阪急西宮ギャラリーは、西宮市高松町にある展示施設です。
本施設は、大型複合商業施設“阪急西宮ガーデンズ”本館5階にあります。
阪急西宮ガーデンズに位置していた阪急西宮スタジアム(旧名:阪急西宮球場)、プロ野球球団・阪急ブレーブス、阪急電鉄の歴史などを展示しています。
阪急電鉄は、大阪梅田と神戸・宝塚・京都を結ぶ鉄道を経営する大手私鉄です。
阪急阪神ホールディングスの子会社であり阪急阪神東宝グループに属します。
略称は、『阪急』となります。
同鉄が運営している鉄道事業は、明治40年(1907年)に箕面有馬電気軌道が設立され、
明治43年(1910年)3月10日、宝塚本線・箕面線にあたる梅田駅(現在:大阪梅田駅)-宝塚間、石橋駅(現在:石橋阪大前駅)-箕面間を開業したのが始まりです。
創業者の小林一三は経営安定のため沿線開発に力を入れ、住宅地分譲、宝塚新温泉、宝塚唱歌隊(後の少女歌劇団、現在:宝塚歌劇団)などの事業を多角的に展開しました。
「阪急920系電車」(模型・縮尺1/20)
阪神急行電鉄(当時社名)及び京阪神急行電鉄(当時社名)を経て阪急電鉄に在籍した通勤型電車です。
900形をベースとして昭和9年(1934年)年から昭和23年(1948年に)かけて56両が製造されました。
神戸本線での大阪-神戸間を25分で運行しました。
「阪急800系電車」(模型・縮尺1/20)
京阪神急行電鉄(当時社名)が、昭和24年(1949年)に導入した通勤形電車です。
920系に続く神戸線用車両として、当初は700系として竣工しました。
2編成の本車体は、昭和25年(1950年)に西宮球場にて開催された『アメリカ博』の宣伝用として黄色と空色に塗装されました。
<阪急ブレーブス>
阪急ブレーブスは、阪急電鉄が保有していたかってのプロ野球球団です。
昭和11年(1936年)1月23日、大阪阪急野球協会を設立。
同年2月5日に結成された日本職業野球連盟に参加しました。
球団名に企業名を入れた日本で最初のプロ野球球団とのこと。
昭和63年(1988年)11月4日、阪急電鉄からオリエント・リース(翌年、オリックスに社名変更)へ球団を売却。
同球団は、発足から売却されるまでの52年間で日本一3回、パ・リーグ優勝10回を誇るチームでした。
昭和50年(1975年)から昭和52年(1977年)は、3年連続日本一を達成しました。
「山田久志」投手/在籍:昭和44年(1969年)~昭和63年(1988年)
現役時代は12年連続開幕投手を務めるなどし、アンダースロー投手としては日本プロ野球最多となる通算284勝を記録しました。
球界関係者からは、史上最高のサブマリン投手と称されています。
ダイヤモンドグラブ賞(昭和56年)
「福本 豊」外野手/在籍:昭和44年(1969年)~昭和63年(1988年)
現役通算2,543安打、通算208本塁打を記録した確実性とパンチ力を兼ね備えた打撃を持っていました。
通算盗塁数及びシーズン盗塁数の日本記録保持者として、世界の福本又は世界の盗塁王の異名を持っています。
盗塁世界新記録達成記念(939盗塁)(昭和58年)
「加藤秀司」内野手/在籍:昭和44年(1969年)~昭和57年(1982年)
在籍時代は中心打者とし活躍し、首位打者2回、打点王3回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞3回等々のタイトルを得ました
通算犠牲フライで歴代2位の記録数を保有しています。
首位打者賞(昭和48年)
山田投手、福本豊外野手、加藤内野手は“花の44年組”と言われていました。
しかし、他にもミスターブレーブスとして親しまれた4番打者の長池外野手、屈指の速球を持つ山口投手など、素晴らしい選手が多く在籍していました。
監督においても選手としての実績が無くても名将だった西本幸雄氏やその愛弟子となる上田利治氏の存在もありました。
「野球殿堂入り表彰レリーフ」
阪急ブレーブスへの貢献を評価され殿堂入りされた方々の表彰レリーフ(ブロンズ製胸像額)を掲額しています。
<ジオラマ模型>(縮尺1/150)
昭和58年(1983年)当時の阪急電鉄・西宮北口駅周辺を再現しています。
「西宮北口駅」
阪急電鉄の駅として、副駅名“阪急西宮ガーデンズ前”があります。
阪急神戸本線と今津線が接続する乗換駅です。
大正15年(1926年)の今津線延伸当時は立体交差が技術的に難しかったこともあり、平面交差が採用されました。
