第五福竜丸展示館は、江東区に所在する夢の島公園の敷地内にあります。
展示主体となる「第五福竜丸」は昭和29年3月1日、アメリカ軍の水素爆弾実験
によって発生した多量の放射性降下物を浴びた、遠洋マグロ漁船の船名です。
「第五福竜丸の大漁旗」
本船は、静岡県焼津市の清水港を母港としたマグロ漁船でした。
館内では、第五福竜丸の被爆時からその後の経緯について説明されています。
「第五福竜丸の航海図と被災位置」
本船はマーシャル諸島共和国にあるビキニ環礁において、米軍による水爆実験
「キャッスル作戦」に巻き込まれて被爆しました。
「読売新聞 昭和29年3月16日付」
「漁船 第五福竜丸模型」(縮尺1/30)
“木造遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」の絵とき”
昭和22年、和歌山県にて建造され、当初はカツオ漁船でした。
その後、静岡県焼津市でマグロ漁船に改造され、第五福竜丸となります。
「エンジン・シャフト」
「上甲板」
「操舵室」
「船首」
本船は帰港後、検査と放射能除去が行われた後に三重県伊勢市大湊町の
造船所にて改造され、東京水産大学・練習船「はやぶさ丸」となります。
そして昭和42年に廃船となりました。
「第五福竜丸エンジン」
屋外にて展示されています。
エンジンは、廃船時に船体から切り離されて貨物船「第三千代川丸」に搭載
されますが、この貨物船は昭和43年に航海途上の三重県熊野灘沖で座礁、
沈没します。
その後、平成8年12月、有志により海底から引き揚げられ、第五福竜丸展示館
の側に展示されました。
「マグロ塚」
第五福竜丸と同じく、放射能に汚染されたマグロは中央卸売市場築地市場の
一角に埋められました。
この様な被害が再び起きないことを願って、マグロ塚を作ったとのことです。
「久保山愛吉記念碑」
第五福竜丸無線長・久保山愛吉さんは、昭和29年9月23日に逝去。
記念碑には遺言である「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」が
刻まれています。
本展示館の全景です。
今後とも、これらを風化させることなく、次の世代へ伝えていくことが大事だと
思いました。
二度と引き起こされることのないことを願いとして。
展示主体となる「第五福竜丸」は昭和29年3月1日、アメリカ軍の水素爆弾実験
によって発生した多量の放射性降下物を浴びた、遠洋マグロ漁船の船名です。
「第五福竜丸の大漁旗」
本船は、静岡県焼津市の清水港を母港としたマグロ漁船でした。
館内では、第五福竜丸の被爆時からその後の経緯について説明されています。
「第五福竜丸の航海図と被災位置」
本船はマーシャル諸島共和国にあるビキニ環礁において、米軍による水爆実験
「キャッスル作戦」に巻き込まれて被爆しました。
「読売新聞 昭和29年3月16日付」
「漁船 第五福竜丸模型」(縮尺1/30)
“木造遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」の絵とき”
昭和22年、和歌山県にて建造され、当初はカツオ漁船でした。
その後、静岡県焼津市でマグロ漁船に改造され、第五福竜丸となります。
「エンジン・シャフト」
「上甲板」
「操舵室」
「船首」
本船は帰港後、検査と放射能除去が行われた後に三重県伊勢市大湊町の
造船所にて改造され、東京水産大学・練習船「はやぶさ丸」となります。
そして昭和42年に廃船となりました。
「第五福竜丸エンジン」
屋外にて展示されています。
エンジンは、廃船時に船体から切り離されて貨物船「第三千代川丸」に搭載
されますが、この貨物船は昭和43年に航海途上の三重県熊野灘沖で座礁、
沈没します。
その後、平成8年12月、有志により海底から引き揚げられ、第五福竜丸展示館
の側に展示されました。
「マグロ塚」
第五福竜丸と同じく、放射能に汚染されたマグロは中央卸売市場築地市場の
一角に埋められました。
この様な被害が再び起きないことを願って、マグロ塚を作ったとのことです。
「久保山愛吉記念碑」
第五福竜丸無線長・久保山愛吉さんは、昭和29年9月23日に逝去。
記念碑には遺言である「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」が
刻まれています。
本展示館の全景です。
今後とも、これらを風化させることなく、次の世代へ伝えていくことが大事だと
思いました。
二度と引き起こされることのないことを願いとして。
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