スポーツ中継の録画を停止した時、その時放送していたのがこのドラマ。第1話が10分ほど進んだあたりだっただろうか……
………主演の松坂桃李(役名・神崎真)が、松重豊に何やら頼まれていたり、渡辺いっけい(役名・石田課長)がおなじみの事なかれ主義の役どころだったり……くせのある大学理事の國村隼、岩松了、温水洋一、斉木しげるたちの掴みどころのない会議………高橋和也(役名・室田教授)が正論を吐くが誰も同調せず吐くだけ吐かせて終了する教授会。。。
で、主人公:神崎真(松坂桃李)が、いろいろ勃発する諸問題に翻弄されていくというようなドラマらしいぞ。
その神崎であるが、どうやら元アナウンサーで学生時代の恩師である総長・三芳修(松重豊)に頼まれて、大学の広報課の職員となったようだ。
しかし、この松崎、《自分の意見を言わず、周りの意見に合わせて、とにかく、反感を買わずにその場をやり過ごせばいい》という主義。《好感度最重要主義》と言ったところか……
詳しいストーリーは述べませんが、簡単感想を。(「まだ間にあう!第1〜3回ダイジェスト」が5月19日(水)午後11:40にあるそうです)
第1話、第2話は、ノーベル賞候補とも噂される生命科学のスター教授の岸谷教授(辰巳琢郎)が論文不正で告発される。
告発したのは、非正規の若手研究者の木嶋みのり(鈴木杏)で、ウイキペディアでは「大学時代の神崎と一時期交際していた」とあるが、彼女に関する神崎の記憶はあやふや。
みのりを懐柔する使命を受けた神崎だったが、例によって波風立てずに自分は嫌われないように立ち回ろうとする。そんな神崎に、研究者生命を捨ててまでの覚悟を持って告発したみのりは腹が立ち、辛らつな非難を神崎に浴びせる。
大学の隠ぺい体質を問題視し騒ぎ立てる大学新聞部、問題を拗れさせ面白がるだけの変人・澤田教授(池田成志)、大学理事会、そして、みのりたちに揉みくちゃにされる神崎であったが、結局、うやむやにされ、みのりは研究仲間が呼んでくれた九州の会社の研究室に転職して退場。
神崎は彼女の不退転の決意・行為に感化され、変わっていく……かも?
【面白かったが、不満・疑問点はある】
不退転の決意で告発したみのり。自分は嫌われずにやり過ごせばよいという神崎を非難し、辛らつな言葉を浴びせたが、不正論文の岸谷教授や隠ぺい体質の理事会を糾弾せず、メディアや調査委員会にも詳細を語らなかった。
そして、九州の研究室に転職して終了……
神崎は彼女に何らかの感化はされたようだが、彼女の行為は神崎を振り回しただけ。神崎が自分を心配し、思わず動いてくれたことに感謝はしたが、懐柔しようとした神崎をあれだけ非難したのなら、徹底的に戦わないとおかしい。せめて、神崎に迷惑をかけることになったことに対する彼女の思い(謝罪など)は語ってほしかった(再登場があるのか?)
神崎は、大学側の人間なので、この決着はよかったのかもしれないが、彼女の中途半端(のように思われる)な告発に振り回されたことに対する腹立ちは感じないのだろうか?好感度最重要主義の神崎には、そういう思考回路はないのかもしれない。
第3話は帝都大百周年記念イベントで、最終日のゲストとして、ネットジャーナリスト・浜田剛志(岡部たかし)招いていた。ところが、偶然、氏のポスターの前で韓国人アイドルが侮辱するポーズで撮影し、その画像をSNSにアップ。
これが、「日本を公然とディスっている」と曲解されSNSで拡散されたことで炎上してしまった。大学のイベント中止を訴えるなどの苦情の電話が殺到し、理事会の意向でイベントが中止される。
講演中止に浜田氏が激怒。神崎が女子学生に謝罪させて、直接の怒りは収まったが、外国特派員協会でイベントを中止した大学の三芳総長の説明会見を要求する。
神崎の対策
・日本語で説明し、通訳をつける。そうすれば、中身は半分で済む
・質問に対して「学生の安全を最重要視した」という言葉のみを繰り返させる。会見の中身がなければ(考えを語らなければ)槍玉にあげられる材料もなく、やり過ごせる。総長の好感度も下がらない。
総長の元教え子の質問(訴え)に、学者としての魂を思い出し、腹をくくり、講演を行うことを決意する。英語で信念を述べる総長は格好良かった。
【第1話、第2話より面白かったが、不満・疑問点はある】
広報課主催の会見対策委員会で、石田課長や沢田教授が激論していたのを見て、自分の意見を主張する彼らに心底感心していた神崎が面白い。
自分の言葉に中身のないことを自覚し、劣等感らしきものを抱いているようだが、今回は中身のないことに価値を見出し、活路を求めた。
中身のない会見で致命傷は避けられても、それは相手にされないだけ。軽視されるだけ。
神崎は、総長の好感度を守りたいというが、好感度以上に失うものが多いと思う
神崎の改心(「改心」より、もっと適切な言葉はないのかな?)