路面電車同士や路面電車と鉄道線の平面交差は珍しくはなかったですが、高速走行を前提とする路線同士が平面交差するものとしては日本唯一のものでした。
同線の直角に交わる平面交差を“ダイヤモンドクロス”と呼ばれていました。
昭和59年(1984年)3月25日、西宮北口駅構内の平面軌道交差が廃止されて今津線側が分断し、ダイヤモンドクロスは消滅しました。
以来、今津線は同駅で2系統に分断され、今津北線と今津南線という通称にもなっています。
「阪急西宮スタジアム」
阪急電鉄が所有していた多目的スタジアムです。
西宮北口駅前に現在所在する阪急西宮ガーデンズの位置にありました。
通称及び旧名称として、阪急西宮球場と呼ばれていました。
昭和12年(1937年)5月1日、開場(当時名称:阪急西宮球場)
日本初の二階建スタンドと全面天然芝のグラウンドを持つ野球場として、シカゴのリグレー・フィールドなど当時のMLBの諸球場を参考に設計されました。
日本初の鉄傘付き二階席の他、当時としては異例の背付き椅子を備えた内野席、5万7千人収容の観覧席の傾斜角度をどこから見ても本塁に合わせるなどの工夫がされたとのこと。
また、浴場など選手用施設、記者室、郵便局、当時では珍しかった男女別トイレなど内部施設も充実させ、広い敷地と併せて最新・最高の設備を備えた球場でした。
阪急電鉄が所有していたプロ野球球団・阪急ブレーブスの本拠地として主催試合が開催されました。
それ以外に競輪場として競輪開催(西宮競輪場)、アメリカンフットボールの試合、コンサートなど様々なイベントで使用されました。
平成03年(1991年)04月01日、名称を“阪急西宮スタジアム”に改称
平成14年(2002年)12月31日、球場施設の老朽化に伴い閉場(閉鎖)
平成17年(2005年)夏、 解体工事の完了
跡地にはスタジアム敷地を含めた周辺再開発により、平成20年(2008年)11月26日に大型複合商業施設“阪急西宮ガーデンズ”が開業。
本展示施設の見学を通じて、阪急電鉄が創業以来積み重ねてきた事業や歴史を一部でも知る事ができました。
プロ野球球団・阪急ブレーブスが懐かしかったです。
ありがとうございました。
☆゚.+゚o(>Д<。*)ノ゚+.★ァリガトォ★゚+.ヽ(*。>Д<)o゚+.゚☆
本施設は、大型複合商業施設“阪急西宮ガーデンズ”本館5階にあります。
阪急西宮ガーデンズに位置していた阪急西宮スタジアム(旧名:阪急西宮球場)、プロ野球球団・阪急ブレーブス、阪急電鉄の歴史などを展示しています。
阪急電鉄は、大阪梅田と神戸・宝塚・京都を結ぶ鉄道を経営する大手私鉄です。
阪急阪神ホールディングスの子会社であり阪急阪神東宝グループに属します。
略称は、『阪急』となります。
同鉄が運営している鉄道事業は、明治40年(1907年)に箕面有馬電気軌道が設立され、
明治43年(1910年)3月10日、宝塚本線・箕面線にあたる梅田駅(現在:大阪梅田駅)-宝塚間、石橋駅(現在:石橋阪大前駅)-箕面間を開業したのが始まりです。
創業者の小林一三は経営安定のため沿線開発に力を入れ、住宅地分譲、宝塚新温泉、宝塚唱歌隊(後の少女歌劇団、現在:宝塚歌劇団)などの事業を多角的に展開しました。
「阪急920系電車」(模型・縮尺1/20)
阪神急行電鉄(当時社名)及び京阪神急行電鉄(当時社名)を経て阪急電鉄に在籍した通勤型電車です。
900形をベースとして昭和9年(1934年)年から昭和23年(1948年に)かけて56両が製造されました。
神戸本線での大阪-神戸間を25分で運行しました。
「阪急800系電車」(模型・縮尺1/20)
京阪神急行電鉄(当時社名)が、昭和24年(1949年)に導入した通勤形電車です。
920系に続く神戸線用車両として、当初は700系として竣工しました。
2編成の本車体は、昭和25年(1950年)に西宮球場にて開催された『アメリカ博』の宣伝用として黄色と空色に塗装されました。
<阪急ブレーブス>
阪急ブレーブスは、阪急電鉄が保有していたかってのプロ野球球団です。
昭和11年(1936年)1月23日、大阪阪急野球協会を設立。
同年2月5日に結成された日本職業野球連盟に参加しました。
球団名に企業名を入れた日本で最初のプロ野球球団とのこと。
昭和63年(1988年)11月4日、阪急電鉄からオリエント・リース(翌年、オリックスに社名変更)へ球団を売却。
同球団は、発足から売却されるまでの52年間で日本一3回、パ・リーグ優勝10回を誇るチームでした。
