加西市に位置する「鶉野飛行場跡地」を訪れました。
鶉野(うずらの)飛行場は、加西市鶉野町(当時:兵庫県加西郡九会村・下里村)にかつて存在していた飛行場です。
第二次世界大戦中において川西航空機姫路製作所組立工場の専用飛行場として建設されました。
その後、姫路海軍航空隊や筑波海軍航空隊分遣隊が駐留し、訓練基地及び特別攻撃隊の出撃拠点となりました。
現在は、飛行場及びその周辺に防空壕や地下指揮所などの遺構が現存しています。
<鶉野飛行場の名称について>
正式には、姫路海軍航空隊または姫路基地(姫路航空基地)ですが、地元では『鶉野飛行場』の総称が広く浸透しているとの事。
旧海軍及び川西航空機(現在:新明和工業)の資料・社史等々の名称(呼称)と異なる事をご承知下さい。
当ブログでの記述する名称についても現場で置かれている説明看板などから引用しています。 <(_ _)>
昭和17年、兵庫県加西郡九会村・下里村において川西航空機姫路製作所の組立工場の建設が開始され、搬出入用の滑走路として姫路飛行場が並行して造成されました。
<概要>
昭和18年(1943年)
・10月1日、姫路海軍航空隊の開隊、訓練任務に従事
昭和19年(1944年)
・5月頃、姫路飛行場の竣工
・8月頃、川西航空機姫路製作所組立工場が操業開始。局地戦闘機「紫電」の搬出入に滑走路を使用
昭和20年(1945年)
・2月10日、特別攻撃隊の編成開始。後に「白鷺隊」(はくろたい)を編成完了
・3月23日、宇佐飛行場(大分県)へ向け白鷺隊出撃。沖縄上陸戦開始とともに串良飛行場(鹿児島県)へ前進
・4月06日、「菊水一号作戦」発動_神風特別攻撃隊・第一護皇白鷺隊13機出撃
・4月12日、「菊水二号作戦」発動_第二護皇白鷺隊3機出撃
・4月16日、「菊水三号作戦」発動_第三護皇白鷺隊2機出撃
・4月28日、「菊水四号作戦」発動_白鷺赤忠隊1機出撃
・5月04日、「菊水五号作戦」発動_白鷺揚武隊1機出撃
・5月05日、解隊
「衛兵詰所」
休憩所として使用されています。
姫路海軍航空隊の施設跡は、神戸大学農学部付属食資源教育センターとなっています。
「門柱基礎」
姫路海軍航空隊への入口として、衛兵詰所、門柱及び面会所がこの周辺に置かれていました。
「爆弾庫」
高射砲弾、800キロ・250キロ・50キロ爆弾、戦闘機に装備する機銃弾及び燃料が貯蔵されていました。
「防空壕(素堀)」
通気性を考慮して、コの字型に掘られています。
「防空壕(コンクリート)」
内部構造は爆風を和らげるため複雑になっており、換気口も設けられています。
「機銃座」
海軍で開発・制式化された“九六式二十五粍高角機銃”が設置されていました。
同飛行場周辺に5箇所設置され、現在4箇所が現存しているそうです。
「巨大防空壕」
長さ14.5m、幅5m、高さ5mの内部空間があり、当地最大のコンクリート製防空壕です。
自家発電施設として運用され、高温及び騒音のため天井を高くし、冷却水槽、換気、呼気に配慮した構造との事
「地下防空壕(コンクリート」
コンクリートでつくられた地下構造の待避壕で深さ3m程あるとの事
「地下飛行指揮所」
指揮所内の部屋と地上を結ぶ通路が2箇所あります。
それぞれ全長約10mで外から爆風が入り込んでも部屋まで届かないように通路には曲がり角が3箇所あるそうです。
見学希望については、加西市観光案内所への事前予約が必要との事
「鶉野飛行場・滑走路」(姫路飛行場)
第二次世界大戦中、川西航空機姫路製作所組立工場の専用飛行場として建設されました。
その後、姫路海軍航空隊や筑波海軍航空隊分遣隊が駐留し、訓練基地及び特別攻撃隊の出撃拠点となりました。
滑走路:全長1,200m、幅:60m
