千代田区一ツ橋に毎日新聞社東京本社が所在しています。
画像は、同社が入居している“パレスサイドビル”の入口です。
パレスサイドビル1階のフロアに『ニッポン世界一周大飛行完成記念』の記念碑が置かれています。
「ニッポン」とは、第二次世界大戦前期における日本の民間航空機として4大陸と2大洋を連続周航した世界で最初の飛行機です。
昭和14年年8月25日、東京市蒲田区(現在:東京都大田区)の羽田飛行場(現在:東京国際空港)を離陸し、55日後の10月20日に帰国しました。
総飛行距離52,886キロを記録。
この世界一周は毎日新聞社が企画したもので、当時の朝日新聞による“神風号”が昭和12年に日本-ロンドン間の飛行に成功した事から計画されました。
ニッポン号は、当時の海軍から“九六式陸上攻撃機”を払い下げられた機体です。
本機体から銃座を取り外し、当時最新の自動操縦機能を備えた旅客機に改造、長距離に耐えるよう燃料552キロリットルを搭載、24時間飛行を可能としました。
本機は、三菱重工業による製造製です。
全長16メートル、翼長25メートル、巡航速度280km/h、最大速度400km/h
機体に描かれている“J-BACI”は、航空無線の呼び出し符号です。
帰国後、ニッポン号は海軍に返還され、偵察機として使われました。
昭和18年に老朽化のため使用停止になるまで任務を全うしました。
当時の日本が持つ航空技術の凄さを改めて感じさせる記念碑でした。
(^_^¥
画像は、同社が入居している“パレスサイドビル”の入口です。
パレスサイドビル1階のフロアに『ニッポン世界一周大飛行完成記念』の記念碑が置かれています。
「ニッポン」とは、第二次世界大戦前期における日本の民間航空機として4大陸と2大洋を連続周航した世界で最初の飛行機です。
昭和14年年8月25日、東京市蒲田区(現在:東京都大田区)の羽田飛行場(現在:東京国際空港)を離陸し、55日後の10月20日に帰国しました。
総飛行距離52,886キロを記録。
この世界一周は毎日新聞社が企画したもので、当時の朝日新聞による“神風号”が昭和12年に日本-ロンドン間の飛行に成功した事から計画されました。
ニッポン号は、当時の海軍から“九六式陸上攻撃機”を払い下げられた機体です。
本機体から銃座を取り外し、当時最新の自動操縦機能を備えた旅客機に改造、長距離に耐えるよう燃料552キロリットルを搭載、24時間飛行を可能としました。
本機は、三菱重工業による製造製です。
全長16メートル、翼長25メートル、巡航速度280km/h、最大速度400km/h
機体に描かれている“J-BACI”は、航空無線の呼び出し符号です。
帰国後、ニッポン号は海軍に返還され、偵察機として使われました。
昭和18年に老朽化のため使用停止になるまで任務を全うしました。
当時の日本が持つ航空技術の凄さを改めて感じさせる記念碑でした。
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そういえば国連の敵国条項ってまだ生きてるんでしたよねぇ・・
根拠は不明ですが、一般的に敗戦国と言われている国籍識別については、「2文字」らしいですね。
これもJAから始まりますが戦前の免許をお持ちだった方はJ一文字から始まっていたそうです。
戦時中は禁止され戦後の再開時にJAとなったとの事でした。
当方も免許だけは、大昔のブームの頃に取得しましたね。f^_^;
コールサインの経緯については知りませんでした。