「陸奥記念館」は、山口県大島郡周防大島町に位置する町立博物館です。
旧海軍が保有していた戦艦「陸奥」に関する遺物や遺品などが展示されています。
昭和47年11月、旧東和町(現在:周防大島町)が事業主体として陸奥記念館が完成。
平成6年、現在の場所に移転しています。
館内は、遺品や艦の一部と遺族から寄せられた貴重な資料を展示しています。
戦艦「陸奥」艦首部(模型)
戦艦「陸奥」概略配置図
戦艦「陸奥」(模型)改装前(昭和初期頃)
戦艦「陸奥」(模型)大改装後
戦艦「陸奥」沈没状況の図
大正7年6月1日、横須賀海軍工廠にて起工
大正9年5月31日、進水
大正10年10月24日、就役
戦艦「陸奥」は、連合艦隊の旗艦、お召し艦として活躍します。
1番艦長門と共に日本の力の象徴として、戦前の国民に長く愛されます。
竣工当時は、世界に7隻しか存在しなかった40cm砲搭載戦艦として『世界七大戦艦』と呼ばれました。
昭和初期の遺品
戦前の学校の教科書に描かれたり、男子がイメージする軍艦といえば、当時の連合艦隊旗艦である「長門」や「陸奥」だったとの事。
「40cm主砲を斉射した光景」
主砲射程:4万メートル、弾道の高さ:5,520メートル
昭和18年6月8日、原因不明の爆発事故を起こし柱島沖で沈没。
戦後に浮揚作業が行われました。
戦艦「陸奥」の引き揚げ品
艦体約75%が浮揚され、艦橋部と艦首部等を除く艦の前部分等が海底に残っているとの事。
40糎砲火薬缶上部などの引き揚げ品
長官公室舷窓などの引き揚げ品
「体験コーナー」
戦艦「陸奥」の士官室を再現しています。
下士官兵のハンモック(寝具)を再現しています。
昭和18年6月8日、旧東和町(現在:周防大島町)の沖で爆沈しました。
爆沈原因は艦内の誤爆説等ありますが、現在でも不明との事。
記念館から沖合3キロの地点で爆沈しています。
戦艦「陸奥」(縮尺1/100)(実寸2.25m)
水上浮揚が可能で推進機を備えています。
戦艦「陸奥」と共に逝った乗組員の冥福を祈ります。
ありがとうございました。 <(_ _)>
この後は、同館の野外展示コーナーへ移動します。つづく・・・(^_^¥
旧海軍が保有していた戦艦「陸奥」に関する遺物や遺品などが展示されています。
昭和47年11月、旧東和町(現在:周防大島町)が事業主体として陸奥記念館が完成。
平成6年、現在の場所に移転しています。
館内は、遺品や艦の一部と遺族から寄せられた貴重な資料を展示しています。
戦艦「陸奥」艦首部(模型)
戦艦「陸奥」概略配置図
戦艦「陸奥」(模型)改装前(昭和初期頃)
戦艦「陸奥」(模型)大改装後
戦艦「陸奥」沈没状況の図
大正7年6月1日、横須賀海軍工廠にて起工
大正9年5月31日、進水
大正10年10月24日、就役
戦艦「陸奥」は、連合艦隊の旗艦、お召し艦として活躍します。
1番艦長門と共に日本の力の象徴として、戦前の国民に長く愛されます。
竣工当時は、世界に7隻しか存在しなかった40cm砲搭載戦艦として『世界七大戦艦』と呼ばれました。
昭和初期の遺品
戦前の学校の教科書に描かれたり、男子がイメージする軍艦といえば、当時の連合艦隊旗艦である「長門」や「陸奥」だったとの事。
「40cm主砲を斉射した光景」
主砲射程:4万メートル、弾道の高さ:5,520メートル
昭和18年6月8日、原因不明の爆発事故を起こし柱島沖で沈没。
戦後に浮揚作業が行われました。
戦艦「陸奥」の引き揚げ品
艦体約75%が浮揚され、艦橋部と艦首部等を除く艦の前部分等が海底に残っているとの事。
40糎砲火薬缶上部などの引き揚げ品
長官公室舷窓などの引き揚げ品
「体験コーナー」
戦艦「陸奥」の士官室を再現しています。
下士官兵のハンモック(寝具)を再現しています。
昭和18年6月8日、旧東和町(現在:周防大島町)の沖で爆沈しました。
爆沈原因は艦内の誤爆説等ありますが、現在でも不明との事。
記念館から沖合3キロの地点で爆沈しています。
戦艦「陸奥」(縮尺1/100)(実寸2.25m)
水上浮揚が可能で推進機を備えています。
戦艦「陸奥」と共に逝った乗組員の冥福を祈ります。
ありがとうございました。 <(_ _)>
この後は、同館の野外展示コーナーへ移動します。つづく・・・(^_^¥
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