当飛行場では、九三式中間練習機(別名:赤とんぼ)及び九七式艦上攻撃機などが運用されていました。
「平和記念の碑苑」
平成11年10月1日、旧海軍関係者並びに地元有志の方々により建立されました。
「慰霊碑文」
美しく空に果てたり鶉野の 雲夕焼けて永くたゆとう
川西航空機姫路製作所組立工場では、局地戦闘機「紫電(11型/N1K1-J)」486機、同じく「紫電改(21型/N1K2-J)」44機が製造されました。
「97式艦上攻撃機」
姫路海軍航空隊に練習機として運用されていました。
昭和20年5月からは特攻機として運用され、沖縄戦へ出撃しました。
「整備台」
川西航空機姫路製作所組立工場において、局地戦闘機「紫電」及び同じく「紫電改」の発電機の整備に使用されたものです。
「機銃座」
注)立入禁止の立て看板は、地下壕内及び機銃座内への侵入を禁止したものです。
「九六式二十五粍高角機銃」(模型・縮尺1/1)
東映が制作した映画『男たちの大和』の撮影に使用された実物大の模型です。
同型機銃は軍艦及び陸上基地に配備され、低空進入する航空機に対処しました。
操作要員:5名、銃身長:1,500mm、口径:25mm、有効射程:8,000m
「鶉野飛行場資料館」
当時の鶉野(うずらの)に関する歴史や搭乗員、局地戦闘機「紫電・紫電改」などに関する資料が展示されています。
鶉野飛行場マスコットキャラクター「ウズラノ少尉」
今回の戦跡訪問については“加西市歴史街道ボランティアガイド”を参考にさせていただきました。
この場を借りましてお礼申し上げます。
今に残る戦争遺跡を巡り、史実を学ぶ事ができました。
先人の方々に感謝したいと思います。
ありがとうございました。
゚・:,。★\(^^ )♪ありがと♪( ^^)ノ★,。・:・゚
鶉野(うずらの)飛行場は、加西市鶉野町(当時:兵庫県加西郡九会村・下里村)にかつて存在していた飛行場です。
第二次世界大戦中において川西航空機姫路製作所組立工場の専用飛行場として建設されました。
その後、姫路海軍航空隊や筑波海軍航空隊分遣隊が駐留し、訓練基地及び特別攻撃隊の出撃拠点となりました。
現在は、飛行場及びその周辺に防空壕や地下指揮所などの遺構が現存しています。
<鶉野飛行場の名称について>
正式には、姫路海軍航空隊または姫路基地(姫路航空基地)ですが、地元では『鶉野飛行場』の総称が広く浸透しているとの事。
旧海軍及び川西航空機(現在:新明和工業)の資料・社史等々の名称(呼称)と異なる事をご承知下さい。
当ブログでの記述する名称についても現場で置かれている説明看板などから引用しています。 <(_ _)>
昭和17年、兵庫県加西郡九会村・下里村において川西航空機姫路製作所の組立工場の建設が開始され、搬出入用の滑走路として姫路飛行場が並行して造成されました。
<概要>
昭和18年(1943年)
・10月1日、姫路海軍航空隊の開隊、訓練任務に従事
昭和19年(1944年)
・5月頃、姫路飛行場の竣工
・8月頃、川西航空機姫路製作所組立工場が操業開始。局地戦闘機「紫電」の搬出入に滑走路を使用
昭和20年(1945年)
・2月10日、特別攻撃隊の編成開始。後に「白鷺隊」(はくろたい)を編成完了
・3月23日、宇佐飛行場(大分県)へ向け白鷺隊出撃。沖縄上陸戦開始とともに串良飛行場(鹿児島県)へ前進
・4月06日、「菊水一号作戦」発動_神風特別攻撃隊・第一護皇白鷺隊13機出撃
・4月12日、「菊水二号作戦」発動_第二護皇白鷺隊3機出撃
・4月16日、「菊水三号作戦」発動_第三護皇白鷺隊2機出撃
・4月28日、「菊水四号作戦」発動_白鷺赤忠隊1機出撃
