尼崎市東大物町1丁目に「大物くづれ戦跡」と記された石碑があります。
『大物(だいもつ)くづれ』とは、戦国時代初期の享禄4年6月4日(1531年7月17日)、摂津大物(現在:尼崎市大物町)で行われた合戦です。
赤松政祐、細川晴元、三好元長による連合軍が、細川高国、浦上村宗の連合軍を破った戦いとして、大物崩れの戦い・天王寺の戦い・天王寺崩れとも呼ばれています。
室町幕府における実権を握った細川氏も内部で対立がありました。
細川政元の養子高国と同じく養子の澄元・晴元父子が対立し、尼崎の地にて度々戦火を交えています。
享禄4年(1531年)、両者決戦では高国勢は総くずれになり、尼崎へ逃げ込む程の大敗となりました。
追撃は激しく高国は大物の広徳寺で自刃しました。
この戦いを「大物くづれの戦い」とよんで語り伝えられてきました。
偶然に遭遇した戦跡碑でしたが、尼崎での戦国歴史の一部を知ることができました。
ありがとうございました。
ヽ(o´д`o)ノ。o.゚。*ΤНДЙК'S*。゚o。ヽ(o´д`o)ノ
<おまけ>
「阪神電気鉄道 尼崎工場/尼崎車庫」
当地石碑から阪神本線を挟んで所在しています。
『大物(だいもつ)くづれ』とは、戦国時代初期の享禄4年6月4日(1531年7月17日)、摂津大物(現在:尼崎市大物町)で行われた合戦です。
赤松政祐、細川晴元、三好元長による連合軍が、細川高国、浦上村宗の連合軍を破った戦いとして、大物崩れの戦い・天王寺の戦い・天王寺崩れとも呼ばれています。
室町幕府における実権を握った細川氏も内部で対立がありました。
細川政元の養子高国と同じく養子の澄元・晴元父子が対立し、尼崎の地にて度々戦火を交えています。
享禄4年(1531年)、両者決戦では高国勢は総くずれになり、尼崎へ逃げ込む程の大敗となりました。
追撃は激しく高国は大物の広徳寺で自刃しました。
この戦いを「大物くづれの戦い」とよんで語り伝えられてきました。
偶然に遭遇した戦跡碑でしたが、尼崎での戦国歴史の一部を知ることができました。
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当地石碑から阪神本線を挟んで所在しています。
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