので、すべての経費を五輪開催費用に繰り入れるのはおかしい
確かに、どこまでを五輪開催費用に入れるかで数字は大きく違ってくるが、五輪実施に必要な予算なら、きちんと計上し予算を確保する必要がある。
その上で、必須かどうかの仕分け、整備事業に組み込む事案かどうかの検証、代替施設や代替案などの経費節減を検討すべきである。しかも、なるべく早く。
それに、国税や都民の税金を投入するのなら、情報を公にしなければならないはず。
こういう無責任な体質が、国立競技場問題、エンブレム問題を引き起こしたのである。
本来知らせるべきことを知らせないのは嘘でなはいから有耶無耶にでいる。
企業献金や舛添の不正疑惑、五輪賄賂疑惑、猪瀬のあれとか、石原の新銀行やら豊洲やら様々な公共事業での官制談合やら、疑惑になってもし限りなく黒に近いグレーになったとしても、最後の一線で逃げ切れるような骨抜きの規制法をつくってある。
本当にそうですね。
自分が課せられた業務を果たしさえすれば、後はどうにでもなる(どうなっても、知ったことではない)。
そういう考えが、蔓延しています。