・5月04日、「菊水五号作戦」発動_白鷺揚武隊1機出撃
・5月05日、解隊
「衛兵詰所」
休憩所として使用されています。
姫路海軍航空隊の施設跡は、神戸大学農学部付属食資源教育センターとなっています。
「門柱基礎」
姫路海軍航空隊への入口として、衛兵詰所、門柱及び面会所がこの周辺に置かれていました。
「爆弾庫」
高射砲弾、800キロ・250キロ・50キロ爆弾、戦闘機に装備する機銃弾及び燃料が貯蔵されていました。
「防空壕(素堀)」
通気性を考慮して、コの字型に掘られています。
「防空壕(コンクリート)」
内部構造は爆風を和らげるため複雑になっており、換気口も設けられています。
「機銃座」
海軍で開発・制式化された“九六式二十五粍高角機銃”が設置されていました。
同飛行場周辺に5箇所設置され、現在4箇所が現存しているそうです。
「巨大防空壕」
長さ14.5m、幅5m、高さ5mの内部空間があり、当地最大のコンクリート製防空壕です。
自家発電施設として運用され、高温及び騒音のため天井を高くし、冷却水槽、換気、呼気に配慮した構造との事
「地下防空壕(コンクリート」
コンクリートでつくられた地下構造の待避壕で深さ3m程あるとの事
「地下飛行指揮所」
指揮所内の部屋と地上を結ぶ通路が2箇所あります。
それぞれ全長約10mで外から爆風が入り込んでも部屋まで届かないように通路には曲がり角が3箇所あるそうです。
見学希望については、加西市観光案内所への事前予約が必要との事
「鶉野飛行場・滑走路」(姫路飛行場)
第二次世界大戦中、川西航空機姫路製作所組立工場の専用飛行場として建設されました。
その後、姫路海軍航空隊や筑波海軍航空隊分遣隊が駐留し、訓練基地及び特別攻撃隊の出撃拠点となりました。
滑走路:全長1,200m、幅:60m
当飛行場では、九三式中間練習機(別名:赤とんぼ)及び九七式艦上攻撃機などが運用されていました。
「平和記念の碑苑」
平成11年10月1日、旧海軍関係者並びに地元有志の方々により建立されました。
「慰霊碑文」
美しく空に果てたり鶉野の 雲夕焼けて永くたゆとう
川西航空機姫路製作所組立工場では、局地戦闘機「紫電(11型/N1K1-J)」486機、同じく「紫電改(21型/N1K2-J)」44機が製造されました。
「97式艦上攻撃機」
姫路海軍航空隊に練習機として運用されていました。
昭和20年5月からは特攻機として運用され、沖縄戦へ出撃しました。
「整備台」
川西航空機姫路製作所組立工場において、局地戦闘機「紫電」及び同じく「紫電改」の発電機の整備に使用されたものです。
「機銃座」
注)立入禁止の立て看板は、地下壕内及び機銃座内への侵入を禁止したものです。
「九六式二十五粍高角機銃」(模型・縮尺1/1)
東映が制作した映画『男たちの大和』の撮影に使用された実物大の模型です。
同型機銃は軍艦及び陸上基地に配備され、低空進入する航空機に対処しました。
操作要員:5名、銃身長:1,500mm、口径:25mm、有効射程:8,000m
「鶉野飛行場資料館」
当時の鶉野(うずらの)に関する歴史や搭乗員、局地戦闘機「紫電・紫電改」などに関する資料が展示されています。
鶉野飛行場マスコットキャラクター「ウズラノ少尉」
今回の戦跡訪問については“加西市歴史街道ボランティアガイド”を参考にさせていただきました。
この場を借りましてお礼申し上げます。
今に残る戦争遺跡を巡り、史実を学ぶ事ができました。
先人の方々に感謝したいと思います。
ありがとうございました。
゚・:,。★\(^^ )♪ありがと♪( ^^)ノ★,。・:・゚
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