昭和50年(1975年)から昭和52年(1977年)は、3年連続日本一を達成しました。
「山田久志」投手/在籍:昭和44年(1969年)~昭和63年(1988年)
現役時代は12年連続開幕投手を務めるなどし、アンダースロー投手としては日本プロ野球最多となる通算284勝を記録しました。
球界関係者からは、史上最高のサブマリン投手と称されています。
ダイヤモンドグラブ賞(昭和56年)
「福本 豊」外野手/在籍:昭和44年(1969年)~昭和63年(1988年)
現役通算2,543安打、通算208本塁打を記録した確実性とパンチ力を兼ね備えた打撃を持っていました。
通算盗塁数及びシーズン盗塁数の日本記録保持者として、世界の福本又は世界の盗塁王の異名を持っています。
盗塁世界新記録達成記念(939盗塁)(昭和58年)
「加藤秀司」内野手/在籍:昭和44年(1969年)~昭和57年(1982年)
在籍時代は中心打者とし活躍し、首位打者2回、打点王3回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞3回等々のタイトルを得ました
通算犠牲フライで歴代2位の記録数を保有しています。
首位打者賞(昭和48年)
山田投手、福本豊外野手、加藤内野手は“花の44年組”と言われていました。
しかし、他にもミスターブレーブスとして親しまれた4番打者の長池外野手、屈指の速球を持つ山口投手など、素晴らしい選手が多く在籍していました。
監督においても選手としての実績が無くても名将だった西本幸雄氏やその愛弟子となる上田利治氏の存在もありました。
「野球殿堂入り表彰レリーフ」
阪急ブレーブスへの貢献を評価され殿堂入りされた方々の表彰レリーフ(ブロンズ製胸像額)を掲額しています。
<ジオラマ模型>(縮尺1/150)
昭和58年(1983年)当時の阪急電鉄・西宮北口駅周辺を再現しています。
「西宮北口駅」
阪急電鉄の駅として、副駅名“阪急西宮ガーデンズ前”があります。
阪急神戸本線と今津線が接続する乗換駅です。
大正15年(1926年)の今津線延伸当時は立体交差が技術的に難しかったこともあり、平面交差が採用されました。
路面電車同士や路面電車と鉄道線の平面交差は珍しくはなかったですが、高速走行を前提とする路線同士が平面交差するものとしては日本唯一のものでした。
同線の直角に交わる平面交差を“ダイヤモンドクロス”と呼ばれていました。
昭和59年(1984年)3月25日、西宮北口駅構内の平面軌道交差が廃止されて今津線側が分断し、ダイヤモンドクロスは消滅しました。
以来、今津線は同駅で2系統に分断され、今津北線と今津南線という通称にもなっています。
「阪急西宮スタジアム」
阪急電鉄が所有していた多目的スタジアムです。
西宮北口駅前に現在所在する阪急西宮ガーデンズの位置にありました。
通称及び旧名称として、阪急西宮球場と呼ばれていました。
昭和12年(1937年)5月1日、開場(当時名称:阪急西宮球場)
日本初の二階建スタンドと全面天然芝のグラウンドを持つ野球場として、シカゴのリグレー・フィールドなど当時のMLBの諸球場を参考に設計されました。
日本初の鉄傘付き二階席の他、当時としては異例の背付き椅子を備えた内野席、5万7千人収容の観覧席の傾斜角度をどこから見ても本塁に合わせるなどの工夫がされたとのこと。
また、浴場など選手用施設、記者室、郵便局、当時では珍しかった男女別トイレなど内部施設も充実させ、広い敷地と併せて最新・最高の設備を備えた球場でした。
阪急電鉄が所有していたプロ野球球団・阪急ブレーブスの本拠地として主催試合が開催されました。
それ以外に競輪場として競輪開催(西宮競輪場)、アメリカンフットボールの試合、コンサートなど様々なイベントで使用されました。
平成03年(1991年)04月01日、名称を“阪急西宮スタジアム”に改称
平成14年(2002年)12月31日、球場施設の老朽化に伴い閉場(閉鎖)
平成17年(2005年)夏、 解体工事の完了
跡地にはスタジアム敷地を含めた周辺再開発により、平成20年(2008年)11月26日に大型複合商業施設“阪急西宮ガーデンズ”が開業。
本展示施設の見学を通じて、阪急電鉄が創業以来積み重ねてきた事業や歴史を一部でも知る事ができました。
プロ野球球団・阪急ブレーブスが懐かしかったです。
ありがとうございました。
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