館山航空基地を後にして、館山市宮城に位置する「赤山地下壕跡」に来ました。
当地は、館山市を代表する戦争遺跡のひとつだそうです。
画像の建物内にある“豊津ホール”にて入壕の受付をします。
受付時に“ヘルメット”と“懐中電灯”が渡されます。
赤山地下壕跡の入り口
赤山地下壕は合計した長さが約1.6キロと、全国的に大きな壕とのこと。
昭和10年代のはじめに、密かに建設が始まったという証言があるそうですが、
赤山地下壕に関する資料が殆ど確認されていないため、作られた時期が明確
でないそうです。
昭和20年8月15日の終戦の日まで、壕の建設工事が続けられていたという
証言があり、未完成だったようです。
壕内には、発電所、事務室、病室があったという証言があるそうです。
未完成ながら壕の一部が、館山海軍航空隊の防空壕として使われていたようです。
東京湾の入口に位置する『館山』は、都心を守るための重要な場所でした。
そのため、他にも戦争遺跡が今なお数多く残っているそうです。
貴重な戦争遺跡を見せていただきました。 <(_ _)>
当地は、館山市を代表する戦争遺跡のひとつだそうです。
画像の建物内にある“豊津ホール”にて入壕の受付をします。
受付時に“ヘルメット”と“懐中電灯”が渡されます。
赤山地下壕跡の入り口
赤山地下壕は合計した長さが約1.6キロと、全国的に大きな壕とのこと。
昭和10年代のはじめに、密かに建設が始まったという証言があるそうですが、
赤山地下壕に関する資料が殆ど確認されていないため、作られた時期が明確
でないそうです。
昭和20年8月15日の終戦の日まで、壕の建設工事が続けられていたという
証言があり、未完成だったようです。
壕内には、発電所、事務室、病室があったという証言があるそうです。
未完成ながら壕の一部が、館山海軍航空隊の防空壕として使われていたようです。
東京湾の入口に位置する『館山』は、都心を守るための重要な場所でした。
そのため、他にも戦争遺跡が今なお数多く残っているそうです。
貴重な戦争遺跡を見せていただきました。 <(_ _)>
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