(9月7日に放送されていたらしいです。今更と思われるかもしれませんが、田舎なの今頃放映されます)
息子が観ているのでたまに観るが、楽しく見ている息子の脇で、なんやかんやと“いちゃもん”をつけまくっている。
そのいちゃもんをつけることが多いのが、俳句の夏井いつき先生に対して。
芸能人が読んだ俳句を遠慮なく一刀両断に切る様は、痛快なのかもしれないが、夏井先生の感性だけでそこまで断言、評定していいのだろうか?
今までも、番組を観るたび、ブログに書こうとしたが、私は素人なので、まったく的外れなことを思っている可能性も大きい。なので、沈黙していた(根性なし)。
もちろん、≪なるほど!≫と感心することも多い。
今回、目にしたのは、ベテラン女優の松原智恵子さんの句。
「落日に 人生の秋 重ねみる」
……夕日と人生の後期にいる自分とを重ねて観てしまうが、この綺麗に輝く夕日のように自分も輝いて終わりたい……という心情を詠んだ句である。
夏井先生の評定
・夕日を見ることで自分の人生を顧みるのは凡人的発想。
・「人生の秋」と表現すると、「秋」は人生の後半という比喩としての使われ方なので、季語の鮮度は落ちる。
①この季語の鮮度低下を修正するには、語順を変える。「秋」と「人生」を離せば、「秋」は純然たる季語になる
②俳句を詠むこと自体、「重ねみる」行為なので、その当然のことに5文字を使ってしまうのは勿体ない
「季語としての鮮度」のこと、さらに①②の改良点や指摘は、なるほどと思った。
しかし…
【添削の結果】
「秋の落日に 静かな 余生いま」
これだと……沈みゆく夕日に静かな(何の起伏もない)残りの人生が重なって観えてしまう……
これは酷い!
まったく別の句になってしまっている!
1.松原さんは「落日」と表現してはいたが、彼女の説明では「綺麗な夕日」を観て詠んだと言っていたのに、「落日」の終焉のイメージを強調
2.「綺麗に輝いて終わりたい」と願いを込めたのに、「静かな余生」に差し替え
自分を謙遜して「余生」と表現することは多いが、人に対して「余生」と言うのは「あなたは年寄りです」と言っているに等しい!さらに「静かな」を加えているので、「静かに暮らしなさい」と。
季節や自然美や感情を表現する技能はあっても、人を思いやる気持ちが乏しいようだ。
あと、いつも気になるのは、
五・七・五の「韻律」の無視が多いこと。
確かに、韻律に拘り過ぎるのは良くないし、韻律に囚われず表現を重視する考え方もあるが、あまりにも無視が多い。
息子が観ているのでたまに観るが、楽しく見ている息子の脇で、なんやかんやと“いちゃもん”をつけまくっている。
そのいちゃもんをつけることが多いのが、俳句の夏井いつき先生に対して。
芸能人が読んだ俳句を遠慮なく一刀両断に切る様は、痛快なのかもしれないが、夏井先生の感性だけでそこまで断言、評定していいのだろうか?
今までも、番組を観るたび、ブログに書こうとしたが、私は素人なので、まったく的外れなことを思っている可能性も大きい。なので、沈黙していた(根性なし)。
もちろん、≪なるほど!≫と感心することも多い。
今回、目にしたのは、ベテラン女優の松原智恵子さんの句。
「落日に 人生の秋 重ねみる」
……夕日と人生の後期にいる自分とを重ねて観てしまうが、この綺麗に輝く夕日のように自分も輝いて終わりたい……という心情を詠んだ句である。
夏井先生の評定
・夕日を見ることで自分の人生を顧みるのは凡人的発想。
・「人生の秋」と表現すると、「秋」は人生の後半という比喩としての使われ方なので、季語の鮮度は落ちる。
①この季語の鮮度低下を修正するには、語順を変える。「秋」と「人生」を離せば、「秋」は純然たる季語になる
②俳句を詠むこと自体、「重ねみる」行為なので、その当然のことに5文字を使ってしまうのは勿体ない
「季語としての鮮度」のこと、さらに①②の改良点や指摘は、なるほどと思った。
しかし…
【添削の結果】
「秋の落日に 静かな 余生いま」
これだと……沈みゆく夕日に静かな(何の起伏もない)残りの人生が重なって観えてしまう……
これは酷い!
まったく別の句になってしまっている!
1.松原さんは「落日」と表現してはいたが、彼女の説明では「綺麗な夕日」を観て詠んだと言っていたのに、「落日」の終焉のイメージを強調
2.「綺麗に輝いて終わりたい」と願いを込めたのに、「静かな余生」に差し替え
自分を謙遜して「余生」と表現することは多いが、人に対して「余生」と言うのは「あなたは年寄りです」と言っているに等しい!さらに「静かな」を加えているので、「静かに暮らしなさい」と。
季節や自然美や感情を表現する技能はあっても、人を思いやる気持ちが乏しいようだ。
あと、いつも気になるのは、
五・七・五の「韻律」の無視が多いこと。
確かに、韻律に拘り過ぎるのは良くないし、韻律に囚われず表現を重視する考え方もあるが、あまりにも無視が多い。
このときの添削は
あれ?違うんじゃない?って感じでした
私は最初の直さないときの方が好きです
風情がありますよね
あまりにも人気が出てしまい
自分の感性も押し付け始めちゃったかな
俳句の専門家だからといわれたら仕方ないけどねえ
>このときの添削は
>あれ?違うんじゃない?って感じでした
私は、既に反感を持っているので、≪違うやろ≫と思うことの方が多いです。
それはさておき、この時の添削は、詠み手の心情を無視した添削でした。添削前後では、語句も主題(心情)も全く別のものとなっていました。
私も元詩の方が好きです。
>あまりにも人気が出てしまい
>自分の感性も押し付け始めちゃったかな
テレビ受けはともかく、俳人としての資質を疑いたくなるような無神経さです。