「先生の言葉なら意味がある。だから、先生の言いたいことを言って欲しい」と会見直前に伝えた
………主演の松坂桃李(役名・神崎真)が、松重豊に何やら頼まれていたり、渡辺いっけい(役名・石田課長)がおなじみの事なかれ主義の役どころだったり……くせのある大学理事の國村隼、岩松了、温水洋一、斉木しげるたちの掴みどころのない会議………高橋和也(役名・室田教授)が正論を吐くが誰も同調せず吐くだけ吐かせて終了する教授会。。。
で、主人公:神崎真(松坂桃李)が、いろいろ勃発する諸問題に翻弄されていくというようなドラマらしいぞ。
その神崎であるが、どうやら元アナウンサーで学生時代の恩師である総長・三芳修(松重豊)に頼まれて、大学の広報課の職員となったようだ。
しかし、この松崎、《自分の意見を言わず、周りの意見に合わせて、とにかく、反感を買わずにその場をやり過ごせばいい》という主義。《好感度最重要主義》と言ったところか……
詳しいストーリーは述べませんが、簡単感想を。(「まだ間にあう!第1〜3回ダイジェスト」が5月19日(水)午後11:40にあるそうです)
第1話、第2話は、ノーベル賞候補とも噂される生命科学のスター教授の岸谷教授(辰巳琢郎)が論文不正で告発される。
告発したのは、非正規の若手研究者の木嶋みのり(鈴木杏)で、ウイキペディアでは「大学時代の神崎と一時期交際していた」とあるが、彼女に関する神崎の記憶はあやふや。
みのりを懐柔する使命を受けた神崎だったが、例によって波風立てずに自分は嫌われないように立ち回ろうとする。そんな神崎に、研究者生命を捨ててまでの覚悟を持って告発したみのりは腹が立ち、辛らつな非難を神崎に浴びせる。
大学の隠ぺい体質を問題視し騒ぎ立てる大学新聞部、問題を拗れさせ面白がるだけの変人・澤田教授(池田成志)、大学理事会、そして、みのりたちに揉みくちゃにされる神崎であったが、結局、うやむやにされ、みのりは研究仲間が呼んでくれた九州の会社の研究室に転職して退場。
神崎は彼女の不退転の決意・行為に感化され、変わっていく……かも?
【面白かったが、不満・疑問点はある】
不退転の決意で告発したみのり。自分は嫌われずにやり過ごせばよいという神崎を非難し、辛らつな言葉を浴びせたが、不正論文の岸谷教授や隠ぺい体質の理事会を糾弾せず、メディアや調査委員会にも詳細を語らなかった。
そして、九州の研究室に転職して終了……
神崎は彼女に何らかの感化はされたようだが、彼女の行為は神崎を振り回しただけ。神崎が自分を心配し、思わず動いてくれたことに感謝はしたが、懐柔しようとした神崎をあれだけ非難したのなら、徹底的に戦わないとおかしい。せめて、神崎に迷惑をかけることになったことに対する彼女の思い(謝罪など)は語ってほしかった(再登場があるのか?)
