山手八番館の行列を後にして向かったのは、北野外国人倶楽部。
案内マップに従って移動するわけですが、先日も書きましたが、この地図、かなり大雑把。
地図そのものをご紹介できませんが、このサイトの地図が元になっているようです。あるいは、その逆で、渡されたマップが元なのかもしれません。
で、渡された地図はこんな感じです。
(実際の地図とは違います。旧パナマ館から旧中国領事館にかけて再現しました)
はっきり言って、両地図とも相当大雑把です。で、特に問題だと感じた部分を示すと、
オレンジ色で塗りつぶした部分が、その2でも書いた道幅2mの小路です。地図から受ける印象だと道幅7~8mはありそうです。しかも、風見鶏の館から道が続いているのですが、地図上では同じ道幅で続いています。オランダ坂も実際は狭いです。
そして、山手八番館から地図を見て北野外国人倶楽部へ行くとしたら、南(地図上では下)へ向かいますよね。書き加えた△印が入口(玄関)だと思いませんか。しかし、行ってみると、一般邸宅でそれらしき館はありません。
実は、1枚目の地図をご覧いただければ分かると思いますが、実際は北向き住宅で、山手八番館より北(上部)の道路に面していたのでした。
ぐるっと回ってみると……ありました。で、先に旧中国領事館に入ることになりました。
いろいろ中国風の調度品がありましたが、後になっていろいろ収集、配置されたようです。でも、趣があって、良かったです。
次は北野外国人倶楽部 。
なんだが、北野武(ビートたけし)氏に関係ありそうな名ですが、関係ありません(当たり前)。写真を撮ってないので、説明文でごまかします。
「ライオンハウス3号館」と呼ばれていた館で、この開港当時から居留者の社交場とされた、会員制の倶楽部。
ブルボン家の巨大な木彫りの暖炉、薪炭時代のキッチンは今も現役道具。古き良き時代の香り漂う異人館です。
北野外国人倶楽部を出て、再び山手八番館の前に出ましたが、行列の長さは変わっていなかったので、断念。
次はベンの家ですが、その途中にラインの館という館がありました。
「無料」という掲示に引き寄せられるように中に入ると、休憩室・展示室・お土産物コーナーがあり、興味深く拝見させていただきました。館や庭も非常に趣がありました。(すみません、写真はありません。詳しくは、こちらをどうぞ)
案内マップに従って移動するわけですが、先日も書きましたが、この地図、かなり大雑把。
地図そのものをご紹介できませんが、このサイトの地図が元になっているようです。あるいは、その逆で、渡されたマップが元なのかもしれません。
で、渡された地図はこんな感じです。
(実際の地図とは違います。旧パナマ館から旧中国領事館にかけて再現しました)
はっきり言って、両地図とも相当大雑把です。で、特に問題だと感じた部分を示すと、
オレンジ色で塗りつぶした部分が、その2でも書いた道幅2mの小路です。地図から受ける印象だと道幅7~8mはありそうです。しかも、風見鶏の館から道が続いているのですが、地図上では同じ道幅で続いています。オランダ坂も実際は狭いです。
そして、山手八番館から地図を見て北野外国人倶楽部へ行くとしたら、南(地図上では下)へ向かいますよね。書き加えた△印が入口(玄関)だと思いませんか。しかし、行ってみると、一般邸宅でそれらしき館はありません。
実は、1枚目の地図をご覧いただければ分かると思いますが、実際は北向き住宅で、山手八番館より北(上部)の道路に面していたのでした。
ぐるっと回ってみると……ありました。で、先に旧中国領事館に入ることになりました。
いろいろ中国風の調度品がありましたが、後になっていろいろ収集、配置されたようです。でも、趣があって、良かったです。
次は北野外国人倶楽部 。
なんだが、北野武(ビートたけし)氏に関係ありそうな名ですが、関係ありません(当たり前)。写真を撮ってないので、説明文でごまかします。
「ライオンハウス3号館」と呼ばれていた館で、この開港当時から居留者の社交場とされた、会員制の倶楽部。
ブルボン家の巨大な木彫りの暖炉、薪炭時代のキッチンは今も現役道具。古き良き時代の香り漂う異人館です。
北野外国人倶楽部を出て、再び山手八番館の前に出ましたが、行列の長さは変わっていなかったので、断念。
次はベンの家ですが、その途中にラインの館という館がありました。
「無料」という掲示に引き寄せられるように中に入ると、休憩室・展示室・お土産物コーナーがあり、興味深く拝見させていただきました。館や庭も非常に趣がありました。(すみません、写真はありません。詳しくは、こちらをどうぞ)
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