神崎は、大学側の人間なので、この決着はよかったのかもしれないが、彼女の中途半端(のように思われる)な告発に振り回されたことに対する腹立ちは感じないのだろうか?好感度最重要主義の神崎には、そういう思考回路はないのかもしれない。
第3話は帝都大百周年記念イベントで、最終日のゲストとして、ネットジャーナリスト・浜田剛志(岡部たかし)招いていた。ところが、偶然、氏のポスターの前で韓国人アイドルが侮辱するポーズで撮影し、その画像をSNSにアップ。
これが、「日本を公然とディスっている」と曲解されSNSで拡散されたことで炎上してしまった。大学のイベント中止を訴えるなどの苦情の電話が殺到し、理事会の意向でイベントが中止される。
講演中止に浜田氏が激怒。神崎が女子学生に謝罪させて、直接の怒りは収まったが、外国特派員協会でイベントを中止した大学の三芳総長の説明会見を要求する。
神崎の対策
・日本語で説明し、通訳をつける。そうすれば、中身は半分で済む
・質問に対して「学生の安全を最重要視した」という言葉のみを繰り返させる。会見の中身がなければ(考えを語らなければ)槍玉にあげられる材料もなく、やり過ごせる。総長の好感度も下がらない。
総長の元教え子の質問(訴え)に、学者としての魂を思い出し、腹をくくり、講演を行うことを決意する。英語で信念を述べる総長は格好良かった。
【第1話、第2話より面白かったが、不満・疑問点はある】
広報課主催の会見対策委員会で、石田課長や沢田教授が激論していたのを見て、自分の意見を主張する彼らに心底感心していた神崎が面白い。
自分の言葉に中身のないことを自覚し、劣等感らしきものを抱いているようだが、今回は中身のないことに価値を見出し、活路を求めた。
中身のない会見で致命傷は避けられても、それは相手にされないだけ。軽視されるだけ。
神崎は、総長の好感度を守りたいというが、好感度以上に失うものが多いと思う
神崎の改心(「改心」より、もっと適切な言葉はないのかな?)
「先生の言葉なら意味がある。だから、先生の言いたいことを言って欲しい」と会見直前に伝えた
正義や正論を大上段で語るのではなく、誇張とユーモアと主人公の迷いで描いている。
残り2話だと思いますが、神崎が今後どういう人間になっていくのか、楽しみですよね。
>正義や正論を大上段で語るのではなく、誇張とユーモアと主人公の迷いで描いている。
ええ、この点が面白いです。
主人公は基本的に意見を持たない。持っても主張しない。その意味では、非常に客観的視点です。
まあ、いろいろ考えるようになって、迷い、悩んでいますが。
>神崎が今後どういう人間になっていくのか、楽しみですよね。
ええ、楽しみです。
大きくジャンプするのですが、着地してみると、上に跳んだだけで前には進んでいない。でも、少しだけ前進していて……《まあ、それでいいんじゃない》という展開が浮かんでしまいます。
「この主人公が中身が薄っぺらいんですよね、何か言ってるようで、何も言わないっていう。私には、そこが、小泉進次郎とカズさんを(と言いながら司会の渡辺和洋アナをしめして)足して2で割ったような、独特の味わいがあってですね」と褒めてるんだか貶してるんだかというのに、
渡辺アナが少し驚きながら、「え?」と言ってると、隣りにいる新美有加アナが笑いをこらえながら
「ちょっと援護いたしますと、主人公は好感度を気にして失言をしないようにいろいろ考えてはいるけれど、危機管理能力として言わないというような設定なので、何も考えてないという薄っぺらさとは、ちょっと違うんです」とフォロー
「梅田さん、どうですか?」と問われ、梅田恵子記者が
「いやぁ、ほんと面白い、スカスカなんですよね、この主人公が。(中身の無い)スカスカなことを言うことが危機管理だと思って一所懸命やってるタイプなんですよ。そういう舐めた価値観というのが、リアルな現実の事件が被さってきた時にガラガラと崩れていくてんてこ舞いというのが松坂桃李さんがほんとに面白いんですよ。最後、この主人公がどう変わっていくのか、全然変わらないのか、目が離せないです」と言ってました
番組が始まる前に、『土曜スタジオパーク』に松坂桃李が出演していて
「いやぁ、いろいろ難題にもまれるんですが、まるで成長しないヤツなんですよ」と言ってたので、期待はできないのかも
でも、そんな人物を、あんなにリアルに表現できてるなんて、上手い役者さんなんだなぁと思います
「完成度はすごく高いです。ただ、このドラマは物語もテーマも、マーケットを無視して作ってる作品なんですよね。NHKだから出来るものなんで、あんまり褒めたくはないんです」
「というのは、具体的に言うとどういう?」と渡辺アナが尋ねると
「やっぱり視聴率だったりとかスポンサーさんだったりとか配慮せずに、全て自分たちが作りたいものを作るというのに集結してる」
とか言ってました
吉田潮さんは存じ上げませんが、
「この主人公が中身が薄っぺらいんですよね、何か言ってるようで、何も言わないっていう」
的確な評だと思います。
その後の、「2で割ったような」の例えも、それが妥当かどうかは分かりませんが、面白いですね。
新美有加アナのフォローも的確ですね。第2話までと違って、第3話では主人公にそういう変化が見られます。
梅田恵子記者の
「(中身の無い)スカスカなことを言うことが危機管理だと思って一所懸命やってるタイプ。そういう舐めた価値観というのが、リアルな現実の事件が被さってきた時にガラガラと崩れていく」
も鋭いですね。
松坂桃李さんの主人公評も面白いです。
木村隆志「NHKだからできる」というのも、同意です。
総長室の額に書いてある書も、興味深いです
一番上に、ドーンと、老子の(道徳経)巻頭の文から
「名可名非常名」です
なんか、呪文ですか、みたいなパッと見です
名の名とす可(べ)きは、常の名に非(あら)ず
これが「名」だと呼べる様な名は、真実不変の名ではない
これだけじゃ、何のことですか?ですよね
前後を入れて
道の道とす可(べ)きは、常(つね)の道に非(あら)ず。
名の名とす可(べ)きは、常の名に非ず。
名無きは天地の始め、名有るは万物の母。
これでも、わかったようなわからないような、ですので、ご関心ありましたら、適当に検索してみてください
その額の下、両脇のお軸には、論語の子路、第十三
名不正則言不順
名正しからざれば則(すなわ)ち言(げん)順(したが)わず
もし名の秩序が正しくなければ、言葉の意味が混乱する
言不順則事不成
言順わざれば則ち事成らず
言葉の意味が混乱すれば、何事もできなくなってしまう
これの意図するところは、何でしょう?
いろいろ興味が尽きません
掛け軸や額にまで、関心を持つ……こういうのを教養というのでしょうね。以前も、掛け軸(額だったかも)の文言について述べられていましたよね)
私にはそれがないので、今回のレスは大苦戦です。
で、検索したところ、原文は
「道可道、非常道。名可名、非常名。無名天地之始、有名萬物之母。故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。此兩者同出而異名。同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。」
和訳が
「これが「道」だと言い表せる様な道は、偉大なる不朽の道ではない。これが「名」だと呼べる様な名は、真実不変の名ではない。天地が創られた時には名など存在せず、万物が生み出された後にそれらは名づけられたのだ。だから無欲な心をもってすれば、万物の深遠なる姿を見る事ができるだろう。欲望の虜のままでは、万物の上辺の姿しか見る事ができない。これら万物の二つの姿はそれぞれ名前は違えど、同じ一つの根源から生じている。その根源を「玄 – 深遠なる神秘」と私は名づけたが、その玄のさらに玄、神秘を生み出すさらなる神秘からこの世の全ては生み出されている」
『ちょんまげ英語日誌』さんの「老子 第一章 道の道とすべきは、常の道に非ず」の記事より
https://blog.mage8.com/roushi-01
よくわかりませんが、「名」に関しては、《物質や現象を名前を当てはめて考えて理解(解釈)しようとするが、本来、名前などは後からつけたもので、その名前にとらわれて物事をとらえたのでは、本質を見極めることなどできない》……というような感じなのでしょうか?
原文の後半部分や「名不正則言不順」や「言不順則事不成」については、「降参」ということで(笑)